第7話 有名人になったものの……

 渾身のタクシーネタを披露した翌朝、五十嵐は起床後すぐにスマホを開き、コメント欄に目を向けた。


(おっ! 今までとは桁違いの数のコメントがきてる)


 コメント欄は、男女入り混じったものが軽く百件を超えるほどのコメントで溢れていた。


『その客、最悪ですね』

『最後までよく我慢しましたね。俺ならキレて、客を途中で降ろしてたでしょうね』

『弁当の卵焼きが美味しそうでしたね』

『最後、客に乗っかったところが面白かったです』

『みんなは信じなくても、私はこの話を信じます』

『笑ってはいけないと思いながらも、話を聞いて思わず笑っちゃいました』

『他にも、いろんなお客さんの話を聞いてみたいです』

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(よかった。とりあえず、嘘だと思ってる人はいないみたいだ)


 五十嵐はすべてのコメントに目を通すと、ホッと胸をなでおろした。


(あっ! もうこんな時間だ! 早く行かないと)


 五十嵐は余韻に浸る暇もなく、着替えるとすぐに出掛けていった。

 朝食を食べそこなったため、途中でコンビニに寄ってパンと牛乳を購入し、局に向かって自転車を漕いでいると、同じく自転車通勤の畑中とばったり出くわした。


「畑中君、おはよう」


「おはようございます。昨日の動画観ましたよ。あれ、作り話じゃなくて本当にあったことなんですか?」


「ああ、本当だ。幸い、コメントをくれた人の中にも、疑ってる人はいなかったよ」


「僕も今までいろんな人間を見てきましたけど、昨日の話に出てきたような人とはまだ会ったことがないですね」


「まあ、郵便局で働いてる限り、そういう人と出会うことはないからな。でも、その時は俺も嫌な客だと思ったけど、こうして話の種にすることができたわけだから、今となっては貴重な体験をしたと思ってるよ」


「なるほど。ところで、他にもまだタクシーネタはあるんですよね? それ、いつ披露するんですか?」


「頃合いを見て披露しようと思ってる。まだいくつか面白い話があるから、楽しみにしててくれ」


「分かりました。それより、早く行きましょう。遅刻しますよ」


 それまで並んで走っていた二人は、畑中の言葉で前後に分かれ、局に向かって猛スピードで自転車を走らせた。





 この五十嵐が披露したタクシーネタの動画は、その後いろんな方面でバズり、郵便局内や配達先はおろか、街を歩いてるだけでも声を掛けられるようになった。


 五十嵐はその後、製紙工場、自動車工場、パン工場で働いていた時のことを、それぞれハンバーグ弁当、カップ焼きそば、生姜焼き弁当を食べながら披露し、コメントの数はタクシーネタに劣るものの、順調にチャンネル登録者を増やしていった。


(今日はもえと会う日だけど、あいつ俺の動画を観てくれてるのかな)


 現在中学二年生の萌は、十年前に別れた前妻の百合子との間にできた五十嵐の一人娘で、今は月に一度のペースで会っていた。

 いつもと同じカフェで待ち合わせしていた五十嵐は、萌が現れるなり「やあ、ちょっと見ないうちに俺、すっかり有名人になっちゃったよ」と、おどけてみせた。


「そのことなんだけど、もうやめてくれないかな」


 萌は開口一番、五十嵐に対して痛烈な言葉を放った。


「なんで?」


「ウチのクラスに、お父さんと私が親子じゃないかって勘繰る人が何人かいるのよ」


「お前と離れて住むようになって十年経つのに、なんでそんなことになってるんだ?」


「お父さんと私が似てるからよ。それに五十嵐って苗字は珍しいって程じゃないけど、ありふれてるわけでもないからね」


「なるほどな。でも、別に悪いことしてるわけじゃないんだし、バレても構わないんじゃないか?」


「お父さんが良くても、私は嫌なのよ。自分の父親がアイチューバーなんて、恥ずかしいじゃない」


「俺はアイチューバーじゃないよ。郵便局で働いてるのは、お前も知ってるだろ?」


「でも、アイチューブで稼げるようになったら、郵便局も辞めちゃうんでしょ?」


「それはそうだけど、今はまだそんな気はないよ」


「とにかく、私は嫌なの。もしやめてくれないのなら、もうお父さんと会わないからね」


「……それは困るな。分かった。じゃあ、少し考えさせてくれ」


「考えるまでもないでしょ。私のことを大切に思ってるのなら、今すぐやめられるはずよ」


「…………」


 まったく聞く耳を持たない萌に、五十嵐は返す言葉が見つからず、黙ったまま彼女の顔をじっと見つめていた。

 


 


 



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