第16話 バレンタインの思い出
ラップ男とのやり取りを投稿した翌朝、動画のコメント欄は今までとはけた違いの数のコメントで溢れていた。
『この男、面白過ぎる!』
『タクシーの中でラップを歌うなんてあり得ない!』
『かなりヤバめな男ですね』
『タルタルソースがたっぷりかかったチキン、私も食べたい』
『この場面、映像で観てみたいです』
『傍目から見る分には面白いけど、運転手にとっては迷惑な客ですね』
『味付けのりとは、うまく返しましたね』
『最後、男が照れていたのが、可愛かったです』
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(よし! 思った通り、かなり反応がいいぞ。後はこの調子でチャンネル登録者がぐんぐん増えていくことを願うだけだ)
五十嵐はルンルン気分で郵便局へ出掛けて行った。
「昨日の動画、今までで一番面白かったです!」
五十嵐が第一集配課に入室するやいなや、畑中が興奮気味に近づいてきた。
「だろ? 俺も今までの中で一番手応えを感じてるんだ」
「全体的に面白かったけど、中でも五十嵐さんが男の真似をしてラップを歌ってるところが、最高に笑えました」
「そこは最高の見せ場だったから、そう言ってもらうと素直に嬉しいよ」
「ところで、次の動画の内容はもう決めてるんですか?」
「タクシーネタが二つ続いたから、次は違うものを投稿しようと思ってるんだ」
「なるほど。面白いものを続けるより、そうした方が緩急がつきますしね」
「別にそういう意識はないけど、なんとなくそうした方がいいと思ってな」
「でも緩すぎると、視聴者が離れていく危険性があるので、手は抜かず全力でやってくださいね」
「もちろん。せっかく掴んだ登録者を、みすみす手放したくないからな」
夕方、五十嵐は湯舟に浸かりながら、次の動画のネタを考えていた。
(タクシーネタに比べて他のネタが弱いのは否めない。それを補うには、畑中の言うように全力でやるしかないんだろうけど、果たしてそれだけでいいんだろうか。俺は今まで全部の動画を全力で取り組んできた。無論、タクシーネタもそうだ。ということは、全力でやるだけだと今までとなんら変わりはない。弱さを補うには何かを変えないと……でも、一体何を変えればいいんだ?)
なまじタクシーネタがバズったせいで、五十嵐はその他のネタをどうすればいいか思い悩んでいた。
やがて風呂から上がった五十嵐は、冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、のぼせ気味の体を蘇らせるように、それを一気に飲み干した。
「くわーっ! 生き返る!」
思わず声が出るほどの快感を味わった五十嵐は、そのまま二本目の缶ビールに突入しながら、スマホをアイチューブチャンネルに合わせた。
(勉強のために、たまには人のネタでも見てみるか)
今まで他人の動画をまったく見てこなかった五十嵐にそう思わせる程、彼は行き詰まっていた。
五十嵐は数ある項目の中から、自分と似た『職業専門チャンネル』を選択し、缶ビールを飲みながら画面に目を向けた。
すると、そこに映っている学校の教師、大工、プログラマー等が、時折専門知識を交えながら話す姿を観て、五十嵐はハッとさせられた。
(この人たちは皆、自信に満ち溢れている。まあ、自分の仕事のことを語っているのだから当然と言えば当然だよな。それになんかとても楽しそうだ。こんなに楽しそうに喋ってるのを観てると、なんだかこっちも楽しくなってくる。……ん? 待てよ。俺もこういう風にすればいいんじゃないか? たとえ自信のないネタでも、こっちが楽しそうにしてたら、きっと視聴者にも伝わるはずだ。よし! じゃあ次のネタは、思い切り楽しもう)
そう決断した五十嵐は二日後、いつになくニコニコしながら動画の撮影に臨んだ。
「どーも、五十嵐幸助です。今日は残念ながらタクシーネタじゃないんだけど、その分喋りでカバーするから最後まで観てくれよな。……えっ、そんなにハードル上げて大丈夫かって? はははっ! 大丈夫、大丈夫。いざとなれば、途中でタクシーネタに変えるからさ。って、それじゃ元も子もないだろっ!」
冒頭でセルフツッコミを披露した五十嵐は、満足そうな表情を浮かべながらコンビニで買った中華丼のにんじんを一口かじると、続きを喋り始めた。
「今日は学生時代に居酒屋でアルバイトしていた頃のことを話すぜ。と言っても、今から話す内容は、居酒屋自体はあまり関係ないんだけど、そこはまあご愛敬ということで許してくれ。じゃあ、早速いくぞ。俺がバイトしていた所は居酒屋というより料理屋に近い所だったんだけど、そこにはたくさんの女性の従業員がいたんだ。俺、その頃から社交的だったから、すぐに何人もの女性と友達になってさ。バレンタインデーの時に、十人以上の女性からチョコもらったんだよな」
五十嵐は、白菜をシャリシャリと音を立てながら咀嚼した後、続きを喋り始めた。
「ここまでだと、男女の
五十嵐は豚肉とタケノコを同時に口の中へ放り込んだ後、続きを喋り始めた。
「声が聞こえてきた方向を見ると、そこには俺と同い年くらいの奴が薄笑いを浮かべながら立っててさ。俺が『何がおかしいんだ?』って訊いたら、そいつは『決まってるだろ。お前が滑稽だからだよ』って言いやがったんだ。何のことか分からず俺が黙ってると、男はさらに『お前、見栄を張るために自分でチョコ買って、みんなに見せびらかしてるんだろ?」って抜かしやがったから、俺も頭にきて『そんなわけないだろ! お前、ケンカ売ってんのか!』って啖呵切っちゃったんだよな」
五十嵐は最後まで残しておいたうずらの卵を美味しそうに頬張り、それをペットボトルのお茶で流し込んだ後、最後の締めに入った。
「俺のあまりの権幕ぶりに、男は『冗談だから、そんなに怒るなよ』と言ってなだめようとしたけど、いったんスイッチが入ったらもう止められないよな。俺はその後そいつをボコ……おっと、さすがにこれ以上は言えないな。あとは各々、その後の展開を想像してくれ。ということで、今日はこれで終了する。じゃあな」
撮影の終えた五十嵐はタイトルを【バレンタインの思い出】とし、いつもより慎重に編集作業をした後、投稿ボタンを押した。
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