第15話 ずぶ濡れのラップ兄ちゃん

 酔っ払った状態でタクシーネタの動画を上げてから三日後、五十嵐はチキン南蛮弁当とお茶のペットボトルをちゃぶ台の上に置きながら、スマホをアイチューブの『中年の星』に合わせた。


「どーも、五十嵐幸助です。前回は酔っ払った状態で動画を上げてしまって悪かったな。今後、動画を上げる時は一切アルコールは口にしないので、どうか許してくれ。ということで、さっそく始めるぜ。今日は前回に引き続きタクシーネタだ」


 五十嵐は冒頭の挨拶を済ませると、タルタルソースがたっぷりかかったチキンを、美味しそうにかぶりついた。


「あれは夕方に差し掛かる頃だったかな。雨の降る中、街中を流してたら、前方に若い男が傘も刺さずに立っててさ。俺はシートを濡らすのが嫌だったから、心の中で(頼むから手を上げるなよ)って願いながら、走ってたんだ。でも、その願いも空しく、男は俺の車を見つけると、狂ったように手を振ってきてさ。そんなことされたら、さすがに無視できないだろ? だから、俺は嫌々ながらも男を車に乗せたんだ」


 五十嵐は二個目のチキンを丸ごと口の中に入れ、それをお茶で流し込んだ後、続きを喋り始めた。


「男は車に乗り込むなり、『いやあ、朝は晴れてたのに、まさかこんなに降るとは思いませんでしたよ。空の色はグレーなのに、俺の心はブルーです』とか言いやがってさ。返答に困ったから、とりあえず『お客さん、出掛ける時に天気予報は見なかったんですか?』って訊いたんだ。そしたら『俺、そういうの見ないんですよ。常にその場面ごとに対応していくというか、簡単に言えば行き当たりばったりってやつです』って抜かしやがってさ。その時に、こいつバカだなって思ったんだよな」


 五十嵐は三個目のチキンを音を立てながら咀嚼した後、続きを喋り始めた。


「バカと話してもロクなことにならないと思ったから、俺はその後黙ったまま運転してたんだ。そしたら、男がいきなり『運転手さん、今の気持ちを歌ってもいいですか』って言ってきてさ。それを聞いて、心の中で(こいつ、マジでやばい奴じゃん)と思ってたら、男が『俺、ラッパーなんですけど、今、脳の中にいい詩が浮かびましてね。こういう時は即実行するのが俺のスタイルなんですよね』なんて言ったもんだから、俺も観念して『別に構いませんが、その代わり手短てみじかに頼みますよ』って返したんだ。そしたら、男は嬉しそうな顔をしながら歌い始めてさ。今からその歌を再現するから、よく聴いててくれ」


 そう言うと、五十嵐はお茶で喉を潤した後、歌い始めた。


「♪今日、街を歩いてたら、突然雨が降ってきて、ワオッ! どうしようかと思ってたら、ナイスタイミングでタクシーが現れた。イエイッ! そのタクシーのおかげで、下降気味だった俺のテンションはたちまちうなぎ上りさ。アゲアゲー! まさに気分は高揚。だから運転手さん、俺と一緒にパラダイスへ行こうよう!」


 やがて歌い終わると、五十嵐は四個目のチキンとごはんを美味しそうに頬張り、それを無理やりお茶で流し込んだ後、続きを喋り始めた。


「この後、俺と男の会話がずっと続くから、最後まで聞いててくれ。じゃあ、いくぞ」


『えっと、今のはラップですか?』 


『そうですよ』


『ラップって、所々で韻を踏むものじゃないんですか?』


『まあそうですが、やたらと韻を踏めばいいというわけじゃないんですよ。大事はところでバシッと決めればそれでOKです。運転手さん、気付きました? 最後に俺が高揚と行こうようを掛けたのを』


『ええ、それは分かりました。あと、もう一つ気になったところがあるんですけど、パラダイスってなんですか?』


『やだなー、運転手さん。パラダイスといえば、楽園に決まってるじゃないですか』


『では最後の歌詞は、私と楽園に行こうということになりますが、これはどう解釈すればいいのでしょうか?』


『またまたー。そんな固いこと言わずに、もっと気楽にいきましょうよ。その場のノリを大切にするっていうかさ』


『ノリですか。同じのりなら、私は味付けのりを大切にしたいですね』


『はははっ! 運転手さん、なかなか面白いこと言うじゃないですか。それ、それ。俺はそういうのを待ってたんですよ」


『お客さんに喜んでもらうことが、私たちタクシー運転手にとって最高の幸せです。さあ、もうすぐパラダイスに着きますよ』


 五十嵐は残りのごはんと最後のチキンを口の中に放り込み、それをお茶で流し込むと、最後の締めに入った。


「とまあ、ここまでが男とのやり取りだったわけだけど……えっ、よくそんな会話のやり取りを覚えてるなだって? 自慢じゃないけど俺、記憶力には自信があるんだ。もちろん一言一句合ってるかって言われたら自信ないけど、ニュアンスはほぼ合ってると思うぜ。おっと、話が横道にずれちまったから元に戻すぞ。その後目的地に着くと、そこは楽園とは程遠いおんぼろアパートでさ。俺が薄笑いしてると、男は照れくさそうな顔をしながら逃げるようにアパートの中に入っていったんだ。その姿があまりにも滑稽だったから、おかしくてその後なかなか笑いが止まらなかったんだよな。というわけで、今回はこれで終了する。じゃあな」


 五十嵐は終了ボタンを押すと、タイトルを【ずぶ濡れのラップ兄ちゃん】とし、よほど手応えを感じたのか、その後ずっとニヤニヤしながら編集作業をしていた。





 

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