君と思い出の洋食(エビピラフ)

 ごく最近開店したばかりの純喫茶という場所で、私は妻を待ち続けていた。店内は昼時なせいか、ほぼ満席の状態となっている。

 年齢層も様々で、かくいう私も七十代という年代で、店内の雰囲気のせいか違和感なく馴染んでいる。古民家をリノベーションした喫茶店は、古き良き昭和を感じる佇まいを保ち続けていた。使用されている家具なども、最近作られた品には到底思えない品が多い。使い込まれた木製品独特の深く濃い色合いが、古民家の歴史の奥深さを物語っている。

 私はすでに窓辺の席に深く腰掛け、待ち合わせている相手を待ち侘びていた。窓から眺めることのできる庭もまた整えられていて、待ち時間すらも飽きさせない趣向が凝らしてあった。秋口の庭は紅葉の赤で染め上げられていて。赤を主体としたグラデーションの葉が地面にも広がっている。自然の生み出す景色を目で楽しんでいると、給仕の女性が水を運んできた。

「いらっしゃいませ」

 丁寧な口調と所作で現れた給仕の女性は、笑みを崩すことなくメニューを私に手渡す。着物に白いレースのあしらったエプロンは、明治の時代を彷彿とさせる姿で、レースが華美すぎなければ、幼い頃の母を思い返すことができる。

「ご注文がお決まりになりましたら……」

「ああ、すでに決まっているのだけれど、注文しても良いだろうか?」

「はい」

 言質は取れたので、安堵しながら私は事前に決めておいたメニューを注文した。

 それから数分して、待ちに待った相手が空いた向かい側の席に腰掛けた。少し息が上がっているのは、慌てていたのかもしれない。予め焦らなくて良い、と伝えておいたはずだというのに、仕方のない人だ。

「お待たせしました、あなた」

「大して待っていないよ」

「そうですか?」

「もちろん」

 笑みをたたえながら、私は妻に嘘偽り無く伝えた。喫茶店で数十分の遅刻など、たいしたことではなかった。しかも厳格に時間を決めていたわけではないし、何より喫茶店という場所で細かな時間指定は必要ないだろう。

 それでも妻は申し訳なさそうな表情を浮かべるので、私は必ず安心してもらうために言葉を伝えることを忘れないようにしている。

「注文は終わりましたか?」

「つい先ほどね。ほら」

 その証拠に、と私は視線を横に向ける。すると給仕の女性がサラダを運んでくるところだった。

「お待たせしました、サラダになります。ドレッシングはすでにかかっておりますので、軽く混ぜてお召し上がり下さい」

 説明をしながら、私と妻の前に掌サイズの皿に盛られたサラダが置かれた。レタスときゅうり、ミニトマトとスライスしたたまねぎというシンプルな組み合わせだった。

「ちょうど良いタイミングだったな」

「はい。それではいただきましょうか」

 すでにテーブルに用意されていたフォークに手を伸ばして、私たちはサラダを食べ始めた。

 うん、これは新鮮なサラダだ。

 レタスはまだぱりっとした歯ごたえが残っていて瑞々(みずみず)しい。斜めに切られたきゅうりも同様で、異なる歯触りが楽しさを運んでくる。ミニトマトは一口で食べることができて、噛むと中の液体が弾ける。玉ねぎもしっかり水にさらしているのだろう、辛みもなく甘みが感じられた。

 そしてこのドレッシングが、野菜の味を邪魔していない。

「美味しいドレッシングですね」

 目を開いてドレッシングを味わう妻に、私は頷いて同意をした。オリーブオイルを基調とした味なのはわかるが、味のバランスが良いのだ。

「オリーブオイルと塩とこしょう……黒い粒が見えないので、これは白の」

「また再現するのかい?」

「可能であればしてみたいですね」

 私の質問に対して妻は答えてくれたものの、視線はサラダから外すことはない。研究熱心な妻だ。

「何でも再現できてしまうのはすごいなぁ」

「楽しいのもありますけれど……」

 サラダから一瞬、妻は視線を上げた。私の反応を確認したのか、それとも何か意味があるのだろうか。

「今はサラダを味わって、メインに備えようか」

「そうですね」

 何か言いたげな妻の言葉は、後でゆっくりと訊ねるとしよう。

 時折会話を交えながらサラダを食べ終えると、見計らったかのようにメインの食事が運ばれてきた。

 ほんのりとした海老の香りを漂わせた皿は、私たちの目の前に一皿ずつ置かれる。

 ああ、これだこれだ。雑誌で見かけた料理の写真そのものだった。

「お待たせしました、エビピラフになります。炊きたてですので、熱いので食べる際は火傷に注意をして下さいませ」

 エビピラフという言葉に、私たちのは幼子のように目を輝かせた。

「素敵なエビピラフですね、あなた」

「ああ。しかも豪勢だ」

 声を上げながら、私たちはエビピラフの登場に喜んでしまう。

「まずは食べよう、温かいうちに食べたほうがいいはずだ」

「ええ、でも火傷はしないように気をつけて」

 顔を見合わせ、私たちは決意と共に深く頷いた。

 銀色に光るスプーンを手に取り、出来上がったばかりのエビピラフをすくい取る。

 すると存分にコンソメを吸い込んだ米の香りが、白い煙と共に漂う。朝食を控えめにした空腹を訴える体には、香りだけでも十分なご馳走となった。

 けれど香りだけで、腹が膨れることはない。

 見た目を堪能するよりも先に、私はエビピラフを口に入れた。

 旨い。

 これ以外の言葉が必要だろうか、ただただ旨い。

 バターとコンソメの味が染みたピラフは、こくがありながらも、バターの味わいがしっかりと感じられた。

 それだけではない、一緒に炊かれた具材もまた旨い。

 玉ねぎやピーマンにパプリカ、マッシュルームと海老という決して種類は多くないが、色と味わいに深みを与えていた。時折感じられる玉ねぎの甘み、ピーマンはほぼ苦みを感じさせず、パプリカもまたほんのりと甘かった。マッシュルームは水煮の缶詰ではない、妻が時々食卓に出してくれる生のマッシュルームの味に似ていた。きのこは共に炊き込まれた具材の味が凝縮されていて、とにかく旨みの塊と化していた。

「美味しいですね。旨みがぎゅっと詰まっていて、海老も大きくて豪華です」

「そうだな」

 嬉しそうに味わう妻を見つめながらも、私は大ぶりの海老をピラフと共にすくい取った。

 スプーンサイズの海老の姿という物は、心を高揚させるには十分だった。ほんのり赤く染まっていて、表面の艶やかな色合いが何とも美味しさを誘う。

「食べるのがもったいないですね」

「その気持ちはとてもわかる。だが」

 食べない、という選択肢はあり得ない。私は躊躇いを捨てて、海老と共にピラフを口に入れた。

 海老の味が濃い、しかしピラフに負けていない、味をしっかりと主張してくる。噛みしめれば噛みしめるほど、二つの味が染み出してくる。口内に広がる旨みに、私は目を細めながら味わっていた。

 ただただ旨い、これは贅沢の極みのエビピラフだ。普段食すものではない、値の張る喫茶店でしか出会えないエビピラフだろう。

「ふふ、美味しそうに食べていますね」

「旨いからな」

「そうですね、とても美味しいです。家庭で再現が難しそうですが」

 そう言いながら、妻は頬を緩ませながら私を見つめた。そんなに真っ直ぐ見られては、どうしても年甲斐もなく照れてしまう。

「あなたの素敵な笑顔が見られましたから」

「そんなに笑っていたか?」

「ええ。美味しそうに食べていらっしゃるとき、素敵な表情をされるのですよ。今もですけれど」

 そう言いながら、妻はピラフを口に入れた。私に負けず劣らず、ピラフの味に浸っている笑みを浮かべていた。

「美味しそうに、嬉しそうに食べられるので、私も楽しくて、料理の作りがいがありますよ」

「……参ったな」

 妻の唐突な告白に、私の頬は熱を持ち始めてしまった。この年になって、堂々と告白されるのは照れてしまう。

「わざわざ思い出のエビピラフのお店を探してくれたのでしょう?」

「お見通しだったか」

「ええ。子供が生まれる前に、洋食を食べに行ったのを覚えていますから。その時食べたエビピラフは忘れていませんよ」

「そうだったな」

 懐かしい思い出に、私は結婚当初を振り返る。妻とはお見合い結婚をして、なかなか子供に恵まれず、二人で過ごした時間が長かった。

 日々仕事に追われながらも、妻との時間を大切にしたものだ。

 その中の思い出の一つが、この「エビピラフ」だった。当時は外食は贅沢だったが、妻を誘って奮発した。

 その時の味の詳細は忘れていないが、記憶と共に旨かったという思い出と深く結びついている。

 エビピラフ以来、妻が自宅で洋食を振る舞う回数が増え、外食でも食べる機会が多くなった。最近はあまり食べていないのは、私たちの健康を慮(おもんぱか)ってのことだ。どうしても洋食はカロリーが過多すぎて、数ヶ月後の健康診断の結果に響いてしまう。

 けれどこうして時折、デートで洋食を巡るのは悪くはないだろう。老後の楽しみが一つ増えるだけだ。

「この間食べたプリンもそうでしたね、あんなに蕩けて甘い食べ物に感動しました」

「洋食には思い出が多いな」

「はい。だから、その、たまに食べに行きませんか?」

 妻からの提案に、私は笑みをさらに濃くしながら頷いた。

 普段は控えめな妻の提案を、私が断るわけがない。

 年齢を重ねてもなお愛らしい妻に、私は次の洋食の計画を立てながら、エビピラフを味わい続けるのだった。

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喫茶のすみっこで ~Corner of the cafe~ うめおかか @umeokaka4110

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