狂犬姉弟(きょうけんきょうだい)
組織犯罪対策課長。雪野 龍警部。
雪野課長は、教えられた通り喫煙所に居た。
五分刈り頭に、如何にも柔道をやっていますと言わんばかりのごつい体。
二、三人の男なら襲ってきてもはじき返しそう。組対の課長にぴったりだ。
喫煙所のベンチでタバコを吸う姿は、一種の威圧感さえ放っている。
我々の足音に気づいて、こちらに顔を向けたが一向に立ち上がる気配も
タバコの火を消す気配もない。
すぐ側まで行って、こちらから話かける。
「組対課長の雪野さんですね。管理官の松木です。
少し、お聞きした言事がありまして。」
「狂犬秋保姉弟。まさか、姉の幸がやられるなんて、今も信じられません。
利人が、馬鹿な事しなきゃいいが。」
こちらが何を聞きたいのか、全て承知の上で独り言を呟いている。
簡単には口を開いてくれなさそうだ。
なるほど、癖が強い。
さて、どうしたものかと思案していると。
「あの、狂犬秋保姉弟ってなんですか?」
加納が後ろからひょっこり顔を出して質問している。
それで答えてくれれば苦労しない。
だが、一瞬目を見張った雪野課長が加納の質問に答えた。
「おや、お嬢さんがこんなところで何をしている?
早く結婚して、警察何て辞めちまえ。
なんだって、あれだ、狂犬は、狂犬だよ。」
「あ、私は警察と結婚したのでご心配なく。
それより、狂犬姉弟って?」
「お前さんも、幸と同じ事を言うのか。
でも、それをいう警察官は早死にしそうだからお嬢さんはやめときな。
本当に。
しかし、こりゃ…、参ったな。」
加納が、ヒットを打ったらしい。
五分刈り頭をポリポリと掻きながら、雪野課長は困ったように笑っている。
良く見れば、目が潤んでいるようにも見える。この人も、同じ側の人間なのか。
今なら話を聞いてくれるかも知れないと思いつつ、慎重に質問してみた。
「同じ事というのは?」
「あ? ああ…。『私は警察と結婚しました』ってやつだよ。
幸の口癖でね。あいつ、男どもに結構人気あったんだ。
だから、俺が早く結婚しろって冗談めかして言うとその決まり文句が飛んできた。
その度に、『やめろ』って言った。
くそっ、案の定早死にしちまった。」
「確かに、その言葉は呪いなのかもしれませんね。
同じ言葉を繰り返して、同じく早死にしてしまった人を、私も知っています。
私の、妻ですけどね。」
「松木管理官の? そうか…。」
「秋保警部補の事を教えてもらえませんか。」
「そうだな。幸は、警察官として適材だと俺は思う。
そこらの男連中よりも根性があったし、腹の括り方が違った。
格闘術も得意で、自分よりデカイ奴らを簡単にのしちまう。
利人の方も、あのなりでかなり強くて。
以前に二人でハングレのアジトを制圧しちまったことがあって。
まぁ、そこのところが狂犬って呼ぶ理由なんだが。」
*****************
松木管理官たちに話をしながら、俺はあの時の事を思い出していた。
特殊詐欺グループの居場所の情報が入ってきて、証拠集めと張り込みの捜査が
連日続いていた。
今回は、ハングレとヤクザの両方が絡んでいるらしい。
両方となると、いくつかの拠点を持っていることが容易に想定できた。
場所が特定出来たとしても勘づかれて別の場所に移動されてしまっては
元もこうもない。
慎重かつ早急に行動しなくてはならない。
そんな時、いくつか張り込みをしていた一つが今の居場所だと確認が取れた。
急襲して取り押さえるのが一番だが、他の現場の捜査員を集めるにも
時間がかかりそうだった。
そんな時、思い出したのは『秋保』だ。
二人とも、空手の有段者。
姉の方は、交番勤務時代に起きた酔っ払い同士の乱闘騒ぎに一人で対応して
三、四人いた男どもをあっという間に静かにさせた。
弟は、大会でそこそこ名を残している。
昔やんちゃしていた頃もあるそうだから、戦い方にも心得くらいはあるだろう。
あの二人なら、切り込み隊長にもってこい。
俺は、慌てて少年課と機動捜査隊に内線をする。
運よく、二人とも利用できそうだ。
先に顔を出した利人の方は二十四時間勤務後のこれから退勤する間際で、
急襲の内容を聞くなり微かに嫌そうな顔をしていたが、『姉ちゃん』も来ると
言った途端に『行かせていただきます』と元気に答えた。
利人のシスコンは署内で有名な話で、『姉ちゃん』という言葉は魔法の言葉だ。
ニコニコの利人を待たせ、組対課の入り口前で幸を待っていると、何とも疑い
深げな表情で廊下を当の『姉ちゃん』が歩いてきた。
「お疲れ様です。あの、何故私が組対課に?
何を、させられるのですか?」
「おう、とにかく急ぎだ。お前さんの力が必要だ。中で話しようや。」
「はぁ…。」と、ため息をつきながらも俺に扉を開けてくれる。
しかし、妙な気配を感じたのか一瞬動きを止め、扉の中へ顔を向ける。
「姉ちゃん! 一緒に現場に行けるって!」
扉の奥には、ウエルカムとばかりに両腕を広げて満面の笑みで待っている弟が居た。
瞬時に無言で扉を閉める姉。
「あれは、何です?」
「おう、切り込み隊長にはお付きの番犬が必要だろ? だから、準備してみた。」
「切り込み隊長と、番犬って…。」
ドアノブを押さえながら、何とも納得できない表情で俺を見る姉。
扉の内側では弟が扉を閉められてドアノブをガチャガチャ、ドアをドンドン叩き
何か叫んでいる。
「あれ~? 姉ちゃん、何で閉めたの? ね~、姉ちゃんてば! 開けてよ~。」
「あーっ! もう、うるさいっ! 黙れ。それから、署内では姉ちゃんと呼ぶな。
秋保警部補でしょうが、秋保巡査長!」
ドアを開けながら怒鳴りつける姉を見て、『ごめんなさい』と言いながら
ニコニコ笑顔の弟が今にも姉に抱き付きそうになっている。
するりと後ろへ回り左腕を一瞬にして後ろ手に捻り上げ、『馬鹿なのか』と
怒りの形相で姉が睨みつける。
腕を捻り上げられても、弟は嬉しそうにされるがままになっている。
急襲の準備に追われる捜査員達が、呆気に取られて二人を見ていた。
我に返った姉が、『すみません』と方々に頭を下げる。
俺は、数秒動けずにいた。
机が並び、通り過ぎるのもやっとの狭さを、あの動きで対応するのか。
俺は、『秋保 幸』の動きに見惚れていた。
急襲に向かう捜査員達が一つの机を囲んでいる。
机の上には、急襲場所に付箋が張られた地図。
この頃までには、強面の捜査員達がかなりの数戻って来ていた。
「突入に関しては、秋保警部補と巡査長に頼む。
各自は、その後を着いていくものと入口で待機するものに別れろ。
では、皆た…」
「あの! すみません! 着替えに十分下さい。」
姉が、右手を挙げて俺の言葉を遮る。
強面の捜査員達が、睨みを利かせる。
しかし、姉の方は全く気にしていない。
「なんでだ。一分一秒でももったいない。そのままでいいだろう。」
「切り込み隊長を任される。
どうせなら、利人と同じような服装にしている方が入りやすいかと。」
「何か、案でもあるのか?」
「例えば、求人があると聞いたと話して二人で入ります。
アジトと確認し、二人でグループを追い詰めます。
外に逃げる場合がありますので、入口と裏口、窓側を囲って頂けると
ありがたいです。
実際の現場を確認できれば、証拠もあがり逮捕により繋がります。
その為には、このスーツ姿は合わない。
如何です?」
利人の服装は、襟の無いジャケットにTシャツとジーンズのカジュアルな服装。
対して、黒のスーツに白いシャツの幸。
確かに、この二人が一緒だと少々違和感がある。
他の捜査員達が、不満そうな顔をしながらも『確かに』と呟く。
「分かった。十分だぞ。」
「ありがとうございます。利人、車頼む。」
「はーい。了解。」
「はい、でしょ。」
「よし、他の者も行け。頼むぞ。」
捜査員達が続々と扉を抜けていく。
組対課の片隅にある神棚に手を合わせる。
自分も、玄関へ急いだ。
玄関に着くと、警察署に似つかわしくない女が玄関前で車を待っていた。
何の用だと、睨みを利かせるが当の本人は全くこちらを見ない。
わざとか?
立番に目を向けると、ぽーっとだらしない顔をしてその女を見ている。
こちらに向かせようと手を伸ばすのと同時に、その女が振り向いた。
最初は、全く気が付かなかった。先程とは、雰囲気が大分違う。
俺に、『どうです?』と、女が首を傾げながら両手を軽く広げた。
『幸』が、腰に手を当てて立っている。
着替えると言っても、本当に動きやすい服に着替えるくらいに考えていた。
しかし、今目の前に居るのは一見して刑事には全く見えない女。
襟元を落とし気味に着ている薄いブルーの大きめのGジャン。
胸元が大きめに開き、白い首筋と胸の谷間が覗くタンクトップ。
思いのほか、凹凸を感じる胸。
首元にはやや太めの銀のネックレス。
太めのパンツの裾をごつめの編み上げブーツに入れ込んでいる。
先程は下がっていた髪が、高い位置で結ばれている。化粧も濃くなっている?
俺も、『秋保 幸』から目が離せなかった。
柄にもなく、俺は顔を赤くしていた。
一台の車両が、玄関前に止まる。
「姉ちゃん! 露出し過ぎっ! せめて、上着のボタン留めて。
襲われそう。」
「おバカ、これくらいしないと年齢誤魔化せないの。
あんたが、守るんだよ。分かった?
課長、お先に向かいます。」
秋保姉弟を乗せた車が、門から出ていく。
他の捜査員達も続々と向かっていく。
俺も最後の車の助手席に乗り込み、現場へ向かった。
事前に調べておいた現場周辺の駐車場に分かれて車を停める。
無線で連絡を取り合いながら、徐々に現場に集結しつつあった。
秋保姉弟は、既にアジトの目の前。
無線から、姉弟の会話が聞こえてくる。
『利人、これ。』
『ん? ありがと。なんで、ガム?』
『ガムを噛んでいると、信用されやすい。根拠ないけど。』
『へ~。姉ちゃんが言うなら、そうだよ。』
聞いていて、何故かイライラしてくる。
隣の捜査員も、何とも言えない顔で待機している。
俺だけじゃない。それだけで胸が軽くなる。
そうじゃない、勝負はここからだ。
『インターホン鳴らします。』
微かな息遣いの様な、姉の声が聞こえる。
無線機は部屋に入った時点でばれてしまうから、二人は付けていない。
ただ、音声だけはこちらに伝わる様にしていた。
体を調べられなければよいが。
『ピンポーン』
返事はない。
『ピンポーン』
出ない。警戒されたか?
『どちらさま?』
『あ、ここでバイト募集してるって聞いたんで来てみたんですけど。』
『は? 何のこと? バイトなんて…』
『あー。三木さんていう人が、教えてくれて。
おかしいなあ、ここじゃ無いっすか?』
『…。ちょっと待って。』
暫くの沈黙。緊張が走る。
三木はこの特殊詐欺のトップと思われている人物だ。
何かあった時の為に、事前に弟に教えておいた。
着いてから玄関に背中を預けて中を伺っていた姉が、利人に目配せし頷く。
利人が頷くと同時に、玄関が開いた。
ドアを開けるなり、姉の胸の谷間を凝視する男。
男が、胸から視線を外さすに言う。
『二人とも? 彼だけじゃなくて?』
『そう。昨日、飲み屋でやけ酒してたの。
そしたら、偶然三木さんと会って、いいバイト紹介するって言ってくれて。
しかも、弟もおいでって。
だからぁ、来たんです。面接だけでも?』
『へぇ、いいよ。入りな。』
『ありがとうございます~。』
『おっと、二人ともスマホ出しな。』
二人は、それぞれスマホを手渡す。
けれど、それはダミーだ。
スマホを渡したからか、ボディチェックをされることは無かった。
しかし、ここで問題が発生した。
弟が玄関を入ろうとせず、立っている。
姉が、聞こえないひと声を掛けた。
やっと、弟が玄関へ行っていく。
弟を引き寄せ中に入る際、背中をさすっていた。
大丈夫か? 緊張が走る。
そして、二人がドアの中に消えると『ガチャリ』と玄関の鍵が閉まった。
『さてと、面接するわ。とりあえず、廊下進んで。』
『ありがとうございます。あぁ、ごめんなさい。』
『何?』
『トイレ借りてもいいですか? ちょっと、緊張しちゃって。』
『あ~、じゃあ、そこだから。
男の子の方は廊下の先に進んで。別々で面接するから。
おい、この子頼む。』
『また、後でね。』
パタン。 扉が閉まる音がする。
『はぁ』と無線からため息が聞こえる。
ガサゴソと音がして、静寂が訪れる。
『潜入成功。暫くは、様子を見ます。』
かなりの小声で無線が響く。
すると、ガチャガチャと金属音が聞こえてきた。ドアノブを動かす音だろうか。
『何で開かねえんだ。なぁ、面接しよう。
俺と良い事しよ。俺の相手すれば、金は弾むよ。
ほら、開けなって。』
『ちょっと、まって下さい。もうすぐ、準備できますからぁ。』
『準備って何だよ。必要ねえだろ。』
『現場確認完了。』
弟の感情のない声が聞こえる。
その声を合図に、ドタバタと騒がしい音が聞こえてくる。
ドタバタと言う騒音が合図だったのか、ドンッ、という音が聞こえ、
『痛てぇ。何すんだ。糞アマ。』
『はい、おやすみなさい。』
バタンという音の後は、廊下を走る音だろうか。
微かにカチャリと金属音がする。
バタバタと足音がして、『この野郎』と叫ぶ野太い声が聞こえてくる。
中で大立ち回りが繰り広げられている様だ。
『利人、どうなっている?』
『あと、こいつらだけ。そいつ、気を付けて。
姉ちゃん、何もされてない?』
『されてないよ。鍵、開いています。』
「玄関前、突入。他は待機。」
突入していった捜査員が目にしたもの。
廊下で倒れている最初の男。
廊下の突き当りにあるリビングの一角に集まり、震えている数人の集団。
廊下の男と同じように倒れているハングレの男たち。
ナイフ片手に襲ってくる男の腕をGジャンで押さえつつ、腹に蹴りを
喰らわす姉。
自分より大きな筋肉男の顔を殴り、膝蹴りをお見舞いする弟。
二人以外の捜査員が、暴れるハングレに手を掛けることは無かった。
実質、十数人程度いたこのマンションの人間が、たった二人に制圧された。
リビングに到着すると、弟は掛け子の見張り。
姉は、リビングの横にある寝室に居て、ここに囚われていた少女に話かけていた。
少女は、ベッドの上にいて男性物のシャツしか着ていない様だ。
片足が、足枷され金属製のベッドに繋がっている。
目は虚ろで、焦点が定まっていない。
秋保警部補が、体を抱きしめている。
「ごめんね。遅くなって。ごめんね。」
虚ろな目から、涙が流れ出す。
「遅くなって、ごめんね。」
ついに、少女が声を上げて泣き出した。
自分の上着を掛けながら、幸が叫ぶ。
「毛布下さい! 救急車の手配も!
それと、ピッキングでも、鋸でもいいです。早く、何か道具を下さい!」
一人の捜査員が、小さな鍵を差し出す。
奪い取る様に手にした鍵を足枷の穴に差し込み外していく。
足首に青黒く跡がついている。
毛布が届けられ肩に掛けられる。
立つのもやっとな位細い体を支えながら、少女の許可を取り、
もう一枚の毛布を頭から掛け周りを見せない様部屋を出ていく。
「おい、何ほっとしてんだ。お前らもあの子を壊したんだろう。」
リビングから、声が聞こえる。
リビングに戻ると、掛け子として集められていた男たちに、利人は鬼の形相で
語りかけていた。
捜査の為、全ての部屋の扉が開け放たれている。
泣き声と姉の言葉を聞いて察したのだろう。
「とぼけても無駄だよ。業績が良ければ自由にしていいって、言われていたんだろ。
ここの幹部だけじゃない。お前らも同罪だ。罪状が増えるぞ、覚悟しろ。」
「だって、それしか発散する所がないから。
俺らだって、ここに閉じ込められている被害者だよ。」
一人が発言すると、皆一様に頷く。
「俺ら、これでも一生懸命がんばったよ?
生きようって、頑張ったよ?」
虚ろな表情の一人が、訴える。
「お前ら、なぁ。それで、あの子を壊していいのか?
そんな権利、お前らには無い。」
「刑事さんには、分からないよ。俺らの気持ちも、苦しさも、全部。」
利人は、拳を握りしめて耐えている。
堂々巡りの会話は、聞いているこっちも虚しくなってしまう。
そこへ、幸が戻って来ていた。
利人を宥めるように『帰ろう』と呟いた。
利人は、納得していないのだろう一歩前に出た。
その怒りを鎮めるように、幸が利人の手を握る。
利人が答える様にその手を握り返すと、二人でリビングを出ていく。
俺は、二人の背中を見守るしかない。
二人の絆を、見せつけられた気がした。
諸々を終えて署に帰り、捕まえた幹部たちの取り調べが始まっていた。
三木についての情報もちらほらと上がっている。
タバコが吸いたくなって裏口へと急ぐ。
裏口へ繋がる曲がり角の先、毛布を持って廊下を歩く利人の姿が見えた。
もう既に夕方近く。
帰っていいと、言ってあったはずだ。
どこへ行くのかと後を着けると、そこは第二の仮眠室と呼ばれる
裏口近くの階段下にひっそりと備えられているソファーだった。
そこには先客が居た。
角からじっと見ていると、先に眠っている人物の隣に座った。
じっと見つめほほ笑み、恭しく先客を横抱きにして自分の膝上に両足を乗せ、
頭を自身の右肩にもたれ掛けると、毛布を大きく広げて掛けながら
自分の腕の中に隠すようにして眠りについた。
毛布の下の人物は、姉の幸だ。
あの後少女を病院へ送り届け、他の捜査員に怯えない様につきっきりで
側にいると聞いていた。
別の少年課の人間が後で引き継ぎに行くと聞いていたから、引継ぎが終わり
署に戻って気が抜けてしまったのかもしれない。
二人の姿を見て、妙に美しいものを見た感覚に陥った。
この二人の間には、誰も入り込めない。
でも、この二人の事をずっと見守っていきたくなった。
だから、俺は秋保姉弟に別名をつけた。
狂犬秋保姉弟
そうして、事ある毎に組対課に来いと言ってきた。
もちろん、本心じゃなかった。
もう、二人でいる姿を見ることは出来ない。
神様っていうのは、本当に残酷なことをするもんだ。
そうして今度は、別の兄弟の様な二人が俺の話を聞いている。
***************
「俺が狂犬姉弟って言ったのをきっかけに、署内に一気に広まっちまって。
幸の奴に随分と睨まれたよ。」
「秋保警部補って、良くもし悪くも人目を引いちゃう人だったんですか?
少年課の課長さんは苦手って。」
「加納。」
「でも、本当の事じゃないですか。」
「なんだ、吉田のおばはん。まだ、根に持っているのか。」
「県警本部への異動の話?」
「あぁ、そうだよ。あのおばはん、会ってみてわかったろ?
捻くれちまっているんだよ。
まぁ、苦労してきたことは認めるけどな。
県警本部への異動は上を目指す奴らなら喉から手が出るほどの出世の近道だ。
お嬢ちゃんの言う通り、人目を引いてたかもな。
吉田のおばはんだけじゃなく、目障りに思っていた奴は他にもいた。
でも、『秋保 幸』は出世に本気で興味が無かったんだ。
警察官として、本気でガキどもに寄り添っていた。
その真っ直ぐさが、今回の事件を引き寄せたってんなら、この世は終わりだな。」
五分刈り頭を撫でながら、深いため息をつくのを見ながら思った。
真っ直ぐに生きている人間ほど、早く死んでしまう。
妻も、秋保警部補も死んだ。
しかも、他の誰かの手に掛けられて。
また、心を重い何かが覆いそうになる。
加納の心配そうな視線に気づいて、深呼吸を一つした。
「雪野課長。秋保警部補は最近何かについて調べている様子は
ありませんでしたか?」
「ハングレが絡んだ売春かい?」
雪野課長の目が、ギラリと鈍く光る。
「よく、何か情報はないかって、来ていたよ。
けど、イマイチな情報しか上がってこなくてな。
今じゃ、誰かと連絡取るなんて簡単にできちまうだろ?
そうなっちまうと、俺らも犯罪のしっぽを掴めねえんだよ。」
もう一本の煙草に火をつけながら、雪野課長が渋い顔で話す。
加納が首を傾げながら呟いた。
「それにしても、どうして秋保警部補はそこまで一生懸命なんでしょう。
昔、何かあったんでしょうか?」
「さあな、俺も詳しく聞いたことはないな。
ただ、性犯罪自体を本当に憎んでいた。」
雪野課長が吐き出した紫煙が、もやもやと広がりながら冬空を上って消えていく。
何故か、雪野課長の悲しみが形になって見えているようだった。
これ以上は、聞き出せることはない。
そう判断して加納と二人、雪野課長に一礼して喫煙所を後にした。
たった一人の別れの会を、これ以上邪魔しちゃいけない。
裏口から署内へ入る手前で振り返ると、膝に肘をつき項垂れる雪野課長が見えた。
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