第23話 冷たい雨

 実家から戻り、仕事も始まった私達は、これまで通りの生活に戻っていった。私と遼真の距離はより近くなり、大切な存在になっていった。同棲する話なんかも出たりするけど、もう少ししたらねって言いながらデートを重ねている。


 それからしばらく月日がたった3月1日。この日は朝から、冷たい雨が降り続いていた。そして悲報を知らせる1本の電話から、私の生活は一変することとなるのだった。


 私はいつものように仕事をしようと、資料を片手に自分のデスクに向かい歩いていた。デスクの電話がけたたましく鳴り響き、近くにいたユキちゃんがすぐに対応してくれている。


 大卒でここに入社して1年程になるユキちゃんも、なんとか電話の対応もサマになってきた。最初のころは、はいもしもーしなんて言って、課長の目を丸くさせてたっけ。


 すると、ユキちゃんは静かに立ちあがり、真っ青な顔をして私を見つめている。


「あの。睦先輩。お父さんからお電話で。お母さんが倒れたって……」


「え……」


 私自身、全く現実味のない世界で、悪夢を見ているようだった。急いで電話をかわり、冷たい受話器を耳にあてると、聞こえたのは紛れもなく父さんの声だった。


「睦か。母さんが朝、お店で倒れて。救急車で病院にきてるんだが、意識が戻らん。医者が親族に連絡されてくださいって。もぅ訳がわからん」


 いつもは穏やかな父さんの声が焦りと不安から、震えている。キーンという耳鳴りがきこえ、私は突然暗闇にほっぽりだされたように、動けなくなってしまった。


 様子を察して駆け寄った光樹が、電話を代わり、父さんと話をしている。私は黙ったまま、自分のデスクに力なく座った。


「状況はわかりました。すぐにそちらの病院に向かいます」


 光樹はそう言うと、フリーズしていた私の手をとり、病院まで車を走らせてくれた。静寂な時間が少しずつ冷静に状況を把握させる。母さんの命が危ないのだという不安で、溢れる涙を止めることができなかった。


 ついこないだ、またねって別れたのに。健康だけが取り柄だっていつも自慢してたくせに。


「母さん。母さ……ん」


 誰でもいいから、母さんを助けて。こんな時、人って勝手だよね。いつも信じてもないのに、見えもしない神様とやらにまですがりたくなる。3時間程度の道のりが、果てしなく感じて怖かった。


 病院に到着する頃、雨はより激しさを増していた。入り口のところでひとり父さんが待っていた。傘もささず、雨に濡れたまま、立ち尽くしている。


「父さんどうしたの?母さんは?」


 その言葉に、父さんは唇を噛みしめ、首を横に振っている。


「ごめんな睦。電話を切ってすぐ、母さんの容態が急変して、そのまま息を……引きとったよ。眠るように」


 そこまで口にすると、父さんは膝まずき、声を殺して泣いた。


 すべてが現実なんだと受け入れざるを得なかった。看護師さんに案内され、病室にはいり、横たわる母さんにそっと触れる。まだ温かくて。今にも目を覚ましそうな母さん。


「本当、眠ってるみたい」


 人の死とは、こんなに突然なんの前触れもなくやってくるのだと、改めて知った。医師の説明だと、急性心不全だという。詳しいことを話しているようだが、頭に入ってこない。


 数年前、実家で猫の梅吉が死んだとき、母さんが言ってたことを思いだす。


─泣かないの、睦。死は命あるもの全てに訪れるものよ。遅かれ早かれね。光の世界に繋がってるって、私は信じてる。だから、またねって、しばしの別れを告げるのよ。


「母さん。私、そんなに素直にまたねって言えそうにないよ」


 うつむき涙を浮かべる私の肩にそっと光樹が手を添えてくれていた。

 

「光樹、わざわざ送ってくれて、本当にありがとう。迷惑かけてごめ……んね」


「大丈夫……なわけないよな。こっちのことは気にするな、会社には連絡しておくから、そのまま母さんをしっかり見送ってあげろよ。おじさんも心配だし」


 その後、看護師さんの説明を受け、今後の手続きが進められてゆく。悲しむ間もないほど、たんたんと。父さんも、悲しみの縁でゆっくり座るまもなく、親戚への連絡や葬儀場の手配などに追われていた。


 人の体とは残酷なもので、この状況でも、喉は乾くし、お腹もすくものである。少し気持ちが落ち着いてきたころ、無性に遼真に会いたくなった。おもむろにバックからスマホを取りだし、連絡をとる。


「あ、遼真。なかなかメール返せなくてごめんね。実はね……」


 私は、時々こみあげる涙を我慢しながら、母さんの訃報を遼真に告げた。


「待ってろ、すぐに行く」


 遼真を待っている時間は、とてもとても長く感じた。みんなで過ごしたお正月の記憶が、つい先日のことのように蘇る。


 到着した遼真に抱きついたとたん、私は子供みたいに声をたてて、声にならない声で母さんを呼びながら泣いた。一緒に涙を流す彼に支えられながら、葬儀場で時間を過ごした。


「睦、俺一度戻ってクラゲ連れてくるね。しばらくこっちにいるだろうし。俺が面倒みててもいいけど、今は一緒にいたいだろ?オヤジさんもメシ食べてるか心配だしな」


 思わず心細くなり、彼を見つめると、そんな心を察してか、私を優しく抱きしめてくれた。まだまだ止まぬ冷たい雨が、心の中まで濡らしていくようだった。


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今回は第23話を読んでいただき、ありがとうございます。

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