第18話 忘れられたロールケーキ

 部屋いっぱいに広がる珈琲の香りに包まれて、バターを乗せたパンケーキをふたりで食べた。


「めっちゃ美味しいコレ。ヤバっ」


「もぅそんなに慌てないで。シロップかけないの?」


 もぅなにこれ。幸せな時間って、香りまで甘ったるいじゃん。


「そろそろさ、睦……って呼んでいい?」


 てか、あんなことやこんなことの最中に、睦って呼んでたじゃんかー。なんて、ニヤけそうな自分を抑える私。


「もちろんいいよ〜。私はなんて呼べばいい?」


遼真りょうまがいい」


「なんか照れくさいね」


 こんな会話だけでも、背中に羽が生えてしまいそうなほど嬉しかった。ちょうど朝食が終わりそうなタイミングで、遼真のスマホが鳴った。


「ん?どうしたんだろ。ちょっとごめん、電話でるね」


 遼真は、画面を見て、少し曇った表情で電話をとった。


「はいはーい、マリー。どうしたの?うん、う……ん。こないだもキャンセルで寂しかったけど、体調大丈夫?そっか。うん、俺は元気だよ。あ〜今度マリーに報告したいこともできたし。次こそは会いに行くからね。ゆっくり休んで。うん、わかった。じゃまたね」


 会話の相手はマリーさんだったようだ。なんだか心配な会話。


「マリーさん、最近体調悪いの?」


 珈琲のおかわりをカップに注ぎながら、私は何気に遼真に聞いてみた。


「うん。電話の声もなんだかいつもよりトーンが低いように感じちゃってさ」


「ねー。今度ふたりでお見舞いとか行ったらご迷惑かなぁ?いや、遼真ひとりのほうが、マリーさん喜ぶか……」


 その提案をきいて、遼真の顔がパッと明るくなった。


「それめっちゃいいね〜。だってさ、こないだプレゼントを一緒に渡しに行った後も、睦が来たことすごく喜んでて。デートしてても、よく睦のこと聞かれてたんだよ」


「そうなの?嬉しい」


「マリーにいつも言われてたんだ。あなた達、まだ恋人にもなってないの?そんなに悠長なことしてると、逃げられちゃうんだからってね」


 遼真は、マリーさんの声色を真似っ子しながら、話してくれた。とってもチャーミングで、それでいて上品で。私もあんな歳の重ねかたがしたいって思える女性、マリーさん。


 そして遼真がスマホをテーブルにのせ、優しい瞳で私を見つめながら、髪の毛を撫でる。メイプル味のキスなんて初めてかも。暖かい陽射しの中、クラゲはお気に入りの窓辺でお昼寝しながら、大きなアクビをしていた。


 すると再び遼真のスマホに着信が。少しふてくされながら、彼は画面を確認する。


「遼真のスマホは忙しいですねぇ〜」


 私はテーブルの上の食器を片付けようと立ちあがり、遼真に声をかけた。次の瞬間、彼は慌てふためくようにスマホを握ったまま、外に飛び出したのだ。



 それは、レオン先輩からの着信だった。内容はわかってる!というか今思い出した!あ〜ヤバい。殺される。実は、今日俺はレオン先輩から重要な任務を任されていたのだ。


 本日12月26日は、レオン先輩のひとり娘である、かおりの誕生日。そこで、レオン先輩は、最近人気爆発中の駅前にある店で限定スイーツを手に入れようと計画したわけである。土日はオープンと同時に売り入れることがある程の、人気のロールケーキ。


 先輩いわく、娘に「パパすご〜い」って言われたいらしい。どんなプライドだよ。そこで、特に予定もなかった俺は、その限定スイーツなら俺が並んで手に入れてきますよ!なんて簡単に引き受けてしまっていたのだ。


 しかーーし。昨日からの睦との甘いひとときに酔いしれ、俺はすっかり今日の予定を忘れていた!時間を確認すると、すでに10時半を優に超えている。


 パティスリーマルルの開店時間は9時。俺はただただ慌てていた。いちよ、店に電話してみるか〜。すると、心配そうな顔をした睦が玄関先から顔を出した。


「どしたん?お困りごと?」


 俺は大きなため息をひとつついた後、ことの経緯を睦に説明した。すると、睦はクスッと笑うと少し待っててと合図をして、電話をかけはじめた。


「もしもし、お忙しいところ申し訳ございません、わたくし天野と申しますが、オーナーのたちばなさんいらっしゃいますか?……あ、私です睦。突然で本当に申し訳ないんですけど、ラブリーフラッシュを一本、今日手に入らないですよね?」


 な、なんだ睦。そのダッサイ必殺技みたいな名前は!俺は、怪訝そうな表情で睦を見守ることしかできなかった。


「あ〜はい。本当ですか、よかった。ありがとうございます。取り置き断ってらっしゃるのに、ご無理言って申し訳ありません。では、12時頃には取りに伺えるかと思います。このご恩はまた今度。では、後で伺いま〜す」


 スマホをきって、俺の方を振り返るなり、睦はピースサインをしている。俺は、とりあえずピースサインを作り、答えたけれど、意味がわからない。


「あれ?遼真喜んでないの?さて、準備してロールケーキ買ってくるね〜」


「ちょ、ちょっと待って。今の必殺技みたいなヤツがロールケーキの名前なの?」


「知らなかったの?私はちなみに、パティスリーマルルのプラチナ会員!」


 そう言って睦は1枚のスタンプカードらしきものを取り出した。ん?20個スタンプがたまったら、プリンをプレゼント?


「これって、普通のスタンプカードやん!」


 そんな俺のツッコミを見て、睦はケタケタと笑っている。


「実はね。私は、マルルの10年来のファンなの。私がこっちに田舎から出てきてすぐ、何度もホームシックにかかって、その度に、帰郷したくて駅のホームで電車を見送った。そんなある日、駅前で見つけたお店が、パティスリーマルル。その頃は、橘のおじさまがスイーツを作ってて、私はそのお店のプリンに恋に落ちたの。トロリとした食感に、ほろ苦いカラメルがまた最高なの」


「それで、通ってるうちに、マルルのオーナーと仲良しに?」


「うん。でも、それだけじゃなくて〜。実は、あのお店はクラゲの実家。クラゲのママである、マリリンちゃんがいるからね。3匹子猫が産まれた時、店内に里親募集中の貼り紙がされてて。私がクラゲを譲り受けたってわけ。最近は、息子の真人まことさんに代替わりして、あのロールケーキが大当たり!口コミから広がって、今じゃ時々雑誌の取材も来るみたいだよ〜。私はプリン派だけどね」


「すげー。持つべきものは、マルルのプラチナ会員の彼女だな。そうだ、クラゲのママにも初対面してこよっかな〜」


「残念でした。母猫のマリリンは、今はうちの実家にいるんだよ〜。はい、はい。では、こっちは私が取りに行ってくるから。遼真は、かおりんさんにあげる花束でも買っておいでよ」


「え?俺も一緒にいくよ〜」


「もぅ。本当はお誕生日会誘われてるんでしょ。心配しなくても妬いたりしないから、お仕事でしょ、レンタル彼氏!」


 妬かないはちょっと寂しいけど。俺は、しっかりものの睦のおかげで、命拾いしたのだった。




 

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