少年課
その日、秋保 利人巡査長と話すことは叶わなかった。
捜査会議を中断させたことに加え、上司の命令にも従わなかった為、
頭を冷やせと今日は返されたらしい。
あれだけ暴れてしまえば、確かにこの場に留めておくことは得策では
ないだろう。
明日は通常勤務の予定だったが、このまま勤務させては独自に
捜査しかねないと刑事課長がこの事件の捜査が終了するまで内勤業務の
指示を出していた。
署内に居させた方が監視しやすい。
話を聞くのは、明日以降にしよう。
さて、それでは誰に話を聞くべきか?
ここはまず、直属の上司と同僚に話を聞くことにした。
少年課長。吉田 百合警部。
「秋保警部補。実に優秀でした。
明るくて、竹を割ったような性格というのでしょうか。
彼女が居るところでは、いつも笑い声が聞こえたように思います。
コミュニケーション能力も高く、署内外の様々な人間と情報を
共有していたようです。
少年課の場合、対するのは少年少女です。
彼らの好みや、最新の情報を得るのも得意。
それ故に、彼らのコミュニティに入り込む能力はずば抜けていました。
彼らは大人を信用していない場合が多い。
我々が何か月もかけて作り上げる信頼関係が、彼女なら数日でした。
勤務終わりや非番の日などに街を歩き、声掛けを行っていたようです。
事務処理能力も高くて、彼女に助けられた同僚はかなり多いんじゃ
ないでしょうか。」
吉田課長がデスクに残っていた数人に顔を向けながら言うと、
皆一様に咳払いをした。
吉田課長が溜息をつく。
顔に何とも言えない不快さが浮かんでいる。
これは、一体どういう感情だ?
自分の中に何かしらの疑問が生まれる。
「それでは、課内での関係は良好だったという事ですね?
捜査会議の時に来ていた職員が多いのも頷けます。」
「そうかもしれません。
でも、私は、彼女が苦手でした。」
思わず眉間に皺を寄せってしまった。
誰も、聞かなかったふりをしている。
「秋保警部補が、貴女に何か?」
「いえ、そういう訳ではありませんが。
けれど、性被害や売春などの性犯罪に関わった子供たちへの思い入れが
強すぎる傾向がありました。
以前、女子高生が複数人に性的暴行を受けた事件がありまして。
家に通い詰めて犯人の情報を聞き出したのはいいのですが、単独で動いて
犯人を逮捕しました。
犯人グループに相当な暴力行為を行って。
私としては上司にも相談せず、行き過ぎた行為だとして処分を受けて
もらいたかったのです。
けれど、犯人グループが他にも複数の事件に関わっていたことで
大手柄の案件になってしまいお咎め無しでした。
プライベートでも、子供たちにかなりの時間を割いていたようです。
個人的に行っていることに口を出すことは出来ませんが、入り込みすぎることが
刑事としての本質からずれている気がしていました。
正直、客観的に考えられなくなっているんじゃないかと危惧していたんです。
そうしたら、今回の事件です。
私の心配が、当たってしまった。
県警本部への異動の打診もあったのに、現場に居たいからなんて
辞退したりして…。」
課長が、両手で顔を覆っている。
何だかんだ言って、吉田課長も彼女を信頼して期待もしていたんだろうか。
ふと、違和感を感じた。
加納が、眉根を寄せてその姿を見ている。
それは、もう疑いしかない顔で。
顔を上げた吉田課長が、「すみません」と言いながら指で涙を拭っている。
落ち着いたのを確認して、質問してみる。
「秋保警部補の事で、最近特に気になったことはありますか?」
「そうですね…。最近、若者たちが集まる場所が数か所出来てそちらを
よく見まわっていたようです。
家出をした子供たちがそこで仲間と夜遅くまで集まったりしているんですが、
騒音問題だったり、犯罪に巻き込まれる可能性が高いので私達も注視しています。
ここ最近は、ご存じの通りそんな子供を食い物にするハングレもおりますから。」
「実際に、ハングレが動いている様子は?」
「まだ報告はありません。
けれど、秋保警部補はその動きに感づいていたのかもしれません。
ねぇ、木村君。何か、聞いてない?」
デスクでパソコンと睨めっこしていた木村という男性が、呼ばれて飛び跳ねた。
「はい?! あ、すみません。
木村と申します。秋保警部補、ですか…。
特に何も…。あぁ、組対さんにはちょくちょく顔を出していたんじゃないかと。
それこそ、ハングレの動きを知るなら組対さんですし。雪野課長もいるし。」
「あぁ、雪野さんか…。」
吉田課長が、渋い顔をする。
「雪野課長というのは?」
「うちの署の組織犯罪対策課課長です。
秋保警部補だけじゃなく、秋保巡査長もお気に入りで可愛がっていました。
組対に引き抜きたかったようで何度も口説いていたみたいですけど、
二人にまた断られたって愚痴ってきていました。」
「あっ!!」
「ちょっと、何、木村君? びっくりするでしょう。」
ここにいる全員が、驚いて木村を見る。
「あぁ…、すみません。思い出したことがあって。」
「どんなことかな?」
「最近、そのたまり場の方で気になる噂が出ているらしいんですよね。
詳しくは聞いてないですけど。
この前、独り言で『これ、もしかして』とか難しい顔していたなって。」
「何か掴みかけていたって事だね?」
「すみません。本当に何も聞いてなくて。」
「いや、小さな事でも今は大事だよ。」
木村が、肩を落として小さくなっている。
私が声を掛けると、顔をあげて微笑んだ。
「松木管理官、組対の雪野課長とお話されますか?」
一緒に話を聞いていた加納が聞いてくる。
「そうだな、そうしよう。今から行ってみるか…。」
「それでしたら、今課に居るか聞きます。」
吉田課長が内線で組対課へ連絡を入れてくれる。
少し話した後、受話器が置かれる。
「課には居ない様ですが、署内には居ると。
恐らく喫煙所でしょう。今に似つかわしくないヘビースモーカーですから。
お気を付けください。かなり癖が強いですし、何より煙臭いですから。」
「ありがとうございます。では、失礼。」
深くお辞儀をする少年課一同を後にして、喫煙所へ向かう。
「吉田課長、秋保警部補に嫉妬していたんでしょうね。
それも、相当強いやつ。こわ。」
喫煙所へ向かう道すがら、加納が変な事を言い出した。
「嫉妬? どこが?」
「話を聞いていて、何て言うか。部下を失った悲しみ何て微塵も無くて、
自分は認められていないっていう卑屈な感情しかない。
秋保警部補が苦手だって言っていましたし。
秋保警部補が、誰かと笑い合っているのも羨ましかったんじゃないでしょうか。
あ、それと県警本部の異動の話とか。何となく。
『年下のくせに…。自分は、選ばれなかったのに辞退するとかありえない』
みたいな。
女性警察官が所轄から認められるとか、ほぼない事ですし。
女性警察官自体が、未だにこの男社会で認められることは難しいから。
でも、そんな人が少年課の課長とか大丈夫でしょうか。
そんな人の事、大人だって信用できませんよ。」
あの違和感はそれかと今更納得する。
皺が深く刻まれ、苦悩を貯めこんだ吉田係長の顔を思い出す。
そんな嫉妬が、彼女の中に蠢いているのか。
「加納には適わんな。いや、女性の気持ちなんて自分に分かるわけないか。」
「それは、そうですね。ま、簡単に分かられても困りますけど。」
加納が楽しそうに半歩後ろを付いてくる。
時々思う、全てではないが女性という生き物は怖い。
長い廊下を抜け、裏口に通ずる白い扉から喫煙所のある外へと出た。
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