第一章 式神と式神使い

 女神が空中で舞い踊っている。その身体は水の衣を纏う人魚の姿だ。空中で身体から散らす水の雫は地に蠢く異形に降りかかり、異形はあっという間に干からびて黒い砂となって天に昇っていく。

「よくやった、天后」

 天后と呼ばれた水の女神は、その言葉を聞いて頬を紅潮させ、声の主の方に擦り寄る。

「昇威様のためならこの式神天后、なんでもいたしますわ」

 詰襟の白シャツに紺絣の着物袴姿の青年は、そっと天后の頭を撫でた。水の衣は波紋を描き、それを感じとった天后は幸せそうに満面の笑みを浮かべた。

 天后の主である宮瀬昇威は、そんな天后の姿を愛おしそうに見つめている。

「おい、昇威! 天后! いちゃついでる場合ではないだろう! 早く加勢しろ!」

 式札で結界を張り巡らせている薄闇の中、怒気が響いた。言葉を放ったのは白と紺の矢羽柄の着物袴姿の少女だ。

 大薙刀を手に異形と戦闘中の少女は、髪を振り乱しながら鬼の形相で異形の群れを斬りまくっている。その光景は強烈で、昇威と天后もその姿を見て思わずたじろぐ。

「花音、やっぱり薙刀だけじゃ無理だぜ。新たに式神と契約したほうが……」

 昇威の言葉に花音と呼ばれた少女の表情に凄みが増す。しまったというように昇威は口を押さえたが、花音の眉は吊りあがり、その瞳は憤怒に燃えていた。

「わかった。私一人で始末する」

「おい、躍起になるなって」

 昇威は自身の黄金色の髪を掻いて、深く溜め息をついた。その傍らでは海色の瞳を潤ませて脅えたように震えている天后がいる。

 花音は勇ましい声を上げ、次々と異形を斬り捨てた。異形は鬼の姿や毛のない動物のような物、原形をとどめてはいないぬめぬめとした塊など多種いたが、花音はそれらの弱点を全て見極め、首を斬り捨て、目玉を抉り、自信の肩から紐で括り提げている竹筒を取り出して、竹筒に入れていた透明な液体を動かなくなった異形に素早く振り撒いた。

「そんな量の御神水で、これだけの量は浄化しきれねぇぞ」

 昇威の言葉通り、一部の異形は浄化させたものの、辺りにはまだ浄化されず分裂して蠢いている異形がたくさん転がっている。

「天后頼む」

「はい、昇威様。この天后にお任せください」

 昇威の命令により、天后は軽やかに空中で舞い踊って自身を纏っている水を辺り一帯に振り撒く。

 すべての異形が浄化し終わると同時に、張り巡らされていた周囲の結界が解かれた。

「いつまでそんな薙刀一本で戦う気だ? 式神は浄化の力を持つんだ。式神なしで戦うには限度があるだろ」

 昇威は花音に詰め寄ったが、花音は俯き、黙っている。

 そんな態度の花音を見て、昇威は意を決したように花音の肩を掴んで揺さぶった。花音は顔を上げるもその表情は暗く、絶望を宿している。

「そうですわ、花音様。昇威様のおっしゃる通りです。式神と式神使いは二つに一つ。戦いには必要不可欠なのです。この天后と昇威様のように心を通わせて――」

「黙れ!」

 潤んだ瞳で訴えかける天后に怒気を飛ばした花音は、拳をきつく握った後、苦虫を噛み潰したような顔で昇威の腕を払いのけた。

「相変わらずお前って奴は、顔に似合わず凶暴だよな」

 昇威の言葉通り黙って立っていれば誰もが振り向くような絶世の美貌を持つ花音だが、小柄な身体に重量がある大薙刀を片手で軽く持ち、男のような口調と凛とした低い声音には迫力を感じる。

 今にも泣き出しそうな天后を昇威は庇うようにして引き寄せた。

「天后、もう戻っていいぞ」

 昇威の言葉に頷いた天后は、すっと薄闇の中に消えていく。

 そのやり取りを横目に、花音はなんとも言えない消失感に襲われていた。本来ならばここで一緒に戦うはずの式神の姿はもういない。失った瞬間の光景がすぐにでも鮮明に甦るほど、脳裏を支配して離れないでいる。天后や昇威に八つ当たりしても仕方無いとは分かっているが、そうでもしないと自責の念に押し潰されてしまいそうだった。

「お前……まだ式神の騰蛇のこと」

 昇威は花音の様子を見兼ね、慰めるように優しく肩を叩いた。

「そろそろ時間だ。走らないと間に合わねぇぞ」

 広場にある時計塔の針が指している時刻を見て、花音は我に返ったように頷く。

 しかし走り出そうとした瞬間、どこからか花音の名前を呼ぶ不気味な声が聞こえた。だが、辺りを見渡しても声の主はどこにもいない。

「どうかしたか?」

 花音の様子に昇威は眉根を寄せた。

「今声がしなかったか?」

「いや、俺には聞こえなかったぜ?」

 訝しげに首を傾げる花音だったが、急に左目に激痛が走り、その場にうずくまった。

「おい! 大丈夫か!?」

「今朝から……ずっとこうなんだ」

 花音は左目を押さえながら苦悶に顔を歪めている。今朝から何度も繰り返しているその痛みは、瞬間的なものですぐに治まる。

「義眼でも痛んだりするのか?」

 花音は鎮まった痛みに胸を撫で下ろして立ち上がり、首を振って口を開く。

「奥の神経が疼くというか……私にもよくわからない」

 幼い頃に左目を失くし義眼を入れて過ごしてきた花音だが、このように左目が痛むのは一年ぶりだ。

 まだ花音が式神使いとして、式神騰蛇を操っていた一年前に、とある青年と出会った時に、同じ左目の痛みを感じた経験がある。

 記憶を巡らす花音だったが、その時の青年はすぐに去ってしまい、何も聞けなかったどころか、青年の顔も思い出せないでいる。

「その左目、妖怪に喰われたんだよな?」

 昇威は恐る恐る尋ねた。

「幼い頃に父に連れていかれた山奥での修行で……。倒れてその時の記憶は抜け落ちてしまったが、式神の騰蛇が目撃していて、聞いた話だと私の左目は鳥のような化け物に喰われたらしい」

 花音はその表情に苦さを滲ませた。

「呪いか何かなのかもしれねぇ。気を付けろよ。俺の親父、義眼技師だし、力になれることがあればいつでも言えよな」

 昇威は心配そうに花音の顔を覗き見る。

「それにしても、どうなってるんだろうなお前の目……」

 花音は生まれつき漆黒の瞳を持っていたが、幼い頃に左目を失くしてからは右目までもが異変を起こし、今では碧色に変色している。医者には原因不明と言われ、周囲からは呪われた子と言われる始末だ。

 左目を失って、しばらくした頃に出会ったのが義眼技師をしている昇威の父親で、それがきっかけで昇威とも仲良くなった。右目に合わせて義眼を碧色で作ってからは西洋人と間違えられることも多くなったが、昇威の心配をよそに花音はあまり周囲の目などは気にせずに過ごしている。

「心配かけてすまない。この義眼のお陰で、お前とも友人になれた。……これも悪くないと思っている」

 左目を押さえつつ少しだけ優しく微笑んだ花音は、人差し指で昇威のおでこを小突いた。

「いってぇなぁ」

 昇威は額を押さえ、花音を睨みながら「たまにそういうことしてくるの、ほんとずるいよな」と小さくぼやいた。その瞳は花音と似た蒼色の双眸をしている。

「時間がない、先を急ごう」

 あの不気味な声や朝から繰り返す左目の痛みは気になるが、今は一刻も早く目的地に向かわなければならない。

 辺りは暗くなり、街のガス灯に火をつけて歩く点消方の姿を目にする。その他にも制帽を被り、紺色の詰襟の服を着た警官も徘徊していた。

 新時代の幕開け。文明開化の流れによって、帝都は発展し、西洋風の建築で埋め尽くされて煌びやかに彩られている。新しいものを受け入れる上流階級の帝都の人々がいる一方、西洋文化を受け入れることができずに、古くから受け継がれる根強い生活様式を変えられずにいる者達がいるのも事実。

 その結果、人々の心に歪みが生じ、調和を保つことができずに闇が広がり続けている。

「それにしても最近は地獄の門が開く間隔早いと思わねぇか?なんか数も増えてる気がするし」

 昇威は息を切らして走りながら、後を走る花音に問いかける。

「それだけ人間の闇が多くなってきているんだろうな。奴等はそれを喰い物にしているから」

「そういえば、今日は大事な召集って聞かされてるが花音は何か知ってるか?」

「いや、詳しくは聞かされていない。なにやら式神部隊に関連してることらしいが……。もしかすると、私はいよいよ『式月華』を辞めさせられるかもしれないな」

 花音の弱々しい声音に昇威は振り返って、走っていた足をぴたりと止めた。

 花音の表情は暗い。花音は昇威にとって幼馴染みであり、大事な友人でその姿をずっと傍で見てきたが、昔から弱っているところを一切見せたことがない。片目を失っているのを感じさせないくらい、いつも自信に満ち溢れていて芯の強い少女だった。しかし、最近は弱音を吐くことも多くなり、情緒不安定だ。その原因は昇威や花音自信にも分かっている。

「おい、昇威、急に止まるな」

「最近のお前、らしくねぇぞ!」

 昇威は花音のおでこを小突く。

 花音は額を押さえて昇威の顔を睨んだ。

「さっきの仕返しだ。その表情の方がお前らしいぜ」

 昇威は蒼色の双眸を狭め、八重歯を覗かせて悪戯っぽく笑って再び走り出した。

 生暖かい風が道の両脇に並ぶ桜の花びらをさらって、雨のように上から降り注ぐ。

 花音は夜空に白く滲んだ月を見上げて、大きなため息をついた。

「らしくない……か。昇威にまで気を使わせてしまっているなんてな」

 嘲笑し、自身を激励するように頬を叩いて、花音も昇威を追って走り出した。


 

 帝都。官庁街の一角に建っている宮殿のような煌びやかな擬洋風建築が、政府直属の極秘裏に組織された特殊式神部隊『式月華』の本拠地だ。

 中央の高い塔屋が目立つ大きな建物の窓には白いレースの飾りが施され、入り口に構える大きな門には龍や虎の彫刻が置かれ、訪問者を出迎える。

 広くて天井の高い真っ白な部屋には、色彩鮮やかな西洋の陶磁器や美しい絵画が幾つも飾られていた。天井に吊り下げられた大きなシャンデリアは眩いばかりの光を放って豪華絢爛だ。

 そこへ息を切らしてやってきたのは、花音と昇威だった。二人の目の前には制帽を被り、胸元に金の釦や刺繍が施された紺色の軍服を着た上官の姿や、十人の式神使いの姿がある。二階に通ずる階段には、見慣れない黒マントの青年の姿もあった。

 式神使いたちは、上官の前に綺麗に横一列に整列している。完全に召集時間に間に合わなかった花音と昇威はごくりと唾を飲み込む。

「向かう途中で異形と戦闘になって、遅れました。すみません」

 昇威は頭を掻きながらぺこぺこと頭を下げるが、上官と式神使い達の鋭い視線が目に飛び込み、思わず尻込みをする。

「異形との戦闘があったとはいえ、遅れてしまったのは事実です。申し訳ありません」

 花音は片膝をついて深々と頭を下げた。それを見た昇威も慌てた様子で同じく片膝をついて頭を垂れる。

「まあいい。そこに並びなさい」

 髭面をした中年の上官は呆れたように小さく溜め息をつく。

 揃えて返事をした花音と昇威は、すぐさま上官の前に並んだ。ぴりぴりとした冷たい空気の中、集まった十二人は階段に座っている黒マントの青年の存在を気にしている。

「烏丸君もこちらへ来なさい」

 上官は階段に座る黒マントの青年に視線を送らせる。すると黒マントの青年は立ち上がり、緩慢な足取りで上官の隣に並んだ。黒いつば広の中折れ帽を深々と被っているので、その顔は窺うことができない。

「今日から『式月華』に入隊する烏丸紅冥君だ」

 上官が紹介すると、紅冥は一歩前に出て被っていた黒い帽子を取り、自身の胸に当てて深々とお辞儀をした。

 紅冥が顔を上げる際に花音と目が合う。

 すっと高い鼻と薄い唇。左目は長い前髪で隠されているが、人形のように整った顔立ちの白皙の美青年だ。年齢は花音と昇威と同じく十六歳くらいに見えるが、肩につく長さの漆黒の髪を後ろで束ね、どこか色香を感じさせるものがあり、大人っぽくも見える。

「烏丸紅冥です。これからよろしくお願いします」

 微笑んで弧を描いた右瞼の隙間から漆黒の瞳が覗く。

 花音は再び左目に激痛を感じた。針で突き刺されたような痛みに顔を歪めていると、紅冥は少しだけ悲しげな表情をする。

 左目の痛みはすぐに鎮まったが、紅冥を見ていると奇妙な感覚に襲われる。それはどこか懐かしいような胸の疼きで、何かに呼ばれているいるような感覚――。

「烏丸君には、鈴鳴花音君と組んでもらう」

 眉を寄せてしばらく考えて込んでいた花音だったが、上官の言葉に何もかもが吹き飛び、頭が真っ白になった。

 そこにいた花音以外の式神使いたちも、どよめき立つ。

「彼と組め……とは、どういうことでしょうか?」

 花音は眉間に濃い縦皺を刻み、拳をきつく握りしめた。一人では役不足なのかと言いたげに花音は上官に喰ってかかる。

「確かに今の私には式神がいません。しかし、人間同士で組むのは――」

「決定されたことだ。それに彼は今日加入したばかりだ。君ならいろいろと指導してやれるだろう。頼んだぞ。それでは今日は解散だ」

 反論する間もなく、それだけ言って上官は去ってしまう。

 上官が去った後、その場に妙な空気が流れた。皆、黙って花音の様子を窺っている。

 花音は沸々と沸き上がる憤怒を押し殺すように唇を噛み締めていた。

 その場に残された式神使いたちは、互いに目を合わせながら苦笑いを浮かべ、これ以上火に油を注がないようにと、何も言わずそそくさと帰りはじめる。

「って、ことで頑張れよ。じゃあな」

 その流れに乗じて昇威も花音の肩をぽんと叩いて立ち去ろうとするが、花音は昇威の首根っこを掴んで引き戻した。

「おい、なんで俺だけなんだよ!」

「皆には遅れて迷惑かけてしまったからな」

「俺には迷惑かけていいのかよ!」

 昇威の嘆きも届かず、花音は大きく頷いた。

「お前は幼馴染みであり友人だ。もちろん残ってくれるだろう?」

 圧をかけるように語気を強める花音に、抗えない何かを感じて、昇威は諦めた様子でがっくりと肩を落とした。

「烏丸と言ったな。すまないが今の私は誰とも組む気はない。組むならここにいる宮瀬昇威と組むといい。もちろん、分からぬことがあれば気軽に聞いてくれ」

 ぽつんとその場に残っていた紅冥に向かって、花音は軽く微笑んだ後、昇威の肩をポンと叩いてその場を立ち去ろうと足を速めた。

「おい、俺に押し付けるつもりかよ! さすがにそれは自分勝手すぎるだろうが!」

 昇威は声を荒げ、花音の背中をすぐさま追いかける。

「花音様、僕のことは気軽に紅冥と呼んでください」

 後方にいた紅冥は、マントを翻して高く跳躍をすると、花音の目の前に着地して片膝をついた。

 素早い動きに警戒する花音だが、紅冥はお構いなしにその手を握る。

「あるいは下僕と呼んでいただいても構いません」

 頬を染め、恍惚な眼差の紅冥に、花音は全身が身震いして、反射的にその手を振り払った。

「おい、昇威。この男……頭がどうかしている」

 花音は紅冥から逃れるように距離を取った。

「……なんだか気持ち悪い奴だな」

 これには昇威も苦笑いを見せる。

「今日は巫女装束じゃなんですね。残念です」

 紅冥は二人の様子を気にする素振りも見せず、立ち上がって再び花音との距離を詰めた。

「何故それを知っている? 私とどこかで会ったことがあるのか?」

 花音が巫女装束を着ていたのは一年前までで、それも数えるほどしかない。巫女禁断令が発せられている今、それを知っている人間は限られている。

「僕は以前、花音様に助けられたことがあるんですよ。……思い出せませんか?」

 紅冥は花音の顔を覗き見る。その射抜くような漆黒の瞳と視線が交わると、再び花音の左目が疼き出した。今度は眼球が痙攣して視点が定まらない。すると痛みと共に記憶が少しずつ甦ってくる。

「もしかしてあの時の黒マントの男か? 異形に襲われていたところを助けた記憶がある」

「覚えていてくださって感激です! 僕はあの時の花音様の戦いを見て憧れて、この部隊に志願したんです」

 紅冥は両手を合わせて目を輝かせているが、肝心な部分の記憶を取り戻せていない花音は、腑に落ちない様子でどこか胸に引っ掛かりを覚えている。あともう少しで思い出せるというところで左目の痛みが鎮まり、記憶も閉ざされてしまう。

 紅冥は花音の様子に目を細めて「少しずつでいいです。ゆっくり思い出していきましょう」と、花音に聞こえないくらいの小さな声で呟く。

「えっ、お前ら知り合いなのかよ! そう言えば花音て、昔は気合い入れて戦う時の正装は巫女装束って決めてたもんな。 お前ん家、神社だし」

「異形から一度だけ助けたことがあるだけだ。こんな素性の知れない奴に、ペラペラとしゃべるやつがあるか!」

 花音が思いっきり昇威の頬を引っ張ると、昇威は涙目で頬を撫でつつ「すまん」と謝る。

「でも、なんでこいつの記憶消してないんだ?」

「それは……記憶を消す前に見失ったんだ」

「ふーん、花音がそんなヘマするなんて珍しいな」

 異形との戦闘前には人避けの結界を張り、目撃した人間の記憶は消さなければいけないという式月華の決まりがある。しかし、当時の花音には左目の痛みでそんな余裕もなく、いつの間にか黒マントの青年は姿を消してしまっていた。

「花音様の巫女装束姿、もう一度見てみたいなぁ」

 紅冥は訴える小犬のように目を潤ませて嘆いてる。

「何故だ?」

 花音は怪訝そうに眉をしかめた。

「実は僕、巫女フェチなんです」

 紅冥は再び花音の両手をそっと取ると、両手で包み込むようにして優しく握る。花音を見つめる表情は真剣そのものだ。

「おい、昇威。大変だ、この男……ド変態だぞ」

 両手を握られたままの花音は表情を引きつらせながら、傍らにいた昇威に訴えかける。

「変態とはお褒めのお言葉ありがとうございます」

「……こいつ花音に変態って言われて喜んでやがる」

 満面の笑みを浮かべる紅冥に、昇威は頭を抱える。

「紅冥って言ったか? 上層部の決定かなんかしらねぇけどよ、式神部隊『式月華』の全隊員は、それぞれ十二天将と契約を交わしてる。だからそれ以外の奴の入隊は、普通は認められないはずだ」

 花音の手をずっと握ったまま、きらきらと輝く笑みを見せる紅冥を横目に、昇威は面白く無さそうに腕を組んで鼻を鳴らす。

「確かにな、上層部の考えが私にも理解できない。よほどこの男が、十二天将も凌ぐ強い式神の使い手なのだろうか?」

 紅冥の手を強引に振りほどいた花音は、昇威の言葉に頷いて、しばらく考え込む。

 十二天将とは、大昔に有名な大陰陽師が使役したとされている十二人の神様であり、最強の式神だ。現在はその意志を継ぐ家系の式神の使い手や、十二天将から認められ選ばれし猛者が集い、式月華が組織されている。

「僕に式神はいませんよ。そもそも式神使いでもないですし」

 沈黙の中、紅冥の口が徐に開いた。

 紅冥は相変わらず花音を見つめながら、目を狭めて微笑んでいる。

 紅冥の衝撃の発言に、花音と昇威はぽかんと口を開けた。

「部隊に入るには式神の使い手なのが絶対条件なはずだ」

「心配しないでください。式神なんていなくても僕は異形を倒せますから。そして花音様を異形からお守りします」

 紅冥は微笑みを湛えたまま、その表情を一切崩さない。

「何故私がお前に守ってもらわなければならないんだ」

 花音は呆れたようにため息をついた。

「腕には自信があるようだが、式神がいなきゃ話にならねぇだろうが」

 昇威が紅冥に詰め寄るが、その言葉に花音の肩もぴくりと反応する。

「式神がいないのは花音様も同じですよね? 上官から聞きました。戦闘中に突然消滅したと」

 花音は紅冥の言葉に俯き、きつく拳を握りしめた。

「式神がいない私を上層部はなぜ解雇しないのか、……私も疑問には思っている」

「過去の実績もあるし、上層部も手離せないんじゃねぇの? それに式神がいた頃は『最強の女式神使い』って言われて無敵だったしな」

 昇威は自分が切り出した話題が花音に一番刺さることに気づき、後悔しつつも、慌てた様子で花音の過去の功績をいくつか語り出す。

「……私はまだ式月華にいてもいいのだろうか?」

 すがり付くような上目遣いで花音は昇威を見つめた。突然の表情に昇威の心臓が跳ね上がる。裏では『凶暴男女』と言われていたことは死んでも伏せておかなければいけないと心の中で誓った。

「当たり前だろ! とにかく、今は上層部に従うしかなさそうだな。つまりは花音と紅冥が協力して異形を倒せってことだろ? こいつ胡散臭いし、気にくわねぇけど、最近は急激に異形が増えてきてるし、さっきみたいな戦いになると厄介だ。異例の新人起用ってことだし、こいつも腕には自信があるみてぇだ。試しに組んでみたらどうだ?」

 花音は紅冥の顔を一瞬だけ見るも、その視線をすぐに逸らす。

「上層部の命令だろうが私はその男と組む気にはなれない。……申し訳ないが、私は一人で行動させてもらう」

 紅冥と組む――。それ以前に花音は紅冥の近くにいると左目が疼いて胸がざわつく。懐かしくもどこか惹かれるような……今まで感じたことのない得たいの知れない感情の波が押し寄せ、それに恐怖を感じてしまう。

 紅冥にも同じ感覚があるのだろうか? と、ふと疑問を頭の中で浮かべるも、それすら尋ねるのを拒んでしまうほど、笑顔の紅冥の腹の底は計り知れない。そう確信した花音は、今はこの場から一刻も早く離れたかった。

「この男の側にいるとなんだか気持ちが悪い。昇威、あとはよろしく頼んだ」

 そう言って花音はそそくさと部屋を出ていってしまった。



「紅冥、今の聞いたか? 花音はお前といると気持ち悪くなるんだとよ。盛大に振られたな」

 八重歯を見せながら腹を抱えて爆笑する昇威に、今まで黙っていた紅冥は口を尖らせた。

「何が可笑しいんですか? それにあなたに紅冥と呼び捨てにしていい許可はしてないんですけど。初対面なのに失礼だと思わないんですか?」

「は? お前、花音に接する態度と俺に対する態度違いすぎねぇか?」

「気にくわないんですよ、僕もあなたのこと」

 紅冥は先程までの花音に向けられた微笑みとは一変し、まるで相手を下卑するような嘲笑を浮かべた。

「お前、腕には自身あるんだよな? 花音と組んでも問題ない強さなのか俺が確かめてやるよ」

 昇威は唇を舌で舐めとって、自身の掌に拳を打ち付けた。

「後悔してもしりませんよ?」

 紅冥は被っていた帽子を取ると、長い前髪を掻きあげ、隠されていた左目を露にした。

 真紅色の鋭い眼光が昇威を射抜く。その刹那に感じた恐怖に昇威は背筋を凍らせた。

「お前何者だ?」

 只ならぬ殺気に昇威は後方へ跳躍して距離を取る。視線は紅冥をしっかりと捉えていたはずだが、その姿が忽然と消え、辺りを警戒しながら見渡した。

「あなたが知る必要はないですよ」

 その声は昇威の背後から囁く。昇威は唾を嚥下した。後頭部から感じるのは金属の冷たさだった。

「俺のほうが先輩だろう? その態度はねぇだろう」

 紅冥に拳銃の銃口を突きつけられ、額に冷や汗を浮かべた昇威だったが、素早く屈んで銃弾を避けた。

 拳銃の砲口が部屋中に響き渡る。銃弾は部屋の壁沿いに飾ってある大きな壺に命中した。壺が砕け散ったと同時に、昇威は紅冥に背を向けて屈んだ状態から片足を上げて振り向きざまに勢い良く蹴りを入れた。しかし手応えはない。

「なかなかやりますね」

 昇威の蹴りは入らず、紅冥は再び帽子を被り、ひらりとマントを翻して空中に飛び上がっている。

「本当に撃つやつがあるかよ! つか、お前あの壺めっっっちゃ高いんだぞ! 俺は知らねぇからな!」

 昇威は割れた壺を指差して声を荒げた。

「花音様のお友達ならこれくらい避けてくれないと困りますからね。それに連帯責任って言葉知ってますか?」

「は? 冗談じゃねぇ!!!」

 柔和に微笑んだ紅冥の表情にぞっとした昇威は、着物の懐から取り出した一枚の紙切れを掲げて紅冥の方へと投げた。投げると同時に唱えていた呪文が終わると、紙切れは水の女神天后へと姿を変える。天后は身体に纏っている水を回転させて水の渦を作り、紅冥へ目掛けて放つが、紅冥はそれを空中で簡単に避けた。

「逃がしませんわ」

 天后は両腕を掲げて水の渦をコントロールして紅冥を追尾する。地に足を着けたばかりの紅冥は、その水の渦がギリギリになるところまで引き付けて再び高く跳躍し、攻撃を避けた。

「無駄だぜ!」

 昇威の言葉通り、それでもなお水の渦は威力を増して、紅冥の後を何処までも追ってくる。

「さぁ、どうする? 降参か?」

 余裕の笑みを浮かべている昇威だったが、紅冥の次の行動に目を見張る。

 紅冥が水の渦を再び避ける。

 避けたすぐ後ろにあるのは大きなシャンデリアだ。天后がそれに気付き、渦の威力を分散させるも、シャンデリアの一部は無情にも砕け散って、破片が地面に向かって降り注いでいく。

「わぁ、すごくキラキラして綺麗ですね」

「そんなこと言ってる場合かよ」

 昇威は頭を抱えて悲鳴を上げる。地に着地した紅冥は『連帯責任』と人差し指を口元に置いて微笑んだ。その言葉に震え上がる昇威だったが、さらにその顔色が真っ青に変わる。

「おい、見ろよあれ! 落ちてくるぞ!」

 昇威の視線は、天井に吊るされたぐらぐらと揺れる大きなシャンデリアに向いている。

「へ?」

 思わず紅冥も素っ頓狂な声を上げた。一部が砕け散ったとはいえ、本体のシャンデリアはとてつもなく大きい。

「あんなの俺の給料じゃ払いきれねぇぞ!」

「え、そっちの心配ですか? とにかく逃げましょうか」

 頭を抱えて落胆したように肩を落とす昇威の姿を見た紅冥は、無邪気に笑うと、昇威の腕を引っ張って強引に部屋の外へ連れ出す。

 シャンデリアは無情にも落ちて、轟音が部屋中に響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る