第二章 交錯する想い

「花音様」

 背後から声をかけられ、振り向いた花音は眉間に皺を寄せた。

「何故お前がここにいる?」

 途端に左目に激痛が走った。今日の痛みは一段と酷い。花音は「またか」と小さく呟いて左目を押さえるが、すぐに痛みは治まった。

 花音の目の前には、つば広の中折れ帽を深く被り、黒いマント纏った青年がいる。

「おい、紅冥! ……お前、階段上るの速すぎだって! この俺が負けるなんてありえねぇ……」

 続いて昇威の姿が現れると、花音は力が抜けたように一気に深い溜め息を吐き出した。

 神社の参拝に訪れる誰しもが弱音を吐いてしまうほどの長い階段を上がりきった昇威は、息を乱してぐったりとした様子を見せている。しかし隣の人物に視線を滑らせると汗をかくどころか息一つ乱していない。

 花音の幼馴染みの昇威は、花音に会いに行く度にこの長い階段を駆け上がっていたので、相当な自信を持って紅冥に『階段駆け上がり勝負』を申し出たのだが、かなりの差がついて完敗してしまった。

 花音は二人が階段を駆け上がったすぐのところにある、神社の大きな鳥居の手前で掃き掃除をしている最中だった。竹箒を持つ花音の表情は険しく、その怒りの矛先はすぐに昇威に向けられる。

「昇威、何故この男を連れてきた?」

「紅冥が花音に会いたいって言うから連れてきてやったんだ。上層部の命令でお前ら組むように言われてんだろ?」

「いつからお前はこの男の味方になったんだ?」

 花音は呆れた様子で溜め息混じりに言い放つ。

「男の友情ってやつだよな」

 昇威は隣にいる紅冥の肩に腕を回し、親指を立てて爽やかな笑顔を見せた。よく見ると昇威の顔には所々傷痕があり、昨日花音が帰った後に、紅冥との間に何かが起こったのは明白だ。

 昇威と昔からの付き合いの花音は、昇威の性格をよく知っている。かなりのお人好しで情に弱いところがあるが、頼まれ事をされると必ず守る律儀な男だ。花音を裏切るような真似はしない。

「その男に何か弱みでも握られたか?」

 花音の見透かすような鋭い視線が注がれ、昇威は動揺したように目を泳がせた。

 隠し事の気配を察するのには充分な反応に、花音の眉がますます吊り上がる。 

 一方の紅冥は、肩に回されていた昇威の腕を暑苦しいと言わんばかりに払い退けている。

「昨日も言ったが、私はこの男と組む気はない」 

 花音は持っていた竹箒の先を勢いよく紅冥の顔につきつけた。しかし、紅冥はそれに動じるどころか、嬉しそうに笑みを湛えている。

「薙刀を竹箒に持ち替えた花音様の姿も素敵ですね」

「お前、空気読めねぇってよく言われるだろ」

 紅冥の言葉に、昇威は呆れ返ったように頭を抱えている。

「神社に行けば花音様の巫女装束姿が見れると思ったのですが……残念です」

 昨日と同様、白と紺の矢羽柄の着物袴姿の花音を見て、紅冥はしょんぼりと肩を落とした。

「巫女禁断令を知らないのか? 私が巫女装束を着ることは二度とない」

 花音は紅冥の態度に戦意を喪失させたのか、向けていた竹箒をおろし、踵を返して去っていく。

「花音様……?」

 紅冥は呆然とその姿を見送っているが、昇威が慌てた様子で紅冥の肩を叩いた。

「おい、なにやってんだ! 早く追いかけるぞ」

 花音はすでに神社の大きな鳥居をくぐり抜け、石燈篭の並ぶ参道を歩いている。その後ろを追うようにして飛び出した昇威だったが、肝心の紅冥は付いてこない。

「僕はここで待っていますよ」

 紅冥は鳥居越しに少し悲しそうな微笑みを湛えていた。紅冥の様子に昇威は訝しむも頷いて、再び花音の後ろ姿を追いかけて行く。

「今の僕は境内に入ることを許されないので……」

 紅冥は小さく呟いた。


 神社を囲む鎮守の森は、この時期満開の桜でいっぱいになっている。

 紅冥は桜の香りを感じとるようにそっと目を伏せた。

 紅冥にとっては懐かしくも切ない思い出の香りだ。

 自分自身の震えを感じとり、きつく拳を握りしめた紅冥は、左腕の洋服の袖を捲って、左手首にぐるぐるに巻かれた赤いリボンを悲壮な面持ちで見つめた。

 紅冥は遠い記憶に思いを馳せる――。

 脳裏に色褪せた世界が広がった。その中で古びた祠に手を合わせている幼い花音の姿が浮かび上がる。

 愛おしい気持ちが膨らんでいくと同時に、それは一瞬にして絶望の光景に変わった。

 息を呑むほどの鮮やかな落日の景色と降り注ぐ桜の花びら。そして、辺り一面に飛び散った漆黒の羽と鮮血と肉片。

「――この罪は必ず償います」

 呟いた紅冥の声は微かに震えていた。

 強い風が吹きつけると桜の花びらが一斉に舞い落ち、同時に被っていた帽子もさらわれそうになる。咄嗟に手で押さえた紅冥は帽子を一層深く沈めた。紅冥にとって帽子と長い前髪は自身の左目を隠すためのものだ。

「お兄ちゃん、ここで何してるの?」

 突然声を掛けられ、目を見開いた紅冥は背中越しに振り返った。すると子供が紅冥のマントを引っ張っている。

 紅冥のマントを引っ張ったのは、八歳くらいの少女で、ぷっくりとした桃色の頬が印象的だ。紅冥を不思議そうに見上げている大きな瞳は純粋で、長い髪は後ろで簡単に纏められており、紅い帯で締めている菫色の着物は少女を可愛らしく見せている。

 その少女の姿が、幼い花音の姿と重なって、紅冥は目を瞬いた。

 完全に虚を衝かれた紅冥は、その場で固まってしまう。

 普段から全神経を周囲に張り巡らせているが、桜に気をとられてしまっていたせいなのか、少女の存在に気付けなかった。

 そんな紅冥の事などお構いなしの少女は、紅冥のマントを何度も引っ張っている。

「もしかして花音お姉ちゃんのお友達?」

 開かれた少女の小さな唇から『花音』と言う名前が飛び出し、紅冥は驚いて再び目を瞬く。

「君は花音様のお知り合いなのですか?」

 少女の手がマントを放したと同時に、紅冥は身体ごと振り返って少女の目線まで屈んだ。

 すると少女は大きな瞳を輝かせて頷く。

「今日は花音お姉ちゃんと『おはじき』で遊ぶ約束してるんだよ」

 少女は手に提げていた巾着袋から、虹色の小さな硝子玉を一つだけ取り出して紅冥に差し出した。

「そうなんですね」

 優しく微笑みかけておはじきを受け取った紅冥だったが、差し出した少女の手首に濃い青痣があることに気付き、眉根を寄せた。

「お兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ」

 紅冥は痣の理由を少女に尋ねようとしたが、目の前にいる少女があまりにも楽しそうに微笑みかけるので、それを押し止めてしまう。

「満月!」

 少女は自分の名前を呼ぶ声に反応して、その視線を声の主の方へと向けた。

「あ、花音お姉ちゃんだ! それに昇威お兄ちゃんもいる!」

 少女は花音と昇威を発見するや否や、勢い良く飛び出した。慌てて駆け出して砂利に躓いて転びそうになるが、その小さな身体を花音がふわりと受け止める。

「満月は家で待っていろと言っただろう? 掃除も終わって、今からお前の親父さんのところに会いに向かおうと思っていたところだ」

 溜め息をついた花音は、少女の頭をぽんぽんと叩いた。花音の手の力強さに少女の頭が手鞠のように弾んでいる。それを傍らで見ていた昇威は口をあんぐりと開け、ハラハラとした様子で見守っている。

「だから満月が迎えに来たんだよ」

 昇威の心配をよそに、少女は頭を押さえて笑いながらはしゃいでいる。

「そうか、ありがとう。しかし満月にあの長い階段はきついだろう? 今度はちゃんと家で待っているんだぞ」

 少女の頭を撫でる花音だったが、その手つきは大雑把で、少女の頭どころか身体まで大きく揺れ動いている。しかしそれが愉快で仕方ないといった様子の少女は、またも満面の笑みを浮かべている。

「子供への扱いが大胆すぎて見てるこっちが怖くなるぜ。しかも無表情だし、あれでなんで花音に懐いてるのか不思議でならねぇよ。なぁ、紅冥もそう思うだろ?」

 その顔に苦笑いを浮かべた昇威だったが、紅冥の顔を窺き見ると、その漆黒の右目は輝きを放って花音を見つめている。

「花音様は、子供好きだったんですね。子供と戯れてる花音様も素敵です」

「いや、お前さ、なんでそんな思考になるんだよ。どう見ても戯れてねぇだろう?」

 昇威はがっくり肩を落とした。

「ねぇ、花音お姉ちゃん。今からみんなで、おはじきしようよ!」

「おはじきは満月の家でやろう。早く行かねば、お前の親父さんが待ちくたびれてしまうぞ」

「やだ……。今やりたいの」

 伏せ目がちにどこか悲壮感が漂う満月の様子に、花音は疑問を抱く。満月の手や足のあちこちには、強く押さえつけられたり打ち付けられた時にできるような濃い青痣が無数にあり、一週間前に会ったばかりだが、その時はそんな痣など見当たらなかった。

 その痣の原因に、少しばかりか心当たりがあり、花音の表情がだんだんと険しくなる。



「何故お前たちもついてくるんだ」

 溜め息混じりの花音の左手には大薙刀が握られ、右腕には満月の身体を抱えている。満月は嬉しそうに両手足を伸ばし、ご満悦な様子だ。

 長い階段を慣れた足取り駆け下りる花音の後ろを、昇威と紅冥も追いかけている。

「お前が紅冥と組むって言うまでは、何処にだってついて行くぜ! なぁ、紅冥」

「そうですね、僕は花音様以外は考えられません」

「断ると言っているだろう」

「お前、今の状況分かってんのか? このままだと『式月華』にいられなくなるぞ。この鈴鳴神社だって……」

 昇威の言葉に花音の表情が曇った。

 帝都の外れに聳える山の頂上に位置するこの鈴鳴神社は、鈴鳴家が代々神主を務めてきた。現在は花音の父親が神主を務めているが、世の中は政府の宗教政策による神社合祀の真っ只中で、取り壊される神社も少なくない。

 鈴鳴家は式神使いの家系でもあり、花音が政府直属の式神部隊『式月華』に属することで、それを条件に宗教政策から逃れることができ、この鈴鳴神社の経営が続いている。

 花音には兄弟もいないので本来ならば花音が鈴鳴神社を継ぎたいところではあるが、巫女禁断令もあり、女性の神職が禁止されている今は、式月華に属することでしかこの神社を守る手段がない。

 それに花音が昇威と共に帝都の裕福な学校に通えているのも全て式神使いであるからこそだ。

「いつ見てもここからの眺めは最高だな」

 昇威は帝都が一望できる、この鈴鳴神社の長い階段を駆け下りる瞬間が一番好きだ。それは花音も同じで、幼い頃は空を飛んでいるような気分で風を感じながら駆け下りたものだ。

 今の季節は桜が満開で最高に眺めが良い。季節折々の景色が堪能できるこの階段からの眺めは、花音にとって宝物に等しかった。

「式月華を解雇されようとも、鈴鳴神社は私が守りぬく」

 小さく呟いた花音の言葉に決意が漲っいる。

 昇威はやれやれと頭を掻く。花音は一度決めたことは絶対に曲げない頑固者だということを昔からの付き合いで知っている。

 満月を連れて神社の長い階段を下り終えた三人は、満月の家へと向かった。


 すでに空は茜色に染まって吹きつける風も冷たくなり、一行は先を急ぐ。

 帝都は西洋化が進み、夜はガス灯に火が灯され、街を煌びやかに彩っていたが、帝都の外れにある田舎町ではガス灯もなく、辺りが暗くなるのも一段と早い。

 西洋に色づく街並み。それはごく一部の裕福な上流階級の者たちが作り上げた世界で、そこから一歩出れば畦道広がる庶民の暮らしだ。

 鈴鳴神社の長い階段を下りて歩くこと三十分、細い畦道を通り抜けた先に広がる小さな商店街の裏通りにひっそりと佇んでいる刀鍛冶屋が満月の家だ。

 この裏通り一帯は木造りの素朴な民家ばかりで、賑わっている商店街とは正反対に人通りは乏しく、今では時代錯誤になりつつある刀鍛冶屋にやってくる客は滅多にいない。だからなのか、花音が鍛冶屋の戸を叩くと決まったように「おう、来たか!」という店主の返事がある。

 店の戸の前で店主が出てくるのを待っている花音の後ろでは、昇威がなにやら不安げな様子を見せていた。

「俺、ここの親父さん苦手なんだよなぁ」

 尻込みしたように一歩下がった昇威の顔は青ざめている。元気が取り柄の昇威がここまで意気消沈としている姿は珍しい。

「俺は外で待ってるから、とっとと用事済ませてこいよ」

 昇威は鍛冶屋からおずおずと距離を取って、様子を窺っている。

「お前もその格好では無理だな。昇威と一緒にその辺で待っていろ」

 紅冥の姿を一瞥した花音の言葉に、首を傾げる紅冥だったが、その言葉に素直に従った。

「ただいま、お父ちゃん! 花音お姉ちゃん連れてきたよ~!」

 店主が戸を開けると、花音の片腕に抱えられている満月の笑顔が飛び込んでくる。

「おかえり、満月。そりゃあ、お前が花音ちゃんを連れてきたんじゃなくて、お前が花音ちゃんに連れられて来たんじゃねぇか」

 刀鍛冶屋の店主『大崎柳二』は、満月の顔を見るなり豪快に笑い声をあげた。

 柳二はがっちりとした体躯に紺色の着物と袴を着て、顎に無精髭を蓄え、その顔は強面だが、花音の顔を見るなりその表情を綻ばせている。

 店主の笑い声が気になったのか、鍛冶屋の外で待っていた紅冥が様子を窺おうと近づこうとするが、それを昇威が必死の形相で制止する。

「絶対やめたほうがいい。殺されるぞ」

 紅冥の腕を力強く引っ張る昇威の顔は、真剣そのものだ。

「どうしてですか? 殺されるだなんて、冗談はやめてくださいよ」

 紅冥は溜め息混じりに笑って昇威の手を払うと、花音と柳二が会話をしている鍛冶屋の戸口の方へと向かった。

「こんばんは。はじめまして、僕は花音様の従者の紅冥と申します」

 紅冥は花音の背後から顔を出して微笑んだ後、被っていた帽子を取って丁寧にお辞儀をした。さらにその後ろでは、紅冥を引き止めようと追いかけて勢い良く飛び出した昇威の姿がある。

「やっべ」

 昇威は柳二と目が合ってしまい、瞬時に自身の顔と黄金色の髪を隠すようにして着物の袖で覆う。

「小僧! また来やがったのか!」

 しかし、柳二はそれが昇威だということにすぐさま気づき、カッと目を見開かせた。

「この西洋人め! 今度はこんな西洋かぶれの男を連れてきやがったのか!」

 柳二のドスのきいた低い声が空気を震わせた。昇威を見る柳二の目つきが、がらりと変わる。その下卑するような冷たい眼差しに、昇威は顔面を蒼白にさせて恐怖で戦慄く。

「なんだ、そのマントと帽子は」

 その視線を紅冥に移し、上から下まで睨むように見た柳二の顔が、見る見る鬼の形相に変貌していき、紅冥も押し迫る恐怖に一歩退く。

 だが時すでに遅し、柳二は鍛冶屋にある道具をありったけ掻き集め、それを紅冥と昇威に投げつけはじめた。金槌や鉄の棒、槍に剣に包丁までも、あらゆる物が勢いよく宙を飛んで紅冥と昇威の方に向かってくる。

「……始まったか。待っていろと言ったのに」

 満月を小脇に抱えたままの花音は、呆れたように溜め息をついた。柳二の行動を鋭敏に察知していた花音は、すでにその光景を遠巻きから観察している。

「紅冥が悪いんだぜ! 俺の忠告無視しやがって!」

 昇威は顔に冷や汗を浮かべ、投げつけられる物を紙一重のところで躱しながらその視線を紅冥に向けた。

「こんな事になるなんて普通は思いませんよ」

 慌てて黒い中折れ帽を被った紅冥は、嘆きながら軽々とした身のこなしで飛んでくるものを避けている。

「とにかく逃げるぞ!」

 叫んだ昇威は紅冥に合図を送る。それに頷いた紅冥は昇威の後に続いて、その場から瞬時に離れた。

「二度と俺の前に姿を現すな!」

 柳二の罵声が追い討ちをかけるように、走り去る紅冥と昇威の背後から刺さった。



「一体何なんですか、あれは」

 紅冥は商店街の真ん中で大きく溜め息をついた。昼時は賑わっている商店街だが、今の時間帯は閉まっている店が殆どだ。

「あの親父さん、大の西洋嫌いなんだよ」

 昇威は自身の黄金色の髪を掻き、落胆するように肩を落とした。

「見て分かると思うけど……俺さ、西洋の血が混ざってんだ。ほら、髪もこんなだし瞳の色も蒼いだろ? だから親父さん俺のこと毛嫌いしてんだよ」

「そうだったんですね。でもあの西洋嫌いは異常ですね」

 隣にいた紅冥も同じように肩を落として苦笑いする。

「西洋文化が入ってからは、刀鍛冶としての仕事も少なくなってきたからな。ここら一帯の商店街も賑わってはいるけど、若い奴らはみんな帝都に行っちまうらしい。だから親父さんも西洋人を目の敵にしてんだよ。とくに伝統を受け継ぐ仕事なんかは、新しい文化を受け入れるのは難しいみてぇだ」

 昇威は苦々しく笑った後、急に何かを思い立ったように掌を打ち付けた。

「俺の髪や目はどうにもならねぇけど、お前ならまだいけるかもしんねぇ! ちょっと今から俺に付いてこい」

 そう言って昇威はまだ営業中の店を探しに歩き出す。

「何か秘策でもあるんですか?」

「要するにお前の服装が気に入らねぇんだよ、あの親父さん」

 丁度店仕舞いをするところだった着物屋を発見した昇威は、女店主に頼み込んで着物を何着か見せてもう。

「これ着てみろよ」

「え……、これを着るんですか?」

 目の前に突き出された着物に怪訝そうな顔を浮かべる紅冥だったが、これが突破口なるのならばと、覚悟を決めて渋々と受け取った。



「よし、これで完璧だな」

 昇威は満足気に腕を組んで頷いた。女店主も着付けをした仕上がりを見て、紅冥に熱い視線を送っている。

「本当にこれで大丈夫なんですか?」

 昇威を信じて着物を着てみたものの、紅冥は不満そうな声を漏らし、久しく履いていない草履の感触に眉間に皺を寄せている。

「大丈夫だって!」

「なんか信用できないんですけど……」

 自信満々に胸を叩く昇威の姿を見た紅冥は、肩を竦めて小さくぼやいている。

「似合ってるからいいじゃねぇか。そもそも春だってのにあんな暑苦しい格好してるお前がどうかしてんだよ」

「せめて帽子くらい被らせてください」

 恨みがましそうな視線をぶつける紅冥だが、昇威は首を大きく横に振った。

「帽子被ったら意味ねぇだろう! あの親父さんに認めてもらうことすらできなかったら、花音の相棒として認めてもらうなんざ到底無理な話だぜ? 花音は昔から、かなりの頑固者だからな。けど、親父さんがお前のこと認めたら花音も少しは考えが変わるかもしれねぇじゃんか」

「相棒だなんて……そんな高望みはしていませんよ。僕は花音様のお側でお役に立ちたいだけなんですから。むしろ花音様の下僕となり犬となり、お仕えしたいんです。花音様が望むなら首輪に繋がれて、引きずられたっていい」

 どこか恍惚な表情の紅冥に、昇威は引きつった笑みを見せた。

「紅冥……。やっぱお前って相当やべぇ奴だな」



 紅冥と昇威は着物屋の女店主にお礼を言って店を後にした。

「昇威さんは花音様のこと、よくご存知なんですね」

 昇威と紅冥は横並びに閑談しながら目的地に向かう。

「あいつとは幼馴染みだからな。口は悪いけど正義感が強くて、俺が小さい頃虐められてた時も何度も助けられたしな」

「え、虐められてた? 昇威さんがですか!?」

 紅冥は驚いたように目を丸くしている。虐められていたなんて、今の昇威からはとても想像がつかない。

「昔はこの見た目のことでよく虐められたんだ。背も低かったし、性格も今より内気でさ。俺と花音とよく二人で遊んだりしてたんだけど、その頃から花音は、男や大人相手にも全く怯まないし、ずっと変わらねぇんだよなぁ。情けねぇけど俺は守られてばっかりだったな」

 昇威は苦笑いを浮かべて頭をぽりぽり掻いている。その様子に紅冥はすっと目を細めた。

「もしかして昇威さん、花音様のこと恋愛感情で好き……なんですか?」

「は!? 何言ってんだお前! あんな凶暴怪力女興味ねぇよ!」

 昇威は目を見開き、食いぎみに声を荒げて否定する。

「でもこうやって僕と関わっているのも、花音様の為なんですよね? 僕は昇威さんを脅してもいないし、協力してくれとも言ってませんよ」

 紅冥はむっとした表情で口を尖らせている。

「花音にはさっきも言ったように、いろいろと借りがあるんだよ。花音とお前が組まないと、あいつは式月華を解雇されるかもしれねぇし、そうなったら鈴鳴神社も潰れる可能性があるだろう? それに、友達なんだから助けてやりたいと思うのは当然じゃねか?」

 動揺しているのか、少し早口になる昇威を、紅冥は怪しむような目でじろじろと眺めている。

「兎に角だ! 俺は昨日の晩、上官からお前の正体を知らされた。お前の存在が花音にとって最後の賭けだって言うなら協力するしかねぇだろ! それにお前だって俺と似たような境遇だから、少し……ほんの少しだけ、協力してやる気になったんだよ!!」

 眉を吊り上げた昇威は急に立ち止まって、紅冥に人差し指をビシッと突きつけた。

 昇威のあまりの勢いの良さに、じわじわと笑いが込み上げてきた紅冥は口を押さえてその場で肩を震わせている。

「なんだよ! なにが可笑しい?」

「いえ、昇威さんって分かりやすい人だなぁと思って」

 突きつけられた昇威の指をそっと払い退けると紅冥は天を仰いだ。

「友達ですか。友達って妙なものなんですね。僕にはよく分かりません」

「お前、友達いねぇの?」

「……昔にそれらしい人はいたんですけどね」

「なんだそれ、喧嘩でもしたのか?」

 先程とは一変して、紅冥の表情は憂いを帯びている。

 紅冥の右目に夜空に浮かぶ玲瓏と輝く月が反射して映し出され、その瞳の美しさに、昇威は目を奪われた。

「いいえ。喧嘩ではなく、僕はその友人を殺してしまったので」

 張り付いた笑顔で振り向く紅冥の姿が、あまりにも強烈で昇威は息を呑んだ。

「……なんて、冗談ですよ」

 背筋が凍りついてその場から動けないでいる昇威の姿を見て、紅冥は小さく笑った。

「……なんだよ。びっくりさせるなよ」

 昇威は安心したように胸を撫で下ろす。

「なぁ、一応だけど、俺はお前とも友達だと思ってるんだぜ?」

 昇威は頬を掻きながら照れ臭そうに、紅冥をチラッと見た。紅冥は昇威の言葉に虚をつかれたのか、驚いたように目を丸くしている。それと同時に、紅冥の脳裏には以前友人と呼んでいた、ある人物の顔が浮かび上がった。口調や態度が昇威と似て重なるものがあり、胸がざわつく。

「あとお前に勘違いされたくねぇから言うけど、俺には相思相愛の相手がちゃんといるんだぜ?」

 昇威は恥ずかしさからか、紅冥の反応を待たずに話題を反らし、親指を立てて勝ち誇った笑みを見せている。

「え、昇威さん彼女いるんですか?」

 突然の昇威の『相思相愛の相手』と言う言葉に、紅冥の頬がぴくりと反応して、表情が一気に険しい顔に変化する。

「どんな方なんですか?」

「天后に決まってるだろ」

「……えっと、天后って十二天将の? 昇威さんの式神ですよね? それ本気ですか?」

 迷わず即答した昇威に、紅冥は困惑した表情で訊ねた。

「本気の本気だけど。お前は花音のこと好きなんだろ?」

「もちろん好きですよ。でも憧れというか、そもそも僕には花音様を好きになる資格がありませんし」

 言い淀む紅冥は悲しい笑みを滲ませた。

「なんだそれ、相手を好きになるのに資格なんて必要なのか?」

 昇威は紅冥の言葉が理解てきず、首を傾げる。

「僕の事より、昇威さん……」

 紅冥の表情が途端に鋭くなり、昇威は「な、なんだよ」と気圧された様子で返事をした。

「式神と両思いになることは、まずありませんよ。主従関係が存在しているので、それは契約違反になります。主の命令に背くことも然りです」

「なんだそれ。お前、俺と天后のめくるめく相思相愛の日々見たことねぇだろ」

 恥ずかしげもなしに鼻を鳴らして自慢する昇威に、紅冥はがっくりと肩を落として額を押さえる。

「昇威さんがどれだけ天后さんを好きでも、天后さんの方は『敬愛』でしょうね。天后さんの今の『式神』の状態を保っているのが、紛れもない証拠なんです」

「意味わかんねぇ、説明しろよ」

 納得できない様子の昇威は紅冥に詰め寄る。

「式神が禁忌を破るとどうなるか知っていますか?」

 紅冥は昇威をじっと見据えた。

 その刹那、強い風が吹き付け、紅冥の漆黒の髪がさらわれて双眸が露になる。微かに笑みを含んだ唇から、鋭さを持った言葉が放たれた。

「堕ちるんです。闇に呑まれて地獄に――」

 薄闇の中で紅冥の紅い左目だけが、色濃く光を放っている。



「いつもすまんな。花音ちゃんは神社の手伝いがあるから邪魔になると言い聞かせていたんだが、満月が遊ぶと聞かなくてな。勝手に飛び出して困ったもんだ」

「いえ、柳二さんにはいつも世話になっているから。満月も柳二さんを困らせたり、心配させるような事をしたらいけないぞ」

 花音は柳二の言葉に微笑んで、傍らにいた満月の頭を撫でる。

「いいや、世話になってるのは俺のほうさ。半年前に妻が亡くなってからは花音ちゃんが時々来て家事の手伝いや満月の面倒を見てくれるだろう? こっちは本当に助かってるんだ」

 部屋の畳の上で胡座を掻いていた柳二は、腕を組んで唸りはじめた。

「それにしても、さっきは騒がせてしまってすまんな。しかし、花音ちゃんもあの西洋人をいつまでも相手にしたらいかんぞ」

「昇威とは幼馴染みで、仲の良い友人なんだ」

「満月、そろそろおはじきは終いにしよう。花音ちゃんも学校や神社の手伝いで疲れてるんだ」

 花音は苦笑いを浮かべながらも昇威との関係を説明するが、柳二は知ってか知らずか、その視線を満月に移し、会話を途切らせた。

 徐に立ち上がった柳二は、畳の上に散乱しているおはじきを片付ける。満月はまだ遊びたいと地団駄を踏んで駄々を捏ねたが、柳二に叱りつけられてしまい、部屋の角でふてくされたようにひとりあやとりを始めてしまった。

「柳二さん、私は大丈夫だ。それより、薙刀なんだが……」

 柳二は花音の横に置かれている大薙刀に視線を移す。花音から手渡された大薙刀の鞘を静かに引き抜いた柳二は、真剣な眼差しで刀身をじっくり眺めている。大薙刀の刀身には幾つもの亀裂が入っており、柳二は息を吐いた。

「花音ちゃん、相当無理させているな」

「どれくらいで直りそうですか?」

 花音は居住まいを正して、真っ直ぐに柳二を見た。

「早くても三日だな」

「三日……ですか」

 短い期間にも思えるが、花音にとって三日は厳しいものだった。ただでさえ式神がいない今、頼れるのはこの大薙刀だけで、それがなくなるとなれば異形を倒すのは容易ではない。

 花音は幼い頃からこうやって定期的に鍛冶屋を訪れては、大薙刀の手入れをしてもらっていたのだが、いつもならば預けた次の日には仕上がっていることがほとんどだった。今回はいつもとは違い、異形の数も増えていたこともあってか大薙刀を使う頻度が極端に増え、今までの中での最長期間となってしまった。三日と言う数字は花音にとって未知であり、もちろん大薙刀の代わりに違う武器を持つこともできるが、苦楽を共にしてきた大薙刀に比べると雲泥の差だ。

「分かりました。よろしくお願いします」

 花音は畳に頭をつけるまで、丁寧にお辞儀をした。

「任せときな」



「では、また後日伺います」

 花音と柳二は鍛冶屋の外に出た。辺りはすっかり闇に染まり、空には冴え冴えと光る月が浮かんでいる。

 柳二は静かに頷く。

「柳二さん、一つだけ聞きたいことがあるんだ」

 俯いて躊躇いがちに尋ねる花音には、ずっと胸に秘めていた事が一つだけある。満月の前では言えなかったこともあり、切り出すタイミングを失って今に至るが、今はそんな悠長に構えてはいられない状況だ。満月のためにも聞いておかなければならない。花音は拳を握り締め、決意したように切り出した。

「柳二さん、借金があるって本当か? 取り立て屋が度々来ていると噂で聞いたんだ」

 柳二の瞳に真っ直ぐな花音の表情が映る。一瞬だけたじろぐ様子を見せた柳二だったが、観念したように項垂れて白状する。

「本当だ。ここのところ刀鍛冶屋としての仕事がめっきり減っちまってな、恥ずかしい話だが飯を買う金もない。おまけに地上げ屋までやってきて、土地を売り渡せっていってくる始末だ」

 柳二は背中を丸めて大きな溜め息を着いた。柳二の切迫した様子に花音は胸を痛める。自分で切り出したこととはいえ、実際に真実を告げられるとその衝撃は大きい。

「この刀鍛冶屋は先祖代々から受け継がれてきた。俺の代で潰す分けにはいかねぇ。なんとしてでも守り抜く」

 柳二は悲痛は面持ちで唇を噛み締めた。

「柳二さん、満月の身体に幾つも青い痣があるのを知っているか? あれは取り立て屋の仕業なんだろう?……伝統が大事なのは分かるが、子供を巻き込むのは間違っている」

 花音は喰ってかかるように言い放つが、柳二はさらに唇を噛みしめて考え込むように俯いて首を振った。その身体は小刻みに震えている。

「あの痣は取り立て屋から受けたものじゃねぇ。あれはーー」

「花音お姉ちゃん!!」

 柳二の言いかけていた言葉を遮って、鍛冶屋の戸が勢いよく開き、そこから満月が飛び出してくる。

「帰らないで、もっとここにいて!」

 花音にしがみつく満月は必死の形相だった。鍛冶屋を出る前に、あやとりをしていた満月はいつの間にか眠っていまい、起こすのも可哀想だと思った花音は帰りの挨拶をしなかった。そのこともあってか満月は起きた時に部屋に誰もいなかったことに驚いたのか、その大きな瞳に涙を湛えている。

「満月、花音ちゃんが困ってるだろ? 我が儘は言っちゃいかん」

 柳二は満月の目線まで屈んで、満月を叱りつけるも、満月は声を荒げて泣き出してしまう。柳二が困ったように深い息をつくと、それを見ていた花音が満月の身体を抱きかかえ、あやすように言葉をかけた。

「帰りの挨拶もなしにすまなかった」

 しかし、満月は泣き止まない。それどころかその鳴き声はさらに大きくなって辺りに響き渡る。

「花音様、どうしたんですか?」

 柳二と花音が困り果てていた時だった。闇の中から見覚えのある青年が駆けてくる。

「お前、その格好は……」

 花音はその青年を見た瞬間、目を見張る。

 そこにいるのは着物姿の紅冥だ。榛色の着物の胸元を大胆に寛げ、黒茶色の帯で締めた着流し姿の足元には草履を履いている。

「あの時の小僧か? 一体どういうつもりなんだ、その格好は」

 柳ニは紅冥を上から下まで視線を流すように睨み付けている。

「僕、和の心に目覚めてしまったんです」

 きらきらと眩しい笑顔を見せた紅冥は、花音が抱きかかえている満月の頭を優しく撫でた。

「満月さん、僕のこと分かりますか?」

 紅冥は声を荒げて泣いている満月の耳元に問いかけた。すると満月は紅冥の顔を見るなり、ぴたりと泣き止んだ。

「あ、黒いお兄ちゃんだ」

 まんまるな大きな瞳は、じっと紅冥を見つめている。

「当たりです」

 紅冥が微笑むと、満月もつられるように笑顔を溢した。

「何故また帰って来たんだ? 昇威はどうした?」

「この作戦、昇威さんの考えなんです。ちなみに『僕、和の心に目覚めてしまったんです』って台詞も昇威さんが考えたんですよ。決してこんな阿呆みたいな台詞、僕が考えたわけではないので誤解しないでくださいね」

 花音の問いに、紅冥は花音の耳元で囁くように答える。

 目の前でにっこりと微笑みを湛えている紅冥の顔を見た花音は、自然と溜め息が零れる。

「いや、そんなことはどうでもいい。昇威はどこに行った?」

 花音は辺りを見渡した。昇威の姿は見つからない。

「すまないな、花音ちゃん。迷惑かけちまって。満月のことは気にしないで帰りなさい」

 柳二は申し訳なさそうに、花音がずっと抱きかかえていた満月の身体をそっと取り上げた。満月は名残惜しそうに瞳を潤ませて花音に手を伸ばしている。満月は何かを訴えかけているような切実な眼差しだった。

 いつもの別れと様子が違うことに、花音は少しばかりか引っ掛かりを覚える。

「……いえ。柳二さんさえ良ければ、今晩泊まらせてもらえないか?」

 花音は満月の手を握った。すると満月はパッと目を見開かせ、どこか安心したように微笑んだ。

「俺は構わねぇけど」

「お世話になります」

 花音は深々と頭を下げた。

「お世話になります」

 その流れに乗じて隣にいた紅冥も頭を下げて鍛冶屋の中に入ろうとするも、さすがにその作戦は上手くいかず、柳ニは紅冥の首根っ子を掴んで引っ張りあげる。

「小僧! お前はとっとと帰りやがれ」

 紅冥は「やはり、だめでしたか」と苦々しく笑った。

「やだ! 黒いお兄ちゃんも一緒に泊まるの!」

 柳二の腕の中で満月が再び泣き喚き、紅冥が着ていた着物の袖を掴んで離さない。その様子に柳二は困惑する様子を見せている。

「ったく、俺の負けだ! 着物でここに来た根性は認める。ただし小僧は部屋で寝るな。お前はここの玄関で十分だ」

 その言葉に紅冥の表情がぱっと明るくなった。

「ありがとうございます。僕なんかは玄関でも十分ですよ」

 柳二は紅冥の笑顔に鼻を鳴らして、顎をしゃくり上げ、鍛冶屋の中に入るように促した。

「柳二さん、少し待ってくれないか?」

 花音はそう言って踵を返し、闇の中へと駆けていく。

「昇威! そこにいるんだろ?」

 少し離れたところにある大きな木の前で花音は足を止めた。

「おや、ばればれでしたね」

 紅冥は花音の行動に頬を掻いて、溜め息混じりに笑みを溢した。

「おい、花音。 こっちくんなよ。親父さんに見つかっちまうだろ」

 昇威は大きな木の影からひょっこりと顔を出して、小声で花音に話し掛ける。

「いつまでそうしているつもりだ?」

 花音は昇威の様子に深い溜め息を吐き出す。すると振り返ってその視線を柳二に移し、声を張り上げた。

「柳二さん! 昇威も泊めてやってはくれないだろうか?」

「おい、花音! 何言ってんだ!」

 顔を青ざめさせた昇威だが、腕を花音に力強く引っ張られて強制的に柳二の元へと歩かされた。昇威は視線の先に立っている柳二と目が合うと、唾を嚥下して怯えたように身体を震わせた。

「花音ちゃん、すまんな。そいつだけは泊めさせられねぇ」

 昇威を睨む柳二は、静かに闘志を剥き出しにしている。その言葉を聞いた昇威は悄然とした様子で肩を落とした。

「昇威に西洋人の血が混ざっているからですか?」

 花音は鋭い口調で柳二に訊ねた。柳二の腕に抱えられている満月は真っ直ぐな瞳で不思議そうに柳二の顔を眺めている。

「差別するようで悪いがな、俺はそいつの髪の色や瞳の色を見ると怒りが込み上げてくるんだ。泊めたりしたら俺は何をするか分からねぇ」

 柳ニの言葉に花音は拳をきつく握りしめた。

「私の瞳も西洋人の色をしている」

「花音ちゃんの瞳は義眼だと知ってる。あいつのものとは違うだろ」 

 花音の言葉に柳二はきっぱりとした口調で返す。柳二と知り合ったのは、花音が義眼になる前だ。柳二は元々の花音の瞳の色を知っていることもあってか、その瞳が西洋のものではないと分かっていた。

 花音は俯いて唇を噛んだ。 

 その様子を見ていた昇威は、花音の肩を叩いて、八重歯を見せて屈託なく笑った。

「俺のことは気にすんなって。俺は今からお前の父ちゃんのところに行って、今日は鍛冶屋の親父さんのところに泊まるって伝えてくるよ」

 昇威の曇りのない笑顔を見た花音は、力が抜けたように肩を下ろし、小さく息を吐いた。

「すまんな、昇威」

 昇威はもう一度花音の肩を優しく叩く。

「紅冥、花音のこと頼んだぜ」

 昇威は駆け出すと同時に紅冥に耳打ちした。紅冥はその言葉に微笑みで返す。

「さぁ、今夜は冷える。中に入ろう」

 満月を抱きかかえている柳二は、花音に声を掛けてから鍛冶屋の中に入っていった。

 花音はその場に佇み、走り去る昇威の背中が見えなくなるまで見送っていた。

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