第4話 ニルブレ

ニルブレとは、半端者や半人半魔、異種族間に生まれた混血児を指す差別用語である。大陸全域で使われている言葉である共通語の中でも、最も卑しく相手を侮辱する言葉としても使われる。


この世界には様々な種族がいる。エルフやドワーフにゴブリン、ホビットに獣人に人間。中でも一番数が多いのが人間で、一番大きな国を持っているのも人間だ。多民族間の緊張は常のことだったが、彼らは曖昧な境界線を隔てて、互いに距離を測りながら共存していた。


しかし、時として血が交わることがある。戦争は中でも最たる例だ。


侵略戦争に伴い、攻め入った側が攻め込まれた側の女を襲い、望まぬ子が生まれてしまうことがしばしばだった。忌むべき子として生まれてきた混血児たちは、ニルブレと呼ばれて名前すら与えられぬうちに捨てられることが殆どだった。


どの種族からも疎まれて生きることは困難を極めた。獣人と人間の間に生まれた子供は獣人からも人間からも差別される。他も同様だった。


半端者に居場所はなく、その所為で彼らの多くは山や森の奥地へと隠遁することを選び、或いは反骨の徒として純血の者たちを相手取り、過激に略奪や焼き討ちを繰り返した。


ニルブレの居場所がますます無くなる悪循環に晒されても、混血児が生まれ続けることを誰も止められなかった。


中には混血児だと知ると毒薬を呷ったり、腹を打ちつけて赤子を殺してしまおうとする母親もいた。その一方で、一握りと言えども産んで育てようとした母親が居たのも確かだった。無論、そのような例は極極少数に限られたが。


このような背景から、ニルブレには名もなき者共という意味もあった。生まれて間もなく捨てられ、奇跡的に生き残る事が出来ても未来はない。それでも生きなければならない運命を背負った彼らは、大陸の中で行き場所のない難民のような存在だった。


もっちぃは自分の従者だというシモンの名前についていた、ニルブレの意味を知らずに訊ねた。


「ニルブレとはなんだ?」と。


シモンは悲しそうな顔をして、しかし真摯にこの問いに答えた。


「ニルブレとは、異種族との間に生まれた混血児のことです」と。


もっちぃは悪いことを聞いてしまったと申し訳なく思ったが、気を取り直して改めて自分とシモンの関係性について疑問を投げかけた。


「なぁ、シモン。俺と君は主人と従者の関係らしいが…どんな背景があってそうなったんだ?」


「そのお話をするには、もっちぃ様がもっちぃ様になられる前のお話をしなくてはなりませんね」


シモンはそう言って、もっちぃが目覚める前の話をした。


シモン曰く、もっちぃの体の前の持ち主はゼノンと言い、伝説的な吸血鬼だったらしい。ゼノンは変わり者だったそうで、捨て子だったシモンを拾うと、従者として様々なことを教え込んだそうだ。


「好いかね従者君、何れ君にも名前を与えることが出来る日が来るだろう。しかし、そのころには私は生きていまい。寿命もそうだが、死ぬ前に私は太陽と言うものを見てみたくてね」


ある日、ゼノンはそう言って、吸血鬼の住処である夜の谷をシモン一人を連れて飛び出したのだ。年がら年中真っ暗な夜の谷を抜けだした二人は、それから彼方此方を旅した。


旅を始めてから一か月が過ぎる頃、ゼノンは突然言った。


「私はそろそろ死ぬだろう。だがね、従者君。私は消えてしまうわけではないのだよ。私の肉体を依り代に、次の持ち主が受肉するのだから。吸血鬼には、血を通じて自分の未来が見えるのだ。さて従者君。君の次の主人の名前は『もっちぃ』と言うらしい…不思議な名前だね。でも悪くない」


その日から、ゼノンはもっちぃと名乗るようになり、今日まで元気に旅を満喫したそうだ。


そしてもっちぃが目覚めるのと時を同じくして、真っ白な灰となって倒れ伏してしまった。シモンは灰に触れることもできず狼狽していたらしいが、突如として灰が人型を取ったかと思えば、元の通りに色づいたことで必死に声を掛けてくれていたのだ。


シモンが捨て子だった上に、吸血鬼に育てられたなど…なんとも信じがたい話だった。だが、既に信じられない体験をしているもっちぃからすれば、このくらいどうってことない部類に感じた。


案の定、どっしりと構えて受け止めたもっちぃを見て、シモンはどことなく嬉しそうだった。


「そうだったのか…なぁ、シモン。俺は多分お前の知ってるゼノンじゃないけど、これからも一緒に居てくれないかな?俺、何が何だか本当にさっぱりでさ…シモンだけが頼りなんだ」


もっちぃがそう言って頭を下げると、シモンは眼を輝かせてもっちぃに言った。


「こちらこそお願いします!僕だって、もしもこのまま一人ぼっちになったらどうしようかと…とっても心細かったんです。もっちぃ様にそう言っていただけて、本当に嬉しいです!全力でお仕えいたしますね!」


ぴょこぴょこと触角のようなアホ毛が生えている所為か、シモンが喜ぶ素振りは何ともコミカルに映った。


シモンのことを知ったもっちぃは、一方的に相手のことを知っている状況がなんだか気不味くて、自分のことも正直に打ち明けることにした。


とはいえ…ほとんどは自分でも知らないことばかりなのだが。


「シモン、実は俺も話したいことがあってだな…と言うのも俺、どうやら転生してきちゃったみたいで…」


「ご安心を!そのことはゼノン様から聞き及んでおりました!」


「え?あ、そう…あ、じゃあ、俺の故郷がこことは別世界だっていうことは?」


「そのことも聞き及んでおります!こちらの勝手が分からないだろうから、一から教えて差し上げろとの、ゼノン様からの遺言です」


「ゼノンさん…ありがとうございます」


もっちぃはここにはいないゼノンに心の底から感謝してから、シモンに今の自分が居る場所と、これから行こうとしていた場所について尋ねた。


「ここは大陸中央にある大森林です。目的地はここから少し西に言ったフロロ川の近くにある掘っ立て小屋になります。そこが今日の野営地です!」


見上げてみれば恐ろしく高い木々が生い茂っており、日の光も僅かにしか注がないのか薄暗く寒ささえ覚えるようだ。どこを見ても同じような景色が広がっていて、時間の感覚も方向感覚も狂いそうだった。


なんとも不気味な森の中だが、シモンの話ではその中でも一等に深い場所に向かっているそうなのだ。


理由を聞けば、シモン曰く。


「ゼノン様がそこまでご案内すれば、おのずと理解されるだろう、と」


とのことらしい。


もっちぃはゼノンが残してくれた手がかりを元に、理解できるだろう何か、何処かへと向かってシモンの後ろをついて歩くことにした。


色々と知りたいことはあっても、この場で知ったところで何もできない。おまけにこの状態で夜になれば、間違いなく獣に襲われてしまうだろう。夜の間に移動できない以上、一刻も早く野営地に辿り着くのが先決だ、という判断に基づいてもっちぃはシモンに先導を頼んだ。


「お任せあれ!足元にお気をつけて、ゆっくりでいいので僕についてきてください!」


シモンは嬉しそうにそう言って、もっちぃの数歩先を歩いてくれた。


何処を見ても同じ景色なので、必然もっちぃの観察対象はシモンになった。


一番目の保養になるし、なにより彼女の格好は興味深かった。


華奢な見かけによらず、シモンは従者として武芸を身に着けていることが洗練された所作の一つ一つから、素人のもっちぃ目線でも理解できるほどだった。


腰には少女の身には重い、飾り気のない騎士の剣を下げている。手足は黒い革のブーツとグローブで揃えていて、流れるような金髪はポニーテールに結ばれていた。衣は丁寧な仕立ての焦げ茶色のチュニックで、ズボンも同色の軽装だ。背中には色々な物の詰まった重たそうな背嚢を背負っている。


これといって物を持っているわけでも無いもっちぃが背嚢を肩代わりしようとしたら、やんわりと断られてしまった。重いはずだが、シモンは外見以上に力持ちでもあるらしい。


てくてくと薄暗い森の中を、道なき道を進むこと一時間くらいか。少し開けた場所が見えてきた。目を凝らせば今にも崩れ落ちそうな掘っ立て小屋が見えた。あそこがゴールだろう。


「もっちぃ様、着きましたよ!ここが僕たちの新天地です!」


振り返ったシモンが、手を広げてもっちぃを歓迎するような手振りで言った。


瞬間、再びあの眩い光と共に、『スクロール』が現れた。


「なんだ!?今度はなにも呼んでないぞ?」


困惑するもっちぃだが、恐る恐る虚空に浮かぶ『スクロール』を手に取ろうとすると、今度は触れるまでもなく、勝手に巻物が開いてもっちぃにその文面をお披露目した。


「えぇっとぉ…『ようこそ新天地へ!これから百日間、貴方はこの地に帝国を建設しなければなりません!数多の試練と脅威を乗り越えて、偉大なるサーガを紡ぐその日を楽しみにしております!』…これ、知ってるやつだ…百日帝国の導入じゃん」


噛み砕きながら、もっちぃが読み切ると、巻物は用は済んだと再び光を放って虚空に消えてしまった。


「ほ、本当に、『Empire of 100 Days』の世界に来てしまった、のか?…いやでも、そうなると本当にどうしよう…そもそも人間しかいないゲームじゃなかったのかよ?俺、プレイしたことないし。攻略動画見てただけだし…」


ふと周囲を見回せば、そこには文字通り何もない真っ新な空き地と、その真ん中に立つ今にも崩れ落ちそうなボロボロの掘っ立て小屋だけ。


いよいよジョークじゃなさそうだ…。


もっちぃが覚悟を決めたのを見計らって、シモンがおずおずともっちぃの顔を覗き込んだ。


「あのぉ…もっちぃ様、熟考中失礼いたします。そろそろ日が暮れますので、お夕飯にいたしましょう。今晩の分は手持ちの乾燥肉やビスケットがございます。火をおこしますので、少々お待ちください」


「ありがとう、シモン」


「これくらい当然のことです!」


プロキャンパー顔負けの手際で焚火をおこすシモンの横で、もっちぃはこの世界がゲームの世界だと仮定した時に、明日からどうしようかと頭を悩ませた。


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