生贄として

◇◆◇◆


 生贄として大公に嫁いでから、早一ヶ月────こちらの生活にだんだん馴染んできた。

朝の身支度も、食事も、散歩も既に日常と化しており、毎日楽しい。実に充実している。


「小さな奥様、寒くはありませんか?」


 そう言って、こちらを見下ろすマーサは繋いだ手に力を込めた。

肌越しに伝わってくる彼女の体温に、私は目を細める。


「大丈夫。火の精霊がピッタリくっついているなら、むしろちょっと暑いかも」


 この一ヶ月で精霊の見分け方について勉強した私は、コートの中に潜り込んだ赤色の精霊達を話題に出す。

上半身の至るところに貼り付き、温もりを分けてくれるため、秋空の下でも全然寒くなかった。

『これなら、コートを脱いでも問題ないんじゃ……?』と思うほど。


「それなら、良かったです。でも、近々マフラーと手袋を仕立ててもらいましょうか。大公領の冬はとても寒いので。もうすぐ、雪も降るでしょうし」


 すっかり枯葉だらけになった裏庭を一瞥し、マーサは防寒具について真剣に検討する。

『モコモコの可愛いデザインがいいわね』と独り言を零す彼女の前で、私はふと空を見上げた。


「雪って、白い粒みたいなものだよね?」


「ええ、そうですよ。奥様はまだ見たことありませんか?」


「うん」


「では、雪が降ったらたくさん遊びましょう。旦那様やクロウも巻き込んで」


 『きっと凄く楽しいですよ』と述べるマーサは、柔らかい笑みを浮かべた。

興味を唆られる未来の話に、私は僅かに目を輝かせる。


 雪を使って、どんな遊びをするんだろう?凄く気になる。


 『泥遊びみたいなものかな?』と予想する私は、これまで教えてもらった遊戯の数々を思い返す。

すると、マーサや精霊と遊んだ時の記憶も一緒に甦った。

『あれもこれも全部楽しかったな』と考える中、ふと何かを落とす。


「あっ……」


 落としたものを視線で追う私は、咄嗟に手を伸ばした。

────が、間に合わず……そのまま地面に着地する。


「スピリットフロル、バラバラになっちゃった」


 見事に散開したスピリットフロルの花弁を見下ろし、私はシュンと肩を落とす。

髪飾りとして愛用しているソレは、土の精霊から貰ったものでかなり気に入っていた。

『せっかくのプレゼントが……』と落ち込む私を前に、マーサは僅かに目を見開く。


「あらあら……ついに枯れてしまったみたいですね。でも、結構長持ちした方ですよ。普通は生成してから、三週間くらいで枯れるので」


 『奥様のせいじゃありませんよ』と説明しつつ、マーサは身を屈める。

散らばった花弁を拾い集める彼女の横で、私は一瞬だけ固まった。


「……マーサ、これ枯れているの?まだ元気そうに見えるけど」


「スピリットフロルは普通の花と違って、萎んだり変色したりしないので分かりづらいかもしれませんが、確実に枯れています。ほら、茎がもうダメになっているでしょう?」


 そう言って、マーサは拾い上げた茎をこちらに見せる。

ソレは茹ですぎた麺のようにフニャフニャしており、自分の体すら支えられてなかった。


「スピリットフロルは、見た目に変化がない代わりにどんどん柔らかくなっていくんです。なので、さっきのように花弁を散らしてしまうんですよ」


「そうなんだ」


 マーサの説明で本当に枯れてしまったのだと理解し、私は視線を落とす。

何となく自分の一部のように思っていたので、ショックを隠せなかった。

お別れを躊躇う私の傍で、マーサは僅かに眉尻を下げる。


「残念ですが、これは土に還しましょう。そうすれば、自然の一部になれますから」


 『植物ならではの供養方法です』と述べる彼女に、私は小さく頷いた。


「分かった。そうする」


 『まだ一緒に居たい』という気持ちを押し殺し、私はその場に屈み込む。

そして、地面に散らばった花弁を一枚ずつ丁寧に拾い集めた。

────と、ここで土の精霊が地面を下へ押し込むようにして、穴を掘る。

恐らく、供養のために用意してくれたのだろう。

『ありがとう』と礼を言う私は、拳サイズの小さな穴にスピリットフロルの花弁を注ぎ込む。

マーサの集めた分も中に入れ、土の精霊に最後の仕上げを頼んだ。

刹那────小さな地響きと共に、穴は塞がる。


 さようなら。今までありがとう。


 穴のあった場所をじっと見つめる私は、心の中でお別れを告げた。

『土の中でゆっくり眠ってね』と祈る中、マーサに肩を抱き寄せられる。


「小さな奥様、あまり気を落とさないでくださいね────何にでも、終わりはありますから」


 『自然現象です』と主張するマーサは、落ち込む私を気遣ってくれた。

────が、最後に放った一言が私の心を掻き乱す。


 何にでも終わりはある、か……その通りだね。

私もきっと、このままじゃ居られない。スピリットフロルと同じように、必ず終わりが来る……。

だって、私は────生贄なのだから。


 忘れかけていた自分の立場を思い出し、一気に現実へ引き戻された。

頭がスーッと冷えていくような感覚に陥り、夢から覚める。


 色んな人に大切にされ過ぎて、私は勘違いしていたようだ。自分にも当たり前のように明日が来る、と……幸せな日々がずっと続く、と。

生贄としてここに来た以上、そんなの有り得ないのに。


 『分不相応な幻想を抱くものではない』と自分に言い聞かせ、強く手を握り締めた。


 早く気持ちを切り替えなくては……『死にたくない』などと世迷言を吐く前に。


「奥様、大丈夫ですか?スピリットフロルとのお別れは辛いかもしれませんが、どうか気を強く持ってくださたね」


 ずっと黙り込んでいる私を見て心配になったのか、マーサはそっと顔を覗き込んでくる。

『やっぱり、ちょっと元気がありませんね』と眉尻を下げ、私の肩を優しく撫でた。

精霊達も私を元気づけるように頬へ擦り寄り、一生懸命慰めてくれる。

そんな彼女達の優しさが、私の心を嫌ってほど揺るがした。


 このままじゃ、ダメだ……マーサ達の傍に居たら、戻れなくなる。

ずっと皆で幸せに過ごしたい、と思ってしまう。

────だから、早く生贄としての役目を果たさないと。今なら、まだ間に合うから……誰も恨まずに死ねるから。


 変革期を迎えつつある自分に焦りながら、私は『引き返せなくなる前に行こう』と立ち上がる。

すると、マーサ達は驚いたようにこちらを見上げた。

『いきなり、どうしたのか』と視線だけで訴えかけてくる彼女達を前に、私は口を開く。


「私は大丈夫。マーサも精霊も、心配してくれて────」


 あと、いつも優しくしてくれて────。


「────ありがとう」


 ここに来てから幾度となく口にした感謝の言葉を発し、私は少しだけ目を細める。

『上手く笑えているだろうか』と自問しながらマーサ達の姿を一瞥し、屋敷に目を向けた。


「私、ちょっとカーティスのところに行ってくる。スピリットフロルのこと、報告したいから。マーサ達はここに居て」


「えっ?お一人で大丈夫ですか?」


「うん。執務室への行き方はもう覚えたから」


 同行を拒絶する私はコートの襟に手を伸ばし、前へ引っ張る。

そして、火の精霊達を外へ出すと、マーサに向き直った。


「じゃあ、行ってくる」


「……分かりました。お気をつけて」


 いつになく頑な私を見て観念したのか、マーサは同行を諦めてくれた。

『早く戻ってきてくださいね』と述べる彼女に曖昧に頷きながら、私は背を向ける。

これでマーサ達と会うのも最期かと思うと、正直悲しいが……それでも、生贄という運命から逃れる訳にはいかなかった。

後ろ髪を引かれる思いで歩き出した私は、屋敷の中へ足を踏み入れる。


 一人だからか、廊下が広く感じる。それに凄く静か。


 寝るとき以外ずっと誰かが傍に居たため、私は初めての単独行動に複雑な感情を抱く。

廊下なんて何度も通ったのに、初めて来たような感覚へ陥った。

『これが孤独感というやつか』と分析する中、廊下の曲がり角からある人物が姿を現す。

黒に近い青髪を揺らし、こちらへ向かってくる彼は黄金の瞳に私を映し出すと、急に立ち止まった。

いや、『固まった』と言った方がいいかもしれない。


「ティターニア?どうして、ここに?この時間は裏庭に居る筈だろう?」


 様々な質問を投げ掛け、こちらへ駆け寄ってきたのは────他の誰でもないカーティスだった。

『マーサ達とはぐれたのか?』と心配する彼は、腰を折る。

いつものように目線を合わせようとする彼の前で、私はギュッとコートの裾を掴んだ。

と同時に、顔を上げる。


「カーティス」


「なんだい?」


「私────太ったよ」


 何の脈絡もなく体重の話を持ち出す私に対し、カーティスは一瞬目が点になった。

かと思えば、困惑気味に瞬きを繰り返す。


「う、うん……?まあ、確かにちょっと丸くなったね」


「うん、豚になった」


「いや、豚というほどではないと思うけど……」


「豚になった」


「あ、うん」


 私の押しに負けて頷くカーティスは、『急にどうしちゃったんだろう?』と首を傾げた。

戸惑いを隠し切れない彼の前で、私はおもむろにコートのボタンを外す。

そして襟を掴むと、コートに腕を通したまま肩だけ曝け出した。


「だから────私を食べて」

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