無線LAN

薄暗い廊下。寿命の近い蛍光灯。両端を行き来する光の間隔はすでに開ききって、瞬きよりも愚鈍に点滅する。

お蔵入り、のデータがしまってある部屋。あの日の彼が捉えた映像をやっと確認する覚悟が出来た。パソコンのファイルをアップロードして再生する。

画面が動き出した。被写体は無く、ただ荒れた海と件の島が写っている。しばらくそんな画像が流れたので少し安心していた。

『……きゃあああああああああああ……ぁ……』

突然聞こえた発狂。視聴者である俺の耳まで劈く女性の声。カメラマンと思しき彼は音が聞こえた方へ駆け寄っていく。画面は酔いそうなくらい揺れている。あの日のただ事では無い雰囲気を思い出した。

しばらく走った後、静止したのか画面が安定する。

『……は……?』

はっきりと困惑する声が聞こえた。とてつもなく嫌な予感がするも観るのを辞める訳には行かない。案の定彼がカメラを地面に向けるとロケットペンダントをつけた骸骨が写った。

「え……。」

ペンダントの中には3人家族の写真が入ってた。麻生さんの家の最近生まれた赤ちゃんの写真とそれを囲む夫婦。

カメラマンもそれを察して恐ろしくなったのだろう、ペンダントを海に投げ捨てる。それとほぼ同時に骨は解けていって消え失せた。

カメラマンは信じられない、信じたくないがよく伝わってくるほど間を置いてからカメラを構えなおして撮影を再開した。おかげで俺はこの先も見届けなくてはならない。

『あ゛……ぁ。』

こうして彼の断末魔も聞き届けなくてはならない。

何となく予想はついていた。カメラマンの彼が無事では無いことは知っていたから。カメラに全貌は写っていない、だが彼は今生きて居ないから。

ここで画面は暗転する。気味の悪い映像はやっと終わったらしい。


……あれ、スタッフさん一緒に帰らなかったっけ。


思考が歪む。記憶に亀裂が入る。何か気づきたくなかった現実の扉が開きかける。しかしそれを阻害するように動画は再開した。ガタタとカメラを拾い上げる音がして視界が上がる。誰、誰が? 放心して動画から逃げることも出来ずにいると後輩がフレームインした。

そうか、次は、次はあの子だ。

嫌だ、嫌だ嫌だ。やめてくれ。

もうパソコンの前に座っているのも限界だった。自分が引率した同僚たちの死に様なんてこれ以上見たいわけないだろう。椅子を立ってドアノブを捻る

が、

ドアは、開かない。サムターンがまわらない。体の側面全部で押しても外側から誰かが抑えているみたいに押し戻される。

ドアノブを何度も回した、その音でどうにか動画の音をかき消せないかと。どうしても画面はみたくない。ドアに無理くり意識を集中させるが顔は勝手に画面の方に向かされる。いくら抵抗しようとしてもそれより強い力で戻されるだけ。首元を掴まれて無理やりそちらを向かされているような。

画面には振り返る後輩。あどけない笑顔をカメラに向ける。その表情はこの後予想される結末を引き立てるから。

「勘弁してくれ……!!」

自分でも驚くほど情けない声で鳴いていた。それほどまでに、あの子が。

『あ、先輩! なにか見つかりましたか? 』

どうしてか彼女は俺を呼んだ。画面内の彼女と目が合う。背筋が凍る。ゾッとした感覚が背中を走る。

『……え?なんですか。』

嫌悪と警戒の色をうっすら出してこちらを向く。

俺は、俺は君に何をしたんだ。

しばらく呼吸も忘れて画面内の動きを見ていると撮影者と思われる方向からとても見覚えのある手が現れた。俺の手だ。彼女に差し出している。

「え、!? 」

頬を赤らめてその手をとる。少しだけ口角をあげて

上品に照れたように表情が咲いた。

直後。

彼女の外郭が溶けだす。艶のある髪の毛の先から。握り返した爪の先から。すぐにその異変に気づいた彼女は崩れていく自分に怯え、震え、拒む声をあげる。

「あ……?え……、ぁ……嫌……嫌ああああああああぁぁぁぁぁぁ……」

耳を劈く悲鳴、どうしても聞きたく無かったその声は脳みそを揺らす。狭い部屋に響き渡った。

叫んでいる間にも症状は進んで唇の形もだんだん曖昧になっていく。終いには悲鳴すら聞こえなくなった。

最後までこちらを見ていた目も涙を流して溶けていく。

骸骨が残って、海風に晒されてカタカタ鳴って。その、彼女の形がバラバラに崩れたあとそれも溶けて蒸発した。

動画は今度こそ本当に終わった。身体を預けていた弾みでドアが開く。結末に、呆気なさに脱力した。落ち着いてやっと泣ける。怖いし、悲しいし、意味わかんなかったし。もう充電が切れそうなスマホを開く。とにかく熱が欲しくて。通知をタップすると、見慣れたタイムラインが現れる。いつも通りのご意見番予備軍達のクレームに今日は安心する。

【見る価値ない】

【タレントのゴリ押し無理すぎ】

それをスクショしながらスワイプする。しばらくそれを続けていると、いつもと雰囲気の違う投稿にあたる。

【蜈郁シゥ縲∝?霈ゥ縺ゥ縺薙↓縺?k繧薙〒縺吶°縲。】

文字化けしたそれはもちろん読めない。だが見覚えのあるアイコンは後輩のものだ。日付は、現在。さあっ……と血の気が引く。逃避するようにスマホをスリープして顔を上げた。

「あ! 先輩! こんなところにいたんですね。」

そこには後輩の愛しい笑顔が咲いていた。

「探したんですよ、もう。」

あの、唇を尖らせる動作。間違いなく君だ。

「こっちです、1人だと迷って遅刻するでしょう。迎えに来ました。」

こちらに広げた小さい手。俺のより細くて白い手。さっき溶けていったネイルの光る手。

「うん、わざわざありがとう、ごめん。」

その手をとる。初めて握った。柔らかかった。

瞬間、視界は歪んで君はすぐに見えなくなった。


「俺もうとっくに呪われてたんだ。あはは、あはは、」


男は笑いながら液状に収束した。

全てから開放された笑顔だった。


スマホは通知で震え続けている。

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