第4話 調律者という生き物

 のんびりと語らいながら、時に魔物を倒しながら。勇者一行は隣国、ゼバニア王国へ到着した。


「ついたー!」


 暫く何もない場所を進み続けていたから、久しぶりの賑やかな街並みに、ミリアは上機嫌で凝り固まった体を伸ばした。

 馬車の代金は王が前払いしてある。御者に礼だけして、宿を取り荷を解いて、ゼノンたちはすぐに街へ繰り出した。


「ねぇ、まずは何か食べましょうよ!」

「そうだな。腹ごしらえしておくか」


 野営が続き、食べられるものは限られていた。久々に新鮮な肉や野菜をたらふく食べたい、とゼノンも腹を鳴らした。


「それなら、私は宿で待機している」


 食事を必要としないエレンは、別行動を申し出た。

 野営の間、エレンは本当に一切食べ物を口にしなかった。顔色にも体調にも変化はない。強がりや遠慮ではなく、事実必要ないのだということがわかった。


「待ちなさいよ」


 ぐいと手を引いて、エレンを引き止めたのは意外にもミリアだった。


「何か?」

「あのね、前から言いたかったんだけど、食事の席ってのはコミュニケーションなのよ。食べるだけじゃないの! 同席くらいしなさいよ」


 野営の間はエレンが見張りを引き受けてくれるのはありがたかったし、注意することは控えていたのだろう。けれどここは街中だ。そう神経質になることもない。

 これはミリアなりの歩み寄りだ。道中で、エレンに必要な能力があることは認めたのだろう。だから彼女なりに、エレンのことを理解しようとしている。

 けれど、感情の乏しいエレンには、それが理解できなかったようだ。無表情のまま首を傾げた。


「何故?」


 ミリアがかっと顔を赤くした。

 こういうところが癇に障るんだろうなぁと思いながら、どちらも悪気があるわけではない。ゼノンたちは苦笑して見ていた。


「いいから! 行くわよ!」


 つっけんどんな言い方ながらも、ミリアはエレンの手を引いたままずんずんと歩き出した。


「おお、投げ出さなかったな」

「あれでミリアも気にしてるんだよ。女の子の友達少ないしねー、本当は仲良くしたいんじゃない?」

「先は長そうだな」


 後ろで好き放題言う仲間たちを振り返って、ミリアは大声を上げた。


「何してるのよ! 早く来なさい!」

「はいはい」


 和やかな空気に、ミリアに引きずられるままのエレンは、どこか戸惑っているようにも見えた。




「ん! これうまいな」

「ほんと、こっちもおいしーい!」


 手頃な食堂でテーブルを囲うゼノンたち。温かく種類も豊富な食事に、それぞれが舌鼓を打つ。


「あなたたち、よく食べるわね……」


 呆れ顔で零したミリアは、既にデザートに入っている。あまり食べる方ではないので、一皿食べたらもう甘いものが欲しくなるらしい。甘味の分食事を取ればいいのに、という指摘はしてはいけない。


「ミリア、それ一口ちょーだい!」

「いいわよ」


 切り分けたパンケーキを、ミリアがハルに渡す。

 ハルはそれを一口で頬張って、歓喜の声を上げた。


「あま〜い! これかなり甘いね。でも美味しい! なんの果物だろ?」

「さぁ……。ソースになってると案外とわからないわね。この国の特産かしら?」


 言いながら、ミリアはちらりとエレンを見た。


「……あなたも、一口、食べる?」


 問われた内容がすぐには飲み込めなかったようで、エレンはぱちぱちと目を瞬かせた。


「……私は、食事は」

「知ってるわよ。でも、必要ないだけで、確か食べられないわけじゃないのよね?」

「それは……そうだが」

「ここは食堂で、この一口はあなたが食べなくても私が食べるだけよ。運命にはこれっぽっちも影響しないと思うけど」


 意外にも、ミリアはエレンの話をきちんと聞いていたらしい。

 正しく理解した上で、ミリアは切り分けたパンケーキをフォークに突き刺して、エレンの口元に差し出した。


「ほら」


 目を白黒させてミリアとパンケーキを見比べていたエレンだったが、ややあって小さく口を開き、柔いパンケーキを食んだ。

 リスが頬張るかのようにもそもそと一口分を取り込んで、そのまま味わうように咀嚼する。


「…………」


 おそらく、美味しいかと聞くつもりだったのだろうミリアは、言葉を失ってエレンを見ていた。

 他の仲間も、同じ気持ちで彼女を見る。


「すごい……人って表情が変わらなくてもここまで感情を表せるものなんだね」

「気のせいか背後に花が咲いて見えるな」


 ゴードンの言う通り、もし今彼女の背景に相応しい絵を描くとしたら、大量の花が相応しい。ポンポンと咲いていくのが目に見えるようだった。

 表情筋こそさほど動いていないが、エレンがパンケーキを気に入ったことは、誰の目にも明らかだった。


「あなた、甘いもの好きだったのね」

「……好き?」


 言われた言葉が理解できないように、エレンは首を傾げた。


「嘘でしょ。そんな顔しておいて、まさか好きじゃないなんて言わないわよね」

「……自分の嗜好を、意識したことがなかった」

「初めて食べたとか?」

「いや。人間の頃の記憶に、該当するものはある。私は多分、それが……好き、だったのだろう」


 遠い目をするエレンに、ゼノンは深堀りしていいものかどうか迷った。

 エレンは元々人間だったようなことを言っていた。ということは、今は人間ではないのか。調律者は、どういった生き物なのか。

 デリケートな問題だと思われるそれを、出会ったばかりの自分が聞いても良いものか。

 悩むゼノンをよそに、好奇心を隠しもしないハルがあっけらかんと尋ねた。


「エレンは元々人間だったの?」

「そうだ」


 ゼノンは心臓が跳ね上がる思いだったが、あっさりとエレンが答えたことに拍子抜けした。答えに窮する問いではなかったようだ。


「ってことは、今は人間じゃないんだ? 調律者って、人間とどう違うの?」

「ほとんどのことは人間と変わらない。相違点は、運命に影響を与えないために食事が必要ないこと。生殖能力がないこと。調律を効率的にこなすために能力値が高いこと。接界杖せっかいじょうを使い世界を渡れること。そのくらいか」

「ふうん? 不老不死とかじゃないんだ」

「違う。殺されれば死ぬし、寿命もある。調律者は死ねば代替わりする」

「あれ? ってことは、エレンって見た目通りの年齢なの? 雰囲気とかで、なんかすごく年上なのかと思ってた」

「肉体年齢は十七だ」

『十七!?』


 ゼノンたちが声を揃えて驚く。

 外見が老けているというわけではない。ただ、ハルの言う通り、彼女はやけに老熟した空気を纏っていた。人ならざるものだと言うから、てっきり外見と実年齢は比例しないものと思っていた。


「十七って、十七? 生まれてから十七年しか生きてないってこと?」

「おい何当たり前のこと聞いてんだ」


 ゼノンが半眼でハルにつっこむも、エレンは少し考えるようにして答えた。

 

「生まれて暫くは、ただの人間だ。だが、調律者の役目を引き継いだ時点で、先代の記憶を同期する。そういう意味では、精神的に人生を一周しているということになるかもしれない」

「先代の記憶?」

「調律者は常に一人しか存在しない。師に教わるようなことはない。だから全てのことは先代の記憶から把握する。先代は、更に先代の記憶を同期している。つまり、伝聞のような形にはなるが、遡れば何代もの調律者の記憶が私の頭には入っている」

「なら、記憶だけなら何百年も生きてる大先輩ってことか」


 感心したようにゴードンが腕を組んだ。

 確かにそうだ。記憶だけなら。

 けれど、それはあくまで他人が過ごした人生だ。エレンの精神は、感情は、それに追いついているのだろうか。


「……だから、感情表現が乏しいのか?」


 ゼノンの口から零れた言葉に、仲間たちの視線が集まる。

 声に出したつもりのなかったゼノンは慌てて取り繕った。


「あ、いや! 別にそれが悪いってことじゃなくて」

「運命に手を入れる以上、私情を挟むことは許されない。だからほとんどの調律者は感情を殺す」


 エレンの回答に、ゼノンは息を呑んだ。彼女が無感情のように見えるのは、生来の気質ではなく、意図して行っていることだったのか。


「辛くは、ないのか」

「辛いという感覚がない」


 それは、意図してできることなのだろうか。それとも、心が既に麻痺しているのだろうか。

 調律者という生き物。そのちぐはぐにも思える生態。それほど重要な役割なら、体を作り変えることまでできるのなら、それこそ不老不死にでもした方がだ。何故そうしないのか。或いは、できないのだろうか。

 人間から選出するというのも不自然だ。調律者という生き物を、最初から生み出すことはできないのだろうか。


 ――誰が?


 もしくは、何が。

 ゼノンは眉間に深く皺を寄せた。

 考えれば考えるほど、調律者という存在は不可解だった。ただ漠然と、そのシステムを構築したものへの嫌悪感があった。


「でもそんな風だと、現地の人間とのコミュニケーションに支障があるんじゃない? もっとにこやかにしてた方が、円滑に進むんじゃないかしら」

「現地の人間と関わることはほぼない」

「そうなの?」


 呆れ顔から一転、ミリアは目を丸くした。


「だって、それぞれの世界に行って、調律ってのをするんでしょ? 私たちみたいに、現地の人間と協力したりするんじゃないの?」

「ほとんどの場合は、綻びに手を入れればそれで済む。運命に介入しないために、現地の人間と深く関わるのは推奨されない。今回は回復役の穴埋めを、どう調整しても現地の人間で補うことができず、やむを得ず私が入った。こんなケースはそうない。誰かが意図的に歪めているか、よほど世界を滅ぼしたい意志が強いか」

「意図的? そんなことが?」


 世界が綻ぶのは、経年劣化だと言っていなかったか。定期的に起こる、避けられない現象なのだとばかり思っていたが。誰かがわざと引き起こしたのだとしたら、それは魔王討伐とはまた別の問題が発生するのではないだろうか。

 ゼノンの懸念を読み取ったのか、エレンは淡々と説明を続けた。

 

「可能性は限りなく低い。偶然と考えた方が自然だ。ただ、綻びが複雑すぎると、今回のように調律者が直接関わることになる。それを逆手に取って、調律者を呼び出そうとする者が、ごく稀にいる」

「呼び出す? 何のために?」

「調律者を従わせれば、あまたの世界を掌握できると勘違いする者がいる」


 エレンの言葉に、皆が息を呑む。

 ここまでのエレンの説明を振り返れば、それは勘違いだ。

 彼女にできるのは世界を正しい形に戻すことだけで、思い通りに歪めたり支配したりできるものではない。

 そのはず、だ。


「勘違い……だよな?」


 口に出して、念を押す。

 そんなことにエレンを利用するつもりはない。そんなつもりはないが、仮に、それほどのことが可能な存在なのだとしたら。


「勘違いだ」


 言い切ったエレンに、知らず全員が息を吐く。


「だよねぇ~。そんなすっごい存在なら、御伽噺か何かになってそうだし」

「……そういえば、なんで調律者は知られてないんだ? 俺たちも、国王から聞くまで全く知らなかった」


 力が抜けたようにテーブルに凭れかかったハルの言葉に、引っかかりを覚えたのかゴードンが問う。

 世界の掌握云々が勘違いだとしても、それなりに特殊な存在だ。呼び出そうとする者がいる、というなら、それはまず調律者という存在を知っていることが前提となる。


「調律者の存在は、基本的には秘匿されている」

『えっ!?』

「先ほど説明したように、利用しようとする者が出るからだ。影響力のある組織……この世界で言うと、メルドル王国の王家か。そういった権力者にだけは、協力を要請できるように話を通してある。だが口外することは禁じている」

「待て待て待て」


 一同の驚きをよそに話を続けるエレンを、ゼノンが焦ったように止めた。


「秘匿って、なら、今俺たちにべらべら喋っているのは、大丈夫なのか!?」


 きょとんとして見えるエレンに、冷や汗が流れる。

 いやに流暢に喋るから、てっきり聞いても問題のない事柄なのだとばかり思っていた。

 まさかこれを知ったことで、自分たちにも何か影響があるのでは、とゼノンたちは戦慄した。


「ゼノンが言った。私は仲間だと」

「え……あ、ああ」

「隠し事は不和を生む。聞かれて困ることはない。仲間の理解は得られた方がいい」


 エレンの口から【仲間】という言葉が出たことに、その場の空気が緩んだ。

 まるで馴染む気がないように見えたが、彼女は彼女なりに、パーティーメンバーとしての自覚を持っていたのかと。

 

「どうせ最後には記憶を消す。記録にさえ残さなければ、何を語っても構わない」


 空気が一瞬にして凍った。


「え……なに。記憶を、消すって、私たちの?」

「ミリアたちに限らない。この世界から退去する時に、私に関わる記憶を消去する。私が元いた回復役の穴に収まったように、私の記憶が抜けた穴も何かしらで埋められる。あなたたちの脳や記憶に害はない」

「害はないって……そういうことじゃ」

「何か問題が?」


 尋ねるエレンの瞳には、疑問以外の感情はない。

 気になる点があるなら質問は受け付ける。回答はする。それだけだ。

 彼女が手の内を開示して見せたのは、仲間を信頼したからでも、心を開いたからでも何でもない。その方が仕事が円滑に進むと判断しただけだ。

 記憶や、思い出を失うということが、どういうことなのか。エレンには理解できない。

 情報の喪失、そして補填。差し引きゼロ。それで元通り。

 寂しいだとか、気味が悪いとか、そういった感情は最初から計算にない。

 この感覚の差はそう簡単には埋められない。


 やはり彼女は、人間ではないのだ。

 

 近づいたと思った距離が一気に遠くなった気がして、ゼノンたちは言葉を失くしてエレンを見つめていた。

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