第16話


         ※

 

 それはさておき。

 教諭はスマホを胸ポケット取り出し、数回タップしてから教卓に置いた。苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


「皆、スマホを出してくれ。特例措置だ。今はスマホを使って構わない。もし電波が正常な者は挙手してくれ」


 挙手はない。俺はそれが、むしろ当然のように思えた。理由や根拠はないのだが。


「やっぱり駄目か……。いやあ、すまんな。どうやら電波障害が発生しているらしい。昨日までは、機材に何の不具合もなかったんだが……。本校のみならず、一般の企業や電子通信社、変電所の制御システムなどが何らかのダメージを受けている」

「先生、これってテロですか?」


 ある男子生徒が尋ねると、僅かに状況が変わった。突拍子もない発言内容に、恐怖や怒り、はたまた苦笑が漏れる。


 女子が集っている方を見ると、皆がスマホを出して首を傾げている。何が起こっているんだ?


「ふむ……。先生は一旦職員室に戻る。皆はこの場で待機だ。トイレに行きたい者や体調の優れない者以外は、着席したままでいてくれ」


 そう言って、教諭は自分のスマホを小脇に抱えて退室した。

 しかしなあ。詰めが甘いというか何というか……。


「俺たちが黙っていられるわけねえだろう」


 小声で呟いた。

 

 この時点で、俺は大きな違和感に囚われていた。月野姉妹がいないのだ。

 何らかの事態に備えて、俺とは十五分間だけ遅れて登校することになっている。

 二人はどこへ行った?


 美耶のことはよく分からない。だが、摩耶はかなりこの学校やクラスに馴染んでいた。たとえ摩耶だけでもいれば、すぐに気がつくのだが。


 ちなみに、希美はきちんと登校している。俺と目を合わせながら、かくん、と首を横に倒して見せた。彼女にも、何が起こっているのか分かっていないのだ。


 さて、どうしたものか。

 俺は顎に手を遣ろうとして、動作の途中で固まった。教諭が血相を変えて教室に飛び込んできたからだ。


「今日は休み!」


 しん、と静まり返る教室。


「今日は休みだ、休校にする! 街中パニックになっているようだから、落ち着いて学校から離れるように! もし通話機能が復旧したら、すぐに家と学校に連絡するんだ。そこから先は、親御さんに来てもらって一緒に下校してくれ!」


 再びざわつき始める教室。このままでは、通信妨害をしている何者かの思う壺だ。

 俺は立ち上がり、廊下に出る。勢いよく階段を下りて、昇降口を通過し校門前へ。弦さんなら、異常に気づいて引き返してきてくれるはず。それを待つことにした。


 だが、事はそう簡単ではなかった。


「うげ……」


 俺は呻き声を上げる。校門に面した二車線道路が、凄まじい渋滞を起こしていたのだ。

 これでは弦さんが車で引き返してくることは不可能。徒歩で迎えに来てくれるかもしれないが、複雑な街路に入ってしまうと、敵にとって絶好の奇襲攻撃のチャンスを与えてしまう。


 弦さんを頼るのを諦め、俺は校舎内に戻った。こうなったら、もう一人の敏腕トラブルシューターの力を借りるしかない。


 踵を返すと、ちょうど寛が駆け下りてきた。


「おい、どうしたんだ柊翔? 俺っちの世話でもしてくれよ」


 ふざけるなと言いたいところだったが、堪えた。もしかしたら、こいつも役に立つかも。


「ついて来い、寛!」


 そう言って俺は再び駆けだした。こういう時に頼りになるのは、あのロリ巨乳の博士様しかおるまい。


         ※


 校舎一階には、特殊な部屋がある。ドアだけで二重構造になっているのだ。

 外側から見て、すぐ目に入るのは防火扉。さらにその内側には、とんでもなく機密性の高いスライドドアが設けられている。防火扉とスライドドアの隙間は広く取られていて、低圧の空気で満たされている。

 低圧で保たれているのは、室内の空気が外に流出するのを防ぐためだ。


 半ばパニックを起こした生徒たちが右往左往する廊下。そこをすり抜けるようにして、俺は鉄扉に向かって思いっきり肩から突っ込んだ。


「ぐあ! いってえ!」

「当然だろ柊翔、こんなにでかい防火扉だぜ? ちったぁ頭ってもんを使って――」

「おいルリア! 俺だ、柊翔だ! 開けてくれ、お前の力を借りたい!」


 しかし、鉄扉の向こうは沈黙している。

 部屋の主がいないのだろうか? いや、それはないな。この数ヶ月、俺が訪れた時には必ずルリアがいたのだ。

 よりによって、今日はいないだなんて言わねえだろうな……?


 俺がガンガンと扉を拳で打っていると、バチッ、と音がした。機械が通電する時のような響きがある。


《いやあ、ごめんなさいでーす、柊翔くん! 今開けますねー!》

「おいルリア、お前はどこまで事態を把握してるんだ?」

《それを整理するために忙しくしているのでーす! 鉄扉開放で、あと三十七秒!》


 随分細かく測ってるんだな。俺は軽く息をつきながら、鉄扉を前に二、三歩後退する。

 すると、ギシリ、ギシリと耳障りな金属音がして、正面の鉄扉が向こう側に開かれた。


「いやあ、お待たせして申し訳ないでーす、柊翔くん!」

「ああ、悪いなルリア。今この学校、っていうか街で起きている事態の詳細を知りたい」

「ボクもそう思っていまーす! さあさあ、中へ!」


 ルリアは俺の肩に手を載せて、ラボの中へといざなった。

 と同時に。


「おや? そちらは柊翔くんのお友達でーすか?」

「ん? ああ。ただの雑用係だ」


 言いながら、俺は後頭部を軽くド突かれることを覚悟した。が。

 振り返ると、顔を真っ赤にした寛が立っていた。ぴくりとも動くことなく。


「おい、行くぞ雑用係」


 俺は声をかけてみた。すると、今度こそ寛は近づいてきた。……んじゃないな。タックルで俺を突き飛ばしながら。


「あ、あのっ! あなたは一年一組のルリア・フォスターさんでしょうか?」

「はいはーい。合ってまーす!」

「俺っち、じゃない、私は一年三組の河東寛と言います! いきなりで申し訳ないんですが、私とお付き合いしてください!」


 俺は思わず咳き込んだ。一目会っただけだろうが。いや、廊下ですれ違う機会は何度かあったかもしれないが。

 まあ、改めて話す機会に恵まれたのだから、告白してしまうのも構いやしないが。

 って、待てよ。


「まあ、嬉しいでーすね! ボクのどこを気に入ってくれたんでーすか?」

「ロリっ子なのに巨乳なところです!」


 この発言が我慢ならなかった俺は、さっと寛に足払いをかけた。


「うおっ! 何すんだよ柊翔! 俺はルリアさんからのお返事を待ってるんだぞ! ねえ、ルリアさ――」

「ひとまず状況を説明しまーす。二人共、奥のオペレーションルームへどうぞでーす」

「了解だ。失礼します」

「お邪魔します……」


 俺たちがルリアについていくと、思っていたよりずっと広い空間が広がっていた。

 廊下の狭苦しさから急に解放され、俺はいつものように視線を巡らせた。普通の教室と同じくらいの広さがある。

 そしてそれ以上に目を引くのは、様々な実験機材だ。ガラス管やビーカーなど、分かりやすい構造のものだけではない。

 銀色に輝く球体、複雑なパイプが絡まった筐体、真っ白い雲状の物質を吐き出す煙突。

 よくもまあ、これだけの設備を揃えたものだ。


「それで、こちらで入手できた情報を開示すればいいんでーすね?」

「その通りだ。こんなにいろんな機材があれば、一般の危機管理以上のことができる。だろ?」

「その通りでーす! 電波妨害の仕組みや、偽造電波の発信場所の特定が現在進行形でーす!」


 俺が頷いて見せると、再び寛に押し退けられた。


「ルリアさん、どうかわたしと、け、けけっ、結婚を……!」

「あら、あなた、随分積極的なんでーすね? 柊翔くんよりよっぽど男らしい!」


 褒めてる場合かよ。っていうか。

 

「柊翔くんより、って何だよ。で、何かデータは入ったのか?」

「ちょっと待つがいいでーすねえ……。おお、来た来た!」

「ぬおっ!」


 俺とルリアは、メインディスプレイの前で額を寄せあった。


「こいつは……。今、どういう状況なんだ?」

「えーっと」


 俺が目を凝らすと、街の地図が展開された。市内全域に、いくつか赤い光点が現れる。

 これがいわゆるバッジシステムというやつで、人工衛星を介した地形図を描いている。

 会話の流れからして、赤い光点の場所になんらかの仕掛けがあるのだろう。


「こいつが通信妨害を……?」

「そのようでーすね」

「ここから止められないのか?」

「うーん、ボクが担当しているのは、飽くまでも観察と推測でーす。データやエネルギーの授受を妨害は不可能でーすね。破壊するとなったら猶更でーす」

「ふむ……」


 俺が考え込んだ、ちょうどその時のこと。


「柊翔ぉ……。俺、また失恋したのかなあ……?」

「さあな、俺の知ったこっちゃな――あ」


 作戦が、天から降ってきた。


「寛、お前だ! お前の出番だよ!」

「……へ?」

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