襷
ボートは風を切って景気よく海上を走る。波を割いた反動が身体にかかってまた風に吹かれる。
「この辺のはずなんですよね……。」
皮膚も強烈な向かい風になびかせられて疲れてきた頃、後輩の一人がそう呟く。ボートの轟音の中、俺の本音の代弁は耳に届いた。
「……うーん。ガセネタだったかなぁ……。」
さすがに決まり悪く、それを隠さずにじませる。申し訳ない思いを声色から読み取らせる。
視聴者からの提供だからまぁしょうがない。縋る藁も無かった、というだけ。まだ曙光すら予見できなかった今朝の期待が踏みにじられた、というだけ。何となくもう圏外のスマホを開いてみる。タイムラインのスクショを集めたアルバムを開いて心を無理やり燃やす。
「……。」
後輩は水平線を隈無く睨んで口を噤んでしまった。
真上に差した日差しは俯いた自分の影を座った太ももに濃く落とした。
「……あ、あれ!! あれじゃないですか!? 」
1人のスタッフがそう声をあげたのでスマホの画面からゆっくり指さす方を向く。
「ほら……!あそこ!!! 」
あまりに遠い彼方を確信を持って指していた。残念なことに俺には何も見えない。
「青山先輩なんか見えますか……? 」
後輩が滑り寄ってきてそう耳打ちする。それに目配せしているところでスタッフ、もとい麻生さんがこちらを振り見た。
「なんですか! あれじゃないんですか、言いたいことがあるならはっきり言ったらどうです。」
最近一児の母となった麻生さんの口調は新卒のアシスタントには過分な刺激だったようだ。目を白黒させながら首をぶんぶん音が出そうなほど横に降っている。真っ白な頭の中がようく見えるようだ。
「ごめんなさい。私ら目が悪くて、見えないんですよ。麻生さんの指示でそちらにもう少し寄って貰えませんか。」
なるべく、へりくだったように、そう言ってみる。しどろもどろはしない。背中は少し丸めて視線はしっかり麻生さんの方を見返して。
「そっか、そうね。確かに視力の問題はあるかも。」
別に意地悪な訳では無い彼女はすんなり納得して操縦席の方へ消えていった。たしかに遠いものね、と呟くのが聞こえた。
ようやっと目的地が定まった船は先程より意気揚々と進む。
「私裸眼で1.0あるんですけど。」
麻生さんの言うことが信じられないのか唇を尖らせている。コンタクトの私と同類のように語ってしまったから裸眼視力への自信に傷をつけてしまっただろうか。
「まあまあ、任せてみようじゃないか。」
日和見な言葉で応えて茫漠と広い海に目をやる。
目的地へと向かう安心感にしばらくの間身を任せていた。どれだけ近づいたらしくても何も見えてこないという焦りに気づいてしまうまでは。
ある地点で船は自信を持って停止した。
宝物を地中に察した犬のように。
「ほら、もう目の前に見えるでしょう。」
シートの席に戻ってきてやり切った、という面持ちの彼女は言う。
「それにしてもなんだか妙な雰囲気ですね。」
何かを見上げて話す彼女を後目に俺らはなにも見えないのに……といいたげな雰囲気を共有し続けている。
「やっと見つかったんだし早く降りましょうよ。」
気味悪さから硬直している俺らを見渡してそう声をかけ船のハシゴの方へ歩いていく。彼女はなんの迷いもなく銀の手すりに手をかけ下った。
我々にとってはだだっ広い海の真っ只中に単身で挑もうと沈んでいく恐ろしい眺めでしかない。
止める術もなく、各自目を見開いて狂気にもとれる彼女の期待の表情を距離をとって観察する。
彼女が手すりから手を離したその時、辺りに響いたのはドボン、と言う音ではなかった。
大いに予想を裏切られ脳内で時間が止まる。
不安定な岩場に足を下ろしたように注意深く左右の音が分かれて鳴った。
何故か、確かに着地した音がする。
やっと流れる時間と思考が合流した。
直後彼女は見えなくなった。信じ難い事だがその姿が視認できなくなったのだ。
もちろん船上はざわつく。
背中から冷や汗が噴き出して止まらない。いつの間にか曇っている空は不安を増幅させる。汗は、かいたそばから停止する船に吹くぬるい風に冷まされてなんとも心地が悪い。
「ほら、皆さんもー! 」
何も見えない方から、彼女がさっき降りて行った方から、その声がする。
とりあえずそこに居ると言うことがわかり一瞬だけ安堵するも、視覚と聴覚の主張の矛盾に気づいて違和感の先にある恐怖に突き当たる。
「……青山先輩。」
重い唇を開いた後輩は背後から俺を呼んだ。
その声にもびくりと肩を揺らすほどの緊迫感が漂っている。
「降りて、みようか。」
ごくり、と渇ききって何も飲むものがない口内を誤魔化して嚥下する。
それは精一杯の覚悟の合図。自分を鼓舞する動作。
背中に視線を背負って冷たい手すりに身震いする。片足づつ下にかけていく度に激しく揺れる水面が実感を増した。
水に先に触れてしまおうと足を伸ばすとそこにあったのは硬い感触だった。
「……?」
水面では無い、それを確認してもう片足も着ける。手すりから恐る恐る手を離しても自分は沈まなかった。振り返ると麻生さんは少し先の方で笑顔で待っている。もう一度吹いた風が気味の悪さを引き立てた。その背景にはいかにも歩きずらそうな波止場が伸びている。島の内部は高く灰色の壁で囲われているようで詳細がわからない。
「青山先輩?」
振り返ると後輩がどこか焦点の合わない様子で俺を呼んでいた。まさか、俺のことが見えないのか。
「大丈夫だ! 足場はある、沈みゃしない。」
なるべく優しく、声を張って言う。大分警戒している様だが来てもらわない事にはどうしようもない。
「……私行きます。」
固唾を飲んで勇んで梯子を下る。多少緩んできた船上の空気を彼女が牽引する。立派になったもんだなぁ。
両足を同じ岩場に着け、俺を振り返った後輩のリアクションは張り詰めていた心を少し楽にした。
「あぁ! 青山先輩! 良かった!! 」
待機組を除いた殆ど全員が降り立ったあと散り散りになって散策を始める。
歩きづらい黒い岩場。波は打ちつけ海風がもろにあたる。どうにか逃れたく、島の深くへ踏み出すが廃墟のような朽ちた高い壁に阻まれてそれ以上進めない。仕方なく島を一周するように海沿いを丸く歩いていく。建物を壊してしまうのは流石に不味いので触ることすら避けたい。ツタが這うコンクリートのような素材の壁は不気味で分厚い。まるで今日の曇天のようだ。
何も手応えがないのは良くあることと、まずは自分を慰めた。そうして合流地点に戻ろう、と踵を返したそのとき。
「……! 」
後ろにいたカメラマンが脱力してもたれかかってきた。
あれ、どうしてこいつここにいるんだ。
散り散りになったはずなのに。
どうしてカメラを構えているんだ。
今日は下見、取材じゃないのに。
そのずしっと右肩にくる重さと状況に鳥肌がたつ。 彼の向けたカメラのレンズと目が合って吸い込まれそうになる。この場から離れなくてはならない、と強く感じた。
もたれかかってきた彼をどうにか背負って、カメラも抱えて船が止まっている場所まで早歩きする。途中何度も岩につまづいてよろけた。でも、痛くない。それくらいここには居たくない。離れなくちゃいけない。俺ら人間の場所じゃない。
鼻にはぶつぶつ汗が湧き出る。波が波止場に激突して弾けた。その音がさらに俺を緊張させる。もう、帰りたい。
後輩とスタッフは先にボートに乗って待っていた。俺がカメラマンを背負っているのを見ても驚いてはいないようだった。それよりも俺が帰って来たことによってここを離れられる、と安堵しているようだった。
俺が船に乗り込むと逃げるように、あわてて船は発進した。全員が異様な雰囲気に当てられて疲弊しきっている。この企画はおそらくお蔵入りだ。デマでもガセでもなかったがガチ過ぎるのもいけない。またしばらくテレビ離れの声は看過せざるを得ないらしい。ごろごろと胸の中に何か植え付けられたような気持ち悪さを抱えたまま不安から逃げるために眠った。
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