第3話 転生

「……ちぃ…様!…様!も…ぃ様!起きてください!もっちぃ様!」


「ん…んぅ…?あ、あれ?」


誰かに呼ばれた気がして瞼を上げると、そこには見知らぬ少女がいた。


「もっちぃ様!よかったぁ~…心配したんですよ!道端でいきなりお倒れになるから…僕がどれだけ声を掛けてもお目覚めにならなくって…」


「え、えぇっと…」


俺に声を掛けていたのは、金髪碧眼の見たこともない美しい少女だった。もう既に訳が分からない。


…俺は確か、何かに吹き飛ばされて、それで…そうだ、死んだんだった。でも、だとしたらどうしてここに?というかここは何処だ?


「そ、そもそも君は誰だ…?」


「え!?えぇ~ッ!?僕のこと、忘れちゃったんですか!?」


「忘れたというか、知らないというか…あ、えっとこういう時は先に名乗るのが道理だよな…えぇっと、俺の名前は…も、もっちぃ???」


『もっちぃ』


自分の名前を思い出そうとしても、それしか思い浮かばなかった。自分がここではないどこか遠くで生きて死んだことも、家族のことも、どれもこれも朧気で、大事なことは何一つ思い出せそうになかった。死んだと思ったら強い光を浴びて、それっきりだ。


「お名前は存じております!なんてったって僕の御主人様ですから!」


少女はエッヘンと胸を張った。まな板の様に平坦な胸だ。微笑ましい。


…そうじゃなくて、俺はなんだってこんな場所にいるんだ?ご主人様って何?そもそも俺の格好からしてオカシイ。なんだこの真っ黒いマントは。その下の洋服も真っ黒で古めかしいっていうか、何となく華美な感じだ。金ボタンに白いシャツ。首に巻いてるのはなんだ?…スカーフみたいなのを襟に巻いてるのか?足には膝下まであるブーツを履いてる。綺麗な革製みたいだが、大分歩いて来たのか靴の先も底も泥だらけだ。


謎しかない。ただ一つ分かるのは、なんか、所謂転生ってやつを果たしたのかもしれない。


前世?と呼んでいいのか謎だが、その頃とは打って変わって古い時代に来たのかもしれない。どうにも体が馴染まない感じはするものの、視た感じ怪我もしていないみたいだし…。


まさか、自分が転生を経験することになるとは…夢にも思っていなかったなぁ。


転生したからには…特にやりたいこともないのだが。ともかく今は、自分が誰で、目の前の少女が何者なのかを知らなくては。


「あー…君の、名前を教えて貰ってもいいかな?」


俺がそう聞くと、目の前にいる少女は頬を赤らめた。内股になり、なんだか恥ずかしそうである。


「聞いたの、マズかったかな…?」


「いえ!とんでもない!ただ…そのうぅ…僕はまだ『名付け』がまだの未熟な身でして…お名前なんてそんな贅沢なもの、頂いていないのです」


「えぇ……そ、そうなんだ…」


『名付け』…かぁ、なんかやりたかったゲームのことを思いだした。もしかしたらドラマか何かの撮影で、俺はそこに巻き込まれただけだったとしても…いや、やっぱりあり得ないな。本当に撮影だったら、今頃監督がすっとんで来て、俺のことを摘まみだしてるはずだ。


となると、やっぱり転生な訳で…おまけに何の説明もないし、神様に会った覚えもないし…。


この子が頼みの綱だ。そうか、名前がないのか…でも、それだと不便だよなぁ。


「うーん…」


俺が悩んでいると、ふと目の前に強い光を感じて目を細めた。


「うわッ!?なんだ、これ!」


「ま、眩しぃッ…」


どうやら少女にも見えているようだ。


光が段々とおさまっていくのを見て、目を覆っていた指をずらして覗き見てみると、そこには宙に浮く…これは、巻物?」


「もっちぃ様!これは『スクロール』です!凄い!初めて見ました!」


俺が困惑していると、少女が興奮の面持ちで叫んだ。


「巻物…随分と立派だな、金縁だし、こりゃ羊皮紙かな?…」


恐る恐る手に取ると、途端に光は収まり、巻物はしっかりと俺の手になじんだ。ずっしりとした重みを感じる。見た目以上に重量があるみたいだ。


「もっちぃ様!『スクロール』を呼び出されたということは、もしや、もしや僕に『名付け』をしてくださるのですか?」


俺がまじまじと『スクロール』という巻物に目を通していると、少女が飛び跳ねる勢いで俺に顔を近づけた。凄く嬉しそうである。


『名付け』といい、『スクロール』といい、なんというかゲームみたいな話である。


というか、そういう仕様のゲームを俺は知っている。だが、ゲームの中に居るというのは考えにくいし…。そもそも、転生した先がゲームだなんてフィクションにも程がある。転生ってだけでも恐ろしいのに、それ以上だなんて。


俺のキャパシティは限界だ。もう既に混乱の境地にあるのだ。今の落ち着きっぷりは、分からなさ過ぎて肝が据わっているだけなのだ。


だが、にしても美しい少女である…なんというか、彼女の言葉を否定することは忍びないというかなんというか…うぐ、だが『名付け』なんてしたことないし…。


「な、なぁ、『名付け』ってどうすればいいのかな?俺、ちょっとわかんなくって…」


「ご安心を、名付けたい者の前で、思いついた名前を声に出せば、自然と『スクロール』が記録してくれます!そ、それで、そのう…僕は、御名前を賜れるんでしょうか?」


もじもじと上目遣いでこっちを見て来る美少女と、状況を読み取れない転生者の図…ってか?


…悩んでいても仕方がない、か…。習うより慣れろ、だな。


ここは彼女の言葉を信じて、『名付け』やってみるかぁ…。


「なんか、要望とかってあるかな?これから使う名前だし、素敵なものの方が好いでしょ?」


俺が聴くと、少女は押し黙った。


「僕は、誰かから名前を呼ばれたことがないので、どのような名前が素敵なのか、わかりません…恐縮ですが、もっちぃ様がお呼びになりたいお名前をお願いします!」


なんと、切ない話だろう。ここではそれが当たり前なんだろうか?それとも、そういう境遇のこの子が特殊なんだろうか…。


突然のことだから、気の利いた名前は思いつきそうにない。


…この際、第一印象で思いついた名前を贈ろう。


「じゃぁ、君の名前は、今日からシモンだ」


俺が言葉に出すと、まるで言葉が質量を伴ったように、俺の口から半透明の何かが虚空を波打たせ、俺が掲げ持った『スクロール』の真っ白な書面に染み込んだ。次の瞬間、レーザーで焼き付けたように文字が浮かび上がり、見たこともない緻密な装飾で縁取られた。


俺にはこの世界の文字が読め…る様である。なんでだよ。


理由は分からないが、ともかく『ニルブレのシモン』という文面がはっきりと理解できた。ニルブレというのは何なのか、俺には皆目見当もつかなかったが、これで『名付け』は完了したようだ。


スクロールは役目を終えたように虚空へと、現れた時と同様に眩い光を放ったかと思えば消えて無くなっていた。跡形もなかった。


「これで、いいんだよな?…シモン?」


早速少女の名前を呼んでみるが、反応が無かった。


訝しんで俯いた彼女の顔を覗き込んでみると、そこには大粒の涙をボロボロと零すシモンの姿が…。


「って、おいおい、どうしたんだよ?いきなり泣き出して…そ、そんなにシモンって名前は嫌だったか?ちょっと男っぽかったかな?」


俺が狼狽していると、なんとシモンは俺に抱き着いて来た。俺より背の低いシモンだが、外見からは想像もつかない俊敏な動きでびっくりした。押し倒されてしまった。胸元がじんわりと涙で温かくなっていく。


「ふぐ…ひぐっ…うぅぅ…う…ひぅ…」


「なぁ、どうしたんだよ、シモン?」


めそめそと泣いたままのシモンの肩を掴んで目を合わせると、彼女は泣きながら…なんとも幸せそうに笑っていた。


「えへ、えへへ…御名前、頂いちゃいました、シモンって…今日から僕はシモンなんですねぇ…」


しみじみと語るシモンを見て、俺はなんと声を掛ければいいのかわからなかった。


…やっぱり、ここは十中八九異世界だ。そうに違いない。俺が生きていた世界じゃァ、名前貰っただけで泣くような奴は滅多にいないはずだ。


でも、悲しくて泣いてるわけじゃなくって好かった。一安心だ。


俺はシモンが泣き止むまで、彼女の好きにさせてやることにした。


『名付け』なる不思議な儀式を終えて尚、俺はまだこの世界がなんたるかをまるで知らない。此処がどこなのか、どうしてシモンと一緒なのか。まだまだ、前途多難である。



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