第3話 “運命の出会い”

 エマはあらゆる意味で震えながら、先ほど服を借りた街の人の家に戻った。


「ご、ごめんください……」

「あら、エマちゃん! お礼を受け取ってくれる気になった?」

「い、いえ……」

「ちょうどよかった、今第二騎士団の方も――」


 エマの気が変わって戻ってきたのかと勘違いした店の女主人が嬉しそうに駆け寄り、エマの手を取る。しかしその声を遮るように、エマの後ろから背の高い黒い制服の男が出てきたことで、女主人の表情が固まった。


「く、黒騎士――」


 思わずといったようにつぶやいてしまったらしき女主人の言葉に、エマは連れてきた男を振り返る。


(ああ、この制服の方が――)


 この女神信仰の国において唯一信仰心の薄い、黒い騎士団。

 彼らは、祈らない代わりに魔法を必要としない。ただその剣技や武術だけで身を立てる。一応王国の正式な騎士団ではあるが、その実態がいわばアンダーグラウンドな実働部隊なのだ。

 祈りに来ないということは教会勤めのエマには縁のない。だからこそエマは噂にしか聞いたことがなく――この制服も初めて見たのだった。


「――失礼する。この女は、さきほど人助けの為にずぶ濡れになったので、この店で服を借りたのだというのだが、それは本当か?」

「え、ええ! 本当です。彼女は、さきほど私たちの息子をふくめた街のこどもたちを橋の下から救い出してくれました」


 震えながらも女主人が懸命にエマの言葉が本当であったことを証明してくれる。


「彼女は危険を顧みず、橋の下に飛び降りてこどもたちを助けてくれたので、なので川でびしょびしょになってしまって、それで――」

「証拠ならそこの修道着だ! 濡れてしまったのを家でかわかしてあげていたんだよ!」

「修道着――教会のものか」


 女主人を加勢するように店員も干してある修道着を指してそう言ってくれる。

 巷で血も涙もないと恐れられている黒騎士の来店におびえているようなのに、必死にエマをかばってくれる街の人たちに、エマは心から感謝した。


「はい。……これでわかっていただけたでしょう」


 街の人の懸命な証明に力を得てエマが黒騎士を見つめ返すと、黒騎士は少し黙って見つめ返し、そして口を開いた。


「ああ。では、逆に問う。あなたは――」


 そう、何かを言いかけたその時だった。


「おや、なぜここにあなたのような黒騎士が?」


 店の奥から、白い制服の第二騎士団、通称白騎士団の男が顔を出した。


「マクリード様!」


 女主人がほっとしたように声を上げる。

 白騎士団は黒騎士団と反対に敬虔な女神の信徒だ。だからこそ、エマもその人物に見覚えがあった。

 ――名の知れた侯爵家の出でありながら、若くして第二騎士団の副団長にまで上り詰めた男、マクリードだ。


「――」

「ここは今、我々第二騎士団が調査しています。あなたのような……黒騎士団の団長様がいらっしゃるようなことは何もないと思うのですが?」


 その言葉に、女主人は目を見開いて固まった。エマもさすがに驚いて固まる。

 この若く鋭利な雰囲気の美青年は黒騎士というだけでなく、団長だったのか――


「ああ。……たった今、用がなくなったところだ」

「左様でございますか」

「失礼する」


 黒騎士はさっと踵を返すとその場を立ち去る。

 マクリードは黒騎士と同じ黒髪ながら、華やかで優美な、まさしく侯爵然としたたたずまいを崩すことなく彼を見送ると、エマに向き直った。


「やあ、こんにちは。エマさん。教会でごあいさつしたことがありますね?」

「え、ええ。こんにちは。あの、たすけていただいてありがとうございます……」


 彼の整った顔に急に覗き込まれてたじたじになりながらもエマは何とかお礼を言う。


「とんでもない! お礼を言うのは我々の方です」


 そんなエマの気後れなど意に介さず、マクリードはエマの手を握った。

 急に手を握られたことで驚くエマとは反対に、女主人や店員たちは「まあ!」と目をキラキラさせてエマとマクリードを見つめる。


「先ほど、こちらのご婦人から伺いました。命を顧みず、こどもたちを橋の下から助け出したのはあなただと」

「そんな大げさなことは……」

「いえ! 素晴らしいことです」


 マクリードはエマの手を握ったままその場に跪くと、優しい瞳でエマを見上げる。

 エマと言えば、侯爵位を持つマクリードに跪かせてしまい、おろおろと視線をさまよわせる。


「あ、あの、本当に大したことをしていないので、立っていただけると――」

「素晴らしい人助けに感謝します。本来、街の警備は我々第二騎士団の役目でありながら、此度はあなたのお力にすべて助けられてしまいました」


 力不足であなたを命の危険にさらしたことを、お詫びさせてください。


 そう職務の義務についても交えて真摯に言われてしまうと、エマもどうしたらいいかわからずごにょごにょと口ごもる。


「いえ、たまたまのことですから……」

「たまたまなんかじゃないですよ!」


 なんとかエマが声を出すと、思わぬ方向から横やりが入る。

 女主人が興奮したように声をあげると、マクリードに向かってひざを折る。


「おそれながら、マクリード様。彼女はたいっへん心優しく、我々街の住民からすると今代の聖女なのではとうわさされるほどのお方なのです」

「なんと、聖女ですか」

「や、やめてください。恐れ多いことです……」


 エマがそう遮っても女主人の言葉は止まらない。


「孤児であられながら、日々懸命に人のために祈られているのです。生まれ持った魔力の高さもさることながら、いつも謙虚であられる。本日侯爵家に嫁がれた教会のサーヤ様と仲の良いお方でして……」

「お、おばさま、そんなに……!」

「なんと、そんな清らかな方がいらっしゃるのですね!」


 こころなしかマクリードのエマの手を握る力が強くなった気がする。

 エマは困り果ててマクリードの方を見る。すると、マクリードははっとしてはにかむように微笑むと、やっと手を放して立ち上がってくれた。


「こんなに素晴らしい方がこの街の教会にいたことを、恥ずかしながら今知りました」

「そんな、大層なものではございません。本来、マクリード様にお言葉を交わしていただけるような立場にもなく……」

「いえ、私はあなたにとても感銘を受けました。……これから先、私が教会に伺った際には、お話してくださいますか?」

「! そ、そんな……その……ええ、マクリード様の気が向かれた際に……」

「必ず、お話しに伺いますよ……あなたのことが知りたいのです」


 少し音量を落とす代わりにどこか熱っぽくなったマクリードの声にエマは赤面する。視界の端で、女主人たちが声もなくキラキラと瞳を輝かせているのを見て、余計エマはどうしたらいいのかわからなくなった。


「……光栄です」


 やっとのことでそうつぶやくと、マクリードはそっと微笑んだ。

 自分に何が起きているのかわからないままエマは膝を折ってこの場の一同に挨拶をする。


「で、では……お騒がせしました」

「また、必ずお礼をさせて頂戴ね。今日の御恩はずっとわすれないわ」


 女主人が心から声をかけてくれるのに、エマがそっと微笑む。

 すると横からマクリードが声を上げた。


「では、私が教会までお送りしましょう」

「えっ、そんな……すぐそこですし」

「もうすぐ日が落ちます。街の警備が我々第二騎士団の役目です」

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」


 しぶしぶエマが折れると、女主人が嬉しそうに駆け寄る。


「ちょうど、修道着も乾いたころ合いだわ。ちょっと待ってね」

「今たたむわ! ……あら」


 女主人の声を受けてエマの修道着を物干しから取り外したたみ始めた店員が、ふと首をかしげる。


「……これは、ネックレス? エマちゃんのかしら?」

「!!!!」


 エマはその言葉に飛び上がると、マクリードの前であることもわすれて店員に駆け寄った。


「ええ! ええ、おばさま……ああ、よかった」

「よかった、宝物なのね」


 店員の手にあったのは、失くしたと思っていたあのネックレス……あの人との唯一の繋がりを示す、指輪の通ったネックレスだった。

 エマはそれを大事に手に取ると、ぎゅうと胸に押し付けた。


 ――よかった。失わずに済んだ。


「……そんなに大切なものなのね」

「……ええ、私が小さいころに……大切な人からいただいた指輪で」

「あらそう……ご両親?」

「いえ……名前も、顔ももうわからないけれど。でも、私に初めてお祈りをしてくれた大切なひとなんです」


 大事に、もう無くさないように。

 指輪を握りしめたその時だった。


「――――ちょっと、そちらを見せていただけますか?」


 後ろから、マクリードが声をかけた。


「え、ええ……」


 正直指輪に必死で忘れそうになっていたので驚きつつも、エマが握っていた手を開くと、マクリードの目が大きく開いた。


「これは……」

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