第5話 博愛の聖女は囚われる

 その日、涙ながらに「あんたが倒れていなくてよかった」と鼻をかんだサーヤは、エマに約束させた。


『マクリード様に外に出ても構わないか聞いてみなさい。……そうね、教会の人に会いたくてたまらないとか。外でデートしたくてたまらないとか』


 少しこどもっぽいのではというくらいダダをこねろ、とはサーヤの言葉だ。

 指を絡ませたままサーヤはこうも続けた。


『それと、こんなこと言いたくないし……まさかと思うけれど……彼が本当にあんたに指輪をくれたあの人なのか……そこんところ、ちょっと疑った方がいいと思うな』

『…………ちょっと……いろいろマクリード様とお話しようと思う』

『……よかった』


 緊張したようだったサーヤはエマの言葉に安心したように胸を撫でおろす。


『あんたが心底彼を信じきっていて……私の言葉が届かないんだったらどうしようかと思ってた』


(……そんなわけはない)


 エマは思い出して泣きそうになる。

 サーヤはエマにとって……サーヤが嫁いだだけで周りから心配されるのも当然なくらい、エマにとって大事な親友だった。

 教会の皆だって、街の人だって、そうだ。みんなエマにとって大切な人だった。ただ博愛の精神で――憧れの“あの人”に顔向けできる自分でいたいからというだけで周りの為に祈っていたわけではない。

 エマは自分が好きな人の為を思って、日々祈りをささげていたのだ。


 そんな自分の好きな人たちに「自分の言葉は届かないのでは」と思わせてしまうほどに。自分は大切な人たちをないがしろにしてきたのだと強く感じて反省する。


『こうなったらとことん……あんたがおかしいと思うことを追及して。いい? あんたが私の目を見て、まっすぐに幸せですって言えるようになるまで』


 色々明らかにしてそれでも今の生活が良いというなら、止めない。

 でも、知らないで閉じ込められているのはやめて。


 そう言ってサーヤはエマと指切りをして、サーヤはやっと安心したように肩の力を抜いたのだった。まさか侯爵夫人ともあろう娘が塀の隙間に挟まって中の人間と話すとは思わないでしょうよ、といたずらっぽく笑ったサーヤは以前のエマが知るサーヤのままだった。


『あんたの幸せを願ってる』


 そう祈ってくれたサーヤの為にエマはなんとしてもマクリードに追求しようと心に決めたのだった。


 ――改めてマクリードの帰宅を待つようになると。

 エマは、今までいかに自分の視界が狭かったかということを思い知った。


 まず、軽い散歩に出たいと屋敷の人間にお願いしてみたところ、勉強などの予定を入れられて、遠回しにだが断られる。

 そもそも考えてみれば、仮にも侯爵の婚約者になろうというのに、エマの周囲には人が極端に少なかった。メイドがどのくらい付くものなのかエマは正確には知らないが……エマが実際に沢山のメイドに囲まれたいかどうかというのとは別として、もう少し人がいてもおかしくない気がする。屋敷には人がたくさんいるが、エマの性格どうこう以前に、極端に接する人が少ない気がした。


 また、落ち着いて考えてみたら彼と話す機会はとても少なかった。

 彼は忙しいのだろうと軽く考えていたが、確かマクリードは侯爵位の人間としては多少おかしなくらいに毎晩帰りが遅い。なにか事件が起きているのならおかしくもないのかもしれないが、サーヤ曰く、特に大きな事件は起きていないという。


 ……こちらに関しては、エマは自分も悪い気がしている。彼の無事や健康を祈る割には、自分は彼のことを知らな過ぎた。

「ゆっくり知っていってほしい」そう言われていたのに、エマは何も知る努力をせず、ただ自分の考えだけで彼のことを決めつけていた。


(……私って、本当に人づきあいが下手だな……)


 自分が如何に人間関係をおろそかにしていたのかを思い知る。

 自分の見たい姿だけを追って、勝手に押し付けるように祈っていた。


“博愛の聖女”が聞いてあきれる。みんなを大切にしているようで、結局自分は何も大切にできていなかったのかもしれない。

 これでは……マクリードが過去エマを救った“あの人”であっても、もし万が一“あの人”でなくてもどちらにせよ顔向けができない。

 エマは深く反省をしたのだった。


 ――結局、エマがマクリードと落ち着いて話すことができるようになったのは、エマがサーヤと話してから5日後のことだった。


「マクリード様」

「おや、出迎えに来てくれたんですね」


 玄関まで出迎えたエマを見ると、マクリードはぱっと顔を輝かせてエマの元まで駆け寄る。こういった姿を見ると、エマはマクリードを疑うのが申し訳なくなる。

 全ては自分が人づきあいが下手なゆえにおきた行き違いなような気がする。


 とはいえ……


「皆様おかえりなさいませ」


 エマがマクリードの使用人たちに挨拶をしようと周りを見回そうとすると、すかさず肩を抱かれて回れ右をさせられる。


「あなたはそんなことをしなくていいんですよ」

「でも……」


 そんなことと言っても挨拶だ。

 マクリードの周りにいる人にくらい、挨拶はしても良いだろう。

 顔すら見る前に回れ右をさせられるので、エマは周りの人がどんな人なのかも見たことがない。

 自分の周りにいる人がどんな人で、何人くらいいてどんな顔をしているのか。

 ここで生活している以上知っておきたいようにも思うのだが……


「マクリード様、私は皆様とお話してみたいのですが……」

「どうして?」

「ここに住まわせていただいているので、周りの人に感謝をお伝えしたくて……」

「そんなこと気にする必要はない」


 俺のことだけ考えていてくれれば。

 そうにこっと笑いかける彼は人が良く紳士的に見えるが――

 何故かこの時、エマには彼の目が笑っていないように見えた。


「…それでも、気になるのです。……性格上、皆様に感謝をお伝え出来ないというのは嫌で……」

「……そうか」


 勇気を出して伝えると、彼は一旦反論などをせずに相槌を打ってくれた。

 エマはこの機を逃してはいけないと続けて口を開く。


「それと、マクリード様……良ければ、今度一緒に街に行きませんか?」

「……どうして?」

「私、この半年、ずっとこちらのお屋敷にいて……教会にも顔を出していないし、そろそろ街の皆さんのお顔も見たくて……」

「あなたはいずれ伯爵夫人になる人だから。街にはいかなくてもいいんですよ。……それに、教会にだって。お祈りの間もお屋敷にあるでしょう?」

「それでも……私の、大切な人が今どうしているのかを知りたいのです。みんなの幸せを願っているから……」


 そう言った彼女は気づいていなかった。

 マクリードが見たことも無いほど冷たい顔をしていることに。


「……あなたは、まだ分かっていないのですね」

「え?」


 気が付いた時にはエマは自分の部屋へ押し込まれていた。

 そして彼はこう告げた。


「あなたは、もう、俺のことだけを考えていればいいって、そう言っているじゃないですか」

「……マクリード様?」

「あなたのその祈りはすべて、俺のことだけであるべきです」


 こんなんも、俺はあなたのことを愛しているのですから。


 マクリードはそういうとエマがいる部屋の鍵を外から閉めたのだった。

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