第5話 彼女の裏切りと月夜の情事

 次の日いつものように出勤準備するが、寝不足がたたって、化粧ノリ最悪。遅刻ギリギリに会社に駆け込み、自分のデスクに滑り込んだ。隣の光樹は、すでに出勤して資料整理でもしているのか、姿が見当たらない。ちょっぴりホッと胸をなでおろす。と思ったのもつかの間。


「おはよう睦」

 

「お、おはよう光樹」


 何事もなかったように一日がはじまった。下手に意識すると良くないと思い、平常心を心がけ仕事に集中。昨日のことが嘘だったみたいに普通なんだけど。それはそれで落ち着かない。そんな時、お昼過ぎに光樹からメールが届いた。


―睦。今度デートしよ。


 隣にいるのに、そしらぬ顔でこんなメールを送りおって。返信に悩んで画面を睨みつけていると、次のメールが。


―俺、明日からしばらく出張だから、帰ったらデートよろしくお願いします。


 そういって私の方を向いて優しく微笑んでくる。もぅ眩しいですから、やめて~。


―出張気をつけてね。デートは考えとく。誘ってくれてありがと。


 とりあえず返信をすませ、席をたった。やばい、このままでは完全に光樹のペースで進んでゆく。別に嫌いじゃないし、嫌じゃないけど、なんか腑に落ちないんだよなぁ。なんだろう、この気持ち。これまでの付き合いと何か変わる?光樹とキス以上の関係になるなんて……いや、ありえん。あの顔をまじかで見るなんて、あんなことやこんなこと……いやいや耐えれるきがしない。


 ひとりで勝手に取り乱した気持ちを落ち着かせようと、濃いめのブラックをマグに注ぐ。メールで出張と聞いて、正直少し安心したのも本心だった。それから週末までの時間を、私はいつも通り仕事をこなし、静かに過ごしたのだった。


 そして金曜の夜を迎え、私は再びあのカフェに向かっていた。光樹のことがあって心をかき乱されたけれど、やっぱり彼に会いたかった。理由はそれだけ。車から降りて、そっと窓からカフェの中を覗いてみる。ここまで来たのに、急に決心が鈍ってしまうのは、光樹への後ろめたさからだろうか。


 私はゆっくりとカフェの扉を開いた。中には数組のお客さんが座っている。そしてカウンターには、会いたかった彼の姿があった。


「あ。やっと来てくれた、俺の天使ちゃん!一番奥のテーブル空いてるから、座って待ってて。すぐコーヒー持ってくるね」


 思わず言われるがまま一番奥のテーブルに座ってしまった。お水を運んできてくれたマスターも苦笑いしている。


「いらっしゃいませ。りょうのヤツ、あの日から夜になると毎日、店に顔出してたんだよ。子供みたいに浮かれやがって。少し話を聞いてあげて」


 しばらくすると、トレイに2つコーヒーを乗せて、彼は席にやってきた。今日もグレーのスウェットの上下に雪駄姿。イケメンにいらぬ味付けは必要ないってことだよね。彼は、目の前に座ると、急に緊張したような、真剣な表情で話し始めた。


「やっとちゃんと話ができる。5年前のあの日、俺に前に進む勇気をくれたことにお礼を言いたくて。本当にありがとうございました」


「え?忘れた眼鏡のことじゃなくて?あの日って、あの、その、成り行きでそういうことになってしまったことですか?私、その、すみませんでした」


「謝らないでよ。俺はあの日、天使ちゃんに救われたの。あれから、どれだけ会いたかったか」


「変な人。どこにでもいるような私のことよく覚えてましたね」


 彼は少し悲しそうに笑って、あの日のことを話しはじめた。



 俺が話を始めると、彼女は少し神妙な面持ちになり耳を傾けてくれた。5年前に俺たちが会った日。あの頃の俺は、女に振られて、酒に溺れ、最悪な日々を過ごしていた。2年近く付き合ってた彼女に突然「さよなら」ってメールで別れを告げられたのだ。昨日まで仲良くメシ食って、デートもキスもエッチもしてたってのに。いきなり理由もなく。


 後々、他の友達からのメールで、俺の友達と浮気してたことを知った。結局、どっちが本命だったのかもわからない、それでも、どこかでどうせすぐ俺のとこに戻ってくると、高をくくっていた。


 しかし、それから一週間もたたないうちに再び衝撃的な現場を見てしまうことになる。バイト中に彼女と知らない男が親しげに腕組んで歩いてるの見てしまったのだ。俺でもなく、友達でもなく、また別の誰か。ふたりで過ごした時間が、全てカラッポに感じてしまう瞬間だった。もぅ人が信じられなくなり、それから1ヵ月くらいは家にこもり、酒ばかり飲んで過ごした。


 でもあの日、ふと夜空を見上げたらまあるい月が綺麗で。気がついたら、彼女とよく行ってたあの居酒屋に車を走らせていた。



「そして、あのカウンターでグッタリしてる天使ちゃんを見つけたってわけ。正直、最初は女ひとりで酔いつぶれちゃって心配したけどさ。天使ちゃん、めっちゃ気持ちよさそうに寝てて。ほっぺつついても起きないし。何より、その姿に癒やされちゃったのよ俺。一度は帰ろうとしたんだけど、突然天使ちゃんが俺のシャツ引っぱって離さないんだもん。なんか、いつまでも失恋して悩んでんのバカバカしくなっちゃってさ。それであの時、後先考えないで誘っちゃったの。本当はキスだけのつもりだったんだけど、天使ちゃんめっちゃ艶っぽく俺のこと誘うから。俺、我慢できなくて」


「あーーストップ。やめて恥ずかしいかも。てか、え?私が誘ったの?ほろ酔いのつもりが、本当に失礼しました」


 私も記憶が曖昧すぎて、私は誘ってないとは言いきれない!押し倒したのか私!?


 あの時の記憶は断片的にしか残っていない。彼の煙草のにおいと、この声と甘いフェイス。そして、感覚に刻まれてるねっとりとした熱をおびたキスと、しびれるような快楽の記憶。


「ってか天使ちゃんこそ、よく俺のこと覚えてたね」


「あはは。ってか、その天使ちゃんやめて、柄じゃないから。私の名前は、天野あまのむつみ


「じゃあ〜睦ちゃんね。俺の名前は、北川きたがわ遼真りょうま。仕事でも使ってるから、みんなリョウって呼んでる」


「それで……リョウくん。ひとつ聞きたいんだけど、あの名刺にあったレンタル彼氏ってなんなの?」


 私はずっと気になってたレンタル彼氏のことを聞いてみることにした。

 


 

 


 

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