独白

相原 聖(あいはら きよし)は、よろよろと歩き、青白い顔をしていた。

捕まったという感じはしない。

朦朧として、焦点の定まらない目をしながら何かブツブツと口にしている。

「あの女を、捧げたじゃないか。どうして? 見てくれないの?

 ミコトは、『花』でいたいんだろ?」

願いを込めてしたことが認められず、強く思い描いた願いが叶わない状況に、

理解できないでいる様だ。

捜査用に取り寄せた写真よりも、随分と顔も体もやせ細っている。


しかし、自分が取り調べを始めると、相原は驚くほど流暢に話し始めた。


****************


社会人となって、十数年。

働いている会社は、タワーマンションなどを運営していて給料も、

そこそこ良かった。

認知症の母が死に、晴れて独り身となった。

このタワーの一室を購入し、引っ越し作業をしている最中。

「よお、相原。久しぶりだな。元気か?

 相変わらず、不能の男好きか?」

振り返ると、『菊池幸助』がニヤニヤとこちらをねめつけながら立っていた。

何処から聞きつけたのだろう。

最悪の、偶然の再会。

菊池は、中学の同級生。

こちらが優等生なら、あちらは不良。

とはいっても、力も頭も弱いから先輩たちからはこき使われ、後輩にも

見下されるような奴だった。

痩せぎすな癖に、口達者のお調子者で何故か女が絶えない。

でも、そんな奴に弱みを握られてしまった。

同級生の体操着を盗むところを見られた。

しかも、男子生徒の体操着。

脅しは中学の間続き、菊池が先輩にボコボコにされて入院したあと、

親の都合で引っ越しするまで地獄だった。

解放されて、自分の城も手に入れたのに。

「俺と副業で稼ごうや。

 お前なら、タワーのゲストルームの予約どうにでも出来るだろ。

 そこを使って、『花』を売ろうや。」

地獄の日々の再開だと思った。

けれど、そんな思いを覆す出会いが待っていた。


『ミコト』が部屋に入ってきたとき、この世にこんな美しいものが存在するのか

と思った。

体に電気が走ったかのような感覚。心とともに、体が初めて反応した。


『僕のお人形。いや、僕だけの花。』


自分だけ見ていたい、自分だけ触れたい。

痛い事なんて、絶対にしない。部屋の中に閉じ込めて、愛でていたい。

でも、触れることは許されなくて。

ただ、じっと見つめる事しかできない。

ミコトはあくまで『花』の一人で、誰かに抱かれることで生きていて、

それを受け入れていた。

予約の電話が入るたびに、行かせたくなくて左の親指の爪をギリギリと嚙む。

一度だけ、どうしても触れたくなって出かける直前のミコトを捕まえたことがある。

瞬きさえもったいなくて、食い入るように見つめた。

本当はキスしたかったけれど、許されない行為だと分かっていたから、

寸でのところで堪えた。

ミコトの瞳に涙が溢れそうになっていた。

小動物のように震える姿も美しく、すりガラス越しに飛び出していくミコトを

眺めつづけた。

そんなに『花』でいたいなら、僕が『ミコト』を『花』でいさせてあげる。

僕が、『ミコト』を本当の『花』にする。


なのに、しばらくした頃、ミコトに少しずつ変化が現れた。

時折、ふっと微笑んだり。

花なんか育て始めたり。

表情も、何となく柔らかくなり、美しさに磨きがかかった。

けれど、僕を見る事は無い。

まるで、透明人間のように目を合わせてくれない。

ミコトは、誰かのことを思っているのだろうか。

そう考えると、腹の奥にドロドロとしたものが溜まっていく。

何故? 君は、『花』だろ?

そんな変化が起こると同時に、『花屋』の周辺が慌ただしくなっていった。

誰かが『花屋』について嗅ぎまわっている様だと感じ始めた頃、あの女が現れた。

タワーの住人だと分かったが、ロビーの自動ドアの事で話しかけられて不安を

覚えた。

何となくだが、何かに感づいているとあの目を見て分かった。

それとなく、あの女を観察した。

この仕事に就いている自分に、どれだけ気分が昂ったか分からない。

いつだって、お前を監視できる。

姿勢正しい歩き方をする女を、鼻で笑う。

平日休みの時を狙って、後をつけてみることにした。

あろうことか、女は警察署に入っていった。

警察官だとすれば、嗅ぎまわっているのはあの女で確定だろう。

一度部屋に戻り、勤務時間が終わる頃もう一度警察署の陰から様子を

うかがっていた。

女が出てきたのを確認して後をつけようとすると、若い男が「姉ちゃん」と

呼んでいるのが聞こえて慌てて身を隠す。

若い男に、体術をかけた女。

動きが早い。迂闊には近づけないと思った。

そのあと女は、弟らしき男と並んで歩きスーパーに立ち寄った。

二人が分かれたので、女についていく。

『花屋』のことをどれくらい掴んでいるのだろうか、菊池に話すべきだろうか。

陳列棚の陰から女を確認しようとした。

けれど、ちゃんと見ることが出来なかった。

女が、警戒するように見つめていた。

何事もない様に通り過ぎるのが、やっとだった。

店に居続けるのは危険だと思い、外に出て距離のある所から入り口を監視していた。

女と男が店から出てくるのが見える。

そこに、『ミコト』が現れた。

少し離れた所で、二人の様子を眺めている。ただ、そこに立って。

背中から、悲しみが漂っているようだった。

しばらくすると、『ミコト』が二人を追うように小走りで道を進みだした。

自分もミコトの後を追う。

二人がタワーに消えても、『ミコト』はしばらく動かなかった。

『ミコト』は、あの女のことが好きなのか?

それだけは、許されない。

『ミコト』は、誰かのものになってはいけない。

感情を持たない『花』、なのだから。


『ミコト』が部屋に戻っていくのを見届けると、管理棟へ『忘れ物をした』と

入っていき入居者リストをチェックする。

リストの確認はすぐにできた。

『秋保 幸』の部屋番号を覚えると、すぐに管理棟をでる。

部屋に戻ると、『ミコト』が少し驚いたようにこちらを伺っている。

やはり、目を合わせてもらえない。

リビングのソファーに座り、物憂げに膝を抱えている。切なげで、美しい横顔。

そうして、大きなため息を一つした。

あの女のことを、考えているのか?

怒りが、こみ上げてくる。

『ミコト』に、ゆっくりと近づく。

「すきなひとができたの? だめだよ。君は綺麗なお花なんだから。

 感情を持っちゃいけない。ただ、美しくいるんだ。

 何かあった? 

 もしかして、左に住んでる。あの女?」

『ミコト』の瞳から、何故か涙が零れる。それが、余計に怒りを増幅させた。

「あの女だけは、絶対にダメだ! 絶対に」

「おい、どうした?」

菊池が部屋に入って来たのに気が付かなかった。

『ミコト』がソファーから飛び降り部屋を出て行こうとするのを止めようと

するが、腕を掴めなかった。

そのままバッグを持って、玄関を走って出て行ってしまった。

怒りのままに、ダイニングテーブルを殴りつける。拳にじわじわと痛みが広がる。

「おい、一体何なんだよ。」

菊池が額に皺を寄せてこちらを見ている。

お前の事はどうでもいい。

あの女と、『ミコト』を切り離さなければ。

その時、ソファーに黒い物が乗っているのに気が付いた。

『ミコト』に渡してあるスマホ。

以前、菊池と自分も確認できるように設定したパターンをなぞり、

急いでロックを解除する。

アプリを開き『ともだち』を確認すると、『アキさん』というアカウントが

目に入る。

『秋保』で『アキ』か。

やはり、あの女と繋がっている。

トーク画面には、何度か遣り取りした履歴が残っていた。

「おい! 何だ。説明しろよ」

イライラした様子で、菊池が胸倉を掴んで怒鳴ってくる。

正直、そろそろこいつも邪魔なのだ。

『花屋』は、もうそろそろ止め時だ。

「ミコトが、勝手に仕事をしている。」

「あ? 何だと?」

「ここのタワーの住人と仲良くなったみたい。

 一人暮らしの女。左のタワーに住んでいる。

 最近コソコソしていたから、探ってみて分かった。部屋の番号も調べ済み。

 脅せば、良い金蔓になるかもしれないよ?」

菊池の右眉がピクリと上がる。

掴んだ手を離しながら、ニヤリと笑う。

引っかかった。

菊池は単純だ。『一人暮らしの女』と『金』という単語をすっかり信じている。

確かに女だが、警察官でかなりの有段者だ。

あの様子なら、ガリガリで痩せぎすの菊池などいとも簡単に倒すだろう。

「脅すったって、どうする?」

「これでミコトのふりをして呼び出そう。

 明日の夜にでも。君が持っているそのナイフを見せれば、きっと効果的だろう。

 こういうのは、早い方が良い。


『花屋』の為にも。」

菊池がまた、ニヤリと笑って舌なめずりする。

本当に馬鹿な奴だ。

 

飛び出して行った『ミコト』は、一夜明けても戻らなかった。

連絡を取る手段も無いし、探そうにも見当がつかない。

嫌な夢を見た。昔の自分。

ここで待ちたかったが夜になるまでは、本来の仕事へ行かなければならなかった。

しかし、行くのはやめにした。

上司から、前から取るよう言われていた有休を使う事にした。

これで、ミコトも待てるし準備もゆっくりできる。

着信音が聞こえて、指をスライドさせた。


*************


はっと気が付くと、リビングで眠ってしまっていたらしい。

時計を見ると、午後六時。

ゆっくりと、夜の儀式の為にリュックに荷物を詰めていく。

僕は、何も間違っていない。

だって、『ミコト』は『花』なのだから。

感情を持たず、ただ美しく咲いている。

でももう、『花屋』は終わり。

菊池も処分して、今度こそ僕だけの『花』になってもらう。

そうだ。美しく咲き続けてもらうために、貢物をささげよう。

『ミコト』が育てている水仙。

花を見つめているミコトが綺麗で、誰かを思っているのかと考えると堪らなかった。

それでも、『ミコト』が好きなものを自分も好きになりたくて、ふと思いついて

花言葉を調べたことがある。

その花言葉に、親近感を覚えた。

そうして、自分も「黄色い水仙」が好きになった。

貢物が気に入ってもらえるように、黄色い水仙も持っていくことにする。

これで、『ミコト』も喜んでくれるはずだ。

早めに出て、菊池が来る前にあの場所をもう一度確認しておこう。

リュックを背負い、廊下を進む。

途中、『衣裳部屋』に「いってきます」と呟き部屋を後にした。


あの女を呼び出す為、ミコトのスマホでトーク画面に文字を打ち込んでいく。

そろそろ午後九時。菊池に目配せをし、頷いたのを確認して送信する。

『相談がある。どうしても、今日会いたい。

〇〇町の5丁目にあるビルの裏に来て。』

それだけ送って返事を待った。

スマホが着信を伝えるために震え、画面に「アキ」の文字が浮かび上がる。

それが何度か続いた後、『どうしたの?』と返信が来たが、何も答えなかった。

しばらく沈黙が続く。

『わかった。今から向かう。』

画面に言葉が浮かぶ。

菊池がにやりと笑ったのを、スマホの明かりがぼんやり照らす。

電車が通り過ぎる音が、頭の上を通りすぎていく。

ビルに囲まれた空き地のような場所に二人で立っていた。

以前、会社の土地調査で偶然この場所を知った。

夜になれば人通りも少ないし、囲まれているから人目も気にならない。

これから行うことに、ここほどぴったりな場所はない。

菊池には、別々に隠れて女が来たところを襲おうと話していた。

だが、自分は別の考えを持っていた。

いつか、菊池を脅してやろうとスタンガンを購入していた。

準備も完璧だ。

ここまで、自分が思い描いていた通りに事が進む。

一人、恍惚感に浸りそうになっていた。

だめだ、しっかりしろ。本番はこれから。なのに、どうしても顔が緩む。

菊池にばれない様にフードを深く被った。

 

ビルに囲まれたこの空間には、キャビネットやらの不用品が

いくつか放置されていた。

それぞれ別々に身を隠しながら、あの女の到着を待った。

ゴム手袋をはめ、大きく深呼吸をしながらビルを見上げる。

三十分ほど経っただろうか。

通りから歩いてくる足音が聞こえる。

体を出来るだけ小さくしながら様子を伺っていると、辺りを伺いながら歩く背中が

見える。

ジャケットの脇ポケットからスタンガンを取り出し、時を待つ。

「ミコト君?」

「ミコトなら居ないよ。しかしまぁ、男を買うなんてやるねぇ。

 お姉さん。」

菊池が背後から話しかけると、素早く振り向き軽く睨む顔が見える。

「誰? ミコト君とはどういう関係?」

「まあ。強いて言うなら、ミコトの代理人かな。」

「代理人? 使いっぱしりじゃなくて?」

「口に気をつけろよ。これがみえるだろ?」

ナイフを見せびらかしながら、菊池が女にゆっくり近づいていく。

「あんたもしかして、『花屋』の仲介人?」

「ミコトから聞いているのか?

 客になるかもしれないとはいえ、あいつ喋りすぎだろう。

 まあ、いいや。お姉さん、話そうぜ。」

「あんたと何を話すって? 今はあんたの事なんて、どうでもいい。」

「この、調子に乗りやがって。」

挑発に乗った菊池が、ナイフを手に女の方へ近づいていくと攻撃範囲内に入ったの

だろう、手首を叩きつけナイフを落とすと手首を後ろに捻り上げビルの壁に体ごとぶつけていく。

「ミコト君は何処? それから、あの男は…」

完全に、こちらは̪視界から外れている。

この機会を、逃す訳にいかない。

出来るだけ足音を立てないように小走りで近き、菊池に質問する女の背中目掛けて

タックルをするように肩をぶつけると再び壁に押された菊池の額が壁にぶつかる。

女が苦しそうに振り返りそうになったのを、首筋にスタンガンを当てて失神させた。

菊池と女の体が、それぞれ崩れ落ちていく。

肩で息をしながら二人の様子を確認するも、二人とも気を失っていた。

早く、終わらせなくては。

菊池のナイフを取りに走る。

足蹴りで女の体を仰向けにし、脇に腕を絡ませ引きずっていく。

空き地の中心辺りに体を横たえると、両腕を真横に開かせた。

次に菊池の体をすぐ近くまで引きずり、放置する。

ぐったりとして、まだまだ起きそうにない。

好都合だ、また少し気分が高揚してくる。

念の為、菊池のスマホをジャケットから取ってSIMカードを抜き取り指で

折り曲げた後、地面に置いて画面を踵で何度か踏みつけリュックの脇ポケットに

突っ込む。

背負っていたリュックの上ファスナーを後ろ手で開け、ポケットからゴミ袋を

二枚抜き取ると靴の上から被せて、手首に付けていた輪ゴムで固定する。

儀式のはじまり。

『ミコト』に捧げる、供物を完成させよう。

女の体に上乗りになる。

ナイフを両手で握りしめ、刃先を心臓辺りに当て真っすぐに両腕をあげ、

振り下ろす。

銀色の刃が『ざくっ』と布を切り裂き、そのまま体に吸い込まれていく。

それから、腕を上げ下げする行為だけをずっと続けた。

時々、骨にナイフが当たり腕が痺れてくる。

首元を刺して次は顔もと思ったが、激しい耳鳴りと共に『ミコト』にダメだと

言われた気がした。

『ミコト』がそういうのなら、仕方がない。

他にも、腕や脚が残っている。

場所を変え、また刺し続ける。

じわじわと広がっていく黒い液体が膝を濡らす頃、ようやく全部刺し終えた

と思った。

もう一度、心臓に狙いを定めてナイフを突き立てる。

リュックに手を伸ばし、花を入れていた袋を取り出した。

多少の萎れはあるものの、傷ついてはいないようだ。恭しく両手で包むと、

花弁にキスをして胸の上に横たえる。

「『ミコト』、僕を見てくれるよね。温かい体で、戻ってきてくれるよね。

 ぼくを、愛して。」

直後に、また耳鳴りが襲ったのを堪えた。

ゆっくりと立ち上がり、黒い水たまりの淵まで来ると片足ずつビニールを

外して境界線を越える。

一つのゴミ袋を裏返しにしてもう一方と手袋を中に入れた。

リュックを下ろして替えのズボンに素早く着替えると、それもゴミ袋に突っ込む。

女のカバンからスマホを抜き取りブルゾンのポケットへ仕舞い、リュックに

スマホやスタンガンやら全て詰め込んだ時、菊池が微かに唸り声をあげた。

急いで身を隠すと、菊池が弱弱しく体を起こし目の前の光景に言葉を失っている。

「なんで、こんな。くそ、相原の奴。何てことしやがった。」

立ち上がり、道路の方へよろよろと歩き始める。血だまりを踏んで、

足跡が大量に残されていく。

しかも、頭が働かないらしく、自分の指紋の付いたナイフに見向きもしない。

思わず、顔がにやけてしまう。

お前にしては、いい仕事したな。

菊池の後を追いながら、女の方へ目を向ける。

「『ミコト』に、手を出すからだ。うぬぼれ過ぎだ。

 『ミコト』は、絶対に、渡さない。」

ぼそりと言葉を呟いて、急いで菊池を追いかける。

菊池は、一区画先を相変わらずよろよろと歩いている。

頭振ってみたりしているから、混濁しているのだろう。

今なら、菊池も殺せる。

神様は、どこまでも俺の味方だ。


ゴム手袋を左右に嵌めて機会をうかがう。

相変わらず、人の気配を感じないビル街の隙間を流れる川に差し掛かかる。

菊池は、相当ふらふらするのか橋の欄干に手をついて立っている。

一気に走り、両足を掴み体を持ち上げた。

抵抗する間もなく菊池の体が川に落ちていく。菊池は、根っからのカナヅチ。

バチャバチャと水飛沫を上げているが、暫くすると力尽きたのか静かになった。

そのまま、ゆっくりと流れていく。

邪魔者は、居なくなった。

なんと、気分が良い事だろう。

ふわふわとした足取りのまま歩を進める。

部屋には、愛おしい花が待っている。

そう、愛しい『ミコト』が待っているから。


『警察に電話して。』

また、ミコトの声がする。

電話? 

操られているみたいにスマホを手に取ったが、このまま警察に電話すれば

履歴が残ってしまうだろう。

気にせず歩き出そうとしたが、また耳鳴りが襲ってきて動けなくなる。

『早く、電話して。電話して。電話して。』

と、何度も言うから、仕方なく公衆電話の設置場所を検索する。

思いのほか近い場所にあった。

一一〇を押して待てば、マニュアル通りの文言が聞こえてくる。

「〇〇町の5丁目にあるビルの裏。

 人が殺されています。」

それだけ言って、切った。

さあ、ミコトの待つ部屋に帰ろう。

何とも言えない高揚感と、相変わらず続く耳鳴りを抱えながら部屋へ戻った。


***************

 

「と、いったところです。」

相原は、飄々とそう言ってみせた。

なんという、理不尽な理由だろう。

ただ、自己満足を得るために、この男は確実に二人の人間を殺している。

ただ、『ミコト』の為に。

そのミコトの所在は、確認されていない。

もう、存在していないかもしれない。

秋保巡査長が話していた冷凍庫の使い道を確認しなくてはならない。

「ミコトは、今どこにいる?」

「ミコト? ミコトなら、私の部屋で綺麗に眠っていますよ。

 気が付いたら、僕の手の中でぐったりして。

 あの女を生贄として差し出したのに、一向に目を覚まさない。

 キリストだって、三日後に復活したのに。」

呆れるほど、あっさりと認めた。

それっきり、相原はまともに答えなくなった。

何を聞いても、何も答えない。

「どうしてだろう。お前の物に何てならないなんて言って。

 おかしいよ。ミコト。

 なんで? 愛に答えてくれないの?」

と、只ブツブツと独り言を言うだけ。

虚しい空気が、取調室に漂う。

「ふざけないで。何よ、それ。

 あなたがした事は、只の独りよがりの我儘じゃないの。」

供述を残す為に、パソコンに向き合っていた加納が、ぼそりと呟き、

肩を震わせている。

このまま、何を聞いても話さないと分かっていた。

それから数日、相原は何も語らない。

それでも、取り調べは続いた。


家宅捜索の結果、ミコトは相原の部屋。

リビングの、大きな冷凍庫の中から見つかった。

仰向けで、胸の上で手を組んだ状態。

右の頬には、少女と見違えそうな顔に似つかわしくない、

こめかみから顎までの大きな傷が残っていた。

検死の結果、ミコトは首を絞められたことによる窒息死だと分かった。

相原の寝室からは、血の付いた丸められたラグ。

その他、殺害を示す物が多数見つかった。

結局、相原は三人もの人間を死に追いやった。

理不尽すぎる動機と、悲しい結末。

秋保警部補が、命を懸けて救いたかった命は、やはり既に途絶えていた。


犯人を捕まえたと、利人君に伝えると、

「ありがとうございます。」

そう言って、頭を下げながら、膝から崩れ落ちた。

また、怒りの火種が燃え盛りそうになるのをぐっと堪える。

犯人が捕まったとしても、何も解決はしない。それが、真実だ。

彼の肩に手を置いて、ぐっと掴む。

「姉ちゃん、犯人が捕まったよ。」

丸まった背中から、震える声が響く。

大切な人を、殺された。

今を生きる自分達は、犯人が捕った喜びと、忘れられない闇を抱えながら、生きていく。

ただ、ほんの少しの光に縋りながら。

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