第10話


         ※


 その後の対応は、我ながらよくできたと思う。実際、自分が気を失う時に頭を打たないように注意した。また、周囲の感覚が戻って来ても、慌てて起き上がらないように落ち着くまで待った。きちんと呼吸を整えることもできたし……。

 要するに、俺に非はなくて、こんなこと一ミリたりとも望んじゃいない! と主張したいのだ。


 その状況はというと――。


「ん……」

「なんや? 柊翔はん? 柊翔はん、風見柊翔はん! 分かりまっか?」


 この声、誰だ? 似非関西弁……。

 仕方ない。俺の意識が戻ったのは事実なのだから、さっさと自分は大丈夫だという認識を皆に広めねば。


 ゆっくりと瞼を開く。すると、思いの外近くに誰かの顔があった。真っ直ぐに俺の目を覗き込んで、瞬きすること二、三回。それから、頬を緩めた。


「みっ、皆っ! 柊翔はん、意識戻ったで!」


 ああ、この声と似非関西弁は希美か。俺は寝かされた状態で、他の面々の顔や手が見える度に、瞼をパチパチと上下させた。


 もちろん、それだけをやっているわけにもいかない。

 俺は説明役を買って出た摩耶と美耶の言葉を、頭の中で整理した。


 確かに、結果的に希美の身柄を保護できた。しかし、あの時乗って来ていた大型乗用車は凄まじい衝撃を受け、大破。弦さんと謎の誘拐犯との戦闘もあったし、それを皆が直視している。

 ここにいる全員が、多かれ少なかれ命の危機を感じているのではないだろうか。

 

 月野姉妹は、いつもの陽気さを失っている。

 美耶は極々不安そうだ。俺に笑顔を作ってくれたけれど、切なげで寒々しい。

 対する摩耶は、そこらへんをツカツカと音を立てて歩き回っていた。


「今どこにいるんだ、俺たち……?」

「繁華街を抜けて、沿岸の交差点に入りました。現在は、湾岸部にあるセーフハウスで待機しています」


 健気にも説明係を務めようとする美耶。俺はできるだけ情報を収集し整理することに努めた。


「そうか。ありがとな、美耶のお陰で落ち着いたよ」

「ほっ、本当ですか!?」

「俺がお前に嘘なんてついてどうするんだ?」

「そ、それはそうですよね、先輩が私に嘘なんて……」


 と言い切ろうとして、美耶は奇妙な息をつき、俺から引き離された。


「おい美耶! お前ばっかり柊翔と話すな!」

「えっ……」


 割り込んできたのは、言うまでもなく摩耶である。腕を突き出し、美耶を揺すっている。


「おいやめろよ。美耶だって立派に働いてるんだ、俺が話すだけでいいなら、安い買い物だよ」

「安……い……?」


 あ。しまった。マズいことを言ってしまった。これには流石の摩耶も顔を引っ込めた。


「あー、美耶? 俺はお前が、その……お前の気持ちを大事にしたいんだ。だからそういう、嫌味? ドン引き? そんな要素は一切なくて――そ、そう、言葉の綾ってやつで……!」


 俺の語彙力を総動員しようにも、元になる語彙がまるで貧弱だ。


「あ、あのさ、美耶、大丈夫か……?」

「仕方ねえなあ、柊翔。美耶にはあたいが直接言って聞かせる。それでいいか?」

「ん、ああ。……頼む」


 摩耶に頼めるほど大雑把な問題だとは思えなかったけれど。


 ところで俺は、自分でも声が硬質になっているのを感じた。

 はあ……。まったく、誰が敵で誰が味方なのか、ぶっちゃけ分からん。

 

 一応、悪いのは大人たちのようだ。さっき邸宅に突っ込んできた、希美のガードマンたち。

 運転ミスなんかとは無縁の連中に思えたが、もし、実は運転ミスでしたというのであれば、彼らはガードマンに成り代わった誘拐犯だと言える。


 そんなことを考えている間に、摩耶は美耶の肩に腕を載せ、荒っぽく退室した。

 って、待てよ。


「あの……ここはどこだ?」

「ここ? あー、弦さんがうちらを連れて来はったんや。車でな」


 希美に続き、得意げにルリアが語る。


「具体的には、県内のどこなんだ? だいぶ静かだけど」

「南部の海沿い、コンビナートの近くでーすね。もっとも、暗くてよく分かりませーんが」


 そう言いながら、希美が窓の外に視線を飛ばす。日の出までにはまだ随分かかりそうだ。

 

 事ここに至って、ようやく視界が明瞭になった。ピントが合ったのだ。

 だからこそ気づいたのだが。


「……二人共、近すぎないか?」

「え?」

「そうかいな?」


 ルリアと希美は、俺の顔の上で互いの視線を合わせた。


「いやだからさ、俺に対して近くないか? って言ってんの!」

「それはそうかもしれないでーすね」

「そんなことあらへんって!」


 ルリアと希美が、同時に真逆のことを言う。しかしその姿勢を崩すことはなく、俺の鼻先でぶつぶつ話している。正直、こういうのが一番困るのだが。

 しかし、ここで俺は重大なことを知らずにいることを自覚した。


「それはそれとして……。ここはどこだ?」

「え? だから海沿いだと――」

「そうじゃなくて、俺が今寝かされているのはどこかってことだよ」


 肘を床について、上半身を起こす俺。だが、なかなか上手くいかない。


「おいルリア! ふざけてる場合じゃないぞ! 百聞は一見に如かず、っていってな……、あれ? なんか柔らかいな、これ」

「ちょ、ちょっ……」

「どうなってるんだ? おい、首を曲げようとするな!」

「あちゃあー! 柊翔はん、それはセクハラっちゅうか、まあうちらにも責任はありますけど……」

「だからなんなんだよ!」


 まどろっこしいな。ルリアが身を引くのを確認して、俺は上半身を上げた。


「さっきからお前ら何をやって――あれ?」


 ついに。ようやく。この期に及んで。

 俺は今、自分の置かれた立場を理解した。どうやら、正座したルリアの膝の上で絶賛気絶中だったらしい。


「おっ、おい! 気絶してる俺を膝枕するな!! 俺をルリアの太腿の上で寝かせようなんてッ!!」

「あっ、やんっ!」

「変な声出すな!」


 俺は自分の身体を跳ね飛ばそうとしたが、誤って横転。今度は反対側、つまり希美のいる方へと見事に倒れ込んだ。


「きゃん! どっ、どどどどこ触っとんねん、変態!」

「ぶわっ!」


 今度はまた、突き飛ばされてルリアの方へ。俺はしばし、左右に拳やら掌やらを叩きつけられた。『大きな古時計』の振り子かよ。

 などと思っていた最中、廊下に続くドアが勢いよく押し開けられた。


「あんたら何を騒いでんだよ! こっちまで声が筒抜けだぞ!」

「あっ、摩耶! 助けぶへっ!?」

「ちょっ、柊翔!? こーーーのド畜生! あたいに黙って浮気しやがって!」

「誰がだよ! 俺はまだ、誰とも将来を誓い合ったわけじゃねえんだぞ!」

「問答無用おおおおお!!」


 ルリアと希美の間を縫って、頭頂部に摩耶の拳骨が振り下ろされた。

 再び倒れゆく俺の上半身。最後に目に入ったのは、ドアの陰からそっとこちらを覗き込んでいる美耶の姿だった。


         ※


「わたくしの不在の折にそんなことが……。不肖この上村弦次郎、不覚を取りました。もうしわけございません、坊ちゃま」

「あー、まあそういうこともある、ってことですかね……。顔を上げてくださいよ、弦さん」

「はっ」


 先ほどの、大きな古時計のような茶番劇を終わらせたのは、弦さんだった。

 何故最初から止めてくれなかったのか? それは、弦さんがセーフハウスの周辺偵察を行っていたからで、弦さんを責めるのはお門違いである。


 それでも、俺は腕やら足やら胴体やらに無数の打撃を喰らってしまった。運動するのにあまり支障が出ないのは、まさに不幸中の幸いと言えるだろう。


 その弦さんだが、ボロボロになった燕尾服は捨て去って、今は半袖のジャージ姿で立ち回っている。

 そりゃあ、この暑さや敵の戦闘力の高さを鑑みるに、その服装の方がいいだろう。


 半袖を覗かせたところから、小さな斑点ができているのが見て取れる。痣だ。

 さっきの黒服との戦闘で、ダメージを喰らったのだろう。

 いくら弦さんが頑強な肉体を有しているといっても、無敵であるはずはない。少しは休んでもらわなければ。


「あの、弦さ――」

「あーっ! 弦さん、怪我してるじゃねえか!」


 俺の発言を遮ったのは摩耶だった。どうやら俺が見たのと同じ、腕部の負傷を気にしたらしい。


「ああ、摩耶様、申し訳ない。これは古傷です。先ほどの戦闘で負ったものではありません」

「え? あ、そうなの?」


 ぽかんとする摩耶に向かい、軽くお辞儀しながら『はい』と述べる弦さん。


「古傷? 何か事故にでも巻き込まれたのでーすか?」

「わたくし……じゃない、うちも気になるで、弦さんの過去!」


 おいおい、ルリアと希美まで気にし始めちまったじゃねえか。

 部屋の奥では、美耶がしゃがんでじっとしている。聞き耳を立てているのだ。そりゃあ気になるわな。


 弦さんは僅かに顔を顰め、しかしそれでも怯まない女子たちに対して、床に座るよう指示をした。


「あれは今から十年前、わたくしが陸上自衛隊の隊員として、東南アジア某国の平和維持活動に参加した時のことでございます」

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