欠片、二つ目。寒さ。―ヴィヴィ―


 精霊界――そこは四季の廻りもなく、精霊にとっては過ごしやすい環境が保たれる界である。



 森に囲われた湖にぽつんと浮かぶ島が一つ。

 浮島に根を下ろし、樹冠広げる大樹のうろには、精霊を統べる王が暮らす。

 島の湖畔に佇む白狼が、精霊王ヴィヴィである。

 彼女は瑠璃の瞳に憂いげな色を宿し、ひとつ嘆息を落とした。

 湖面に映る雲が揺れる。


「“外”は冬なのですね」


 俯いていた顔を上げ、透き通る空を見上げた。

 見上げた空は、青をいっぱいにぶちまけたような空模様で、まあ、要するに今日も晴天だ。

 精霊界の空はいつも穏やかだ。雨もなく、曇りもなく、常に穏やかな表情を浮かべている。

 それが精霊にとっては心地よいものなのだから、精霊が暮らす精霊界はそれでいいのだ。

 だけれども――はあ、と。ヴィヴィの口から、またもや嘆息がもれた。


「……たまに、それがつまらなく感じてしまうのは、私のわがままなのでしょうか」


 精霊界は精霊にとって良い場所でなければならない。

 だから、精霊界の形はこれで正しいのだ。

 ヴィヴィがそれをつまらないと感じてしまうのは、彼女がそれを知ってしまったから。


「スイレンが冬紅葉の話なんかするから、私も冬を感じてしまいたくなったのよ」


 己のつがいが楽しそうに“外”の話をした姿を思い出し、ヴィヴィは少しだけむくれた。

 でも、己は精霊を統べる立場であり、また精霊界を支えている存在である。

 ヴィヴィがこの場を去ってしまえば、たちまち大樹は枯れ、それを支えとしている精霊界も滅びてしまう。

 だから、彼女はこの界から出られぬ身なのだ。

 瑠璃の瞳が伏せられる。

 仕方のないことを考えても時を浪費するだけ。

 ヴィヴィは緩くかぶりを振って踵を返す。

 こういうときは床に戻って眠って、忘れてしまう方がいい。

 と。うろに戻るために足を踏み出した時、ざわりと枝葉がざわめいた。

 小さく揺れても大きさゆえに大きく、重く響く大樹のざわめきに、ヴィヴィは弾かれたように顔を上げ、瑠璃の瞳を見開いた。


「――……え。行っても、良いのですか……?」


 ぱちくりと瞬く瑠璃の瞳に、大樹が一際大きくざわめいた。


「……“外”に出るすべを得たのならば、それを有効活用せよ。ですか……」


 確かに大樹の言う通り、ヴィヴィにはその手段がある。

 彼女には彼女を王たらしめるゆえの、膨大な量の魔力マナを扱える器がある。

 それも、歴代随一と謳われるほどの。

 それは他の精霊らが底なしだと、ある種の恐れを抱くほどの。

 そんな彼女だからこそ出来る、規格外の手段だ。

 ヴィヴィの瞳がたちまち喜色に染まっていく。


「良いの、ですか……?」


 再度の確認に、大樹は面倒くさくなったのか、もうその身を揺すりはしなかった。

 その反応にヴィヴィはほんのりと頬を染めながら、うろへと戻って行く。

 その足取りは、幾分か軽やに弾んでいた。




   ◇   ◆   ◇




 精霊界の、“外”。

 冬色の森に、落ち葉がからからと音を立てながら風に遊ばれていた。

 そこへふわりと気配が降り立つ。

 左右に白の髪を結わえた幼子が地に足を着ければ、髪束は背に垂れた。

 見開かれた瑠璃の瞳に、冬色の森が映る。

 ぱあと顔を輝かせた幼子だったが、慌ててその顔を引っ込めて、ううんっと一つ唸った。

 目を閉じ、意識を向ける。

 置いてきた本体――白狼の身体へ意識を繋げ、記憶が共有出来ていることを確認した。

 きっと今頃、精霊界に在る本体――白狼の身体――も、幼子と同じように目を閉じ、こちらへ意識を向けているはずだろう。


「記憶共有に、意識の繋がりと別回路、確認しました。これよりこちらは――」


 まぶたが持ち上げられ、瑠璃の瞳が現れる。

 彼女を歓迎するかのように、森に冬の風が吹く。

 その冷たさに思わず身を震わせて、小さな身体を掻き抱いた。


「スイレンの言う通り、“外”は寒いですね」


 その寒さに苦笑をした。

 けれども、すぐにその顔は満面の笑みに変わる。


「これよりこちらは、冬探索を始めますっ!」


 幼子が元気に駆け出した。




 膨大な魔力マナを扱える彼女だからこそ可能な、規格外と謂われる意識の一部切り離し。

 これがきっかけだったのか。

 様々な場所で、不思議な幼子の姿を目にすることが増えたとかなんとか。


 これは、とある時のとある頃の一欠片。

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