秋保警部補の通夜

次の日の朝、捜査本部へ到着するなり少年課の木村巡査が自分と加納を

呼び止めた。

「ちょっと、お時間宜しいでしょうか?」

「おはよう。大丈夫だ。何か?」

「さっき、署に秋保警部補に世話になったって女子高生が来ていたんです。

『秋保のお姉さんが、亡くなったって本当ですか?』

 って。テレビを見たんでしょうね。

 事実だって伝えたら、相当落ち込んでいました。

『やっと復学する気になって、今頑張っているって伝えたかった。』って。

 親と喧嘩して、一時期たまり場で仲間と過ごしていた時に秋保警部補に

 相談に乗ってもらったそうです。

 両親の所へ一緒に行って、話してくれたとかなんとか。

 秋保さんらしいですよね。

 最後に会った時に何か話したか聞いたら、『花屋って聞いたことある?』って、

 聞かれたらしいんです。

『花屋』については、噂だけは聞いたことがあると答えたと。

『花屋』へ行くには、ある人物に会わなきゃいけないらしくて、

『ミコト』とかいうそうです。

 実際に会ったことがある友達はいないけれど、凄く美人だと噂になっていると。」

「『ミコト』? 偶然じゃないな。溜まり場では、存在しているってことか。

 他には何か話していた?」

「はい。『花屋』で思い出した事があって、少しでも秋保警部補にお礼がしたくて

 署に来てくれたらしいです。

 三か月程前に、帰宅途中にクラスメートが男に話し掛けられて、走って逃げて

 いくのを見かけて心配になって声を掛けたそうです。

『君、綺麗だね。君なら、上手に売れそうだ。花を売るバイトしない?』

 と、言われて怖くて逃げたと。

 三十代くらいのやせ型の男だったと話していたので、念の為、菊池の写真を

 みせたところよく似ていると話してくれました。

 なので、早急にお話ししておこうと…。」

「うん、木村巡査。貴重な情報だよ。

 これからも、そうやって丁寧に話を聞いていって欲しい。有難う。」

「秋保警部補を、僕は尊敬していました。

 あそこまで、子供達に向き合っている人を見たことがありませんでした。

 松木管理官、どうか、お願いします。」

木村巡査が、九十度に腰を曲げて静止している。

数秒後、顔を上げると涙が滲んでいた。

「その情報、無駄にしないよ。」

木村巡査は微かに頷くと、一礼して捜査本部を出て行った。

 

『花屋』というのは、やはり売春グループのことだろうか。

それに菊池が関わっている。

組対課の雪野課長に聞いてみるかと考えていると、その本人が捜査本部に

現れた。


「『花屋』か。俺は聞いたことないが、屋号にはピッタリかもな。

体を花と例えて、時間で切り売りするってか? 皮肉めいてら。」

「菊池幸助が、『ミコト』なんですかね。」

「いや、噂じゃあ美人なんだろ? 恐らく、菊池は勧誘と仲介役だな。

 今んとこ、想像しか出来ねえな。

 前科者リストに菊池の名前は、無い。情報がなさすぎる。

 それにしても、目撃者とか出ないのはなんでだ?!」

怒りに任せて壁でも殴りそうな勢いに、傍で加納が冷や冷やしている。

雪野課長の言う通り、聞き込みを続けても一向に目撃証言などは得られなかった。

現場となったビル街は、夜になると無人化してしまう地域で防犯カメラも

ほとんど設置されていない。

こんな場所を犯行現場に選ぶくらいだから、土地勘のある人物であろうことは

推測されるが、あくまでもの推測の域を出ることが出来なかった。

なぜ、あの現場に行ったのか? どうやって呼び出されたのか? 

疑問点ばかりが増えていく。

合わせて、菊池に関しても同様だ。

犯罪歴を探ってみたが参考人になったことも無く、逮捕歴も無い。

秋保警部補との接点すら見えてこない。

完全に八方塞がりだ。

この頃から捜査員たちにも焦りが見え始め、捜査本部はピリピリとした空気に

包まれている。

少しずつでも捜査が進んでいると、ご家族に言えるほどの状況ではない。

妻を失ったあの時以来の無力感に、打ちのめされそうになっていた。


その日の夜は、予報に反して雨が降り出した。皆の気持ちを表しているような雨。

秋保警部補の葬儀会場へ向かう車にも、弱弱しく頬に張り付く涙の様に水滴が

流れ落ちていく。

葬儀は、近親者のみで行うと事前に連絡があった。

捜査本部からは、自分と加納そして署長と吉田課長で焼香のみさせてもらう

ことにした。

葬儀場の入り口に焼香台が置かれており、どこかから聞きつけた人たちが次々と

焼香を行っていく。

そこには、この場に似つかわしくない服を着た少年・少女達もちらほらと

見かけた。

遺影を確認すると、本当だったと顔を悲しげに歪めていく。

葬儀場の外で傘を差しながら泣いている子もいて、如何に慕われていたかが

分かる。

焼香を終え、吉田課長と子供たちに話しかけてみたが事件当日の情報は

得られなかった。

読経が響く葬儀場内には、菊の花で飾られた祭壇の中心に秋保警部補の遺影が

ライトに照らされている。

警察手帳の写真と同じように優しく微笑む写真を、最前列の席で見上げたまま

動かない男性の背中が見える。

恐らく、秋保巡査長だろう。

何を思っているのだろう。図り知ることはできない。

隣にいた加納が、同じように場内を見ていたたまれないといった顔をしている。

自分も同じだった。

改めて、秋保警部補の遺影に礼をする。

重苦しい空気と共に、署へ戻った。


捜査本部に置かれている遺影の前に立ち、今回の事件の事を考えていた。

『申し訳ない。本当に。』

心の中で、秋保警部補に謝り続ける。

「松木管理官。」

背後で加納の声が聞こえる。

振り返ると、加納と雪野課長が立っていた。

「まぁ、なんだ。三人で、少し呑もうや。幸を、送り出してやろう。

 決起集会も、兼ねて。」

「松木管理官。お昼も食べていませんよね。

 倒れられたら、本当に困ります。」

二人を見て、少しだけ力が抜けた。

確かに、今日は朝も昼も何も食べていない。

無言で頷くと、二人が少し笑った。

署の近くの居酒屋に入るなり、雪野課長がジョッキを四つ頼んだ。

運ばれてきたジョッキを回して、それぞれ手に持つと、ポツンと置かれた

ジョッキに向かって一礼しぐっと飲みこんでいく。


暫くすると、雪野課長が酔ってボロボロ泣き始め、加納が慌てておしぼりを

渡している。

そのおしぼりで鼻をかむ様子を、加納が呆れつつ宥めている。

『明日からまた、犯人を追うよ。』

すっかり泡も無くなったジョッキに向かって誓いを立てる。

落ち込んでなど居られない。

犯人を、逮捕する。

自分は刑事だ。

絶対に捕まえる。

だから、君達も自分に力を貸してくれ。

『美月。秋保警部補。頼む。

自分を、刑事でいさせてくれ。』

横を見れば、泣き止んだ雪野課長と加納がそれぞれジョッキを手にして

待っている。

ジョッキを持ち上げ、軽く押し当て一気に残りを飲み干す。

今日はここでお開き。

けれど、三人とも思いは同じ。

犯人を、捕まえる。

店を出ると、皆何も言わず帰路についた。

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