欠片、三つ目。触れる。―シシィとティア―


 幼き頃だ。

 まだ自分が精霊界にて親の庇護下にあった頃。

 その頃はまだ人の姿をとることも出来ず、両親も人の姿に転じることはなく、常に白狼の姿であった。

 母親の立場からの事情により、ある程度自身が大きくなるまで、母は傍に居ない環境で自分は育った。

 それでも、母のおわす場である大樹のうろへと、父に連れられて会う機会は多々あった。

 つがいなのに離れて暮らす父と母。幼心ながらに、少しだけ申し訳なく思っていたのは今でも覚えている。

 それでも、両親は自分に愛情を向けてくれていたし、互いに離れて暮らす身だったとしても、両親の仲も深かったように思う。

 時折、子である自分の存在を忘れ、仲を深める両親の姿も覚えている。

 話しに夢中な母の横顔を父が眺めているなと思えば、不意に父が母の口を食んでいた。

 かぷりと母の口を己の口で覆い、父が顎に力を入れてしまえば、たちまち母の口は砕けていただろう。

 けれども、父は決して母の口を噛み砕くことはなかったし、母もそれを知っているから、拒を示すこともなかった。

 それは狼という生き物の愛情表現。

 生き物の姿を借りているに過ぎない精霊でも、本能的な行動は似るらしい。

 だから自分も、幼心ながらに薄ぼんやりと思っていた。

 父が母を想うように、いつか自分にもそんな相手が現れたら、自分もそうやって想いを行動に示すこともあるのだろうな、と――。




   *   *   *




 微睡んでいた意識がふいに浮上する。

 遠くで海の波音が聴こえ、頬を冷たい海風が撫でていく。

 ああ、そうだ。

 今は両親の居る精霊界を離れ、遠く離れた海街で暮していたなと思い出す。

 出窓に座り、海を眺めていたまでは覚えている。

 それがいつの間にか、寄りかかって微睡んでいたらしい。

 薄ら目を開くと、窓から差し込む日暮れの橙に照らされる横顔が映った。


「――ティア……?」


「あ、ごめんね、シシィ。起こしちゃったかな?」


 窓の冊子へと手を伸ばす彼女の白の髪が、ほんのりと橙に染まっている。


「でも、冬の海風は冷たいから、身体を冷やすといけないと思って――って言っても、精霊は風邪なんかひかないわよね」


 でも、寒さは感じるしと、くすぐったそうに笑うティアの琥珀色の瞳。

 その瞳が夕陽できらきらときらめく。

 そしてシシィは、そんな彼女に見惚れている自分に気が付いた。


「シシィ……?」


 反応の薄いシシィを不思議に思ったティアが彼の顔を覗き込む。

 シシィの手がティアへと伸びたのは、自然な気持ちの振り切れだったのかもしれない。

 ティアの頬に触れるシシィの手。

 彼女が戸惑いで、夕陽をきらめかせる琥珀色の瞳を揺らす。

 けれども、シシィは彼女の様子に構うことなく静かに顔を寄せると、その唇を食んだ。

 ティアが緊張で身を硬くしたのが、触れるそこから伝わる。

 軽くだったそれが次第に深まると、彼女もぎこちなく応え始める。

 シシィの中で熱が疼いた。

 遠く響く波音に押されるように、シシィはそのままティアを押し倒す。

 藍に空色を変え始める夜の気配を背に感じつつ、シシィは己の中で疼く熱に酔い始めているのを自覚した。


 これは、とある時、とある夕から夜への移ろいの一欠片。

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