第15話

「これが質問の直球みたいなもんだけど……。お前と美耶を家出に追い込んだ原因は何だ?」

「だから親父が――」

「それは分かってる。もっと具体的に、何があった? 何をされたんだ?」


 強引に話を進める。でなければ、逆に俺の方が精神的に参ってしまいそうだった。

 その『質』にもよるだろうが、他人の悩み事を共有するなら『量』を受け止めるのは避けた方がいい。

 そうでもなければ『ミイラ取りがミイラになる』という事態になりかねない。


 俺の矢継ぎ早な問いかけに対し、摩耶は冷静だった。


「お袋がいなくなったのをいいことに、スパルタ教育を喰らっちまったよ」

「スパルタ教育……」

「流石に親父も知恵が回るからな、体罰はなかった。でも、あたいや美耶に対する拘束はひでえもんだったぜ。別々な部屋に閉じ込められて、渡されたプリントの全問正解が出せるまで二人共退室禁止、それを一日に、あー、五セットくらいだったかな。それができなけりゃ、晩飯は抜きときた。俺も美耶も、数日間食えずに水だけで過ごしたこともあったんだぜ」


 俺は、自分の心が切り刻まれていくような錯覚に陥った。俺だったら絶対に耐えられない。

 それに、どんな人生を送りたいか、どれだけ努力すべきなのかという事柄は、勉強する本人が考えるべきだ。それなのに、摩耶の親父のやったことは虐待じゃないか。


 それが、スパルタ式の勉強を押しつけ、自由を与えずにいるというのは、親として――年長の人間として絶対におかしい。


「なあ美耶、今摩耶が言ったことは本当か? あれ?」

「美耶ならあたいが語り出すのと同時に廊下に出てったぜ。あんまり聞きたくねえんだろう」


 そうか。それもそうだよな……。


「でも、可哀そうなのはあたいじゃない。美耶の方だ」

「えっ?」

「生まれてこの方、ずっとあたいと同じ境遇に置かれてたんだぜ? お袋はもういなかったから、親父以外の大人と接する機会なんてほとんどなかった。だからあたいは思ったんだ」

「な、何を?」


 すると摩耶は、キッと目を上げて俺を見た。


「家族の代わりに、何が何でも美耶を幸せにしてやろうって」

「それは……」


 素晴らしいとか、妹思いだとか、言葉面だけなら何とでも言える。だが、正直言って俺にあったのは『憐憫』だった。そして、そうとしか思えない自分に嫌気が差した。


「あたいがGPSで美耶がどこにいるのか確かめてやる。お前らは、あたいら姉妹のことは放っておいて楽しく歌ってな」

「そ、そりゃあ……ごめんな、摩耶。俺も捜しに――」


 と、言いかけた俺の足元が、摩耶によって綺麗に払われた。俺は転倒、あやうく額がテーブルの淵にぶつかるところだった。


 本来なら、危ないぞ、とか、怪我させる気か、とか怒鳴るだろう。しかし、不思議とそんな気は起こらなかった。

 摩耶の真剣な眼差しに、じっと見惚れてしまったからかもしれない。


「とにかく! お前らはどんちゃん騒ぎをしていてくれ! きっと美耶は、今はあたいと離れて頭を冷やしたいんだ。勝手に戻って来るさ。楽しく迎えてやってほしい。そんな姉心、ご理解いただけるかな?」


 ふっと脱力気味の笑みを浮かべた摩耶に、反論できる者はいなかった。


         ※


 その後二時間ほど経って、美耶は何事もなかったかのように帰ってきた。扉の開閉音が聞こえないのか、ルリアと希美はマイクの取り合いっこをしている。いや、そもそも二本準備されてたんだけどな。


「あっ、美耶……」


 俺が呟くと、美耶に続いて摩耶が入って来た。そして無造作に、美耶に拳骨を振り下ろした。


「おい! 暴力は止めろよ!」


 咄嗟に叫んだ俺に向かい、摩耶は上目遣いでガンを飛ばしてくる。

 俺は怯んだ。月野姉妹とその親父の話を聞いてしまった今となっては。


「確かに普通の暴力でも、それはひでぇもんだと思う。でもそれよりひでぇのは、実の家族に無視されたり、罵倒されたりすることだ。普通の親ってのは、そんなことしねえんだろ?」


 思わず俺は口籠った。風見家は仲がいいとはよく言われることだったが、どうやらお世辞でもなかったらしい。まあ、両親が離婚するまでの話だけどな。


 凄まじいボリュームで音楽を放つカラオケの筐体。だが不思議と摩耶の言葉は、するりと伝わって来た。耳に、頭に、心に。

 俺が言葉を継げないでいると、摩耶はそっと美耶の頭に手を載せた。


「わりぃな、美耶。口より先に拳骨が出ちまった。勘弁してくれ」


 そのまま荒っぽく美耶の髪を撫でる。


「ううん、お姉ちゃんだけの責任じゃないから」

「ん、そういうもんかもな」


 こくこくと頷く摩耶。すると、軽く肩を叩かれた。


「ほれ、柊翔はん! あんたの番やで!」

「お、おう」


 俺は慌てて振り返り、マイクを両手で握り締めた。


         ※


 翌日早朝、通学路にて。


「おいおい、騒ぎになってるぜ、柊翔!」

「なんだよ、朝っぱらから騒がしいな」


 俺は学校への緩い坂道を上りながら、同じく上って来た寛に声を掛けられた。

 現状、こいつの相手をするのは正直キツい。寛に非があるわけじゃない。だが、今の俺のメンタルが酷いのだ。


「昨日は一睡もできなかったんだ、少しは察してくれ」

「ほほーう、一睡もできなかった? 国民的ヒロインの相手をするのに苦労したんだな? 夜間訓練で」

「どういう意味だ、このド変態のド畜生め」

「おいおい待ってくれよ、ここで会話が終わったら、俺っちが本当の外道になって――」


 俺はさっと振り返り、寛を置き去りにして昇降口を目指そうとした。

 が、しかし。


「ん?」


 歩道の両端を彩る花壇の陰で、何かが蠢いた。人間のシルエットに見えたが、誰かいるのか?

 すると、俺に勘づかれたことを見破ったのだろう。かさり、と僅かな擦過音を残して気配は消えた。


「何だあれ……?」


 なおも喚く寛を無視して校門をくぐり、昇降口でシューズに履き替え、俺は教室に向かった。――のだが、先客がいた。風見家で預かっている四人のうちの一人だ。


「へーえ! すごい、本物だ!」

「ほら、あのジュースのCMに出てるじゃん!」

「うわぁ、肌も髪も綺麗……」


 教室の中央で、今まさに夜桜希美が称賛の質問の渦に呑まれていた。


「あたしあのドラマ大好きだったんだ! 夜桜さんの、初主演作!」

「ねえ夜桜さん、よかったら希美さんって呼んでもいい?」

「あーっ! 抜け駆けしてるー!」


 渦に呑まれたと言いつつも、希美はもう慣れっこらしい。適当に相槌を打ち、質問を肯定し、必要ならば笑ってみせる。

 有体な言い方だが、こうして見ると本当に美人だな。ってか、うちのクラスの女子共が強い。


 そうか。月野姉妹の時と同様に、弦さんがいろいろと細工をしてくれたのか。

 なるほどなと顎に手を遣っていると、背後から勢いよく押し退けられた。


「うわあーーー! マジかよ! 本物の希美ちゃんじゃねえか!!」


 誰にやられたのか。言うまでもなく寛である。

 ところが、希美の視線の向かう先は寛ではなかった。


「あっ、柊翔はん!」


 ぶんぶんとこちらに手を振ってみせる希美。おいおい、まさか俺たちの裏事情を言いふらしているわけじゃないだろうな?


 とてててっ、と人の輪を抜け出して、希美は俺の下にやって来た。さっと手を差し出して、掴まって! と一言。


「ああ、悪いな、希美……」


 俺は無事体勢を立て直し、立ち上がった。と同時に、はっとした。

 彼女のことを『希美』とファーストネームで呼んでいたら、俺が彼女と特別な関係にあると勘違いされるかもしれない。いや、確かに特別な関係ではあるが。


 女子たちは、俺を助けに行った希美を称賛した。

 流石だとか、素晴らしいとか。どうやら、ファーストネームで呼んでしまったのは聞こえていなかったらしい。


 と、思った次の瞬間だった。


「柊翔はん? ね、ねえ希美さん、君、こいつを下の名前で呼んだの?」

「え? それって駄目なん? あかんかったかなあ、堪忍な、柊翔はん……じゃなくて、風見くん!」


 俺は、そんなことは気にしていなかった。それより、クラスでの自分の立場を憂いていた。

 だって、転校してきたばかりの国民的美少女と知り合いだった、と思われるじゃないか。

 いや、実際そうなんだけど。


 俺の首筋に嫌な汗が浮かび上がってきた、その時だった。

 

「よーし、おはよう、生徒諸君! 席に就いてくれ、ホームルームを始めるぞ」


 おお、これぞまさに僥倖か。男子も女子もさっさと自分の席に戻っていく。

 それから、希美の自己紹介は拍手喝采のスタンディング・オベーションにて無事終了した。


 俺とは席が離れているから、俺が変な注目を浴びることがなかったのも助かった。

 不穏な唸り声に反対側を見ると、寛が額を机に擦りつけて落涙している。


「……言わんこっちゃない」


 俺は肩を竦めた。

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