式神様は主のことが好きすぎる!

黒猫鈴音

序章 再会の桜

 青年は不覚をとった。いつもなら黒いマントを翻らせ、その身軽な身体ですぐ逃れるのだが今日は運が悪かったらしい。

 逢魔ヶ刻、桜並木の通りを歩いていると目の前で地獄の門が開かれ、そこから這い出た異形に足を掴まれてしまった。

 完全に不意をつかれてしまった青年は、異形に足を引っ張られ大きく尻もちをついた。

 目の前には呻き声を上げ、ドロドロとした紫色の液体を纏う鬼のような姿の異形が無数にいる。

 青年は目の前の光景に軽く溜め息をついて、自身の腰に携えていた拳銃を掴んだ。その表情に恐怖の色はなく、落ち着いた様子で青年の瞳は真っ直ぐに異形を捉えている。

 青年が拳銃を引き抜こうとした瞬間、舞い落ちてくる桜の花びらが空中で真っ二つに裂け、それと同時に青年の足を掴んでいた異形の腕が切り落とされた。

 青年は目を瞬く。異形の腕を切り落としたのは青年ではない。目の前には地面に刺さった大薙刀の刀身とその柄を握りしめた少女の姿があった。

「危ない所だったな」

 青年を見下ろし、微かな笑みを湛えた少女は、真っ白な肌に巫女装束を纏っていた。腰まである少し茶色がかった髪は天辺で赤い大きなリボンで結われている。

 華奢な身体つきと可憐な容姿とは裏腹に、その声音は低く凛として自信に満ち溢れていた。

 青年は肩をびくつかせ、咄嗟に漆黒の髪で両目を隠す。

「さがっていろ」

 少女は青年を庇うようにして背を向けた。その長い髪は風にさらわれる度に美しく波を打ち、桜の甘い香りが仄かに青年の鼻腔を掠める。

 持っていた長さ六尺はある大薙刀を地に捨て、少女は懐に忍ばせていた一枚の紙切れを人差し指と中指で挟み込んで取り出すと、それを掲げた。白い長方形の紙切れには墨で図形や文字が書かれている。呪文を唱えながら紙切れを異形に向けて放つと、それは空中で人の姿に変化する。

 全身に炎を纏い、背には大きな炎の羽を生やした、顔に蛇の鱗模様がある男の姿に変化した紙切れは、少女と視線を合わせた後、小さく頷く。

 一瞬にして辺り一面が紅蓮の炎に包まれた。炎は顔に鱗模様がある男の手から放たれたもので、蛇の形をした炎が異形を締め上げ、焦がして灰にする。

 それと同時に地獄の門も閉ざされ、先ほどの光景が嘘のように今は静寂に包まれている。

「騰蛇、戻っていいぞ」

 少女の命令に、顔に鱗模様のある男は頷くと青年を睨むように一瞥して「その男、気を付けたほうがいい」と一言だけ少女に伝えて薄闇に消えていってしまった。

 その言葉に少女は小首を傾げるが、振り返って青年の方に視線を落とす。

「大丈夫か?」

 そのふっくらとした艶やかな唇から放たれた言葉に、青年は慌てて俯き、少女と視線を合わせないようにしている。

 少女はその様子にまたも小首を傾げるが、視線を地に落ちていた、大薙刀へと移した。

 大薙刀を軽々と片手で拾い上げ、右肩に担ぐ少女の姿を、青年は自身の漆黒の髪の隙間から恐る恐る覗き見る。

「君は――」

 青年は何かを感じ取って言いかけるも、その言葉をぐっと飲み込んだ。

 少女は穏やかに笑みを湛えて、青年の方に手を伸ばす。青年は逡巡するように視線を泳がせたが、少女の腕を掴んでその腰をようやく上げた。

「大丈夫です。助けていただいてありがとうございます」

「無事で良かった」

 薄紅色の桜がゆらゆらと舞い落ちる中で、青年に向けられた少女の柔らかな笑顔に心臓が跳ねる。

 熱くなっていく鼓動と共に襲ってくるのは、忘れることの出来ない胸の疼きだ。

 湿り気を帯びた風が青年の髪を梳くようにさらう。露になったのは真紅色をした青年の左目だった。 

 そして右目は――。

「お前、何者だ!」

 眉根を寄せて声を荒げた少女の左目が激しい痛みに襲われた。痛む左目を抑えながらも、少女は青年に大薙刀を突き付ける。

 青年は今にも消えてしまいそうな悲しげな笑顔を湛えていた。

 その心には刃にも似た痛みが突き刺さっている。

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