第4話 ちょっと変わった先祖返りの公主
「ねえ
「なになに、
まるで舌に油が乗っているのではないかと思うくらい、あることないこと口を
この子にだけは私が絶賛指名手配中の銀公主であるという秘密を悟られないようにしないとと、朱亞は気を引き締めなおした。
「一年前、後宮のとある妃が、池で溺れて亡くなっちゃたんだって」
それで幽鬼の噂が立ったらしい。
その妃は、深夜に一人で池に赴いて、そこで溺れて亡くなったのだとか。
なぜ妃が夜中に一人でそんなところに行ったのかは、誰も知らない。
きっと足を滑らせて池に落ちてしまったのだとか、もしくは自殺だったのだろうという話だ。
はっきりとしたことは何もわからなかったようで、それが幽鬼の噂となって尾ひれがついたのだろうと朱亞は納得する。
(もしかして
それならば深夜の池でばったりと出くわしてしまうのもわからないでもない。
だけど、それだと憂炎と出会ったことを朱亞が口止めされた理由にはならない。
なら、憂炎はなぜ夜中に池に足を運んだのか。
(わからないのなら、本人に聞けばいいわよね)
朱亞は池の幽鬼について、明明に詳しく調べて欲しいとお願いをする。
頼られるのが嬉しいのか、腕を
その夜、朱亞は先日と同じように寝所を抜け出す。
慣れた道のりをこっそりと進んでいくと、あの池へと辿り着いた。
「今日は遅かったようだな」
そこには、憂炎の姿があった。
まるで朱亞を待っていたかのよう。
「まさか憂炎さまは、今日も来られたのですか?」
「別にいいだろう。ほら、火を持ってきた。それに見ろ、塩を調達してやったぞ」
「え、塩ですか!? 憂炎さま、大好きです!」
塩は高級品だ。
新米下女である朱亞に手に入れる手段はない。
それでも逃亡中、塩なしの焼き魚に慣れていたせいで、すっかり塩のありがたさを忘れていた。
それにしても、人生とは不思議だ。
なぜかこの男が、朱亞と焼き魚のために塩まで持ってきてくれる仲になってしまったのである。
──きっかけは、初めて憂炎と知り合ったあの夜。
朱亞は焼き魚をご馳走してあげた。
ただの池の焼き魚。
だというのに、憂炎は
「出来立ての料理とはこんなにも美味なものだったのか……」と感動すらしているご様子。
もしかして下級宦官は、下級下女と同じく食事が貧しいのだろうかと思ったが、どうやら違うらしい。
憂炎の
昼間に会ったことはなく、
「それにしても朱亞は、なぜこんな夜中に池に来たんだ?」
「前にお話したとおりです。焼き魚が食べたかったからです」
「嘘をつくならもっとマシな理由があるだろう。何か俺に隠していないか?」
憂炎に隠していることはいくつかある。
どれも打ち明けるつもりは一生ないけどね、と朱亞は
今夜も深い
空にまで膨らんでいるこの白霧のおかげで、焚火を起こしていることはまだ誰にも気づかれてはいない。
「今日の獲物は俺が釣った魚だ。存分に食べるがいい」
下女が魚を獲れるのなら、俺にでもできる。
そう自信満々に言っただけのことはあったらしい。
憂炎は有言実行する男のようだ。男の大切なものはもう切り落としているけど。
「魚といえば、銀龍国の銀公主は川魚が
「ええ、存じております。耳にタコができるほど」
「それほど美しいのであれば、是非とも一度お目にかかってみたいものだ」
憂炎まで、明明と同じことを話している。
もしかして銀公主のその噂話をするのが、この国で
「朱亞は銀公主ほどではないかもしれないが、かなり顔は整っている。下女にしておくにはもったいないくらいだ」
(その銀公主は、私なんですけどね……!)
「あいにくですが、わたくしめは
妃にでもなった日には、正体が逃亡中の銀公主だとバレてしまうかもしれない。
目立つのはできるだけごめんこうむりたいのが、朱亞の方針である。
もちろん、夜間の密漁は例外として。
「いやいや、俺がそう言うんだから、きっと芽はあるはず。来週には秀女選抜試験があるから、応援しているぞ」
秀女選抜試験とは、皇帝の妃となる
これに受かれば、下女から晴れて妃の一員に出世することができる。
(私は下女のまま静かに生活できればいいから、できれば受かりたくないのだけど)
自分の正体が逃亡中の銀公主だとバレたら、きっと処刑されてしまう。
銀龍国が滅亡してそろそろ一年が経つ。
やっとの思いでここまで生き延びたのだから、これ以上は辛い思いはしたくない。
一族を再興するとか、難しいことを考える余裕は今はない。
それでも死にたくはないから、何をしてでも死ぬつもりはないのが朱亞の考えだった。
(それにしても、憂炎はやけに偉そうな口ぶりよね。もしかして、けっこう偉い宦官なのかしら)
朱亞はじーっと憂炎の顔を見てみる。
すると月の光に反射して、彼の金色の髪が輝きを放った。
「この髪が珍しいのか?」
金鸞国で逃亡生活を半年以上したけど、金色の人なんて一人も見かけたことはなかった。
故国である銀龍国でもだ。
憂炎の髪は、まるで遠い異国の人間か、もしくは神仙のようなこの世のものではない輝きを発している。
「もかして、金鸞国の伝承を知らないのか?」
「……伝承?」
あいにく朱亞は、この国の人間ではない。
王族として教育をきちんと受けたわけでもないので、隣国の歴史についてはさっぱりなのであった。
「自分の国のことも知らないなんて、どれだけ田舎者なんだ朱亞は……」
「どうせ田舎者ですよ。それで、伝承とはいったいなんですか?」
朱亞は焼き立ての魚を憂炎に手渡しをする。
魚が刺さった棒を持って口を付けないまま、憂炎は話し始めた。
「金鸞国の皇族の祖先は、伝説の霊鳥である
「
「
朱亞は、とっさに己の髪を指で触った。
黒く染めているが、本来の色は銀色。
(まさかうちの国と同じ伝承があったなんて……)
「先祖返りしている者は、珍しいからと重宝される。それだけじゃない、霊鳥のような特殊な力が身に宿っているという伝承だ」
「それ、本当ですか……?」
「残念ながら、そんな特殊な力は俺にはない……ちょっと人より頑丈で、健康には自信があるけどな」
(その点では、銀龍国の伝承とはちょっと違うみたいね)
力のことを信じていないということは、魚を獲る場面を見られても問題ないかもしれない。
そう安心したことで、気になることが浮かんできた。
「ちょっと待ってください。重宝されているにしては、憂炎の噂を一度も聞いたことありませんよ?」
あの噂好きの明明が、こんな
それなのに、朱亞は金髪の宦官の噂なんてまったく耳にしたことがなかった。
「そういうこともあるさ。そういえば隣にあった銀龍国にも、これと同じような伝承があるとか。知ってるいるか?」
「……わたくしは自国の伝承も知らない田舎娘ですからね。もちろん知りませんとも」
「そういじけるなって。教えてやるから機嫌を直してくれ」
(教えられてなくても、その話は身に染みて知っていますが)
「面白いことに、銀龍国の王族の祖先は銀色の龍だという。しかも同じように、
(知っている。だって、それが私なんだから)
「伝承によれば、先祖返りした者は龍のように魚を
──パクリと、朱亞は焼き魚を口に含んだ。
むしゃむしゃと魚肉を噛んで飲み込むと、憂炎は待っていたかのように焼き魚を食べ始める。
「銀龍国の王族はみな死んだ。逃亡中の銀公主の髪は、美しい銀色だという。なにか、先祖返りについて知っているかもしれないな」
「…………よくまあ、憂炎さまは隣の国のことをそこまでご存知ですね」
実際、朱亞は驚いていた。
銀龍国の王族しか知らないようなことを、なぜこの男が知っているのか。
「まあ、ちょっとな……」
十年前に王宮で出会ったあの少年は、たしか金鸞国から銀龍国に来ていた
「そうそう、憂炎さまに訊きたいことがありました。池で幽鬼が出るという噂は、ご存知ですか?
「ああ、聞いてるとも。去年、妃が一人、亡くなったというやつだろう……」
「もしやその池というのは、ここの池のことですか……?」
ビュルルルと風が吹いた。
まだ夏とはいえ、夜風は冷える。
そして幽鬼の噂を聞くのも、不思議と夏が多い。
「残念ながらこの池ではない。その池は縁起が悪いからと埋め立てられたゆえ、もう無くなっている」
(よ、良かった~。さすがに人が亡くなった池の魚は食べ辛いし、幽鬼とも顔を合わしたくはないからね)
「亡くなった者には、何があったかもう尋ねることはできない。その妃も、そして銀公主も……」
「……銀公主が捕まったら、どうなると思いますか?」
朱亞はついそんなことを尋ねてしまった。
その後、後悔するとも知らずに。
「皇帝の意見は関係なしに、きっと処刑されるだろう。銀龍国の王族は
(やっぱり私、殺されちゃうじゃん!)
しかも車裂きの刑とは
想像するだけで四肢が悲鳴をあげてしまいそうだと、朱亞は自分の体を抱きしめた。
(決めた。何がなんでも、絶対捕まるもんですか!)
そう決意した朱亞を見て、憂炎はぼそっと言葉を
「銀公主、一度でいいから会ってみたいものだ……」
憂炎のその言葉だけが、妙に耳に残った。
(私はここにいますよ?)
そう打ち明けられたら、どれだけ楽だろうか。
だけど、それだけは絶対にできない。
私とあなたは敵同士。
いくらこうして仲良くなっても、この国の人間はすべて祖国の敵。
恨みはあれ、親しみを持つことはない。
なぜならあなたたちは、私を捕まえて殺そうとする、凶悪な人たちの一人なのだから。
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