第3話 初めての夜

「飯の用意ができたぞー!」


 馬車を途中に停めて、野営の準備をする。

 食事の支度をしていたゴードンの合図に、皆が集まった。

 馬車の御者は、食事などは別で取るようだった。馬を休ませるためにも、少し離れた場所へ連れて行っている。


「あれ。エレンは?」


 ハルがきょろきょろと辺りを見回すと、火から少し離れた場所にエレンが座っていた。

 ハルはエレンに駆け寄って、その顔を覗き込んだ。


「エレン、ご飯できたって! 行こう」


 ハルの言葉にエレンは目を瞬かせて、思い出したように答えた。


「必要ない」

「何言ってるの。遠慮しなくていいから、ほらほら!」


 ハルに引っ張られて、エレンは焚火の方へ引きずられていく。


「お、来たか」

「あんな離れた場所で何してたんだ?」

「見張りを。火の近くにいると目が明るさに慣れてしまう」

「そうか。けど、飯の時くらいはいいんだぞ。近づいてくれば気配でわかる」


 ここは開けた草原で、遮蔽物もさほどない。相当な遠方から気配を消して攻撃でもされない限り、接近に誰も気づかないことはあり得ない。

 呑気な調子で言って、ゼノンがエレンに器を差し出す。するとエレンは先ほどハルに告げたのと同じ言葉を繰り返した。


「必要ない」

「何言ってんだ。食料は国から支給されたものだし、パーティーで共有だから気にしなくていいんだぞ」


 エレンはゼノンの言葉を咀嚼するように間を置いて、おもむろに口を開いた。


「すまない。食事を出された経験が無いので、事前に言うのを失念していた。私の肉体には食事という行為が必要ない」

「はあ?」

「食べるという行為は、命を取り込む行為だ。私の生命活動のためにこの世界の命を奪うことはあってはならない」

「……命のあるものは食べられないってことか? 植物も?」

「食べられないわけじゃない。食べる必要がない。私という存在が、可能な限り世界に影響しないようにできている。限られた食糧を分け合う環境では、その配分が命取りになることもある。だから旅の間、私の食糧配分は考えなくていい」

「何それ。あなた本当に人間なの?」

「……ミリア」


 嫌悪を込めた台詞に、嗜めるようにゼノンが名を呼ぶ。

 ミリアは悪びれもせず、ふんと鼻を鳴らした。


「元は人間だった。けれど、調律者になった時点で、適した体に作り変えられている。そういう意味では、純粋な人間とは言い難い」


 その返答に、全員が目を丸くした。


「それは、どう――」

「来た」

 

 ゼノンが声をかけようとしたところで、急にエレンが杖を持って立ち上がった。

 その視線を追えば、暗闇の中に微かに動くものの気配がある。


「魔物だね」


 最も視力の良いハルが、目を細めて遠方を見た。


「全く、食事時に来るとは、マナーのなってない奴らだ」

「ちゃっちゃとやっちゃいましょう」


 各々が武器を手に、魔物の方へ向かっていく。杖を振って周囲に明かりを灯し、皆の視界を確保したミリアが挑発的にエレンを見た。


「私たちで片付けるから、あなたは後ろで見学してなさい」


 その言葉に従ったのかどうか、エレンはいくらか下がった場所で杖を振った。その動作に疑問を抱いたゼノンがエレンの視線の先を追うと、馬と御者が身を潜めていた。

 距離があるので問題ないと思っていたが、エレンは防壁か何かを張ったようだった。彼らの周囲に、魔力が波打っている。

 そんなこともできたのか、と感心しつつ、ゼノンは目の前のことに集中しようと意識を研ぎ澄ませた。


「来るぞ!」


 迫りくる魔物は、芋虫を巨大にしたような見た目をしていた。目玉があちこちに付いており、死角がないのが厄介だ。

 群れの数は二十ほど。このタイプなら、ミリアの魔法で一掃するのが早い。


「俺たちが引きつけるから、ミリアはその間に広範囲魔法の準備を!」

「わかってるわ!」


 ゼノンが先陣を切って魔物に斬りかかる。緑の血を撒き散らして、魔物がのたうち回る。

 ゴードンはミリアに攻撃が向かないように防御し、ハルは魔物たちを集めるように小さな攻撃を繰り返して誘導する。

 そうしている間にミリアが魔力を練り上げ、強大な魔法の準備が整う。


「いくわよ! 離れて!」


 ミリアの合図に、全員が魔物から距離を取る。

 地面に、宙に、魔物たちを囲うようにいくつもの魔法陣が展開される。


「ファイア!」


 短い詠唱と共に、巨大な火炎が立ち昇る。

 それは魔物の群れを漏れなく燃やし、焼き尽くした。

 跡形もなく消し飛んだ魔物に、得意げな顔のミリアがエレンを振り返った。


「どう? あっという間だったでしょ。あなたなんかいなくても」

「伏せろ」

「え? っきゃあ!」


 エレンが杖をミリアの足元に引っかけて転ばせた。

 派手に尻もちをついたミリアは文句を言おうとエレンを睨み上げたが。

 瞬間、先ほどまでミリアが立っていた場所を、高速で何かが通り抜けた。


「っ狙撃!?」


 魔物を倒したことで緩んでいた空気が、一気に張り詰める。

 偵察スキルの高いハルが、神経を研ぎ澄ませ遠方まで探る。


「……! いた、三時の方向」

「頼めるか」

「任せて」


 視線を鋭くしたハルが、人とは思えぬスピードで走っていく。

 それを見届けて、ゼノンが感心したような声を上げる。


「よく気づいたな」

「見晴らしの良い場所は、こちらも警戒しやすいが、あちらからも見つけやすい。これほど明るければ恰好の的だ」

「気配を消すほど知能の高い魔物は、あまりそこらにいるもんじゃないんだが」

「敵は魔物ばかりじゃない。狡猾な人間もいることを留意しておいた方がいい」

「人間って……。私たちは世界を救うために魔王討伐に向かってるのよ? なんで人間に邪魔されないといけないのよ!」


 あり得ない、と言いたげにミリアが声を荒らげる。非難めいた口調に気を害した様子もなく、エレンは淡々と答える。


「自分たちを誰もが知っていると思うものじゃない。勇者一行なんて知らない賊からすれば、荷を持っている者は全て略奪の対象だ。仮にあなたたちのことを知っていたとしても、誰もが世界の平和に協力的だとは限らない。王から与えられた潤沢な資金を狙ってくる者もいるだろう。人間は味方だという考えは捨てた方がいい」


 エレンの言葉は正論だが、それがミリアの癇に障った。

 ヒステリックに叫びそうになったミリアの肩を、ゴードンが押さえる。


「まぁまぁ、それくらいにしてやってくれ。ミリアはお嬢さん育ちでな。実力はあるんだが、あまり泥臭い仕事はしてこなかったんだ。人間の悪意に疎いのも無理はない」

「ちょっと、ゴードン!」

「だが俺たちはそうもいかないな。失態だった。仲間を助けてくれてありがとう、エレン」


 笑顔で礼を告げたゴードンに、無表情だったエレンが僅かに目を丸くした。

 初めて彼女の表情が動いた気がして、ゼノンが意外に思いながら見ていると。


「……これが、私の仕事だから」


 目を伏せて、微かにまつ毛を震わせたエレンの表情に。何故か、目が離せなかった。


「いった!」


 甲高い声に、はっとゼノンの意識が引き戻される。


「どうした?」

「足を痛めたのよ! 誰かさんが無理に転ばせるから!」


 ゼノンが屈んでミリアの靴を脱がせると、確かに足首が腫れてきているようだった。


「すまない。緊急事態だったから」

「あなた回復役でしょ。治しなさいよ」

「ミリア」

「わかった」


 横柄な態度のミリアをゴードンが嗜めたが、エレンは気にした風もなく、ミリアの傍らに膝をついた。

 エレンが杖をかざすと、柔らかな光が灯って、ミリアの足を包む。蛍の光のような淡く輝くその光に一同が暫く見入っていると、光が収まって、ミリアの元通り白い肌が現れた。


「あ……」

「痛みはないか」


 確認のためにミリアが少し足を動かして、ぶっきらぼうに答えた。


「大丈夫よ」

「そうか」


 靴を履き直して、ミリアが立ち上がる。何やらもじもじしているミリアの背を、ゴードンが軽く叩いた。


「エレン」

「何か」

「あ……、あ、あり、が」

「おーーい! みんなーー!」


 割って入った明るい声に、エレンの視線がそちらに向けられる。

 くたびれた様子で現れたのは、狙撃犯の対処に向かったハルだった。


「片付けてきたよー!」

「早かったな。なんだった?」

「ただの盗賊! 魔物に襲われて弱った旅人を、後から仕留めて荷物を奪ってるみたい。陰でこそこそしてるだけあって、全然弱かったから、ぱぱっと片してきちゃった」

「そうか。お疲れさま」

「もーお腹すいたよー! 早くご飯食べよ!」


 明るく話すハルとゼノンの後ろで、ミリアがぷるぷると震えている。

 それに気づいたエレンが、ミリアに問いかける。


「そういえば、何か言いかけていたか」

「うるさいわね、何でもないわよ!」


 どすどすと音を立てて歩くミリアに、エレンは首を傾げた。

 その様子に、ゴードンが苦笑する。


 凸凹パーティの旅路は、まだ始まったばかり。

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