第5話 妃には絶対になりたくない亡国の公主

朱亞シュア、秀女選抜試験お疲れさま!」


 先に試験を終えていた明明メイメイが、朱亞を温かく出迎える。

 

「これで朱亞も妃嬪ひひんの仲間入りか~。寂しくなるね」


「それは絶対にない。むしろ明明こそあるんじゃない?」


「私は受かる要素ゼロだもん。でも朱亞は田舎でも見たこともないくらいの美人さんだから、チャンス有るかもよ!」


 実はそうならないように、朱亞はわざとダメなフリをして試験に臨んでいた。


 本当は文字の読み書きができるのに、出来ないフリをした。

 趣味は何かと尋ねられたので、魚を熊のように手づかみで捕獲することだと返答した。

 好きなものは魚の頭をかぶりつくことだと、淑女としてはどうかと思うようなことをわざと話した。

 特技は洗濯。一日中やっても疲れたことはないのでそれが生き甲斐がいだとも。


 あれだけ変人のフリをすれば、きっと落ちる。

 問題は、変人だと噂が立ってしまうことだろう。

 孤立することには慣れているし、正体がバレることに比べたら朱亞にとっては些細ささいなことだった。


「朱亞なら絶対受かるよ! 大きい声では言えないど、どの妃さまよりも朱亞のほうが綺麗なんだから」


 そういって、明明は庭園の東屋あずまやに腰かけているお嬢様に視線を移す。

 そこにはたくさんの侍女や下女に囲まれた、派手な女がこちらを見ていた。

 

「明明、あそこにいるのはどなた?」


「朱亞知らないの!? あの方は司馬貴妃。四夫人の筆頭だよ!」


 後宮の妃には、序列が存在している。

 皇后をトップに、その下に四夫人の貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の四人。

 その下の九嬪は昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛の九人。

 さらにその下の二十七世婦、さらにその下の八十一御妻。

 皇后を除いても、合わせて総勢百二十一人もの妃が存在するのだ。


 つまり秀女選抜試験は、それらの妃を決める選考会ということ。

 現在の皇帝が即位した際に決まった妃以外の、残りの枠組みを埋めるのが今回の試験だった。


 ちなみに現皇帝に皇后はいない。

 なので、四夫人の筆頭である司馬貴妃こそ、後宮の支配者といってもいい。

 ──普通であればだが。


「見てよ朱亞、董太妃様が来られたよ!」


 司馬貴妃のそばに、一人の女性が現れる。

 貴妃である司馬貴妃の三倍以上の宮女を引き連れてやってきたのは、目がかすんでしまうほどの派手な金銀財宝を身に着けた二十代半ばくらいの女性。

 

(あれが董太妃……この後宮、そして金龍国の真の支配者)


 董太妃は、前皇帝の妃の一人。

 そして前皇帝の妃として唯一生き残っているお方でもある。

 四夫人の筆頭である司馬貴妃は、董太妃のめいなのだと明明が教えてくれた。

 

「董太妃様は凄いよね。従兄が宰相閣下で、実の弟は大将軍なんだって」


 華麗なる一族である董一族は、金龍国の実権を握っている。

 司馬貴妃は、絶大な力を持っている董太妃コネで後宮のトップになったにすぎないのだ。


「ねえ明明。董太妃様と一緒にいるあの男の子は誰?」


「あれは皇弟様だよ。董太妃様のご子息の」


 董太妃には、前皇帝との間にできた皇子がおられるのだとか。

 御年二歳。

 現皇帝と十個以上離れている彼は、金龍国に存命する二人の男子のうちの一人。

 もちろん、残りの一人は現皇帝である。


(つまり、現皇帝になにかあれば、あの子が次の皇帝になるわけね)


 どの国も、王位争いは絶えないもの。

 銀龍国でも、それなりに騒乱があった。

 だからこそ弱体化してしまった国の状態を突け入れられて、隣の金鸞国に滅ぼされてしまったのだが。

 もしも自分が妃の一員にでもなった日には、その騒動のど真ん中に殴り込むようなものだ。

 

(なにがあっても妃にだけはなりたくないわね)


 顔に傷でもつければ良かったかと、朱亞は後悔をする。

 できればそんなことはしたくないのだが、命には変えられない。

 なにせ自分は、隣国の王族の血を引く公主。

 生きているとわかれば、煮るなり焼くなりされる以上の辱めと苦しみを味合わされるのだから。


「さあ、あの人たちのことは気にしないで、私たちは早く帰りましょう」


 洗濯仕事は待ってはくれない。

 いそいそと仕事場に戻ろうとすると、「待ってよ朱亞~!」と明明が遅れて走って来る。


「きゃあっ!」


「明明!?」


 明明が誰かとぶつかっていた。

 相手は大柄の宦官だった。まるで武人のよう。


「おい娘、どこを見てる!」と、宦官に怒鳴られる明明。

 涙目になって震えている明明に変わって、朱亞が頭を下げる。


「明明が申し訳ありません。気を付けるように申し付けておきますので、この場はどうか」


「フンっ、次はやったらどうなるかわかってるだろうな」と言いながら、宦官は立ち去ってくれた。

 やけに血の気の多い男だ。

 憂炎とは大違い。


「明明、大丈夫?」


 友人に手を伸ばし、立ち上がるのを手伝う。


「うぇえええん、朱亞ありがとうぅうう!!」


 よしよしと明明の頭を撫でる。

 小動物みたいで可愛い。

 でも、こういうこともある。これからは、私が気を付けないとと、朱亞はポンポンと友人の頭を優しくたたいた。


 

 秀女選抜試験から数日後。

 

 朱亞は久しぶりに夜の散歩を楽しんでいた。

 試験があってここ最近は忙しかったのもあり、魚を獲りに行く余裕がなかったのだった。



 いつものように魚を獲って、憂炎を待つ。

 この深夜の生活も、だいぶ慣れてきた。


「あら、今日は遅かったですね」 


 ほどなくして、憂炎ユーエンの姿が見えた。

 彼は手燭てしょくを地面に置かずに、立ったまま朱亞を見つめる。


(どうしたんだろう。いつもなら手燭てしょくを地面に置いて、焚火の準備をするのに)


「今日も霧が深い……朱亞がいる日は、いつもこうだな」


「……ええ、偶然ですね」


「これだけ霧が立ち込めていれば、すぐそこに誰かいても気づかれないだろう。だから霧が晴れる前に宿舎に戻れ」


「…………どういうことですか?」


 憂炎はいったい何を言っているのだろうと、朱亞は眉をひそめる。

 ここ数日、大好物の焼き魚がまったく食べれなかったのだ。

 やっと今日、憂炎との約束の日になって深夜の食事を楽しめると思っていたのに、いきなり中止にしようとは何事だろうか。


「せっかく魚も獲ったんですよ。さあ、馬鹿なこと言ってないで、火を起こしてください。晩御飯にしましょう」


 普段通り接する朱亞の肩を、憂炎は突如ガシッとつかむ。



「時間がないんだ!」


「意味がわかりません…………」


 それでも、緊張感ある憂炎の表情を見れば、これがただ事ではないことが察しられた。

 しかも、憂炎は後方をちょくちょく見返している。

 

(もしかしたら、誰かに付けられているの!?)


 この場を第三者に見つかることを、危惧していると考えれば納得はいく。


「わかりました。今日のところはおいとまさせていただきます」


 帰る支度したくをする朱亞に対して、憂炎は唇をぐっと噛みしながら顔を見つめていた。


「それともう一つ……今日限り、この場所には近づくな」


「…………それ、本気で言っているのですか?」


 憂炎と目を合わせる。

 彼とは、友人になったつもりだった。

 毎日のように深夜に二人で密会をする仲。

 一緒に焼き魚を食べてるという秘密を共有していたこともあって、なんだか家族との団欒だんらんを想像するくらい親しみを覚えていた。

 それなのに、なぜそんなことを私に言うのか。

 なによりも──


(なんでそんなに苦しそうな顔をしているの?)


 まるで憂炎の意思ではないよう。

 苦渋の決断をしたように思える。


「……憂炎がそう言うなら仕方ないですね。どうせ私一人では火を起こせませんし」


 一人では、魚は獲れても調理することができない。

 二人そろって、初めて焼き魚を食べることができたのだ。


「…………待て」


 立ち去ろうとする朱亞を、憂炎は制止する。

 今度はいったいなんだと朱亞が目を細めると、憂炎は目の前で膝をついた。


「これを朱亞にやる」


 すっと、指に何かがはめられた。

 右手の薬指に、指輪がはめられていた。


「これ、もしかして──」


 憂炎のお母さんの形見かたみの指輪。

 近くで見て、初めてわかった。

 これは桃色の蛋白石たんぱくせき

 遠い西方の諸国ではピンクオパールと呼ばれている宝石だ。


(なぜこれを私に? だって、憂炎の形見なんでしょ?)


「これは口止め料だ。もうこの池には来るな、俺のことも忘れろ。いいな?」


 まるで今生こんじょうの別れのように、憂炎は朱亞の顔を見つめている。

 朱亞はその言葉には返答をせずに、そのまま池を後にする。


「達者でな。元気に暮らせよ」


 最後にそんなことを言う憂炎の声が聞こえた。


 彼に何があったのか、朱亞にはまったくわからない。

 けれども、深追いもできない。


 なぜなら朱亞は一介の下女であり、指名手配中の銀公主。

 問題事には突っ込まないのが、処世術でもある。



 友達だと思っていた。

 もしかしたら、それ以上の気持ちを持っていたかもしれない。


「さようなら……」


 芽生えたばかりのこの気持ちは、いったいなんだったのかしにはわからない。

 わかる前に、急にられてしまった。

 

 もう二度と会うことはないかもしれない。

 

 そう思っていたのは、朱亞だけではなかった。


 だけど、その考えは過ちだったと気が付く。

 再会は、意外と早かったのだ。

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