第11話
※
「わたくしたちの小隊に与えられた任務は偵察でした。そもそも、銃器の扱いは厳しく制限されていましたからね。それに、任務の性質上、持てるのはオートマチック拳銃と弾倉が二つ。計四十五発です」
多少ミリタリーに興味のあった俺は、それがいかに異常な状態なのかをすぐさま理解した。日本は平和維持軍を名乗っている。地元の軍人からしたら、日本の自衛隊も敵性勢力と見做すのが道理。
だから、これは極めて危険な事態なのだ。しかも、多国籍軍の前線基地からは七〇〇メートルも離れている。いくら少数精鋭の陸自のレンジャー部隊といっても、援護もなしに、死傷者を出さずに切り抜けろという方が無茶だ。
「油断してしまったのはこのわたくしです。命令で鉄屑同然となった自動小銃を背負い直し、拳銃をホルスターから抜いた、まさにその時でした」
足元に違和感を覚えた弦さん――上村弦次郎・二等陸曹は、ゆっくりと視線を下げた。
左足が、ワイヤーに引っ掛かっている。それを目にした瞬間、弦さんは自らの緊張感のなさを心から憎んだ。
これは、地雷を起爆させるために仕掛けられたものだ。このワイヤーが切断されると、すぐさま爆発する。ブリーフィングでも気をつけろと、あれだけ聞かされていたのに……!
ここ数日にわたる作戦による疲れが出てしまったのだろうか。
「東南アジア特有の気候に参ってしまいましてね。高い気温、不快な湿度、毎日降ってくるスコール。他国の人間が味わうには、あまりにも過酷な環境下での作戦でした。もちろん、愚行を犯したのはわたくしですが」
「で、でも弦さん、あんたは今ピンピンしてるじゃねえか! どうやって助かって――」
「摩耶、少し黙ってろ」
「あぁん!?」
俺は、自分が反射的に摩耶の言葉を突っぱねたことに気づかなかった。それほど弦さんの言葉に集中していたのだ。
「わたくしは叫びました。自分が地雷に引っ掛かってしまった、すぐさま退避して身を守れと。しかし、そんなわたくしの訴えをすぐさま退けた方がおりました。その人物こそ――」
風見司・三等陸佐――俺の親父である。この時の小隊の隊長を務めていた。
「彼はわたくしを励ましながら、解除困難と言われていた最新式の地雷を完全に分解してしまいました。もういいぞ、という声と共に左足を持ち上げると、爆発は起こりませんでした」
それから親父は皆に対して、立ち上がって前進せよ、とハンドサインを送った。自らも倒木の陰に退避しながら、アイコンタクトで尋ねてくる。
(上村、立てるな?)
(は、はッ! 直ちに後方の警戒任務に戻ります!)
無言で頷いた親父のヘルメットが、鋭利な音を立てて傾いた。
「こちらJ-01、敵性勢力と交戦に入った! 座標は――」
英語で無線に声を叩きこむ親父。自分たちは後退するから、前方に火力を集中してほしい、という内容だ。
「そう伝えるや否や、風見三佐は気を失ってしまいました。生命の危機ではございませんでしたが。ヘルメットに接触した弾丸が逸れたのは、まさに僥倖、奇跡といっても構わないでしょう」
大人同士のいざこざがあって、親父の負傷は記録から抹消された。
親父は俺たち家族のために自衛隊を辞め、弦さんもそれに倣った。そして、戦闘以外の意味で親父の、ひいては俺やお袋、春香のために尽くす道を選んだ。
※
「だからあなたはそんなに献身的でいてくれたんですね、弦さん」
「献身……。そうですな、坊ちゃまがそう言ってくださるのであれば、わたくしもきちんと務めを果たすことができていると言えるのかもしれませんが。ああ、失礼」
あれだけ戦ってこれだけ話したのだから、そりゃあ脱力もするだろう。俺はささっ、と弦さんの背後に回り、丸椅子を引き寄せた。そっと肩に手を載せ、頷いて見せる。
弦さんは安心した様子でゆっくりと腰を下ろした。
「あんたらも苦労してたんだな、柊翔も弦さんも」
「俺の苦労なんてたかが知れてるさ。高校に入って、人間関係で四苦八苦してるだけだからな」
俺は両手をポケットに突っ込み、摩耶に応じた。
「少なくとも、ヘマして死ぬような環境にいるわけじゃない」
「それは戦争を引き起こした、現在の大人たちが為すべき贖罪に繋がることです。坊ちゃまや同世代の皆様方に、こんな思いをさせたくはありません」
弦さんは珍しく姿勢を崩した。がっくりと腰を折り、上半身を傾ける。
それを見ながら、やはり俺は違和感が湧いてくるのを禁じえなかった。
弦さんが着用しているジャージ(俺の半袖・半ズボンだ)が、あまりにも不似合いだったからだ。
確かに、彼は立派な武人だ。邸宅のエントランスでの戦いを見れば分かる。
しかし、そんな生き方をするのが、弦さんにとって最善の道なのだろうか?
あんなことをするには、彼は優しすぎる気がしてならない。
気づいた時には、この場にいた全員が黙って弦さんの言葉に耳を澄ませていた。
彼の独白が終わってから、誰も口を利こうとしない。別に弦さんが恐ろしかったわけではない。何らかの反論をしても、彼は淡々と持論を述べるだろう。賛同するか反対するかは分からないが。
音がするとすれば、壁に配されたアナログ時計の秒針が進む音だけだ。
何かを尋ねたいけれど、それには自分たちはあまりに若すぎる。何かを話せという方が無茶というものだ。
そんな、肌が引き攣るような沈黙。それを崩したのは、やはり弦さん本人だった。
肺の奥から轟くような、深い、深い溜息。そっと手を額に当て、呼吸を整えた弦さんは、ゆっくりと立ち上がった。
そこにあったのは、執事としての職務を全うせんとする、一人の老人の姿だった。
「やっぱりその格好が似合ってますよ、弦さん」
「坊ちゃま、今何か仰いましたか?」
「え? あ、ああ、いえ、何でもありません」
弦さんは頷き、皆の方へと視線を戻した。
「皆様、老体の戯言にお付き合いいただいてしまい、誠に申し訳ございません」
大きく頭を下げる弦さんに、真っ先に反応したのは摩耶だ。
「いやいやいやいや! 待ってくれよ、弦さん! あんたはあたいらのために戦ってくれたんだ、何も悪いことはしてねえよ!」
「そ、そう! 摩耶さんの言う通りでーす! 弦さんは、ボクたちを守ってくれたでーす! 過去に何があったかとか、そんなことを気にする人はいませーん!」
眼鏡をギラギラ反射させながら、ルリアが同感の意を示す。
一方、美耶と希美は沈黙を続行。二人共、俯いて何事かを考え込んでいる。
皆を一通り見回した弦さんは、自分の腕時計に目を落とした。
「おっと、もうこんな時間ですか。これから夕飯の用意を致します。それでは」
そう言って、弦さんは部屋を後にした。
俺はふっ、と鼻を鳴らしてから、皆に言った。
「そうだ、ダイニングへ行こう。そもそもこの部屋、空気が淀んで仕方ないしな」
立ち上がってそう言うと、膝がかくん、と曲がりそうになった。どうやら、心の底から集中して弦さんの言葉を聞いていたらしい。
誰がついて来てくれるだろう? 気にはなったが、俺が考えたところでどうしようもない。
結局、全員が退室してダイニングに向かうこととなった。弦さんの過去を知って、皆思うところは大体一緒だということか。
※
「と、いうわけで、明日はカラオケに行くぜ」
夕飯後の席で、俺は高々と言い放った。
皆、ポカンとして俺の顔を見つめている。
「あれ? 俺の顔に何かついてるか?」
「せやな、馬鹿の虫が群れてるみたいや」
「……あ、そう」
希美の痛烈な一言。それを浴びながら、俺は次に言うべき言葉を脳みそから引っ張り出した。
「明日は日曜日! そして快晴だ! これほどカラオケに適した日取りがあるか!」
「今は夏でーす! 暑いのは嫌でーすね!」
ルリアも文句をつけてくる。
ややざわつく四人、すなわち摩耶、美耶、ルリア、希美。しかし、俺のそばに待機していた弦さんが一つ、コホン、と咳払いすると、皆すぐに黙り込んだ。
「昨日、希美は誘拐されて、どこかへ連れていかれるところだった! 危ない! じゃなくて、危なかった! こういう時こそ、俺たちは団結して事にあたるべきだと思う!」
「ちょいちょい、待てよ柊翔!」
「何だ、摩耶?」
「希美は有名人だから狙われるのも分かるけどさあ、他のあたいらを誘拐して、犯人に何の得があんだよ」
俺は後ろで手を組んで、弦さんに向かって頷いた。
弦さんは一旦、俺から説明役を借り受ける。
「犯人の狙いは一つです。ずばり、殺傷行為そのもの。それも、中学・高校の生徒を狙うから性質が悪い」
「そう! 弦さんの言う通り――って、え?」
「身代金の要求は考えられません。このところ発生している通り魔事件に基づき推測しますと、通り魔事件の犯人は、明らかに彼ら、あるいは彼らの同族による犯行です」
「えぇ……?」
弦さん、何を言い出すんだ? 今話し合っているのは、希美についての誘拐事件に関すること。そして、それに類する事件から俺たちを守ること。何故通り魔が出てくるのか?
俺の戸惑いを言葉にしてくれたのは、美耶だった。
「つまり、弦さんは以前からこの街で起こる事件事故について調べていらっしゃった。……ということですか?」
「左様です。多少、探偵の真似事をさせていただきました」
「そんなあ! 俺に黙って――」
「申し訳ございません、坊ちゃま。しかし今回は、機密性を重視させていただきました」
その時ほど、弦さんのお辞儀が整って見えたことはなかった。黙り込む以外に、俺にできることはない。
それから、弦さんは淡々と続けた。
通り魔が一人である可能性がそもそも低いこと。
この街について土地勘があること。
そして極めつきは、三番目の根拠だ。
「戦ったことがある!?」
「はい。昨晩、わたくしが最後に倒した男と拳を打ち合わせました。わたくしがまだ、自衛官だった頃の話です」
それってかなり昔の話なんじゃないのか? 模擬戦を行ったとして、そんなに長く相手の立ち振る舞いを覚えているものだろうか。
そんな俺の疑念を察したのか、弦さんは頬を緩ませた。
「それだけ大変な訓練を積んできた、とだけ申し上げましょうか」
そして、さっと身を翻した。
「こちらをご覧ください」
皆がくっつけ合った机の上に、この街の地図が広げられる。
「犯罪の多発ヶ所には、赤ペンでマークが為されております。それをできる限り回避するために、我々は動きます」
「我々……? 誰のこっちゃ?」
「わたくしと、かつての部下たちです」
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