ミアのピアノ

 混乱したままの私と、何やら考え込んでいる様子のノアが若い侍従に案内されて来たのは、王宮の敷地の奥に広がる森の中だった。木々に隠れるように建っていたのは、赤レンガ造りの小さめの倉庫のような建物だ。宮殿という華やかな場所には似つかわしくないように思える。

「2人とも、よく来たな」

 侍女を伴いどこからともなく現れたのは、この国の女王ローナだ。細身だが女性にしてはかなり背が高く、髪も短く中性的な顔立ちなので、一見すると男性のようにも見える。

 ローナが屈んで腕を広げたので、私は迷わずその腕の中に飛び込んだ。ぎゅっと抱きつくと、ほのかに薔薇の香りがした。

「ローナ様! 会えて嬉しい!」

 ローナはとにかく忙しい人なので滅多に会えない。私のテンションも上がるというものだ。

「ローナ様、ここは何? 宮殿にこんな場所があるなんて知らなかったよ」

 ノアがきょろきょろ辺りを見回しながら訊く。

「そうだな。まずは中に入ろう」

 ローナは私の体を一度離し、手をしっかりと繋いだ。空いている方の手をノアに差し出すと、ノアは大人しくその手を握った。

 ローナと共に来た侍女が先導し、侍従が後ろについた。侍女が金属製の頑丈そうなドアを軽々と開くと、入口にかなり強い結界が張り巡らされているのが分かった。場の緊張感に身震いする。

「心配はいらない。ここの結界は盗難防止のために張られているだけで、危険なものではない」

 ローナは穏やかに言うと、私達を促して中に入った。

 結界をすり抜けるときに感じる圧迫感は相当なものだったが、入ってしまうとそこは意外と居心地のいい空間だった。壁には淡い色合いの風景画が飾られ、あちこちに花が置かれている。

 そして何より私の目を引いたのは、このエントランスの中央に置かれた銀色のグランドピアノだった。

「綺麗……」

 小さく呟くと、私はピアノに近付いた。

「そのピアノがミアの【10歳の贈り物】だ」

 ローナが厳かに告げると、私は驚いてピアノとローナを見比べた。

「え…………え!?」

 ローナは私の側までくると、手でピアノを示しながら言った。

「これは300年ほど前に、王族の男が愛するレイン家の令嬢のために作った魔道具だ。その男は結局、令嬢に愛を告白することも、これを渡すこともできなかったのだが……」

 ローナは深い溜め息を吐いた。

「どのみちこれはにしか奏でられない。代々これを引き継いだ国王たちは、面倒がって放置していたようだが、私はレイン家当主に娘が生まれたら譲ろうと思ってたんだ」

 ローナは私の肩に手を置いた。

「受け取ってくれるか?」

 私が口を開こうとすると、ノアが言った。

「ミア、簡単に返事しないで! 魔道具と言うからには、ただのピアノじゃないはずだよ。説明を聞いてよく考えてからにして」

 私は不思議に思ってノアを見た。

「ローナ様が危ないものを渡すわけがないよね?」

 ノアは大きく頭を振った。

「僕も危ないとは思わないよ。でもね、面倒な効果があるかもしれないよ?」

 私とノアは問うようにローナの顔を見上げた。するとローナは1拍の後大笑いを始めた。私は驚いて一歩遠ざかる。ノアは気分を悪くしたのか、ローナを睨んでいた。

「ふう……、ノア、もっと私を信用してくれても良いのではないか? 厄介なものならとっくに処分している。これは純粋な気持ちで作られた、愛に満ちたピアノだ。とても優しく、澄んだ音がするそうだ。ただ、確かに魔法的な効果はある」

 ノアは腕を組んで口を開いた。

「やっぱり! 変なのだったら、ローナ様でも許さないからね!」

 ローナはノアを鎮めるように両手のひらを向けた。

「これは簡単に言うと、雨を降らせる魔道具だ」

 ローナの言葉を聞いて、私とノアは同時に首を傾げた。雨を降らせる魔法はレイン家の十八番おはこだ。外から婿入りした父の家系の影響を強く受け継いだノアは使えないが、他の親戚はほとんど使える。

 私たちの戸惑いを感じ取ったローナは言葉を続けた。

「レイン家の者が使うのは、非常に影響の大きい天候操作系の雨のだ。その威力で地面を刳り、山をも削り、そして辺り一帯を洗い清める。街中で使えば大惨事だ。通常は強力な魔物討伐以外に使わないだろう?」

 私は思わず手を打った。

「あ、確かに! 水術で空からパラパラっと水を落とすことはできるけど、弱い雨は無理かも。でもやってみたことはないから今度や……」

「駄目だからね! ミアの場合威力が強過ぎて、豪雨を通り越して嵐になって、地形まで変えるんだから、絶対にやってみるのは駄目!」

 私の言葉を断ち切って、ノアが凄まじい剣幕で言った。

「君たちも知っているように、レイン家の人間は強すぎる攻撃魔法の使い手であるのと、他にもいろいろな事情が重なって、この国では一部の人間から恐れられている。偏った知識から的外れの悪口を言われることもある。一族のものがほとんどレイン城に住んでいて、他の家との交流が少ないから、性格も攻撃的だと勘違いしている馬鹿が一定数いる」

 ローナが一旦口を閉じたので私は言った。

「大丈夫だよ、ローナ様。うちには【レイン家に対する罵詈雑言ばりぞうごん集】っていう本があって、先祖代々言われてきた悪口を全部書いてあるの。みんなでそれを読んで、お互いに言ってみたりして鍛えてるから平気」

 自信を持って言い切ったのに、後ろで息を呑むような声が聞こえて振り返った。今まで空気のように存在感を消していた若い侍従が口元を押さえて俯いている。

「どうしたジル、気分が悪いのか?」

 ローナが訊くと、彼は顔を上げた。大きな茶色の瞳には涙が浮かんでいて、今にも零れそうだった。

「……いえ、まだお小さいのに大変な苦労をされて、不憫に感じたものですから……」

 ローナは苦笑する。

「皆様、ご心配には及びません。この者のことは気にせず、お話を続けてください」

 侍女は言うと、静かに侍従を睨みつけた。

「うっ……、申し訳ありません」

 侍従は苦しそうに言う。

 悪口を言われることに関して、私は本当に平気だ。小さな頃からレイン家に対する他家の扱いについて教えられてきたので、そういうものかと思っている。でも、侍従を見ていると胸が苦しくなった。私たちのために泣いてくれる人を慰めたい。

 私はローナに言った。

「ローナ様、ピアノもらうね。ありがとう」

 宣言した途端体内の魔力が抜き取られ、ピアノに吸い込まれた。ピアノからは温かい魔力が返ってくる。普通は魔道具に魔力を通すだけで使用者として登録され、魔道具から何かが返ってくることはない。しかし今は考える余裕がなかった。

 ピアノは一瞬強い光を放ち、元に戻っる。

「ミア!」

 ノアが焦った様子で言うが、もう遅い。私は素早く周囲を見回してから、ピアノに走り寄った。スツールに腰掛け、腱板の蓋を上げる。

「ミア、ちょっと待って!」

 ノアの声を頭の中から追いやって集中する。何か楽しい曲が弾きたい。すると頭の中にメロディーが流れた。軽やかで楽しく、少しコミカルな曲調……。

 軽く息を吐き、頭の中に流れた曲に楽しい気持ちを乗せて奏でる。

 短い曲はすぐに終わり、反応を見るためにみんなの方を向いた。しかし誰一人こちらを見ていなかった。ノアを含む全員が魅入られたように窓の外を見ていたのだ。

 不思議に思った私は立ち上がり、窓の方へと歩く。聞こえて来たのはサーッという静かな雨音だった。そして、目に入ってきたのは……。

 銀色に淡く光りながら落ちてくる雨だった。しかも地面が濡れていない。

 私は思わず外に飛び出した。雨の中をくるくる回ったり、飛び跳ねたりしてみる。雨に当たった感覚はあるのに、体も服も全く濡れない。

 しばらくはしゃいでいると、だんだん気持ちが落ち着いて来た。立ち止まり、改めて辺りを見回す。

「記録に書いてあったことは、本当のようだな」

 いつの間にか、他の3人と一緒に私の側に来ていたローナが呟く。

「記録?」

 私が訊くと、ローナは説明してくれた。

「ピアノの制作者の手記が残ってるんだ。ピアノを弾くと柔らかな雨が降る。その雨は普通の雨ではなく、土地を潤し生き物に活力を与える。元気が有り余っているものは沈静化させる」

 ノアがクスリと笑う。

「なるほど、まさに今のミアの状態だよね」

 いつもならカチンとくる言葉も、今は凪いだ心のままだった。

「ピアノの目立たないところには、文字が刻まれているらしい。『優しいあなたが泣かないように』……つまり、破壊的とも言える攻撃魔法の使い手である令嬢を、このピアノを弾くことで心ない言葉から守りたかったのだろうな」

 全員が数分間口を開かず、余韻に浸っていた。森の木々も、最初に見たときより生き生きとして見える。

「ところでミア、今の曲何だったの? 僕今まで聴いたことないんだけど」

 ノアが不思議そうに言うので、私も頭を捻った。

「私も知らない曲だけど、頭に浮かんできたの。うーん、よくは分からないけど、猫が関係する曲のような気がする」

 ノアとローナは不可解そうな顔をしていた。侍女は無表情で、侍従だけがキラキラした目で私を見ていた。

「とても可愛らしい曲で、元気が出ました。ありがとうございました」

 侍従の言葉に、私は嬉しくなって笑顔を向けた。

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双子の天使は雨を紡ぐ 銀乃 たま @ginnno_jewel

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