第4話 愛の所在
「これは……」
マクリードはまじまじとエマの手の中の指輪を見つめる。
「――この指輪に、俺は見覚えがあります」
一人称を崩してそうつぶやくマクリードに、女主人と店員が歓声を上げた。
エマも驚いてマクリードの腕を思わず掴んでしまった。
「!! もしかして、この指輪の持ち主だった方をご存じでしょうか……私は、彼に恩返しがしたく……」
「……それは……」
「教会で泣いていた私に、優しく声をかけてくださった方なのです。歳はそう、私よりちょっと年上の……お兄さんといった雰囲気の方で……!」
必死に説明するエマを、マクリードが呆然と見つめている。
あまりに固まっているものだから、エマも様子がおかしいと気づき我に返る。
「そ、その、すみません……興奮してしまって。失礼いたしました」
「――」
「……マクリード様?」
エマがそう首をかしげるのと同時だった。
マクリードが、先ほどよりもさらに強く、熱い手でエマの両手を指輪ごと握った。
「……それは、俺かもしれません」
その言葉とともに、今度こそ、エマは呆然と固まってしまうのだった。
――それからは、早かった。
エマ自身も何が起きているのかがわからないほど目まぐるしく状況が変化した。
その日、マクリードに連れられ教会に戻ると、早速マクリードは彼の侯爵家にエマを迎え入れたい旨を伝えた。なんでも、“素晴らしい彼女に一目ぼれしてしまったのに、さらに運命の人だと分かって、居てもたってもいられなかった”のだという。
エマ自身も、まさか自分の心のよりどころである“あの人”にまさか再会できるとは思わず、夢見心地だった。マクリードの気持ちには驚いたが、断る理由はない。
『すぐに結婚とは言いません。うちで……これからゆっくり、今の俺のことを知ってください』
そう改めてささやかれてはエマは赤面するほかなかった。
そんな二人の様子に、教会の面々も諸手を挙げて喜んだ。
与えるばかりで失うものの多かったエマの人生にやっと、やっと、ひたむきにエマを愛する人が現れたのだと。カリナとリラには泣くほど祝福されて、エマはあれよあれよと教会から送り出される。
教会だけでなく街の人からも慕われていた彼女は皆に祝福されて、侯爵家にやってきたのだった。
そして月日がたち。半年。
エマはすっかり侯爵夫人に……はなっていなかった。
エマの為にあてがわれた祈りの間に併設されたかわいらしい部屋でマクリードに目をかけてもらいながら生活している。
修道着ではない、マクリードからの贈り物を身に着け豪華な食事をさせられるようになったエマは、教会で質素な生活を心がけ、だいぶ細かったころに比べると健康的にふっくらとして年相応の美しさを手にしていた。
エマは16年着たことがなかった華やかなワンピースに、いまだに少し気恥ずかしくなりながら腕を通す。……メイドいわく、このいつまでたっても恥じらう初心な所が、マクリードを慎重にさせているのだという。
『ゆっくり知っていってほしい』という言葉の通り、マクリードは一気に距離を縮めることはなかった。あの日、すぐに侯爵家に迎え入れたエマに部屋を与えたスピード感ははじめだけで、マクリードは今もエマに紳士的な距離感で接している。
手を握ったり、挨拶の際に軽くハグされることはあるが、それ以上のことはなく……そのスピード感は、おそらく一般的な交際としては遅いのだろうが、正直、まだいろいろなことに慣れずにいるエマにはありがたかった。
もう少し……一応婚約者なのだから。
と、メイドたちは揶揄うように心配もしてくるが、エマは今の距離で彼を知っていけることに不満はなかった。
そもそも第二騎士団というのはエマが思う数倍忙しかったので、会える時も普通の人より少ないのだ。
街の警護を預かっている騎士団で副団長を務める彼は日々エマが思う以上に危険にさらされることも多いようで、彼が侯爵邸に帰る時はたいてい疲れていた。
そうすると、エマとしては自分との時間を持ってもらうよりも、まず先に彼に休息をとってほしくなる。エマは彼を心配し、毎晩真剣に彼の安全を祈った。
今まで教会を訪れる様々な人のために祈り、沢山の人のために街のあちこちで治療のために魔法を使っていた時のような忙しさはない。代わりに彼の為の時間が増えた。祈りの他には、この国のことを少しは勉強しようと図書室で本を読んだり、慣れない侯爵家の作法に慣れようとマナーを教わったり。街の人にはしばらく会えていないが、彼やメイドの話からすると変わりなく元気でいる様だった。
エマはその分、マクリードの為に祈った。彼や彼の周りの人のこと。
エマを愛し、エマを大事にしてくれる彼に――昔、エマを救ってくれた彼の為に、出来ることはなんでもしたかった。
――その日も、エマは彼の為に祈りを捧げていた。
普段と違ったのは、エマがまっすぐ部屋に帰らず、気分転換をしようと庭に出たことだった。マクリードにはしばらく会えていない。
仕事が忙しい様子の彼が心配で、その日も念入りにお祈りをささげたエマは少々疲れてしまったのだ。とはいえ、もし彼が今日帰ってくるのであれば、笑顔で迎えたい。そのために気分転換をしようと、ただそれだけの為に庭に出たのだ。が。
「――マ! エマ!」
どこからか自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
声の主を探そうとぐるりと見まわすと、なんと半年前、別の侯爵家に嫁いでいったサーヤが庭の塀の隙間から覗いていた。
「サーヤ……!」
驚きのあまり駆け寄るとサーヤが必死の形相で唇に人差し指を立てる。
そして声を潜めて、しかし強い語気でエマに問いかける。
「エマ、あんた無事なの?!」
「無事って……?」
「あんた、私の知らない間にここのお宅の婚約者になっちゃって……気が付いたら、教会にもいかずに寝込んでるって言うじゃない!」
教会にもいかずに、というのは、マクリードが祈りの間を作ってくれたから確かにそうなのだが、寝込んでいるとは誤解だ。
エマは慌てて誤解を正そうとする。
「寝込んでるって……誤解だよ! むしろ教会にいたころより健康だと思う」
「じゃあなぜ教会に顔出さないの!」
教会どころか街にも現れないので、教会の皆はすっかりエマが倒れているのだと思っているらしい。
「それは申し訳ないな……私、マクリード様に祈りの間でお祈りするように言われていて……」
彼が日々大変な業務をこなして帰ってくるので、彼のためにお祈りをしていること。そして、侯爵家のために勉強をしていることをサーヤに話した。
するとサーヤはいぶかし気に首をかしげる。
「マクリード様ってすごく束縛が強いの?」
「なぜ?」
「普通そこまで婚約者を館にしまいっぱなしにしないわ」
「そうなの……?」
「私だって、礼拝の時は必ず……礼拝でなくても教会に遊びに行くくらいだし。むしろ、侯爵家のものとして、街の人の治療とかで前と変わらないくらい街にはでているわ。教会の出の私ができることなんてそのくらいだし」
「え……」
サーヤが結婚したその日に侯爵家に来てしまったので、エマはそのあたりのことが詳しくなかった。そうなのか、と固まるエマにサーヤはさらに追撃する。
「それに、マクリード様って、第二騎士団でしょう? 最近大きな事件もないし
……そんなにお忙しいかしら」
「で、でも……いつも疲れていらっしゃるし……きっと私にはわからない重圧があって……」
「そうかなあ……むしろあんたが婚約者になってから、あんたのお祈りのおかげか魔力も強くなっているって話だし……たしかにそれで王様から目をかけられるようになったとは聞くけどお仕事で忙殺されているとは聞かないわ」
「そうなの……?」
それではいつも忙しそうな彼は一体?
エマが首をかしげているとサーヤがひそひそ声のまま語気を強める。
「……エマ、こう言っちゃなんだけど、あんたの婚約者さま、あやしいよ」
「…………」
「……あんたの大事にしていた指輪の送り主だって、知ってる。でも、私、あんたをとじこめて、しかも街の『エマが倒れている』って噂も正さないような婚約者、ちょっとどうかと思う」
サーヤはエマの手を強く握った。
「……それにね、私がなんでこんな塀の外から話しているのかって言ったら、私でもあんたに会わせられないって、この屋敷の人に言われたからよ」
「……え」
「ずっと……手紙も送っていたのよ。知らないでしょう?」
すっかり見た目は侯爵夫人となったサーヤは、それでも、ずっとエマの幼なじみだった気の強いお転婆のサーヤだった。あんた、と変わらず呼びかけていた、そんなサーヤが唇を震わす。
「……心配したんだから、エマ」
ほろほろと泣き出すサーヤに胸が痛む。親友をこんなに心配させて……やはりこれは何かがおかしいのかもしれない。
エマはこの状況に疑問を覚えたのだった。
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