解放

「だから────私を食べて」


 『もう食べ頃でしょう?』と促す私に、カーティスは大きく目を見開いた。


「えっ?そ、れは一体どういう意味だい……?」


「どうもこうも、そのままの意味だよ」


 『暗号でもなかれば、比喩表現でもない』と言い切り、私は黄金の瞳を見つめ返す。

動揺と困惑の入り交じった眼差しを真っ直ぐ受け止め、一歩前へ出た。

改めて、自分の気持ちを伝えるために。


「カーティス・ノア・シュヴァルツ、私の血を吸い尽くして。お願いだから────今ここで全てを終わらせて殺して


 『手遅れになる前に』と思案しつつ、私は真剣な声色で願いを口にした。

刹那────カーティスは目の色を変え、こちらに手を伸ばす。

獲物を前にした猛獣のような顔つきで大きく口を開けると、私の肩を掴んだ。

爪が皮膚に食い込むほどの力に、私はスッと目を細める。


 こうやって、乱暴に扱われるのは本当に久しぶりだな。

ここでは、蝶よ花よと愛でられてきたから……。


 『嗚呼、自分は生贄なんだ』と実感出来る出来事に、私は小さな笑みを零した。

と同時に、カーティスが私の肩へ顔を近づけてくる。

鋭く光る八重歯を眺めながら、私は『やっと全部終わるんだ』と安堵した。

カーティスの背中に手を回し、静かに衝撃を待つ中、彼の吐息が肩に掛かる。

と、次の瞬間────真っ赤な血が宙を舞い、床や壁を汚した……筈なのに、全く痛みを感じない。

血を啜られている感覚はもちろん、肩を噛まれた衝撃すらなかった。


 一体、どういうこと?痛すぎて、感覚がないだけ?でも、カーティスの体温はちゃんと感じられるよ?


 『痛覚だけ麻痺したのか?』と疑問に思う私は、目を白黒させる。

すると、カーティスが体を起こした。


「そ、それ……」


 目に飛び込んできた光景に絶句する私は、震える手でカーティスの方を指さす。

何故なら、彼の右手に────牙がくい込んでいたから。

つまり、彼は私の肩を噛む直前に自分の手の甲を噛んだのだ。


 どうして?あのまま、私の肩を噛んで吸血すれば良かったじゃない。

何で止める必要があったの?私は生贄で……カーティスの食料なのに。


 『もしかして、まだ食べ頃じゃなかった?』などと考える私を前に、カーティスはボタボタと大量の血を流す。

手の甲を噛んだまま『フーフー』と荒い息を吐き、苦しげに顔を歪めた。

どうやら、何とか正気を保とうと躍起になっているらしい。

先程までの獰猛な一面と普段の穏やかな一面が見え隠れする中、彼はようやく口を開ける。

その瞬間、患部から一気に血が流れるものの、吸血鬼ヴァンパイアの能力で直ぐに止めていた。


「はぁはぁ……危なかった。一瞬、本気で殺しかけた」


 汚れた口元を左手で拭うカーティスは、独り言を呟く。

まだ少し辛そうではあるが、言葉を話せるくらい回復したようだ。


「ごめんね、ティターニア。ビックリしただろう?」


 痛い思いをしたのは自分だというのに、カーティスは私のことを気遣ってくれる。

普段通りの優しい彼に戸惑いつつも、私は口を開いた。


「ううん、謝るのは私の方……怪我させて、ごめんなさい。でも────」


 そこで一度言葉を切ると、私は真っ直ぐに前を見据える。


「────今ここで食べて欲しい気持ちは、変わらない」


 『負傷しているところ申し訳ない』と思いつつも、私は自分の希望を述べた。

すると、カーティスは若干表情を強ばらせる────が、直ぐに取り繕った。

と言っても、頬を伝う汗や乱れた呼吸のせいで動揺しているのは丸分かりだが。

『吸血関連の言葉は苦手なのだろうか?』と思案する中、カーティスは務めて冷静に話をする。


「あのね、ティターニア。僕は────何があっても君を食べないし、殺さない。初日にも、そう言っただろう?」


「えっ?」


 全く身に覚えのない出来事を持ち出され、私は動揺した。

『何のこと?』と目を白黒させる私に、カーティスは説明を付け足す。


「ほら、君が手首を切った時だよ」


 『覚えるだろう?』と問い掛けてくるカーティスに、私は首を縦に振った。


 あの時のことは、ちゃんと覚えている。

確か食器を二人分用意されていたことに驚いて、私が勝手な行動を取ったんだ。

それでカーティスに怒られて……こんな会話を交わした筈────。


妖精の血デザート絞っている作っているだけだけど……こうした方が食べやすいかな?と思って。食器を用意してくれたのは、このためでしょう?』


『なっ……そんな訳ないだろう!』


 当時の記憶を鮮明に思い出す私は、内心首を傾げる。

だって、どれだけ記憶を遡っても『君を食べないし、殺さない』なんて一言も言ってないから。

『実は暗号や合言葉だったのだろうか?』と考えつつ、顔を上げた。


「ねぇ、カーティスはあのとき『血を溜めるために食器を用意した訳じゃない』という意味で、『そんな訳ない』って言ったんだよね?」


「う〜ん……概ね合っているけど、ちょっと違うかな?僕は『君を食べるために食器を用意した訳じゃない』って……『殺さない』って、意味で言ったんだ」


 言葉の真意を説くカーティスは、『もっと分かりやすく言うべきだったね』と肩を落とす。

どうやら、私達は知らず知らずのうちにすれ違いを引き起こしていたらしい。


「生贄に関する話題はデリケートだから、あまり触れないようにしていたけど……逆にそれが仇となってしまったね。すまない」


 申し訳なさそうに眉尻を下げ、謝罪するカーティスは『ずっと不安だっただろう?』と気遣ってくれた。

かと思えば居住まいを正し、真剣な面持ちでこちらを見つめる。


「だから、今度はちゃんと言うよ────ティターニア、僕は君を食べないし、殺さない。これは絶対だ。何があっても変わらない。だって、君は君として“生きる権利”があるのだから」


 当たり前のように生きる道を示してくれるカーティスに、私は困惑する。

だって、こっちは死ぬ覚悟を決めてここへ来たのだから。

急に『生きていい』と言われても、反応に困ってしまう。


 何より、私は────。


「────生贄だから、自分らしく生きるなんて無理だよ」


 『そんな贅沢許されない』とバッサリ切り捨てる私に、カーティスは小さく首を横に振った。


「君は生贄なんかじゃないよ。一人の人間だ。少なくとも、僕達はそう扱ってきた。もちろん、これからもね。だから、君らしく生きる道を諦めないでほしい」


 懇願にも似た響きで熱弁を振るうカーティスは、こちらに手を伸ばす。

そして、壊れ物を扱うかのように優しく優しく私の頬を包み込んだ。


「ティターニア、僕はね────君に幸せになってほしいんだ。そのためなら、何でもするよ」


「何でも……?」


「あぁ、何でも。君の欲しいものは全て手に入れるし、君の幸せを脅かす存在は一つ残らず排除する」


 スッと目を細めるカーティスは、私の頬を優しく撫でた。

ヌルッとした血の感触に少し驚きつつ、私は黄金の瞳を見つめ返す。


「じゃあ────カーティス達と、ここでずっと暮らしたいって言ったら、そうしてくれるの?」


「もちろん。それが君の望みであり、幸せなら」


 間髪容れずに首を縦に振ったカーティスは、ニッコリと微笑む。

まさかの即快諾に、私は目を輝かせた。


「本当……?後で『やっぱりダメ』とか言わない?」


「絶対に言わないから、安心して。むしろ、それだけでいいのかい?」


「他のお願いも聞いてくれるの?」


「あぁ、何個でもいいよ」


 『言ってごらん』と促してくるカーティスに、私は表情を明るくさせた。

『ここに置いてくれるだけでも有り難いけどな』と思いつつも、言うだけ言ってみる。


「あのね、大公領や世界のことについて教えて欲しいの。私、世間知らずだから歴史とか種族とかあんまり知らなくて」


「分かった。後で資料を用意するよ。マーサにサポートしてもらいながら、読むといい」


「ありがとう。あと、一回だけでいいから楽器を演奏してみたい」


「一回と言わず、何度でも演奏してみるといい。楽器は幾らでも用意してあげるから」


「本当?じゃあ、全部の楽器マスターする」


 ギュッと手を握り締める私は、一気に増えた楽しみに思いを馳せた。

自分のやりたいことをやらせて貰える幸せに浸る中、『嗚呼、これが自分らしく生きるということか』と気づく。

今までは与えられるものを受け取るばかりで、自分から求めることなんてなかった。

もちろん、それが不幸だとは思わないが、自分の意思を尊重して貰えるのは素直に嬉しい。

一人の人間として、認められているようで。


「ねぇ、カーティス────自分らしく生きるって、楽しいね。私、凄く幸せ」


 『カーティスのおかげだよ』と言い、私は顔を綻ばせた。

すると、カーティスは一瞬固まり……ふわりと柔らかい笑みを零す。


「ふふふっ。なら、良かった。でも、ティターニアはこれからもっと幸せになるよ。だって、まだやりたい事の予定しか立ててないんだから。実際にやってみたらきっと凄く楽しいし、幸せな気持ちになれるよ」


 『満足するのはまだ早い』と主張するカーティスに、私は目を輝かせた。

これ以上の幸せなんて想像もつかないが、素直に『楽しみだな』と思える。

だって、もう幸せを拒む理由はないから。


 ────この日、生贄という運命から解放された私は終始上機嫌で……様子を見に来たマーサに叱られても、クロウに注意されても笑顔のままだった。

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