雪中花

ゆーすでん

遺体発見

 薄暗い道を、車が進んでいく。

 現場へ向かう車の中では、いつも緊張感と抑えているはずの怒りが顔を出す。

 捜査一課の管理官が現場へ向かうという事は、殺人事件が起きたという事。

 殺された人が居るというだけで、沸々と怒りが湧いてくる。

 事の発端は、公衆電話からの匿名の電話。

「〇〇町の5丁目にあるビルの裏。人が殺されています。」

 密告者の男は、それだけ言って切った。


 担当署では、特別捜査本部の準備が進められているだろう。

 窓を流れる景色を見ながら、思わず眉間に皺を寄せると運転手の加納が

 声を掛けた。

「大丈夫ですか? もうすぐ現場に着きますけど、頭痛薬でも準備しますか?」

「いや、大丈夫だ。鏡も見ないで、なんで分かる?」

「松木管理官、気付いていないのですね。物凄く大きな溜息をついていました。

 いつもみたいに、静めているのかなって。」

 付合いが長くなると、こんな阿吽の呼吸に似たものを感じられるから不思議だ。

 前方へ目を向けると、ブルーシートやら規制線を示す黄色いテープ類が

 見えてくる。

「松木管理官、着きます。」

 加納の言葉を合図に停車した車のドアを開け、人ごみを進む。


 ここはビル街。

 今の時間帯は人気もまばらだが、やはり野次馬はどこからでも湧いて出る。

 加納を呼び鑑識に野次馬のデータを残すよう指示を出すと、規制線へ進む。

 よく見ると、歩道の上に血痕の付いた足跡が奥から手前へ伸びて途中で

 消えている。

 線の奥、一課の人間が待機しビニールカバーを渡してくれた。

 カバーを付け足跡などに気を付けながら規制線をくぐると、待っていた捜査員が

 耳打ちをした。

「今回の被害者、警察官のようです。」

 捜査員に目線を合わせると、間違いないというように頷く。

 一先ず、現場へ向かい確認しなければ。

 警察官という単語が、歩みを遅くする。

 入口から続く足跡に注意しつつ、鑑識や捜査員達とすれ違いながら

 ビルに囲まれた袋小路のような場所に出る。

 四方をビルに囲まれ、ここだけ時間が止まっている様だ。

 見上げれば、真上に朝焼けの空が四角く見える。

 目線を下へ進めると、何故かそこにあるキャビネット類やコンクリートの

 隙間から生えた雑草が共存する不思議な空間の中心に異様な光景が出現していた。

 黒い大きな水たまりの中に、黒い十字架。

 その十字架にビルの隙間から、うっすらと朝日が差し込んでスポットライトの様に 

 照らし出す。グレーの景色に色彩が戻って来る。

 赤黒く、いびつで巨大な水たまり。

 水たまりの上には、女性の遺体。

 明らかに誰かにそうされたと分かる様に、左右の腕が横に開かれ

 十字型になっている。

 瞳を閉じて眠っているように見える青白い顔以外、白いシャツ、

 上に向けられた掌やパンプスから見える足の甲まで全て赤黒く染まっている。

 心臓の上にはナイフが付きたてられ、その横には縦のラインを彩るように

 球根が付いたままの黄色い花が一輪乗せられている。

 惨たらしい光景のはずなのに、何かのオブジェでも見せられているかの様に

 目が離せなくなっていた。

「水仙…、雪中花。しかも、全て黄色。」

 後から来ていたらしい加納が、ぼそっと呟いた言葉を聞きながら意識を戻す。

 被害者に手を合わせ、捜査本部を正式に設置する旨の指示を出す。

 ある捜査員が、脇に落ちていたというビニール袋に入った警察手帳を持ってきた。

 写真を確認すると、丸顔の何とも優しい笑顔で写る女性警察官だった。

『秋保 幸(あきほ さち) 』

 名前を確認して、もう一度手を合わせる。

「所轄へ移動するぞ。」

 再び来た道を戻り、車に乗り込む頃にはカメラを持った人物が増えていた。

 マスコミにはバレていないだろうが、時間の問題だろう。

 内も外も騒がしくなる。

 警察官が殺されたとなると余計にマスコミは騒ぎだす。

 人が殺されたことは同じなのに。

 

 警察署の前に車が到着すると足早に署内へ入り、署長と合流する。

 捜査本部となる会議室へ向かう道すがら、廊下を通り過ぎようとした時だった。

「ねえちゃん! 何で、なんで、だよぉ! 誰がやった! 俺がぶっ殺してやる!」

 馬鹿でかい声が廊下まで響き、ドカンという金属音まで聞こえてくる。

 仲間内で抑え込んでいるのか、怒号が響く。

 署長が慌てて、刑事部と札が付いた入口へ走っていく。

 暫く立ち止まり、騒ぎが収まるのを待つ。

「秋保! ここで暴れてどうするっ! 気持ちは分かるが、落ち着け! 

 お前は、刑事だろ! 警察官なら犯人は、捕まえる。一択だ。

 分かったかっ!」

 上司の一喝が効いたらしい。

 男性の号泣が廊下に響いてくるが、先程の騒がしさは落ち着いたようだ。

 今、『あきほ』と呼ばれていたか?

 刑事部から出て来た署長が、近づいてきて耳打ちしてくる。

「大変、失礼いたしました。

 今回の被害者である秋保警部補には弟がおりまして、機動捜査隊に

 所属しております。」

 姉と弟で同じ署に勤務とは珍しい。

 廊下には、まだ泣き声が聞こえている。

 仲が良かったのだろうか。

 姉の死を思えば、致し方無いか…。

「行きましょう。早く捜査を始めねば。」

 署長が数歩先を行き、後についていく。

 人の死とは、ああいうものだ。悲しみを一気に運んで、負の力を引き寄せる。

 彼は、憎しみに耐えられるだろうか。

 自分の過去を少しだけ思い出す。

 しかし、今は感傷に浸る時間はない。

 本部に到着し、長机に準備された椅子を引いて署長の横に腰を下ろした。


 会議が始まる前なのに、随分と人だかりができている。

 会議室の入り口直ぐに設けられた秋保警部補の遺影に手を合わせる人が

 後を絶たない。

 代わる代わる手を合わせては、自分の持ち場に帰っていく。

 皆、一様に苦々しい顔をしている。

 それこそ、署に居る人間全員が彼女の死を悼んでいるようだ。


 午前九時。第一回捜査会議開始。


 本庁捜査一課の係長が被害者に対して黙祷の号令をかけると、

 会議室内の全員で黙とうをささげる。

 係長の着席の合図のあと、自分と捜査一課陣の簡単な紹介がされる。

 次に被害者のプロフィールが読み上げられる。

「秋保 幸警部補。生活安全部少年課所属。

 家族構成、父、母、弟。弟は同署機動捜査隊所属、秋保 利人巡査長。

 空手の有段者。体術は得意との事。

 昨日、通常勤務を終え署を出ていく姿を立番担当が確認しております。

 その後の足取りは、今後の捜査にて確認いたします。以上。」

 体術が得意な警察官が、ナイフで刺された。

 これが意味することは、相手が人を殺すことに慣れているということか。

 いや、先入観を持つことは許されない。

 どんなに体術が得意でも、不意を突かれるという事は十分にあり得るのだから。

 そんな事を考えていたら、会議室のドアが乱暴に開けられて一人の青年が

 入ってきた。

 長机の前まで歩いて来て、私の前で止まる。

「失礼いたします、秋保と申します。

 署長、管理官。お願いです。俺を捜査に参加させて下さい。御願いします。」

 腰を九十度に曲げて頭を下げたまま固まる。

 会議に参加していた一人が駆け寄ってくる。

「秋保! 身内のお前は捜査出来ないといっただろ。早くここから出ろ。」

「お願いです。参加させて下さい。」

 もう一人駆け寄り先程の一人と廊下へ連れ出そうとするが、

 その場に留まろうともがいて暴れている。

 署長も早く連れて行けと指示を出し、先程の二人が腕を掴み上げ

 廊下へ引きずっていく。

 もう、力で抵抗できないのだろう。

 引きずられていく青年の顔は、悔しさでゆがんでいる。

 未だ『お願いです』と繰り返し叫ぶ。

 扉が閉められる直前に目が合った。

 懇願するような瞳に、私はただ『駄目だ』と首を横に振った。

 扉は閉められ、一瞬の静寂の後会議は再開される。


 鑑識の報告によると、殺害時刻は昨日の午後九時から十時の間。

 被害者の所持品は、財布などほとんどが現場に残されていたが

 スマホだけが見つかっていない。

 被害者の胸に刺されていたナイフには指紋が付着しており、

 恐らく犯人の指紋であると推測される為指紋のデータベースと照合中である事。

 また、現場から歩道へ続いていた足跡も犯人のものであるとみて調査中

 だという事だった。

 胸に置かれていた花は、黄水仙で置かれた理由は不明。

 この会議の中で、一番の衝撃は被害者の殺され方だろう。

 誰もが驚き、そして彼が居なくて良かったと思った事だろう。

 検視官の報告では被害者に残されたナイフ痕は顔以外の全身に付けられており、 

 刺されていない箇所を探す方が難しいのではないかというほど衣服に穴が

 開いていたこと。

 恐らく、体内に血液はほぼ残っていないと推測される。

 現場で見たあの大量の血だまりがその事を物語っているのだろう。

 死因は、司法解剖の結果によるが、この報告で殺人事件として扱う方針が決まる。

 その後は捜査の組み分けが行われた。

 署長が捜査員達に発破をかけるための一言を告げている。皆の顔が引き締まっていく。最後に一言と振られた。

「正直なところを話そう。私は、秋保警部補の事を知らない。

 しかし、君たちの様子を見ていれば何となくわかる。

 皆に慕われる警察官だったんじゃないかと。

 そんな警察官の命を奪った犯人は、早急に捕まえなければならない。

 ただでさえ、人が殺されているという事実だけで許されることではない。

 警察官が殺されたという事実が警察のメンツに関わると思う者もいるだろう。

 だが、ここは冷静に捜査にあたるべき処だと肝に銘じてほしい。

 捜査に参加したくても、参加できない者もいる。

 我々は、秋保警部補の無念を晴らすために行動するそれだけだ。

 以上、明日の朝の会議まで各自捜査を頼む。」

 一課の係長の号令で捜査員達が散り散りに会議室を後にしていく。

 静かになった会議室で、捜査資料を読み直す。ふと、あの青年の事を思い出す。

 今、どうしているのだろう。

 同じ被害者同士、話がしたいと思った。

 しかし、今話すのは躊躇われた。

 昔の自分を思い出せば、今は時期ではない。

 

 自分自身、犯罪被害者だ。

 交通事故が起き、怪我人を助けようとしていた入籍したての新妻を

 ひき逃げされた。

 犯人は直ぐに逮捕されたが、捜査には参加できなくて苦虫を噛んだ。

 犯人は、その日初めて酒を飲んだ二十歳になったばかりの若者。

 秋保巡査長と同じように、犯人を殺してやりたいとも何度も思った。

 けれど、自分は警察官だと何度も自分に言い聞かせて堪えた。

 警察官である自分を憎んだこともある。

 今でも、犯人であった人物がどうしているか探ってしまいそうになる時がある。

 その度に、大好きな声が自分を止める。

『罪を憎んで、人を憎まず。』

 その声を頼りに歯を食いしばり、呪いの様に唱え続ける。

 まったく、よくできた言葉だ。

 警察官だって人間だ。誰かを憎いと思う。

 それを押し殺して正義のために尽くすのを躊躇うことだってある。

 性善説なんて糞くらえ。

 妻を殺された時の自分は、警察官である自分も周りの人間も誰も

 信じられなかった。

 けれど、今も警察官を自分は続けている。

 何故か? 自分でもよく分からない。

 でも、とても大きな一つの理由は妻も警察官だったという事。

 彼女は、交通機動隊の白バイ隊員だった。

 ぽっと出のキャリア組の自分なんかより、ずっと経験を積んでいて

 警察官としての誇りを持っている人だった。

 別の事件で出会って、一気に心惹かれて猛アタックした。何十回と撃沈した。

 理由は、自分よりずっと年上だから。

 でも、諦めなかった。諦めたくなかった。

 そうして、三年の時を経てやっと自分を受け入れてくれた。

 直ぐに入籍だけ済ませた。

 ひき逃げ事故は、その直後だった。

 彼女の遺体は、穏やかな顔をしていた。

 別の交通事故で複数人いた怪我人の元へ別の車が猛スピードで

 突っ込んできたところを庇って、自分が轢かれた。

 警察官としては立派な最後だろう。

 けれど、残された俺のことは?

 自分を受け入れてくれる前の、彼女の口癖を思い出す。

「私は、警察と結婚したの。だから、貴方を支えるとか無理。

 早く諦めなさい。」

 本当に、その通りだったね。

 でも、俺は君と結婚した。

 だから、他の誰も目に入らない。

 結婚指輪だって、外すつもりもない。

 今も、左手の薬指に指輪が嵌っている。

 そうして、無我夢中で自分なりの警察官人生を突き進んできた。

 君は、今の俺を見て何と言うのだろう。

 俺は、今も警察官として生きているよ。

「…りかん。松木管理官? 大丈夫ですか?

 あの、何度か呼びかけたのですが反応が無くて。

 もうそろそろ、お昼ですけれど。」

 加納が心配そうにこちらを見ている。

 腕時計を確認すると、会議の終了から二時間ほど経っている。

 随分と自分の世界に入り込んでいたらしい。

「すまん。何だか、昔の事を思い出してしまって。あれから、何か報告は?」

「いえ、まだありません。」

「そうか。」

「あの、松木管理官の中の姉さんは元気ですか?」

 唐突に質問されて、一瞬言葉に詰まる。

「そりゃ、もちろん元気だよ。

 でも、姉さんの方は俺の事なんて気にしてないらしい。

 あれから一度も会いに来てくれないし。」

「え…。姉さんぽい。やだ、今度の月命日に伝えておきます。」

「止めて。怒られそうだから。」

 加納と二人で苦笑すると、少しだけ救われた気がした。

 妻も、笑っているような気がする。

 加納は、俺の妻の妹だ。

 彼女自身は交通機動隊を目指していたが、妻の死後、

 刑事になるべく意識を変えた。

 実は、妻は捜査一課に入りたかったらしい。

 けれど、何故か交通機動隊で実力を発揮していた。不思議だ。

 捜査一課に入るのと同じくらい交通機動隊の白バイ隊員だって実力と

 推薦が必要だ。

 妻は、やはり凄い人だ。

 その妻の妹、加納は今自分の直属の部下としてここに居る。

 何とも、不思議だ。

 秋保姉弟は、どんな関係性だったのか。

 やはり、話したいと思った。

 あの瞳を見てしまったから。

 誰かを想う、強い瞳。

 何故か、昔の自分と同じだと思ってしまう。

「加納。秋保巡査長は、今署に居るかな?」

「秋保巡査長ですか? 確認は取っていませんが、何か気になる事でも?」

「秋保警部補の人となりが知りたくなってね。

 昼飯を食べてからでも、話せるよう呼んでもらえないか。」

「人となりですか。会議前も凄い人だかりでしたね。

 何となく、私も知りたいです。

 了解いたしました。手配します。

 お弁当、お持ちしても宜しいですか?」

「あぁ、頼む。」

 窓の外を見ると、葉がすっかり落ちてしまった街路樹の

 寒そうな幾つもの枝を強めのからっ風がいたずらに揺らしている。

 冬も本番だな。何だか見ているだけで、体の中が干からびていきそうだった。

 やっぱり、君に会いたいよ。

 暫くして加納が温かいお茶とともに弁当を運んできてくれた。

 せめて、腹だけでもしっかり満たそう。

 いただきますと手を合わせ、弁当の上に載っている割り箸に手を伸ばした。


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