捜査会議
翌日、朝九時 第二回捜査会議。
一夜明けて、捜査員達が集めてきた情報が伝えられていく。
最初に伝えられたのは、秋保警部補と秋保巡査長が事件の前日の夜に
夕食を一緒にとっていたという事。
関係者のアリバイ確認の際に、ぽつりと呟いていたらしい。
つまり、あの部屋にあった男性物の衣類は秋保巡査長の物という事になる。
捜査員の口々からため息が漏れていく。
事件の夜、秋保警部補があの現場へなぜ向かったのかは未だ分からず
じまいだった。
犯人につながる防犯カメラの映像はおろか、目撃証言も得られていない。
ただ、現場に行く前にあるたまり場で声掛けを行っていた事は確認が取れていた。
その近くのコンビニで、荷物を発送していることも分かった。
しかし、その送り状もまた見つかっていない。
秋保警部補の死因は胸に突き立てられていたナイフによる刺殺。
最初に心臓を一突きされての即死。
他に刺し傷が数十か所。
肋骨等に傷があり、刺さりきらなかった傷もあったので、最初の一撃は
偶然上手く刺さってしまったのかもしれない。
右首筋にスタンガンの跡があり、気を失っているうちに刺されたものと
推測された。
刺されていた時には、もう意識は無かった。
ご家族に伝えるのも、憚られるがせめてもの救いになるだろうか。
鑑識の報告から秋保警部補のパソコンに、気になるフォルダが残されていた。
『花屋』と名前だけ付けられた空のフォルダ。
恐らく、秋保警部補が単独で調べようとしていた案件なのだろう。
もう一つ、謎が残っている。
匿名でもたらされた通報。
公衆電話から男性が掛けてきたとみられるが、掛けたとみられる場所にも、
防犯カメラは設置されていない。
秋保警部補の死を、知っている人物。
容疑者に一番近い人物。
通報時の音声を、捜査員全員で聞く。
『はい、一一〇番です。事件ですか? 事故ですか?』
『〇〇町の5丁目にあるビルの裏。
人が殺されています。 ……。』
捜査本部に、男の声が響く。
たった数秒、用件だけ伝えて切れる通話。
しかし、何だろう。妙な違和感。
最後の方で、誰かと何か話した?
勘違いだろうかと顔を上げると、少し離れた席に座る加納が眉間に皺を寄せ
小首を傾げていた。
会議中、一件の情報がもたらされる。
秋保警部補が殺された現場とは別の管轄で男性の水死体が発見されていた。
所持品の財布から、遺体は菊池幸助(きくち こうすけ)という人物だと
判明した。
こちらもまた、スマホは所持していない。
現場から少し離れているが、もしかしたら関連があるかもしれないと
情報共有して調べる事となった。
捜査会議終了の号令が叫ばれると、また捜査員達が急ぎ部屋を出ていく。
今日は、これからが本番だ。
この後、記者発表が行われる。
発表が行われれば、マスコミが大騒ぎを始めるのは目に見えている。
特に、警察官が特殊な殺され方をしたとなれば、普段こちらを見向きもしない
記者たちも動き出す。
こちらが多くを語らずとも、何故か何処からか情報が漏れたり、
根も葉もない噂話が広がっていく。
つい、ため息をついてしまう。
そこに、加納が遠慮がちに近づいてきた。
「加納? どうした?」
「あの、先程の通報の音声ですけど…。」
「うん、それが?」
「切れる直前、通報者が誰かと会話していたように感じて…。
勘違いかもしれませんが…。」
「自分も、そう思っていたよ。誰か、傍に居たのだろうか。」
「鑑識さんに、解析を御願いしてもよろしいですか?」
「うん、頼む。」
「分かりました。すぐにお願いしてきます。」
「加納。」
「はい?」
「同じように感じてくれる人が居てくれて、助かるよ。ありがとう。」
何故か、少しほっとした表情で鑑識へ向かおうとする背中に、
声を掛けずにいられなかった。
自分の判断次第で、事件の解決を左右させてしまう重圧に、時折負けそうになる。
そんな時、少しでも自分と同じように感じ、考えている人が居ると思えるだけで、
捜査に向き合う気合が違ってくる。
そんなことを、思ってはいけない。
分かっていても、自分も人間だ。
思わぬところで弱い自分が這い出てくる。
警察官として生きる自分が崩れそうになる。
きょとんとしたまま立っている加納に、もう一度素直な気持ちを伝える。
「ありがとう。加納が居てよかった。頼むな。」
「はい。」
それだけ言って、加納は捜査本部を出て行った。
頼もしい背中だと見送りながら思った。
記者発表が行われた後、案の定マスコミが一気に増えた。
こちらとしては、捜査して犯人を捕まえるしかない。
窓から門の前に陣取る記者たちを見つめ、改めて気を引き締めなければと
心に誓った。
その日の夕方の会議にて、通報の音声について調べた結果と菊池の情報が
もたらされた。
まず、音声について。
やはり、通報者は最後に誰かと話していた事が分かった。
微かな音声を解析した結果、
『ねぇ…ミコト。これでいい? これで、僕を愛してくれるよね?』
要件を告げ、受話器を置く直前。
本当に囁くように通報者が語りかけた。
通報者と『ミコト』という人物が、容疑者に近づいていく。
ほんの少しの手がかり。
それでも、捜査員の空気が変わる。
次に、菊池について。
菊池の靴底の跡が殺害現場に残されていたものと一致、微かにルミノール反応も
検出された。ナイフの指紋とも一致して、現場に居たものと推測された。
しかし、頭部前方に打撲痕があり脳挫傷の可能性が考えられた。
犯行前に出来たものなら、ナイフで刺し殺すことが出来たのか疑問視する声も
上がった。
また、犯行前後どちらで出来たとしてもどうしてそうなったのか。
そして、あの水仙の花。
なぜ、遺体の上に置いたのか。
結局、謎が増えていくばかりだった。
夕方の会議も終わり、椅子に座りながら、一人窓の外を見ていた。
真っ赤な夕焼けが、そろそろ薄暗くなろうとしている。
秋保警部補。
君の人柄は何となく分かりかけてきたけれど、君が生きていた事実に
どうして近づく事が出来ないんだろう。
気が付けば、捜査本部はがらんとして待機の捜査員が後ろに数人いるだけだった。
そこへ、加納がやって来た。
「こちらに、戻られましたか?」
「うん? ああ、なんとか。」
「今日も、長い一日でしたね。」
「進展があったようで、何も分からなかったな。」
「先程、秋保警部補の通夜が明日に決まったと連絡があったそうです。
今は、ご実家に戻られていると。」
「そうか。分かった。明日。焼香だけ、させてもらおう。」
「はい。」
心が重い。兎に角、動きづらい。
一刻も早く、犯人を捕まえたいのに。
窓の外の闇の様に、全く先が見えない。
待機番の捜査員達に声を掛け、署を出る。
加納とも別れて、一人歩き出した。
空には一番星。少し歩きたい気分だ。
「少しだけ、付き合ってくれないか。美月。」
今は亡き妻の名を呼び、宿泊先のホテルまでゆっくり遠回りすることにした。
途中でもう一度空を見上げれば、丸い月が霞んで見える。
歩くことも出来なくなって、月を見上げながら動けなくなった。
暫く、月を見上げていると
『どうしたの? あなたらしくない。』
聞こえるはずの無い声が囁く。
「一向に進展しないんだ。悔しいよ。」
『大丈夫。今も、進んでる。』
「本当に?」
『ええ、ちゃんと前に進んでいるわ。』
「ねぇ、どうして声だけなの? 俺に、会い来てよ。」
『会いに行ったら、無理矢理にでも私の後を付いてくるでしょ?
そんなの、絶対に嫌よ。
あなたは、警察官として最後まで生きて。』
はっと、周りを見渡すけれど、やはり声の主は居ない。
「美月?」
問いかけても、何も答えてくれない。
また、一人。置いていかれた。
顔が見たかった。
それでも、『大丈夫』の言葉が嬉しい。
久方ぶりに声が聞けただけでも、良しとするしかないのか。
もっと、聞きたかった。
いや、来てくれてありがとう。
再び空を見上げれば、丸く輝く愛しい月。
「今日も月が綺麗だ。」
『それは、貴方と見る月だから。』
聞こえる訳がない。
でも、確かに聞こえた囁きに涙が落ちる。
ありがとう、来てくれて。
ただ空を見上げ、暫く美しい月に見惚れた。
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