第7話【第二章】
【第二章】
「うわ~お!」
玄関前で妙にテンションを上げているのは摩耶である。
自慢じゃないが、俺の邸宅のエントランスには、金のかかるものがたくさん配置されている。
シャンデリアやレッドカーペット、果ては象牙で造られた階段の手摺などなど。
「はっはー! なんだこれ! まるで金持ちになった気分だぜ! なあ、美耶?」
「……う、うん、そうだね」
エントランス一棟の高級感は、美耶をも圧倒した。目をきょろきょろさせながら、口を半開きにしている。
「いつ見てもいいものでーす! 隅々まで計算され尽くした、左右対称な構造! ダイナミックな階段の存在感! そして随所に見られる高級家具の数々……!」
ルリアに至っては両手足を伸ばして、このエントランスを我が物のように愛でている。
彼女は何度か俺の家に来たことがあるはずだが、それでも見慣れてしまうことのない魅力を味わっているのだろう。
きっとここで、ルリアと一緒だった記憶は僅かなものだ。何せ、俺にとって最高の遊び相手だった月野姉妹に出会う頃には、ルリアは政府直轄の研究施設のメンバーとして迎え入れられていたのだから。
「それでは皆様、わたくしはシャワーの準備をして参ります。準備ができ次第、お知らせ致します」
俺は一度大きく頷いて、弦さんに任せることにした。
偶然だろうか。弦さんが浴場へ通ずる扉を抜け、退室すると、俺たちは一気に静まり返った。
「ひゃっほう! あははは! はは……って、あれ?」
一人、取り分けテンションの高かった馬鹿を除けば。
「摩耶が元気なのはいいとして……。そうだな、もっと落ち着くところに移動するか。ついてきてくれ」
「いやあ、こんな高級品に囲まれてるとわくわくするな!」
勝手にしてろ。俺たちにはやるべきことがあるだろうに。少なくとも、話し合っておかなければならないことが。
「今なら小会議室が空いてる。三人共、こっちに」
手招きしながら、俺はエントランスを抜ける。弦さんとは逆の方へ。
廊下もそれなりに豪奢だが、エントランスほどではない。皆がだんだんと落ち着きを取り戻していく。
全員が適当に腰を下ろしたのを確認し、俺は教壇のような僅かに高いところに足をかけた。
「さっき車の中でも説明したやつ、あるよな。今から言うことが守れなかったら、すぐさまざんざん降りの雨の中に放り出す。いいな?」
「……」
「どうした、返事は!」
「は、はいっ!」
「よし、じゃあ第一回目、通り魔撃退作戦会議を開催する!」
移動する車内で話したことについて、俺は再度説明をすることにした。
※
今から十分ほど前、件のクラウンの車内にて。
「通り魔、ですか?」
「左様。坊ちゃまのお耳にも入っていると存じますが」
「そ、そりゃあ、学校の教諭連中も騒いでますけど。皆は? 聞いたことあるか、通り魔の話なんて」
俺が尋ねると、摩耶が勢いよく手を上げた。
「はい! はーーーい!」
「摩耶、お前の意見はいらん」
「えぇえーーー!? なんでだよ!」
「どうだい、美耶? 中等部でも話題になってるか?」
「は、はい。昼夜を問わず危険だから、決められた通学路以外は絶対に立ち入るな、って」
「むきー! 柊翔ぉ、てめえどうしてあたいの意見をスルーしてばっかなんだよ?」
「ガキっぽいんだよ、お前は。もうちょっと美耶を見習ったらどうだ?」
「むきむきー!」
どうやら、俺の言葉はなかなか効いた様子。摩耶はハンカチに噛みついて引っ張り、さも悔しそうな態度を取った。
「ここで問題なのは、その学校の指示にきちんと従う生徒は何割いるか? ということでーすね!」
助手席からルリアが身を乗り出して、ぐいっと顔を寄せてくる。近いっつーの。……照れるじゃねえか。
そんな俺の胸中を推し測ることなどせずに、ルリアは言葉を続けた。
「最初の犯行は四月上旬、帰宅途中のOLが背後からナイフで刺され重傷。犯人は指紋のないナイフを彼女の背中に刺したまま、影も形も残さず消えた」
「その際に大きな疑問として浮かび上がったのは、動機、でしたな」
淡々と注釈を加える弦さん。
「仰る通りでーす! さっすが弦さん、博識でいらっしゃいまーすね! まさに大賢人!」
いや、博識とか賢人とか、そういう話じゃないだろ。
「問題はなーんと! 犯人が何も盗らずにその場から去ってしまったこと! 何がそいつを凶行に駆り立てたのでしょうねー?」
知ったことかと一蹴しようかとも考えた。しかし、万が一、いや、万が一の万が一、実際に通り魔に出くわしたら。
それを考えると、全身の表皮に電流が走るような感覚に陥った。無数の鋭い小さな針が、ざっと身体を撫でていくような。
表情筋が痙攣するような動きを始めたので、それを隠すべく俯いておく。
まずは皆の意見を聞かせてもらおうじゃないか。
※
そして現在。俺の邸宅の小会議室にて。
俺を含め、四人の沈黙が続いていた。たかだか十分程度で、正体不明の通り魔に備えろという方が無茶なのだ。
そんなこと、発案者である俺が一番よく分かっている。
だが、俺は急いでいた。できうる限り早急に、通り魔の存在を抹消したかった。
それも、一人も死傷させられることなしに、だ。
ただ通り魔を捕縛するだけでは駄目。俺たちの中から死傷者を出すことも許されないし、俺が許さない。
ん? 待てよ。これって矛盾してるんじゃないか? ここは確認しなければ。
「皆、聞いてくれ」
摩耶、美耶、ルリアの三人が顔を上げる。目を見れば、皆が真剣に事件について考えてくれているのは明らかだ。
しかし、場を仕切っている俺の声は、酷く掠れていた。俺は胸に手を当て、空咳を数回繰り返す。
「悪い。少し待ってくれ」
俺は手元にあった水筒から、がぶがぶ水を飲んだ。そうしなければ、とても喋れやしない。だんだんと新しい水分が胃袋の底に溜まっていく。
水筒の中の水を飲み切った俺は、ぷはっ、と軽く息を吸って正面に向き直った。
「ここにいる三人に訊きたいんだが、この作戦に参加する理由を教えてほしい」
「はあ? 何言ってんだよ、柊翔!」
摩耶がぐいっと身を乗り出す。
「お前や弦さんや先生の連中が、通り魔に遭遇すると危ないからそれをどうにか――って、あれ?」
頬を軽く掻いている摩耶に代わり、美耶がすっと手を上げた。俺は頷き、起立を促す。
「あの、多分、柊翔先輩は気づいたんだと思います。この作戦が抱える大きな矛盾に」
「矛盾?」
眉をハの字に展開するルリア。そんな彼女に向かい、美耶は肩を震わせながら頷いた。
「そう、矛盾です。周囲の人たちは、子供たちを守るべく行動しようとしている。危険から遠ざけようとしているんです。でも私たちがやろうとしていることは、わざわざ自分から地雷原に飛び込もうとしているようなものだと思います。通り魔の正体に近づけば近づくほど、危険な現場に踏み込んでいくことになってしまう。どのくらいの確度で相手を捕まえられるか、まったく分からないというのに……」
「その通りだ、美耶。座ってくれ」
美耶が着席すると同時に、ルリアがデスクに肘をついて唸った。
「確かに、子供の出る幕じゃないかもしれないでーすねー……」
「そう、ルリアの言う通りだ」
また俺は首肯する。
「なぁんだ、最初っからやる気なんてなかった、ってことか? 冗談よしてくれよ、柊翔!」
「まあ聞いてくれ、摩耶。発案者が言うのもなんだが……俺はやろうと思うんだ、この作戦」
「なんでだよ」
「……まあ、いろいろ思うところがあってな」
俺は肩を上下させながら長い息をついた。目線を教卓に落とし、前のめりになって、眉間に手を遣りながら言葉を選んでいく。
「俺はお前らに強制するつもりはない。美耶が言ってくれた通り、危険が伴うことだからな。でも、この作戦については、上手く乗り切ってみせたいんだ」
「わざわざ乗るこたあねえだろうに……。それとも柊翔、あんた、何か抱えてんのか?」
「ああ」
がつん、という無機質な音がした。摩耶がズッコケて、デスクに頭をぶつけたらしい。
「お姉ちゃん!」
「あ、摩耶? だいじょう――」
と言いかけて、俺は口を閉ざすことになった。
思いがけずドアが開き、そこから弦さんが入ってきたからだ。
顔は血が上って真っ赤であり、血管が浮き出ている。目尻は上げ、肩をいからせ、どんどんと足音を立てながら近づいてくる。これには俺も恐怖感を覚えた。
そして驚いた。いつも優しく、冷静な弦さん。しかし、今やそのギラついた瞳には、理性が崩壊してしまったかのような憤怒の感情が見て取れた。
「げ、弦さん! い、いきなりどうして――。がっ!」
俺は勢いよく胸倉を掴まれた。そして揺さぶられながら、弦さんの怒声を浴びせられる。
「そんな危険なことは止めなさい! 悪戯ならまだしも、自分たちで通り魔を捕まえようとするとは……!」
「そ、そんな、どこで聞いたんで……」
なんとか声を絞り出す。すると弦さんは俺のうなじに手を伸ばし、小さな機械を引き剥がした。シャツに貼りついていたそれは――まさか、盗聴器か?
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