第18話【第四章】

【第四章】


「摩耶と美耶がいなくなったぁ!?」


 俺は大声を上げていた。セーフハウスに帰り着いた時のことだ。

 現在ここには、俺とルリアと希美、それに何故か寛の四人がいる。


「ちょっと柊翔! 大声出さんといて! また盗聴器でも仕掛けられてたらどないすんの?」

「そ、それはそうだけど!」


 俺は自分を落ち着かせるのを二の次にして喚き立てた。それだけ月野姉妹の失踪は大きな問題だったのだ。


「あっ、弦さん……。弦さんは? どうしていないんだ?」

「ウチが帰宅した時にすれ違ったきりなんや。何やら燕尾服と違う服装やったで。思うに、あれは防弾・防刃性能のある市街地戦用ベストやね。誰かと戦うつもりやったんやろか?」

「ちょいといいかな、希美くん?」

「どうかしたんか、ルリアはん?」


 ルリアは俯いていた顔を上げ、眼鏡の向こうから俺たちを見回した。


「皆の意見を統合してみるに、ボクたちはやはり、何らかの反社会的組織の捕縛目標にされてしまっているようでーすね」

「反社会的組織……って何なんだよ?」


 聞き手に徹していた寛が、久しぶりに口を開いた。ごくり、と唾を飲む。

 それに促されるようにして、俺も思い当たる節を考えてみる。

 この街は日本でも治安がいいことで有名だ。暴力団はいないし、幹線道路でスピード超過をするような暴走族の姿もない。


 となると、やはり考えられる組織は一つだ。

 通信妨害装置を仕掛けた連中。かつ、俺の親父が率いているらしい連中。さらに、弦さんを戦いの場に引っ張り出すだけの因縁めいた何かを持つ連中。


 ううむ、これしか条件の整わない中で、俺たち学童が首を突っ込むのは危険すぎる。


「皆、今日は休もう。いろんなことがありすぎた。ただ、ずっと寝ていればいいってもんじゃない。きっと今夜は、地方局で通信妨害事件のことを何度も放送するだろう。誰か一人、できれば二人組で、交代交代でテレビを観る。ネットニュースの方もチェックが必要だ。早速だが、皆、二人組を作ってくれ。寛、お前も手伝えよ」

「は、はぁあ!? 俺はご免だぜ、そんなの! なんせ殺されかけたんだから!」


 俺は肩を竦めて、親友の無理解を嘆いた。


「大丈夫だ。連中の目的は、飽くまでも連中だけのものだ。よっぽどのことがなければ、誰かを殺しはしないだろう」

「根拠はあるんでーすか?」

「そ、そうだ、そうだよ柊翔! お前、あの黒服共が危険だとは思わねえのか? 今日は運が良かっただけで、下手したら俺っちもお前も殺されてたんだぞ!」

「分からないだろう、そ、そんなこと……」


 俺は俯いてしまった。皆の足元に視線を彷徨わせる。

 根拠はない。加えて、その件についてまともに頭を回転させるだけの脳みその要領がどんどん減っていく。それこそ、ノートパソコンから電源を外して、電池切れになってしまうような感覚だ。


「仕方ないでーすね、ボクがお料理をしまーす。早い夕飯ということにして、皆、今のうちに英気を養うべきでーす」

「そうだな、ルリア……。台所がどこにあるのか――」

「適当に探しまーす。ご心配なく」

「お、おう、悪い」


 ルリアはビシッ! とサムズアップしてみせた。ロリ属性の人間がやってもあんまり格好よくはないが、今はそんな不満を抱いていられるほどの余裕はない。


「さて、まずは台所を探すでーす!」

「そうだな。でも、俺もこんなセーフハウスに連れてこられた経験なんてないから――」

「こっちでっせ、ルリア殿。これを見ればええねん」

「そっちに? ああ、このセーフハウスの構造図でーすね! ありがとうございまーす、では、行ってまいりまーす!」


 やたら意気揚々とした態度で、ルリアはとてててっ、と反対側のドアに向かって行った。


         ※


《……次のニュースです。先日、内閣から提出された新しい税制法案が、衆議院で議論の火種となっています……》


 俺は皆と話し合いを持った会議室で、ぼんやりと深夜のニュース番組を見つめていた。

 隣には希美がいて、周囲を憚らずに大口を開けて欠伸をしている。


 ルリアの作ってくれた夕飯のクオリティは、恐るべきものだった。もちろんいい意味で。

 それを当のルリアに伝えたところ、なにやら余計にやる気を出してしまい、作りすぎてしまったという。だから、それを夜食ということにして、俺たちは情報監視をしながら夕飯の残りを口に運んでいる。

 っていうか、ガチで美味いな、このハンバーグ……。


 現在時刻は、ちょうど日付が変わったところ。俺たち、つまり俺とタッグを組むことになった希美と俺は、流石に疲労の色を隠せない。

 それでも洗顔やナイトケアを怠らないあたり、やはり希美は生粋の女優なのだな、と納得させられる。


「ねえ、柊翔」

「ん?」


 眠い眼を擦りながら、俺は立ち上がろうとした。が、しかし。

 

「ちょっと、ウチの話、聞いてもらえへんかな……?」


 片腕が、希美の伸ばした手に引っ掴まれた。そのまま着席を余儀なくされる。

 決して強い力ではないのだが、有無を言わさぬ気力があった。


「どうしたんだ、希美?」

「あの、ちょっとここにいてくれへんか」

「ここって……。お前の隣でいいのか?」


 こくこくと頷く希美。だが、その目は何らかの力で固定されてしまっている。そんな風に見えた。


「柊翔や摩耶ちゃんは話してくれたよね、自分の過去を」

「ん、まあな」

「ウチの話も聞いてもらえんか? どうしても、この現実を誰かと分かち合ってるんだ、っていう実感がないと……、その、寂しいっていうか……怖いんや」


『怖い』か。病的なことだったら、俺にだって分かるつもりではある。

 だが夜桜希美といったら、国民的美少女にしてドラマやCMに引っ張りだこだ。メンタルは俺なんかより強いはず。そんな彼女を怖がらせるとは、一体どんな事柄が絡んでいるのか?


         ※


「では、次回また徴収に参ります。今度こそ十分な額の金銭の準備をお願い致します」

「は、はあ。申し訳ありません……」


 冷たく言い放つ、初対面の女性。いかにも頭の回転が速そうな、鋭い印象を当てる女性である。どうやら、希美の父親を担当する借金取り立て屋のようだ。


 女性がアパートの玄関扉を閉めたのを耳で確認し、希美は隠れていた襖の陰から顔を出した。よし、安全だ。


「お父さん、大丈夫?」

「ん? ああ、何でもないよ」


 そう言って、希美の頭に手を載せる父親。しかし、明らかに様子がおかしかった。

 笑顔のための表情筋は引き攣り、頬がこけている。そういえば最近、髪に白いものが混じるようになった。ここ数ヶ月のことだろうか。


 父親が、何十枚という遺書を残して首を吊ったのは、それからほんの三ヶ月後のことだった。


         ※


「馬鹿みたいやね、本当に」


 渇いた笑い声を上げながら、希美は言った。


「お父さん、ウチが気づいとらんとでも思うとったんやろうかね? あたいやて分かるわ、お父さんがどこかで暴行を受けていることなんて。脱ぎ散らかした服に、血が滲んでいたから。斑点みたいに」

「……」

「薄情な娘やと思われるかもしれへんけど、お父さんがいなくなってしまった以上、頼れるのはお母さんや。でも、あたいの記憶にある限り、そんな人の記録はない。記憶もない。お父さんのお葬式でも、誰も、何も教えてくれなかった」


 だからこそ。


「ウチはもっと、自分からアピールすることにしたんや。ウチが自分の情報をバンバン広めれば、お母さんもいつか気づいてウチをこの寂しい生活から救いに来てくれる」


 しかしながら。


「ウチが芸能界に入ってから、今日で六年と半年。子役から始まって、今では短編映画コンクールの主演女優賞を取って、ドラマにも随分出られるようになった。なのに……それなのに、お母さんは何の連絡も寄越さない。ウチのこと、絶対に知っとるはずやのに……。それでも、やっぱりカメラを向けられたら笑顔でいなくちゃならへん」


 もう疲れた。

 その一言に、俺は全身の表皮が、ざわり、と鳴るのを感じた。


「もう嫌や……。寂しいのはもう、こりごりや……」


 気持ちは分かる。俺だって、母親と妹を亡くしているからな。不幸合戦は不毛なので、俺は黙っていたけれど。


「ねえ、柊翔」


 俺はつと目を上げた。こちらに向き直り、正座する希美の姿を正面に捉える。


「今晩、付き合ってくれないかな」

「何?」

「もちろん、抱いてくれなんて大層なことは言わない。でも、少しでもウチを友人、仲間として見てくれはるんやったら、その――」


 言葉の途中で、パシン、といい音が響いた。その音の正体が、俺が希美に喰らわせた平手打ちの音だと気づくのに、俺たち二人にはしばしの時間が必要だった。

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