終わりのある脱毛体験コース

烏目

終わりのある脱毛体験コース

 脱毛体験一回目。体験なんて、気軽に試せそうな文句を謳っているくせに、初回ということでまずはカウンセリングを受けなくてはならなかった。

「普段はどのようなお手入れを?」

「必要な時は一本ずつ抜いて……あとはたまにカミソリで……」

「ああーっ、それは肌が傷みますね! 傷んでいるでしょう!」

「まあ……そうですね。結構、はい、血とか出るし」

「それはとってもお肌によくないですよ! 特に毛抜きは、毛穴の中が傷ついて炎症を起こすこともありますから! 今後はなるべく剃らずに、とはいえ脱毛の前だけはね、こういった電動シェーバーで、カミソリより肌への負担が軽いですからね、それで何か手入れをした後は必ず保湿をして頂いて」

「保湿すると変わるんですか」

「変わりますよお! 毛を抜いたり剃ったりというのは、肌に負担をかける行為であって、要は肌を傷めるってことですからね、傷んだお肌をケアするには保湿が重要です!」

「なるほど……」

「なんにしても、終わりのある脱毛コースをご契約頂くからにはね、そうそう毎日自分で剃ったり抜いたりする必要はなくなりますので、なるべく何もせず、脱毛当日だけこういったシェーバーを使ってお手入れして頂ければと思います!」

「こういうシェーバー、って、普通に電器屋さんで買えますか?」

「お持ちじゃないんですね? であれば、こちらは当店のオリジナル商品になっておりまして、会員様には35%オフで販売しております!」

「電器屋さんで買えるものとは違うんですか?」

「そうですね、肌への負担が本当に優しくなっておりまして、おそらくどのメーカーさんのものよりもお肌を傷つけずに済みますよ」

「そうなんですか……」

「あっでも全然、電器屋さんで購入されても問題ありませんよ! ただ、カミソリはもう使わないでくださいね! あとは、服薬など……今、お医者さんでお薬を処方されていますか?」

「いえ、うちは無投薬を売りにしているので」

「そうですか! それではこちらの契約書にご同意のサインを頂きましたら、すぐ……そうですね、本日でしたら一時間後からの施術であれば可能ですが、いかがなさいますか?」

「一応、主人に報告と確認を取りたいと思います」

「そうですよね、かしこまりました! またお電話頂けましたら空き時間をご案内致しますので、いつでもご連絡くださいね!」

「では、また」

 スタッフは終始笑顔で、感じが良く、清潔感のある半袖の制服から伸びた腕は、うぶ毛一本さえなくすべすべして見えた。

 チョロチョロと生えた毛が、そのなめらかなピンク色をくすませていたら、確かに勿体無いかもしれないと思った。すべすべして、ふわふわして、血色がよくなるよう、丹念に手入れをしている肌だ。より魅力的に見せるために毛を取り払うというのは、理にかなっているし筋が通っている。己の充足のための選択。合理的な美意識。

 対して自分はなんのためにここへ来たのか。

 自分のためでないことは確かだ。いや、しかし、突き詰めればこれも自分のため、なのかも。

 咄嗟に答えが出せないくらい、自分には主体性というものがない。それはただ毛深いということよりも、よほど恥ずかしいことだと思った。

 脱毛二回目は、もう『体験』とは言い難かった。どう考えたって『本番』なので。

 家を出る前、結局先日買って帰ったシェーバーで、まずは腕の毛を剃ろうとしたら刃が弾かれてしまって話にならず、けれど抜くなと厳しく言われてしまったし、泣きながら電話をかけた。剃毛サービスもあるので大丈夫だと励まされて、どうにかサロンまで来ると、この間よりも年嵩で落ち着きのあるスタッフが現れて、個人の体質について配慮の足りない対応をしたと謝罪を受けた。なるほどそもそも自分には向かない処置だったのだとわかりほっとしたのも束の間、慣れた手つきで診療台に寝かされて、毛の流れに逆らうように全身に剃毛用のジェルと麻酔クリームを混ぜたものを塗り込められ、温かいタオルで蒸され、開いた毛穴を更にぶぶぶぶと高速で振動する機械で揺すられ、なんだか気持ち良くなってきたと思った時にはぴゃぴゃぴゃと職人の手つきでほとんどの毛を抜き取られていた。

 びっくりしてつい身を起こすが、出血はもちろんのこと、力任せに毛を引き抜いたあとの毛穴の盛り上がりも一切なく、ただぬるりとピンク色の平坦な膚が露出していた。毛を抜くという行為、少なくとも自分自身がしてきた毛抜きがどれほど乱暴なものだったかを思い知って、これは叱られるのも道理だと納得した。

 その後の処置はいくらかゆっくりになり、スタッフからの声掛けも小まめになった。痛くないか、違和感はないか、これから何をするか、逐一確認を取ってくれる。満遍なく塗布されたジェルを新しい蒸しタオルで拭われ、目元をアイマスクで覆われる頃には、心地よい温度と暗闇のせいで眠気に襲われるほどにリラックスしていた。

 毛を抜くために麻酔クリームを塗ったせいか、少し熱いかもしれないと言われたレーザーの照射もどこに当てられているのかすらさっぱりわからなかった。当然ながら、施術を担当したスタッフに声をかけられるまで、終わったことにも気づかなかった。

「お寒いでしょうから、こちらをどうぞ」

 薄暗いリラクゼーションルームで、用意された温かいお茶を飲んでのんびりしてからサロンを出ようとすると、ふわふわの毛の塊を差し出された。

「えっ、それは……えっ」

 突然のことに言うべき言葉が見つからず、とはいえ驚きを隠すことはできずにおろおろしていると、慌てて釈明される。

「あっ、こちらはですね、施術後のお客様に貸し出しているお店の備品で、コットン100%のフェイクファーコートとなっております。レーザー脱毛の効果が出るのは一、二週間後からなのですが、やはり肌全体に満遍なく施術していますから、なんとなく肌寒さというか、心許なく感じられる方が多く、ご用意しております。お客様の場合、来院してから抜毛しましたので、いっそうそのようなご気分になられているのではないかと……差し出がましいことでしたら申し訳ございません」

 丁寧に頭を下げられて、思わずすぐそばの全身鏡を見る。首から上だけ毛の残ったすべすべの体は、綺麗というより滑稽で、いかにも脱毛帰りといった垢抜けなさもあり、先ほどよりもわずかに引っ込められた位置にあるフェイクファーコートに、ひったくるように手を伸ばした。

「あの、要ります。借りたいです。ありがとうございます……」

 恥ずかしさで声が裏返っている。毛のおかげで真っ赤になった顔を隠せていることだけが救いだ。

「事前の説明が足りておらず大変失礼いたしました」

 サロンのスタッフは、引っ張ろうとするこちらの力に逆らうことなく、落ち着き払ってコートを広げ、スマートに肩にかけてくれた。客の醜態など見慣れているのか、それとも根っからの善人なのか。大した経験のない自分には判別がつかない。ただ、彼我の度量の差だけはわかってますます恥じ入った。

「では、また……」

「はい、次回ご予約が一月半後なので、それまではご自身での処理はお控えくださいね。お風呂上がりなどはできるだけボディミルクでケアして頂けると、皮膚のターンオーバーや毛周期が整ってよりベストな状態で施術に臨んで頂けると思います。気がついた時はぜひ、ケアをしてくださいね」

 にこやかに送り出してくれるスタッフにぺこぺこと頭を下げ、上着のボタンを首元まで留めてサロンを後にした。

 帰宅して主人に膚を見せると、目をすがめてとっくりと検分され、最後にたっぷりの毛に覆われた顔を見つめられた。

「もう生えてこないんだっけ」

「そう聞いています。本当は、本当なのか、わからないけど……終わりのある脱毛だって」

「終わりのある脱毛かあ〜終わっちゃったら最後ってわけだなあ。もう少し慎重に考えてもよかったなあ」

「失敗したでしょうか」

 不安になって聞くと、主人は呑気に首を振った。

「いや、いつかはなんだって終わるんだから、終わりが不恰好じゃ締まりが悪いよ。ちょっと惜しいかなと思うくらいの時に終わらせるのが一番いいのかもしれない」

 その言葉にほっとして、三回目、四回目の脱毛に通った。回を重ねるごとに、新しい毛は生えなくなった。二回目は自宅で処理していくこともできなかった毛が、三回目は明らかにまばらで、おまけに自分でシェーバーを使って刈り取れるのではないかと思うほど芯が柔くなっていた。四回目は更にそれが進み、五回目の今日は、サロンスタッフにも確認をとって、ついに自己処理に手を出した。電源を入れ、身体中探してやっと肘の内側に見つけたほわほわと頼りなく揺れる一本のうぶ毛に振動する刃を当てると、かつての頑強さが幻のように根本からすぱりと切れ、ほわほわと空気をはらんでゆっくりと床に落ちていった。

 ああ、終わるのだと、本能でわかった。

 おそらく今日で、脱毛体験は終わる。永久脱毛など誇張された言い回しだと世間では囁かれているが、終わりは本当にやってくるのだ。

 粛々とうぶ毛の処理をしてサロンに行き、いつもの施術室に通されてレーザーを照射された後、予想通り、次の来院は様子を見てくれと言われた。これまでは必ず、次回の予約を入れてから帰宅していたのに、今日はそれがない。達成感よりも、寂寥感が強いのがなんだか不思議だった。

「これで終わり、と言っていいと思います。おそらく、お客様の肌はもう毛を生成する能力を失っているはずです。ただ、やはり体質によって差異はありますし、我々が見誤っている可能性もありますから、まずは二ヶ月様子を見て頂いて、何事もなければもう一月、またもう一月、そんな具合で半年ほど様子を見て毛が生えてこなければ、めでたく脱毛完了でございます!」

「もし生えてきちゃったら、またこちらに電話すればいいですか?」

「それはもちろん! ご連絡頂ければすぐに対応致しますし、半年後、無事完了したとご報告頂けましたら私どもも大変嬉しく思います!」

 半年。随分先の話だと思いながら、笑顔を作って頭を下げた。そんなことを言ったら脱毛体験に訪れてからもすでに五ヶ月が経っていて、半年を長く感じるのも妙な気分だ。とはいえ、五ヶ月を決めたのも半年を決めるのも自分ではないので、しようがない。結局、皆が皆、華やかな雰囲気を持つサロンスタッフのような主体性は、自分の中に芽生えることがなかった。だからどのみち、終わりで正解なのだと思う。

 帰宅して、サロンで言われたことをそのまま主人に伝えると、そうかそうかと嬉しそうに返された。すべらかになった膚を飽きることなく延々と撫で、時折摘まんでその均質さを確かめては悦に入り、マッサージでもするように少し力を入れて肉を揉んだりする。

「うん、なかなか、理想通り、とてもいい試みになったと思うよ」

「では終わりでしょうか」

「うん、終わりだ。でもせっかくだから、一月くらい終わりを延ばそうか」

 そして主人は光沢のある黒いベルベットを敷いた木箱に私を入れ、『鳥肌の立たないトリ』として暫しの間興行を打った。噂を聞きつけ、興味を持った人の大半が主人に金を払い、私の膚を撫で終える頃、主人は『なめらかシルク肌の丸どりオークション』を開催し、私には体重の四分の一と等しい重量の純金の値がついた。

 翌年、世界動物福祉法と複数の宗教の教義に反するとして様々な団体からの抗議を受けて、鳥肌の立たないトリの育成、殊に食肉としての飼育が禁止されたと、博物館の展示ケースに飾られた私の首に、主人の息子が教えにきてくれた。現在は、複数の脱毛サロンによる『終わりのある脱毛』のイコンとしての利用が裁判で争われているらしい。

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