第17話


         ※


「おい寛、まだなのか?」

「そう急かすなよ! これ結構重いんだぞ……っと」


 俺と寛は、学校の宿舎にある寛の部屋に来ていた。お互い息が切れている。そして汗だくだ。真夏に猛ダッシュを強いられればこうもなる。

 それでも急いでいるのは、この街の電波障害事件を解決する切り札がここにあるからだ。


 女好きで空気の読めない馬鹿野郎だが、本当はとんだ切れ者だ。というのが、俺から見た河東寛という男に対する評価である。

 まあ、幼馴染兼腐れ縁という関係を九年間も続けていれば、否応なしに思い知らされる。

 こいつがどれほど機械に強いかということを。


「ふう、一応持って来たぜ。百パーセント充電完了だ」

「よし」


 寛が持ってきたのは、分厚いノートパソコンのような機材だ。色は真っ黒だが、ところどころに赤、白、黄色のケーブルが接続されている。


 俺の記憶が正しければ、寛はこれを入試の時に面接官たちに披露して、合格を勝ち取ったとのことだ。では、これは何をする機材なのか。


 寛の命名に従い、これをエレクトリック・トラブル――略称『ET』と呼ぶことにする(なんの捻りもないな)。

 ETもまた、街中に仕掛けられた通信妨害装置に似た効果を発揮する。しかし、一般的な通信妨害装置よりもずっと優れた性能がある。


 特定の周波数を入力することで、その電波だけを遮断できるという点だ。つまり、街中に仕掛けられた通信妨害装置を見つけ、その周波数を測定できれば王手。

通信妨害装置の周波数を特定し、逆に妨害することができる。

 まったく、簡単に軍事利用されそうな代物だが、今はこいつに頼っても構わないだろう。非常事態だし。


「よし。このリュックサックに」

「あいよ!」


 こうして、俺たちは街に繰り出した。

 月野姉妹の安否が気にかかるところだが、今は通信網を復旧させた方がいいだろう。

 もしかしたら、状況を変えることで黒幕、というかボスに繋がるヒント得られるかもしれない。


「ようし! この作戦が成功したら、改めてロリ巨乳さんの連絡先教えろよな、柊翔!」

「だからてめえには彼女ができねえんだよ、寛」


         ※


《そこ! その保険会社のビルの陰に、敵の仕掛けた通信妨害装置がありまーす!》

「了解だ!」


 俺は、別れ際にルリアに手渡された小型のイヤホンを装着している。

 オペレーターがルリア、実行役が寛、中継ぎが俺、といったところ。肝心の装置の場所が分かってしまったので、俺はお役御免かもしれないが。


「こいつか! っしゃあ、見つけたぜ!」


 先行した寛が歓声を上げる。そこにあったのは、小さなアンテナの付いた真っ黒い箱状の物体だった。


「よし、と」


 ここで寛のETが本領を発揮することになる。

 俺がさっきまで危惧していたこと。それは、仮に通信妨害装置を見つけても、破壊するのは困難なのではないか、ということだ。

 せっかく見つけても、機能を停止させることができなければ意味がない。やるなら電子的・粒子的に行うべきだ。

 この俺の発言に続いて、寛が自慢のETを持ち出す運びとなったのだ。


 念のためあたりを見回してみるが、周囲に警官の姿はない。やはり地方都市のセキュリティレベルでは、寛に敵わないようだ。


「寛、俺が見張りに立つ。手早く進めてくれ」

「あいよ、兄弟!」


 何が兄弟だよ、何が。

 と、ツッコミを入れたいのは山々だった。が、俺は黙って頷くに留める。寛の目つきが、エンジニアとしての興味や関心、やる気に満ちていたからだ。


 ちょうど、映画やドラマの爆発物処理のような緊張感。寛は真っ黒な箱の上面を素早く取り外し、じっと配線の流れを見つめている。こうなったらテコでも動くまい。


 俺が音のない溜息をついた、その時だった。


「……え?」


 大通り側へ振り返ると、何故か視界が暗いことに気づく。何かがある。立っている。さっきはなかったはずのものが。

 ゆっくり視線を上げていくと、だんだんその正体が実感されてくる。厳つい顎。引き締まった頬、黒いサングラス、角ばった髪型。


 そこまで認識した時には、俺の右頬に鈍い衝撃が走っていた。どうやら腕で突き飛ばされたらしい。


「がッ!」


 ビルの外壁に背中を打ち、肺の空気が一気に抜けていく。

 とにかく、眼前にいる人物は敵だ。逃げなければ。

 いいや違う、寛を守らなければ。


「ゆ、たか……!」


 叫んだつもりが、しかし何の効果もない。寛もまた、もう一人の敵に首根っこを掴まれていたのだ。そのまま俺と同様に、壁に叩きつけられる。


「ぐッ!」

「安心しろ。貴様らの命までは盗らん。ただし、ここにあるブラックボックスは死守させてもらう」

「あ、あんたらは……」

「ん、ああ」


 俺の掠れ声に、黒服のうち一人が動いた。寛を無造作にアスファルトに落としたのだ。


「あいてっ!」

「寛、大丈夫か!」

「ああ……」


 今の状況は極めて不利。その認識による嫌な緊張感が、身体中、いや、内臓までをも凍らせていく。

 これでも俺は自衛官の息子だ。それなりに武術の心得はある。が、流石にそれを本業にしている連中には勝てっこない。


 そんな考えをまとめているうちに、ブラックボックスはもう一人の黒服によって修繕されてしまった。これでは、通信妨害をやめさせることはできない。


「すぐに立ち去れ。若者に対する暴力行為は、我々の望むところではない」


 俺は片膝を立てながら、殴られた頬を擦った。出血はない。寛も同じ。

 ふっと、俺は奇妙な感覚に囚われた。――こいつらは本当に悪人なのか?


 もちろん、同じ態度を取っていても、見る人によって『善人』『悪人』の違いはあるだろう。だが、黒服たちは迷惑沙汰を起こしながらも、きちんと統率が取れている。

 まるで、そう、親父が自衛隊にいた頃の部下たちのような。


 無駄のない動き。最低限の手数で相手を黙らせる戦術。

 俺は彼らと面識はない。だが、親父が参加した公開訓練の場で味わった緊張感に似ている。そして、それがこの人通りの少ない路地で停滞している。


「こちらエコー、ブラックボックスの解体を試みた民間人二名を拘束。片方は、ブラックボックスの中枢を破壊し得る機材を所持しています。指示を。――了解しました、風見一等陸佐」


 と、無線で上官からの指示を得る黒服。

 ん? 何だって? 今確かに、『風見』という名前を口にしなかったか?


「あ、あのっ!」

「痛みは直に引く。さっさと帰って、今回の件は忘れろ」

「違うんです! い、今、風見一等陸佐、って……」

「ん?」


 黒服は俺の顎に手を当て、じっと目を覗き込んだ。


「……奇妙なことがあるものだな。君の姓は風見、だな?」

「どうしてそれを!?」


 慌てる俺に、黒服はそっと手を離してこう言った。


「まさか一佐のご子息が、この計画の障壁になるとは。世界は狭いな」

「おい、与太話はそこまでだ。ブラックボックスをポイント〇二に移動だ。持ち込まれた機材は破壊しろ」

「了解。許せよ、坊主」


 これは寛に向けられた言葉。そちらにいた黒服は、ETになんらかの液体を振りかけた。

 すると、すぐさまETからは白煙が上がり、多少燻ってから消えてしまった。

 せっかくここまで運んできたのに。いや、そうではないな。寛は、この機材に心血を注いでいたに違いない。それを眼前で破壊されるとは、心の傷はいかほどのものか。


「おい、お前ら! ちょっと待てよ!」


 立ち上がった寛は怒声を響かせ、ブラックボックスを持った黒服に掴みかかった。


「これ以上足掻いてもう無駄だ。それとも、さっきより痛い目を見たいのか?」


 脅しも意に介さず、寛は黒服にタックルをかましながらぎゅうぎゅうと押し遣ろうとする。

 もちろん、そんな稚拙な体術でどうにかなるものではない。


「道を空けろと言っているんだ!」


 声を荒げた黒服に、ようやく寛は振り払われた。


「これ以上、変なことは考えないことだ。でないと、いつか君らを殺さねばならなくなるかもしれん」


 そう言って、二人の黒服は裏路地に消えた。


「寛……。寛!」


 俺は寛の下に這い寄り、その負傷の具合を確かめる。

 しかし、寛は口元を押さえ、必死に何かを堪えている。いったいどうしたんだ?


「おい、お前は大丈――」

「ふっ、ははははははははっ! ざまあみろ! この河東寛様を舐めるからだ!」

「どうしたんだ、お前……?」

「ん? ああ、これを見てくれ」


 ひょいっと寛は何かを放ってきた。これは――。


「USBメモリの蓋?」

「そう! こいつには、俺が創ったETと同じプログラムが詰まってる。こいつを差されたブラックボックスは、電子的に完全破壊されるんだ。まあ、さっきのETの軽量小型版、というところだな」

「それをブラックボックスに……?」

「おうよ! この街の通信状態は、今日の午後には復旧するだろうぜ」


 さあ、帰って飯でも食おうぜ。

 そう言ってのける友人に、俺は称賛を越えて畏怖の念を抱いた。

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