最後の食事
機動捜査隊所属 秋保 利人巡査長
ツインタワーのエントランス。
誰でも利用できるエリアには、ガラスのテーブルとソファーが
備えつけられていた。
ソファーに座り、左の入り口を見つめる。
司法解剖が終わったと連絡を受け、両親と姉ちゃんを迎えに行く前に
ここへ立ち寄った。
三日前の夜、一緒に飯を食って酒を呑んで。
一昨日の朝に、笑顔で別れたのに。
姉ちゃん、死んだなんて嘘だろ?
左の入り口を見つめながら、三日前の事を思い出していた。
二十四時間勤務後は、いつも無に陥る。
とにかく、車の中で座りっぱなし、運転しっぱなしだから、
当番を終えれば体はバキバキ、お肌はボロボロ。
飯も水分も出来るだけ控えるから、体の要求にこたえるには家に帰っても
早く食べて、早く寝ようとして栄養は偏りがち。
欲を言えば、姉ちゃんの飯が喰いたい。
今回は、窃盗の容疑者を見つけたことで事務処理が入り余計に勤務時間が
長引いた。
今の時間は午後六時半。
とにかく、何か食って早く寝たい。
ふらふらと歩く。
「秋保巡査長、お疲れ様です。」
何やら、声を掛けられたようだ。
「おつかれさまです」とだけ言って署を出ようとしたのに。
「私たちとご飯行きませんか?」
私たち? 見れば、三人の女子たち。一人が、俺の腕を掴んでいる。
うわ、これ、わいせつ罪適用できる?
恐らく、同じ署内の子たちだ。
ごめん、君たちに興味ない。
さて、どうしようかと思っていたら。
「お疲れ様です。失礼します。」
聞きなれた、大好きな声が聞こえた。
首を伸ばすと、いた。姉ちゃん発見!
ゾンビみたいに掴まれた腕を、無理矢理に振りほどいて走る。
「姉ちゃん!」
俺の声に、姉ちゃんが振り向く。めちゃくちゃ迷惑そうな顔で。
毎回そうだから、俺は気にしない。
だって、姉ちゃんと居る方がいいから。
「あんたねぇ、毎回毎回何やってんの?
あの子たち、どうすんの? ちゃんと謝ってきたの?」
「しらん、同僚かもしれんけど、疲れてるのに相手できん。」
「ハァ?! あんたねぇ。絡まれているうちが花なのわかってる?」
何故かこちらを睨みつけるあの子たちに、手を振ろうとする姉ちゃんを
羽交い絞めにしようとして、むしろ後ろに腕を捻られる。
「いってぇ」
姉ちゃんは最強だから、こうされても仕方がない。
「おい、変態。ニヤニヤすんな。また、女の子たち逃げたじゃないの。」
見上げればあの子たちはもう居ない。
これでいい。本当に、俺は興味ないから。
「あのさあ、いい加減彼女でも嫁でも作ってくんない?
シスコン利人って言われるな。」
シスコン? 当たっているからいいじゃん。
「はぁ……。あんた、これから非番? ご飯食べた?」
やっぱり姉ちゃんだ。俺の事、分かってくれている。
「腹減ったし、くたくただよ。姉ちゃんこそ、仕事終わったの?」
『そうだよ』と言いながら、わしゃわしゃと姉ちゃんが俺の頭を撫でた。
「おつかれ、久々に来来軒でも行く?
あ、でも、おでんが食べたい。かも」
「俺は、姉ちゃんと晩御飯食べて、朝に姉ちゃんの味噌汁が飲みたい。」
「はぁ?! あんた、泊まる気??」
「明日の朝飯が、楽しみだな~。」
「てか、替えの下着とか無いでしょ。」
「買えばいいじゃん。」
「あ…。嫌な事思い出したわ。」
「何々?」
「あんたが、泊る時用とかいって引っ越しの時に無駄に置いていった
スウェット上下が家にあるわ。」
「さすが俺。できるわ~。じゃぁ、おでんにしよう?
姉ちゃん。」
「…分かったよ、スーパー寄って帰ろう。」
「俺、荷物持つから。バンバン買って。」
スーパーとドラッグストアが併設された店舗に来ると、姉ちゃんはスーパー、
俺はドラッグストアで買い物をするため別れた。
姉ちゃんはマンションの一室を購入し、両親は『また結婚から遠のいた』と
嘆いていたが、当の本人は結婚する気が全くない為大好きな仕事に邁進していた。
ドラッグストアで買い物をし終わり、スーパーへ入る。
辺りを見渡しながら歩いていくと、姉ちゃんがカートを押しつつおでんセットを
見つめている処だった。
早足で近づき、声を掛けようとした。
でも。
姉ちゃんの視線が、棚が縦に立ち並ぶ方の一点を凝視して固まった。
背中から警戒するような、何故かビリっとしたものが伝わってくる。
急いで傍に駆け寄り、自分も同じ方を見てみたが、買い物に集中している客しか
見えない。
「姉ちゃん? どうかしたの?」
「利人、早かったね。何でもないよ。そういえば、お酒飲むでしょ?
何にする?」
俺の方に振り向いた姉ちゃんは、いつもの笑顔だった。
本当に、何事も無いみたいにおでんセットをカートに入れながら歩き出す背中に
付いていく。
その後は、宣言通り大きく膨らんだ買い物袋を持って部屋へ向かった。
たわいもない話をしながら、二人でゲラゲラ笑い歩いていく。
タワーの自動扉を抜けた少し先で、姉ちゃんは一度後ろを振り返った。
自動扉が閉まっても、振り返ったまま。
また、ピリッとした空気が走る。
「姉ちゃん?」
「ん? ごめん、ごめん。
何か買い忘れた物あるような気がしたけど勘違いだったわ。」
振り向いた姉ちゃんからは、ピリついたものはもう感じられない。
自動ドアの先を見ても、何もない。
違和感を感じ様にも、何もない。
俺を追い越しエレベーターへ進む背中に、付いていくしか無かった。
部屋に着くと、姉ちゃんは早速夕飯の準備を始めた。
俺も手伝うと言ったのだが、
「あんたは呑んだら、動かなくなるから。」
と、先に風呂に入ってくるよう言われてしまった。
「はーい。入ってきます。」
「ゆっくり入っておいで。」
久しぶりの姉ちゃんとの家族らしい会話。
風呂は、既に準備されていた。
スマホアプリ様々だ。
寮のより一周り広い風呂に浸かり、しっかり心地よさを堪能した。
風呂を上がり、リビングに戻るとコトコトと音を立てて温められている鍋と
普段着に着替えて台所に立つ姉ちゃんの背中が見えた。
「温まった? もうちょい待ってね。」
おにぎりを器用に三角に形作りながら、振り向いて声を掛けてくる。
久しぶりの姉ちゃんのおにぎり。
待ちきれずに握りたてを一つ奪ってかぶりつくと、
「仕方ないなあ」とほほ笑んだ。
コトコトと揺れて蒸気を上げる土鍋の蓋を開けると、出汁のいい香りとともに
湯気の中からおでんたちが姿を見せる。
二人して、「「美味しそう」」と口を揃えて出た言葉に可笑しくて笑いあう。
その後は、お互いの近況報告をしながら食事をした。同じ署に居るとはいえ、
顔を合わせることはほぼ無いから、こういう時間はかなり貴重だった。
「そうだ。今度の休みに実家に帰ろうかと思うんだけどさ。
姉ちゃん、最近帰った? 一緒に帰らない?」
「そういえば、正月も勤務だったから帰れてなかったなぁ。
けど、今ちょっと気になる案件があるんだよねぇ。」
「えぇ…、たまには一緒に帰ろうよ。」
「うん…、考えておく。」
こちらを見ずに、少し低いトーンの返事。
あまり、見たことのない表情だった。
ふと、姉ちゃんがスマホを気にしている。
姉ちゃんはスマホを手に取ったが、何もせず直ぐにスマホを置いてしまった。
「誰? 何か気になるの?」
「ん? 最近、近所で知り合いになった子なんだけど、何か気になるんだよね。」
「え。何、姉ちゃん。そいつの事…。」
「何、馬鹿な事言おうとしてる? あたしは、少年課の刑事だよ。
さて、そろそろ食器片づけるか。」
とは言いつつも、何となく慌てている様な素振りだった。
「手伝うよ。」
「いいから、あんたは寝なさい。布団は敷いてあるから。
瞼、落ちかけてるよ。
歯ブラシ、棚に新しいのがあるから使いな。」
確かに、長時間勤務と満たされたお腹のおかげで睡魔が襲ってきていた。
「じゃぁ、おことばにあまえて…」
洗面所で歯を磨き、「おやすみ」と姉ちゃんに声を掛けた後の記憶がない。
布団の温かさと心地よさに、朝までぐっすりと眠った。
翌朝は、トントントンと規則正しい音と漂う味噌汁の香りで目が覚めた。
欠伸をしながらリビングへ向かうとすでにシャツとスーツのパンツ姿に
エプロン掛けした姉ちゃんが慌ただしく朝食の準備をしていた。
「おはよう。姉ちゃん、いい匂い。」
「おはよう。て、いうか肩が重い。危ないから離れなさい。
顔、洗っといで。」
「やだ、卵焼きが出来るの見届ける。」
「何、訳の分かんない事を言ってるの?」
姉ちゃんの肩に顎を乗せながら四角いフライパンを覗き込む間も、
調理の手は止まらない。
卵液を少しずつ伸ばし、器用にくるくる巻いていく。
それを何度か繰り返し、何層もの綺麗な層が出来ていった。
「姉ちゃん、一切れ食べたい。」
「いや、ちゃんと食べれるから。
いい加減重い! はよ、顔洗って来い!」
「いやだ。姉ちゃん、あー。」
鯉が、餌を求める様に口を開ける。
呆れた顔しながらも包丁で薄切りにした卵焼きを菜箸で摘まんで
『ふうふう』と冷まし、口に運んでくれる。
勢いを付けて、口に含む。俺の大好きな、しょっぱめの卵焼き。
「ふふふ。うまーい。」
「満足したら、顔洗ってきなさい。何回言わせんの。」
今度こそ洗面所へ顔を洗いに行く。
戻ると、卵焼きの他に焼いた鮭とほうれん草のお浸し、豆腐とねぎの味噌汁、
炊き立ての白飯が準備されていた。
姉ちゃんの朝ご飯だ。
二人で「いただきます」と手を合わせ食べ始める。
とにかく、『美味い』の一言だった。
がつがつ食べ進める俺を見ながら、姉ちゃんがほほ笑んでいる。
久々の、朝の幸せな光景だった。
お互い準備を済ませると、二人揃ってエントランスまでやって来た。
姉ちゃんは通常勤務。俺は非番。
玄関前で別れる前に、紙袋を差し出された。
「お昼用にサンドイッチ作った。
帰っても、どうせ冷蔵庫に何もないだろうから。
カップ麺ばっかりはだめよ?
寮に戻ったら、せめて掃除くらいはするんだよ。わかった?」
「わかった。ありがとう、姉ちゃん。」
それぞれ、笑顔で別れ別の方向へ歩き出す。
「利人」
後ろから姉ちゃんが俺に呼びかける。
振り向くと、厳しい顔の姉ちゃんがいた。
「父さんと母さん、それと、これからの事。頼んだよ。
じゃあね。」
そう言って、姉ちゃんは署の方へ歩いていく。背中が、少し悲しそうだった。
その背中を、俺は只見送ってしまった。
姉ちゃん、あの時には分かっていたの?
自分の身に何かが起こりそうだって。
確かに、様子はおかしかった。
俺だって、違和感があったのに。
今更、という虚しさと何もできなかった怒りが体中を駆け巡っていく。
拳を強く握って耐えていると、スマホが震えて両親がもうすぐ着くと伝えている。
両親が着く前に、落ち着かなくては。
何度か深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
エントランスの自動ドアが開いて、人が入ってきた。
スマホで誰かと話をしている。
「…はい、今エントランスです。右のタワーでしたよね。
お荷物、お部屋に運びたいのですが…ええ、…では、エントランスに
まずは運びますね。」
業者に見える人物が一旦出ていくと、管理棟の扉が開いて男が出てきた。
エントランスの入口へ歩いていく。恐らく、職員だろう。
右のタワーという事は、住んでいるのか。
その男が何故か、歩いていく途中でこちらに顔を向け、
目を合わせた様な気がした。
歩みを止めずに行ったから、俺の気のせいかもしれない。
また入り口が開くと業者二人と男がかなりの大荷物を台車に乗せて入ってきた。
台車二台を使って運ばれる、銀色に光る長方形の物体。
「それにしても、随分と大きな冷凍庫をお買い上げですね。」
「料理が趣味で、最近良い肉を見つけるとストックしておきたくなるんです。」
それにしては大きすぎないか? と思ってしまう。
どうしてだろう。
冷凍庫のはずなのに、何故か棺桶に見える。
人、一人なら余裕で入れそうな…。
搬入用のエレベーターへ向かったのを眺め、姉ちゃんの引っ越しにも
あのエレベーターを使ったなと思い出す。
今度は、運び出すのに使うのか。
『ピンポン』と到着の合図が響いたので、もう一度エレベーターを見ると
男と、また目が合った気がした。
やはり、俺を見ていた?
手に持っていたスマホが震えている。
一気に、意識が別に飛ぶ。
姉ちゃんを迎えに行かなくちゃ。
ソファーから立ち上がり、両親の元へ向かった。
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