第8話

「こんな安物……と見せかけて、性能は抜群のようでございます。きっとこれは、坊ちゃまや月野摩耶様、美耶様、それにルリア様に対する警告の一種と考えられます」

「け、警告……?」

「言い方を変えましょう。脅迫です。坊ちゃまに対し、小細工を仕掛けることで、我々はお前のことを見張っているんだぞ、と脅しているのです。高性能なモデルですし」

「な、なん……?」


 言葉が続かない。息が苦しい。それでも心臓はバクンバクンと脈打っている。とても落ち着くどころの話ではない。

 弦さんの言葉に遭った『我々』が何を指すのかは知らない。が、俺が何らかの理由で狙われているのは事実らしい。

 

 俺を傷つけるためなのか、社会的不適合の立場に追いやるためなのか、最悪の場合、抹殺するためなのか――。したくもない想像が、ぐるんぐるんと頭蓋の中をほじくり返す。


 だが、一つ気にかかることがある。弦さんだ。

 うちが何らかのトラブルに巻き込まれても、弦さんはずっとこの家を守り、僕の面倒を見、いざとなれば、自らの命を賭して俺を救おうとしてくれている。


 そんな弦さんともあろう人物が、真っ青な顔をしている。

 彼は俺に盗聴器が仕掛けられたことの重大さを、きっと誰よりも理解している。

 そして次に何をすべきなのか、それを考えて必死に脳みそを回転させている。


 しばらく手元で盗聴器を転がしていた弦さんは、唐突に拳を握り締め、盗聴器を粉々にした。微かに震えている。手も、腕も、肩も。彼が語るべき事実というのは、それほど大変なものなのか。それほどの影響を俺に与え得るのか。


「弦さん、大丈夫ですか?」


 なんだかいつもと言う側、言われる側が逆転している。

 一種のコメディなのかもしれないが、発生した僅かな音を、俺は聞き逃さなかった。


「何か答えてください、弦さん! もし俺を守ってくれるというのなら、何か言いようがあるでしょう!」

「ええ。ここにいらっしゃる坊ちゃま、月野摩耶様、美耶様、それにルリア様の身の安全は、わたくしが必ずやお守り通す覚悟でございます」

「なら教えてください! 俺たちはいったい、何に巻き込まれているんです?」


 俺はずいっと片足を前に出し、弦さんとの距離を詰めた。その時、微かにではあるが、弦さんは俺から目を逸らした。

 再び驚かされた。弦さんの態度は、この現実を回避するようでいて、弱音を吐く場所を求めるようなきらいもあった。

 俺は膝から崩れ落ちそうになりながら、しかし、誰かに手を取られて、辛うじて転倒を免れた。摩耶が支えてくれている。


「おいおい大丈夫かよ、柊翔? それに弦さんも!」


 そう言いながら、俺を緩やかにカーペットの上に下ろす摩耶。

 背後からの気配を察してみると、美耶は沈黙を続行中。身じろぎ一つしない。ルリアは慌てた様子で、しかし何もできず、あわあわと落ち着きない。


「坊ちゃま、いえ、皆様方。もし本当にこの件に首を突っ込むおつもりなら、すぐにお止めなさい。それが最善の自衛策です。ただ、日頃の鍛錬が無駄にはなるわけではありません。もしわたくしに、何らかの戦闘技術を学びたいと仰る方は、遠慮なくお声がけください」


 それでは。――この四文字には、今日の話し合いはここまで、という意味がしっかりと組みこまれていた。


「……だったらどうしたんだよ、畜生……!」


 と、言ってから気づいた。弦さんを畜生呼ばわりするなんて、俺もどうかしている。


         ※


 味覚が完全に失われた状態で、弦さんの作ってくれた夕飯に手をつける。

 デミグラスハンバーグにバラーライス、それに小鉢に入ったイタリアンサラダ。

 そういう風に認識はできるものの、どうも魅力が欠けているように思えてならない。


 流石の摩耶も、料理を口に運ぶのが遅い。いつもの早食いスタイルはどこへ行った?

 美耶はバターライスを突っつくだけだし、ルリアも水ばかり口にしている。


 ところで、弦さんはきちんと食べていられるだろうか? 七十代にして筋骨隆々としている人だ、心配には及ばないだろう。と、信じたい。

 それでも、彼が無茶をしてしまう可能性は零ではない。さっきのブチギレ状態の弦さんを見れば明らかだ。


 ここまで振り返ってみる。

 この街には通り魔がいる。加えて、俺を監視している連中がいる。

 彼らが一枚岩なのかどうかは分からない。


「腹が減っては戦はできぬ、ってか」


 小さく呟いて、俺は思いっきりハンバーグにかぶりついた。


         ※


 風呂にはレディファーストで、次々に入ってもらった。

 それから、再び現れた弦さんが俺たちに個別に寝室を割り当ててくれた。

 ただし、美耶の要望を受けて、摩耶と美耶の月野姉妹は同室だ。

 また、俺もいつもの自室ではなく、一階の客間を宛がわれた。まとまって近くにいた方が、俺たちの身を守りやすいからという弦さんの言葉に従う形だ。


 以上、一部例外を除いて、これらの指示に異論や反論を述べる者はなし。

 

「俺が風呂に入るまで、まだ時間があるな」


 壁掛け時計を見上げながら、ぽつりと呟く。

 すると突然、俺の視界に誰かの顔が、ぬっと入ってきた。


「どわあっ!?」

「あらら、柊翔くんは何を驚いているんでーすか?」

「ああ……。ちょっとぼーっとしててな。悪い」

「今のお風呂の様子でも想像していたのでーすか?」

「馬鹿言え、別にそんなもん――」


 と言いかけて、俺は自分の頬が薄っすらと赤く染まるのを感じた。ぐっと顎を引き、黙り込む。だが、ルリアはそんなことはお構いなしに、声を張り上げた。


「浴場で欲情! なんちゃって! ボクに座布団一枚でーす!」

「んなわけねえだろ馬鹿! って、弦さん、座布団持って何やってんすか!?」

「なあに、怪しいことではございません」


 いや、怪しい。座布団といっても、弦さんは十枚はあろうかという座布団の山を運んでいたのだ。視界不良に陥っているだろうに、僅かな視野で転倒を防いでいるのだろう。

 そんなことに頓着せず、ルリアは叫んだ。


「おう! ちょうど十枚でーすね! 特別商品、ゲットでーす!」

「言ってる場合か、アホ! ……それにしても弦さん、その座布団の山、どうするんです?」

「皆様方のお部屋に配置致します。いざという時は盾にもなります」


 何だって? 座布団が盾に? そんなはずないと思うのだが。

 疑念を抱いた俺に対し、真逆の思考をしたのは、言うまでもなくルリアである。


「すごぉい! まさかこの座布団の中に、防弾仕様の素材でできた板が仕込まれているんでーすね?」

「左様。オートマチックの三十八口径程度でしたら、弾倉一つ分は防ぎきれます」


 何気にすげぇな、それ。


「ありがとうございまーす!」

「ど、どうも」


 嬉々として受け取るルリア。座布団の強さを推測できず、おどおどしながら受け取る俺。二、三枚まとめて渡された座布団は、確かに人命の尊さを感じさせる重みがあった。


「では、わたくしめは摩耶様、美耶様のお部屋にこれらを運んでおります。その後はキッチンの奥扉の小部屋におりますので、何かございましたらご一報ください。緊急性が高い場合は、ベッドわきのマイクの電源を入れて、冷静に状況をお伝えください。よろしいですかな?」


 するとちょうど、風呂場のある方の廊下の奥から喧しい声が聞こえてきた。

 摩耶め、はしゃぎやがって。俺たちが揃って頷くのと、まるでタイミングを合わせて戻って来たかのようだ。


「次はルリアだな。ゆっくり入って来い」

「分っかりました~。ではお先に!」


 アディオス! と言って眩しい笑顔を振り込みつつ、ルリアは自分の部屋へと引っ込んだ。


「なあなあ、柊翔」

「あん? 何だよ摩耶」

「あの女、今度殺していい?」

「やめとけ。お前の腕前じゃ返り討ちに遭うかもしれん」

「試してみないと分からないぜ?」

「だからそれをやめろ、って警告してんだろうが!」


 俺は、いつも以上に自分が熱くなっているのに気づいた。これ、さっきの違和感の正体なんじゃなかろうか。

 その正体だが、間違いなくこの会話での俺の居心地の悪さをもたらしている。

 異性について話しているからなのか? いや、それだけではなさそうだ。


 今、眼前にいるのは月野摩耶。すっと視線を上げると、首を傾げた摩耶の視線とぶつかった。


「……なんだよ」

「いっ、いや、俺からは何もないけど……」

「あ、あっそう」

「それより、あー、あれだ、摩耶、弦さんの言ってたこと、ちゃんと覚えたんだろうな?」

「もっ、もちろん!」


 摩耶はぱっと俺から離れ、腰に手を当てた。


「座布団は投げて使うんだろ? 大相撲中継みたいに!」

「……」

「んと、じゃあ、ゴキブリを見かけたらベッドわきの非常ボタンを押す、とか!」

「……」

「そ、そうだ! 罪を憎んで人を憎まず!」

「全部違うわ! ってか、なんで最後だけ格言なんだよ?」


 俺は呆れて溜息をつき、後頭部をガシガシ搔きながら『寝る』と一言。

 この場に残したのはそれだけだ。

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