ヒトノエ
芽春
いびき
……たぶん言っても信じて貰えないと思うんですけどね。
あれはなんだったのかなーって未だに答えが出ないんですよ。
えっと、はい、そうですね、本題に入りましょうか。
皆さんは眠っている時いびきをかきますか?
ええ、あの「ぐがあー」とか「グゴゴゴ」とか言うあれです。
うるさいですよね、本当に。
私の家では家族が川の字になって眠る決まりだったので、
いつも父の大口を開けたいびきに悩まされていました。
目を閉じて、意識を眠らそうとしているのに、一定周期で聞こえる雑音が意識を呼び戻す。お陰で家族の中ではいつも私が一番遅くまで起きていました。
あの日も……そんな不愉快な日だったと思います。
「グガア……」「グゴオ……」「グガア……モゴッ」「グガア……ア」
いつもと同じようにいびきが聞こえていました。
でも、途中で何かが口に入ったような音がして。
「ア」「ア」「ア」「ア」「ア」「ア」「ア」「ア」「ア」
はい、すぐに異常を察知しましたよ。
突然「ア」としか聞こえなくなったんですからね。
でもまあ、その日はそのまま目を閉じて眠ってしまったんですね。
なんかそういう事もあるのかなって、自分を強引に納得させて。
でも……次の日……
「グガア……」「イ」「イ」「イ」「イ」「イ」「イ」「イ」「イ」
今度は「イ」を繰り返すようになりました。
流石に変だと思ったんですよ。
朝が来て、父に伝えたのですが……
「えー寝言言ってただけじゃない?」
そんな風に受け流されてしまいましたね。
お前はまだ子供だからなんでもないことでも怖くなってしまうだけだとも。
……その夜には「ウ」の声が深夜の寝室に響きました。
三日後には「カ」の声が、察しの良い方ならお気づきかもしれませんね。
そうなんですよ、父のいびきは五十音順に発されているんです。
なぜそんな法則なのかは知りませんけど。
当時の私は子供特有の勘と言うんですかね、その事に気づきました。
そして私は思ったんですよ。「ン」まで行ったらどうなってしまうんだろうと。
しかし、臆病な子供が何か出来る訳もなく。
震えながら眠る毎夜を過ごすのみでした。
そうして忘れもしないあの日、父のいびきに異変が生じてから一ヶ月半後。
「ン」の文字が響いた次の日の事でした。
私は恐ろしい何かに襲われないように
布団を頭から被ってぶるぶる震えていました。
時刻は深夜十二時過ぎ、いつもこのくらい
の時間になると父のいびきは変化しました。
ですが……
「グガア……」三十分ほど経っても
聞こえてくるのは何も変わらない父のいびきだけ。
私はほっとしましたよ。
なんだ、何も起きないじゃないか。
父の言う通り私はなんでもない事を怖がっていただけだったじゃないか。
そう思うと、先程までの自分がおかしく思えてきたんですよね。
……本当に愚かでしたよ。
ああいうのを勇気ではなく蛮勇と言うのでしょうね。
私は何を思ったか父の様子を確認してみることにしたんです。
布団をめくり、立ち上がる。
そしてゆっくりと父の方を向きました。
オレンジ色の常夜灯に照らされて、
……いたって普通の、いつも通りの父に見えましたよ。
ある一点を除いて。
口の中に、白いなにかが見えたんです。
私は顔を父の口元に近づけ、それをハッキリ見ました。
全身がまっ白くて、触角のように飛び出した眼球が二個ある小人?が
父の舌に張り付いていました。
思わず「ヒッ」と声を出すと、そいつの瞳がこちらを見つめて。
「コンバンハ」そう、言われました。
父の声でした、しかし、なんというか声色だけを真似た別物と言いましょうか。
なんとも言えない気持ち悪さがありましたね。
私が固まっていると、ソイツは舌に張り付くのを辞め、
父の喉奥に引っ込んでいきました。
見たのはそれっきりですよ。
アレともう一度会う勇気はありませんでしたから。
でも……次の夜に
「ヒッ」「ヒッ」「ヒッ」「ヒッ」「ヒッ」
こんな声が響いたんです。私にそっくりな声で。
それ以降は知りません。
私が耳栓をしないと眠れないのはこれがきっかけです。
ヒトノエ 芽春 @1201tamago
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