8話 無情な現実と涙
一人待たされているサロンでルミナはぼうっと窓を見つめ、ため息をこぼす。
「……いいのかしら」
「何が?」
「リ、ヴァイ! 驚かせないで!」
音もなく現れ、顔を覗き込まれたルミナはドキドキと高鳴った鼓動を鎮めるために距離を取ろうとしたが、リヴァイは2年間ですっかり定位置となった隣へ座り、ルミナの腰へ手を回したためルミナのドキドキはとまらない。
心の中では人の気も知らずに!と思っているのだが表情に出ないのは妃教育の賜物である。
ルミナとリヴァイは未だに幼い頃からの婚約者同士という関係だ。
2年前と異なるのはルミナが勉強のために登城することを辞めたため、会えるのは毎週のお茶会となり、そのお茶会ではリヴァイが必ずルミナの隣に座るようになった事。そして二人の時には砕けた話し方をすること。
「ルミナが気づかなかっただけだよ。それより何の話?」
「……デビュタントの伝統。変えていいのかしらって」
「なんだそんなこと? いいんだよ、父上や母上からも許可は貰ってるんだから」
リヴァイは軽く答えたが数百年と行われた伝統である。反対する者はそれなりにいた。
フルール国のデビュタントは貴族令嬢が12歳となる時に行われる。
国によってデビュタントは初めて社交界にデビューする若い女性を祝う場となることもあるが、フルール国では国王に謁見し、貴族として認めてもらう場である。
招待されるのは公爵家、侯爵家、古くから王家と繋がりがある伯爵家の令嬢とこの国の中枢に担う者数名。
そのため招待人数はそれほど多くない。
リヴァイはルミナのパートナーとしてこのデビュタントへ参加するのだ。
数百年と続いていた伝統とは王子と王子の婚約者が参加する場合、お互いの魔法を組み合わせて披露するというもの。
リヴァイはその伝統を変えるため、過去にはデビュタントの参加事態を拒否した王子がいたということを調べあげ報告し、その後も反対するものに関してはそれぞれの領地にとって利益となる情報を握らせ、黙らせた。
「元々そんなに意味があるものじゃないし、気にしなくていいよ」
リヴァイは納得していないルミナの頭をぽんぽんと撫で、そのままバターブロンドの髪に指を滑らせる。
「……リヴァイ最近よく髪さわるけど好きなの?」
「ん? ルミナの髪が好き」
「そうなのね……?」
触り心地がいいのだろうかと疑問に思いながらもルミナはそのまま好きにさせ、デビュタントのことを考えることにした。
リヴァイには伝統のことが気になるのだと伝えたが本当はこのまま婚約者としていていいのだろうかという迷いが生じていた。
というのもデビュタントを終えた令嬢はノブレスオブリージュ、貴族の心得を胸にその後を行動せよと言われているからである。
貴族の心得とは財産、権力、社会的地位は、自分自身の能力ではなく、民から与えられたものであるため、自身を犠牲にしてでも果たすべき役目を果たせ、というものだ。
ルミナはリヴァイが好きだと気づいたあの日からさらに好きを募らせ、今ではリヴァイが大好きだ。
だが好きという気持ちだけで全てが解決するものではない。
実際に魔力はこの2年間、少しも増えていないのだ。
魔力が増えないのであれば、せめて他の部分では完璧であろうと日々尽力を尽くし、ルミナはこの2年間でミレーヌに褒められるほどの淑女となった。淑女の仮面が外れるのはリヴァイやクリス、家族等といった特定の人物の前でだけだ。
リヴァイが王太子として即位するまで後6年。
一向に魔力が増える気配のないままリヴァイの隣を許されるのはいつまでだろうか。
淡かった恋心がしっかりと実ってしまった今、あの時以上に諦められるとは思えないが、未来への不安はたまる一方。
2年間進捗なしという状況は、ルミナが自身で考えるよりも精神的負荷が多く、デビュタントを機に個人的な感情は捨て、王家の臣下になるべきなのではという思考が脳裏にちらつく。
いつか離れるのであれば今からでも呼び方や距離を変えるべきだろうか……とそんなことを考えていたからだろう。
「ねぇ、ルミナ」
「どうしました? リヴァイ殿下」
ルミナはぼうっとしたまま呼び方を変えてしまった。
その瞬間リヴァイの瞳は冷たいものへと変わり、サロンの空気が一瞬で凍る。
「……ルミナ?」
優しく穏やかな声でしか呼ばれたことがなかった名前が低く唸るよう声で呼ばれ、ルミナはリヴァイを怒らせたことに気づく。
「今、なんて言った?」
「えっと……」
リヴァイからの視線は感じるものの、目を合わせてしまえば最後のように感じたルミナは侍女に助けを求めようとしたが、無情なことにリヴァイは王子としての笑顔を貼り付け、侍女に指示をだす。
「君たちでていってくれる? 二人にさせて。扉も閉めて」
「で、ですが……」
「強制的に外に出されるのと自分で部屋から出るのどっちがいい?」
そんな言葉でさえリヴァイは笑顔で言った。
こうなってしまえば侍女たちは従うことしかできない。ルミナは今日に限ってマリアが居ないことを恨みながらもこの後にいうべき言葉を必死で探した。
ぱたんと音を立て扉が閉まるとリヴァイはすぐさま扉を氷漬けにする。
「え!?」
まさかそこまでするとは思わずルミナは顔を上げたのだがそれが失敗だった。冷たいアクアマリンの瞳に射抜かれ、ルミナは固まる。
「何を考えてたの?」
「デビュ、タントのことを……」
「嘘だ」
「う、嘘じゃないわ」
本当に嘘では無いのだ。
ルミナはかぶりを振り、信じて欲しい、と服を掴む。
「じゃあなんでリヴァイ殿下なんていったの」
「それ、は……」
どう答えるべきなのだろうかとルミナが言い淀むとリヴァイは薄く笑い、当ててあげるよと口にした。
「僕の婚約者でいていいのかなって考えてたんだろう?」
「どう、して……」
「わかるよ、そのくらい。僕がデビュタントの魔法を一人でするって言ってからルミナは1人になるとずっとぼーっとしてたから」
リヴァイは冷たかった瞳に温度を戻し、ルミナの頭を撫でる。撫でる手は酷く優しい。
「大丈夫。ルミナが頑張ってくれてるように僕にも頑張らせて。たとえルミナがこのまま魔法を使えなくても僕の隣は君だけだよ」
「でも……」
「フルール祭の魔法だって今までがそうだったっていうだけで、他にもやり方は色々あると思うんだ。僕がちゃんと探し出すから安心して」
リヴァイの言葉はとても甘く、優しい言葉だった。
その言葉に一瞬でも甘えたいと思ってしまったのはやはり心が弱っているのだろうとルミナは苦笑する。
リヴァイは実現が可能だと気づけば今回のようにやり遂げてしまうだろう。
たった一人、ルミナのために。
だがそれではダメなのだ。デビュタントの伝統のように大きく意味があるものでなくとも反対する者がいた事をルミナは知っていた。
そして認めさせるためにリヴァイが動いたことも。
妃となるものが魔法を使えない。
ただそれだけを理由に今後も伝統を変えるようなことをしていけばどのようになるか、答えは明らかだ。
今でも水面下で動いている王位継承権争いが勢いを増してしまう。
ましてやフルール祭の魔法に関してはこの国を守る魔法だ。リヴァイが方法を探し出せたとしても、その魔法が何百年とこの国を守っている魔法と同等のものになるかは分からない。同等のものでない限り国を危険に晒す可能性は高い。
たった一人のために国を危険に晒してしまうかもしれない行動をする。それは、王として許されない。
「ダメよ、リヴァイ。わかっているでしょう?」
イタズラをした子供を諭すように優しく言われたリヴァイは傷つけられたように顔を歪め、静かに涙を流す。
リヴァイの涙を見たものは6歳を過ぎた頃から誰一人としていなかった。
王子たるもの涙を見せるなと言われ続けてきたからだ。
泣きたいと感じた時には一人の部屋で声を押し殺し、誰にもバレないように過ごしてきた。
王城にあるサロンの一室。
侍女もいない本当に二人っきりの閉ざされた場所。
ここでだけは王子と王子の婚約者としてではなくただのリヴァイとルミナとして、リヴァイは心のまま涙を流すことが出来た。
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