第2話 スレン パークス②
「マジなんなの? こいつ……」
得体の知れない化け物を前に思わず腰を抜かすスレン。
フォルムだけを見れば熊に近いが……明らかに異なる部分が多い。
体色は紫と緑が混じり合う異様なもので、背中には触手のようなものが生えている。
大きな口と鋭い牙や爪にべっとりと付いている真っ赤な血がこの悲惨な現場を作り出した張本人を示している。
「デウス!」
裏口からスレンの後を追ってきたプレンダーが化け物を目にした瞬間、叫ぶように化け物の名を呼んだ。
名と言っても呼称であって本名ではない。
それ以前にプレンダーはこのデウスと面識は一切ないため、どこの誰かは知らない。
『……』
デウスは何かを探すように周囲を見渡しながら店の奥へと突き進んでいく。
その際、そばにいたスレンに見向きもしなかったのが幸いし、プレンダーが彼女のもとに駆け寄ることができた。
「大丈夫ですか?」
「あっあんた……」
「ひとまずここから逃げましょう……立てますか?」
「無理。 すげぇ情けないけど……腰抜かしたっぽい……」
「無理もありませんよ……小生が肩を貸しますので、さっきの裏口から外に出ましょう」
娼婦が許可なく外に出ることは許されていないがそのルールもこの非常事態では意味を成さない。
現に娼館から逃げ出す娼婦たちが後を絶たないでいる。
「うっ撃て撃て! 撃ち殺せ!!」
ダダダダ!!……。
店の奥から出てきた用心棒らしき黒服達も逃げ出す娼婦など眼中になく、目の前のデウスの対処に全力を注いでいる。
闇のルートから手に入れた銃火器が一斉に火花を散らせるが、デウスは多少痛がるそぶりを見せるだけで出血などの明確なダメージは皆無だった。
『うぉぉぉぉ!!』
獣のような雄たけびを上げながら、銃火器を恐れず黒服達に襲い掛かるデウス。
大きく鋭い爪が縦横無尽に空を裂くたび、漆黒の闇を身に着けている男達の体が絶叫と共に赤黒く染まっていく……。
客観的に見れば目を背けたい地獄絵図と呼ぶべき光景であろうが、狩られている人間達がこれまで金のために多くの命を闇に葬ってきた畜生である……その事実を踏まえると、因果応報としてこの光景を受け入れることもできるだろう。
『うぉぉぉ!!』
黒服達を肉塊に変えながら奥へ奥へと進んでいくデウス。
「今のうちに行きましょう!」
「えっえぇ……」
プレンダーの肩を借りながらどうにか立ち上がることができたスレン。
2人で裏口から出ようとしたとき……。
「くっ来るな!! 来るなぁぁぁ!!」
店の奥から男の声が店内中に響き渡った。
声の主が店のオーナーであること……デウスが店の奥まで侵入していることをスレンは察していた。
だが、金ほしさに自分をこき使って奴隷のように扱ってきたオーナーを救う義理もなければ身を案ずる余裕もない。
そうなれば、最優先すべきは我が身の安全。
「……」
プレンダーはその正義感故に救いに行けない命があることに歯がゆさを感じている。
だが今はスレンを逃がすことを優先すべきと判断し、ぐっと心を抑え込んだ。
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「ひぃぃぃ!!」
2人が店の外に逃げる中……店の奥のオーナー室にまで入ってきたデウス。
進んできた通路や部屋の中は赤黒い血の川や水たまりがカーペットのように広がっていた。
ここまで多くの弾丸を受けてきたはずのデウスの体には返り血べっとりとついているものの、傷は一切なかった。
バン! バン!
護身用の銃でデウスの胸を撃つも銃声がむなしく響き渡るだけだった。
「がはぁぁぁ!! 助けてくれぇぇぇ!!」
デウスの背中に生えている触手がオーナーの右足に絡みつき、勢いよく持ち上げてオーナーを宙づりにする。
『べ……こ……だ……』
「は?」
『べむー……はど……こだ?……』
”ベムーはどこだ?”。
大きく血なまぐさい口から漏れ出るように出てきた言葉はとぎれとぎれだが、確かにそう言葉を紡いでいた。
オーナーがその意味を解すのに少々時間がかかったが、理解と共にデウスが欲している答えを急いで口にする。
「ちっ地下! 地下だ! あの女は地下にいる!!」
『……』
「正直に言ったんだから、手を放し……ばぎゅぶ!!」
言い終える前にオーナーの胸をデウスの爪が貫いた。
”信じられない”、”話が違う”と言わんばかりに歪み切ったオーナーの顔。
”答えたら助ける”などという約束や契約は存在していないため、彼の最期の訴えは意味を成さないものであった。
『うぉぉぉ!!』
オーナーの死体を乱暴に投げ捨て、床にその大きな爪を突き刺すことで巨大な地下への抜け道を難なく作り上げたデウス。
見かけ通りの尋常ではない力故にできた力業である。
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『べぇぇぇむぅぅぅ!!』
地下に降り立ったデウスが叫ぶベムーという名。
地下には無数の牢獄がずらりと並び、オーナーが借金の代用品として奪ってきた数々の女が囚われていた。
地上できらびやかな衣装を身にまとって男の相手をする娼婦達とは対称的に、薄汚れた衣服と呼べるかどうかも怪しい布切れを1枚を体にまかれているだけの無残な姿……。
牢獄というよりも、商品をしまう倉庫といった方が良いのかもしれない。
『いやぁぁぁ!!』
『助けてぇぇぇ!!』
得体の知れない血まみれの化け物におびえ叫ぶ女たち。
逃げようにも逃げれず、助けを呼ぶことができない女たちは絶望した。
”殺される”。
誰もがそう思ったが……デウスの目的は異なっていた。
『……!!』
地下を人並み以上の脚力で散策し……1つの檻の前で足を止めた。
「……」
その檻には他と同様、数名の女達が囚われていた。
殺されると思った女達は檻の隅で互いに肩を抱き合って固まる。
だがデウスの目に映っていた女はただ1人……。
『ぐぉぉぉぉ!!』
鉄格子を握りしめ、強引に引き抜いていくデウス。
ものの数秒でデウスの巨体が通れるほどの鉄格子を引き抜いしまった。
『いやぁぁぁ!!』
逃走本能が働いた女達が蜘蛛の子を散らすようにデウスが空けた抜け道から外へと逃げ出す。
だが……デウスは逃げる女達には目もくれず、腰を抜かしてその場に留まる女……ベムーを見下ろしていた。
『べ……ベムー……』
「え?」
『逃げろ……逃げろ……』
突然自分の名を呼ぶ化け物に驚くベムー……だがそれ以上に驚いたのは、デウスの声だった。
「お……お父さん……なの?」
地の底から出ているようなこもった声であったが、ベムーには数年ぶりに聞いた父親の声だと認識していた。
事実……このデウスは紛れもなくベムーの父親。
法外な利子がついた借金を返すことができず、強引に奪われた娘を取り戻すため、デウスとなってここまでやってきたのだ。
人間の面影など皆無なデウスだが、その眼の奥に宿る父から子への愛だけは消えてはいなかった。
『ベムー……』
「お父さん……お父さんなんでしょ?」
ベムーに確証などないが、互いを愛し合う父娘故に通じ合う何かがあるのかもしれない。
恐怖という重荷が消えうせ……愛しい父に手を触れようと立ち上がったその時!!
ザクッ!!
『おごっ!!』
背後からデウスの体を貫く1本の剣。
弾丸の雨を受けてもなお傷1つ付かなかったデウスの体を難なく貫いたその剣はすぐさま引き抜かれ、牢獄の中をデウスの血で染めた。
『きさま……』
『……』
デウスの背後に立っていたのは全身を白い鎧で纏った人間。
顔も覆われているため人物特定は難しいが、その華奢なスタイルから女性である可能性が高い。
背中から生えた純白の翼が天使のような風貌を示す。
デウスを貫いた血まみれの剣を握っていなければ、この光景が絵画のように美しいものに見えたかもしれない。
『……』
デウスに向けられる冷たい剣から滴り落ちる血……無言のまま鬼神のごとくデウスに近づいていく悪魔のような天使。
体中からあふれ出ている強者のオーラのようなものがデウスを屈服させ、両者の絶対的な力の差を否が応でも己の死を覚悟させる。
「やめてっ!!」
デウスをかばおうと前に出るベムーだったが、天使は剣を下ろさない。
剣先に宿るはデウスに対する明確な殺意のみでその前にいる若い命に一切の情はない。
応戦……逃走……降伏……どの選択を選ぼうともデウスの死は免れないとはっきり理解した中、潔く命を差し出すのがある意味懸命な判断かもしれない。
死を覚悟してここまで来たデウスに後悔などない。
だがこのままじっとしていればベムーにまで被害が及ぶ可能性がある。
『すま……ない……』
「お父さん!!」
ベムーにつらい思いをさせてしまったこと……親として幸せにしてあげられなかったこと……そのすべての懺悔がこの4文字に込められていた。
『うぉぉぉぉ!!』
デウスは恐怖という足かせを引きちぎり、軽くベムーを突き飛ばして天使に襲い掛かった。
玉砕覚悟の無謀な攻撃だが、デウスの目的は勝利ではなくベムーを守ること。
自分の命がベムーを危険にさらす要素であるならば迷うことなく捨て去る。
それが娘を愛する父親の本能なのかもしれない。
ザシュ!!
『あがっ!!』
そんな父娘の愛を無慈悲に引き裂く天使の剣。
ばっさりと斬られたデウスの胸からは大量の血が噴き出し、周囲をさらなる赤で染める。
「お父さん!!」
『……』
『!!!』
死にかけの父に駆け寄ろうとするベムーに天使が視線を向ける。
その瞬間、デウスは天使が実行しようとする冷酷な行動を読んだ。
バシュ!!
広げた翼から弾丸のように放たれたのは1本の白い羽……吸い寄せられるようにベムー目掛けて一直線に向かっていく。
「!!!」
『うぐぉ!!』
「お……とう……さん……」
羽がめり込んだのは……ベムーを守ろうととっさに盾となったデウスの背中だった。
デウスの行動からベムーを守ろうとしていることは天使も感づいていた。
天使からすれば雑魚とはいえ、非効率な戦闘は時間の無駄故避けたい……そう思った天使が取ったのがこれである。
ベムーに攻撃すれば、デウスはかばおうとする……いわば彼女はデウスの弱点。
捨てきれぬ情は戦闘では大きな隙を生み出す。
人間としては非常だが、戦士としては王道なのだ。
無論、デウスがかばわない可能性も否定できないが……そうなったら力で押し切るだけ。
ベムーを仕方のない犠牲として切り捨てれば、割り切れてしまうのだ。
バシュ!! バシュ!!
それから数本の羽を身動きの取れないデウスに撃ち込んでいき……。
『べ……む……』
力尽きたデウスは後方に倒れこみ、人の姿に戻った。
ベムーが思った通り、それは彼女の父の姿だった。
「お父さん?……お父さん?……お父さぁぁぁん!!」
どれだけ呼ぼうと……どれだけゆさぶろうと……父はもう動くことも話すこともできない。
血と欲にまみれた地下室で響き渡る娘の叫び。
自由を取り戻したベムーの代償は、彼女にはあまりに大きすぎた。
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時間を少しさかのぼり……娼館から出たスレンとプレンダーは町を見渡せる高原にまで逃げていた。
高原と言っても、町の住人達が捨てた酒瓶や紙くずなどが散乱している無法地帯だが……。
「とりあえず、ここまで来れば大丈夫だと思います」
「だといいけど……」
2人は椅子にちょうど良い大きな石に腰を下ろし、先ほどまでいた娼館に目を向ける。
すると……一筋の光が流れ星のように娼館のそばに落ちた。
「何あれ?」
「ワルキューレ……」
「ワルキューレ? 何それ?」
「デウス討伐を目的とした組織です。
肩書きは騎士団所属ですが、その存在はとても大きく……一部は大臣クラスの発言権や立場があるようです。
デウスを討伐するワルキューレを世間は勇者として称え、そんな彼女達が掲げる【絶対正義】と【悪即斬】という言葉がこの大陸に浸透していき、それが世間の常識となっているんです」
「ふーん……」
「先ほどのデウスを助けに行きたいのは山々ですが……はっきり言って、小生1人ではワルキューレの足元にも及びません」
騎士団というのは軍事力を持った警察的役割を持つ国家組織のこと。
犯罪者を取り締まるのはもちろん……消火活動や人命救助といった消防隊や救助隊のような活動も行っているマルチな組織だ。
「つーかさっきから気になってるんだけど、デウスって何?」
「先ほど御覧になった魔物……のような人のことです」
「人って……あれ人間な訳?」
「はい……」
この心界には”ミスト”と呼ばれる力が存在する。
かつて魔法の源であった魔素(まそ)とこの世に満ち溢れる人の欲望が混じり合って生まれたエネルギー体。
ミストは五感で認識することはできず、普段空気のように大気で漂っている。
漂っている分には害がないが、ミストは善悪問わず人間の強い欲望に反応して集まる習性がある。
ミストは人間に人外な力を与えるが、それと引き換えに自分の欲望を満たすことを最優先にする攻撃的な人格に変貌する。
内面を徐々に浸食していき……やがて外見にまで影響が及ぶ。
それがデウスである。
デウスに堕ちた者は善悪問わず、人に害を成す存在へとなる。
ワードを言い換えれば、ミストが違法薬物……デウスが薬物中毒者となる。
そう言えば、世間から向けられる視線やデウスと化した人間の苦悩や転落人生などもある程度想像することができるだろう。
「ワルキューレはそんなデウスを悪として斬り捨てていっています。
ですが、デウスに堕ちた人間が全て悪だとは……小生には思えません。
彼らの中にわずかでも良心が残っていると信じたいんです!」
「(おめでたい女だこと……)」
「ですが……良心を呼び起こすというのは簡単ではありません。
ゆっくりと時間をかけて少しずつ芽が出るのを待つ必要があります。
それを待たずに悪だと決めつけて斬るなんて……おかしいと思いませんか!?」
「おかしいわね(あんたの頭が……)」
政治家の演説のように自分の思いを語るプレンダーと彼女を冷ややかな目で眺めるスレン。
今さっきまで命からがら逃げてきた人間とは思えぬコメディな空気が流れ始める。
「だから小生はデウスと……いえ、悪に堕ちてしまった人たちを救いたいんです!
でもそのためには、協力してくれる仲間が必要なんです!!」
「(目を輝かせてあたしの手を掴むな! うっとおしい!!)」
「お願いします! 小生には……小生達にはあなたが必要なんです!」
はたから見れば正統派の告白のような光景であるが、内容は勧誘に近い……というか勧誘そのものである。
「よそ当たれって言ってんでしょ!? しつこい!!」
だがスレンの気持ちは変わらず、プレンダーの手を振りほどいてしまった。
「騒ぎが鎮まるまでしばらくここにいるけど……終わったらあたしは店に戻らせてもらうわ」
「スレンさん! お願いします!」
切羽詰まったプレンダーはついに頭を下げた。
しかも土下座スタイルである。
「だからあたしは……!!」
ヒュッ!! バタンッ!!
「すっスレンさん!?」
再度断ろうとしたスレンが突如意識を失い、石から落ちてしまった。
スレンを抱きかかえたプレンダーの目に止まったのは、背中に刺さっている小さな針。
「これは……麻酔針?」
それは猛獣などを鎮めるために使用される麻酔針。
あまりに協力であるがゆえ、人間相手に使うことは禁じられている。
「まったく……手をかけさせんじゃないわよ。 ガキが」
暗闇の中から現れたのはフードを被った小さな女。
荒い口調ではあるが、声は声優並に可愛らしい。
「ママ!!というかそれ……」
プレンダーにママと呼ばれた女が手に持っていたのは麻酔用のボウガン。
「どういうつもりですか!?」
「あんたがちんたらやってるから手伝ってやったんだよ」
「だからってこんな……強引すぎます!」
「あんたはのんびりしすぎなんだよ!
ただでさえ時間が惜しいって時に……土下座なんて古典的な手段で情に訴えるんじゃないよ!」
「でも……もっと何か方法が……」
「あんたとここで討論する気はない。 そこのガキは人を呼んで運んどくから、あんたは先に戻ってな」
「……わかりました」
異議はあるものの……ママの言うことにも一理あると気持ちを押し殺す。
「すみません……」
意識を失ったスレンに謝罪を述べ、プレンダーはその場を後にした。
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