血の盟約

「条件とは、決まり事のようなものです────と言われても、分かりませんよね。では、具体例として血の盟約の条件を上げていきましょうか」


 『そちらの方が分かりやすいでしょう』と言い、男性はこちらに手のひらを見せた。


「血の盟約には、合計五つの条件があるそうです。一つ目、大公閣下はノワール帝国を守護すること。二つ目、皇室は五十年に一度、大公閣下に妖精の血を捧げること。三つ目、皇室は大公閣下の身分及び生活を保証すること。四つ目、この盟約は双方の合意があれば破棄できるものとする。五つ目、盟約の利権者は大公閣下本人と、その代最も濃く妖精の血を引いた皇族とする」


 条件の数を表すように順番に指を折っていった男性は、ふと壁に目を向ける。

そこには、二つの針をグルグルと回す丸い板があった。

『そろそろ時間ですね』と呟く男性は、おもむろに本を閉じる。


「では、最後にテストをします。今日の講義の内容について質問するので、答えてください。一問でも間違えれば、罰として毒を飲んでもらいます」


 どこか楽しそうに振る舞う男性は、ニコニコと笑いながら本を取り上げた。

代わりに液体の入った小瓶をツクエの上に並べる。


 これが毒……?


「あぁ、心配は要りませんよ。死なないよう量は調節してありますし、解毒薬もありますから」


 『ただ二時間ほど苦しむだけです』と明るい声で言い切り、男性は早速テストを始めた。

そこで、私は何度か答えを間違え─────宣言通り、毒を飲まされる。

第一皇女に与えられる直接的な痛みとはまた違う痛みに、私は目を剥いた。


 か、体が……焼けるように熱い。それに頭も鈍器で殴られたようにガンガンしていて……。


「ふふふっ。毒に苦しむ人の姿は、やはり滑稽ですね。貴方の講師を引き受けて、本当に良かった。皇族に毒を飲ませられるチャンスなんて、そうそうありませんから」


 ツクエに突っ伏す私を見て、おかしそうに笑う男性はスッと目を細める。

『妖精族の末裔にも毒は効くんですね』と喜ぶ彼を前に、私は気を失った。

かと思えば────頬に衝撃を受けて、目覚める。


 あれ……?私、何を……?


「────あっ!やっと起きたわね!」


 耳を劈く大声につられ、顔を上げると─────そこには、第一皇女の姿があった。

私の腹に乗る形でこちらを見下ろす彼女は、嬉しそうに頬を緩める。

振り上げたままの右手を前に、私は『あぁ、叩かれたのか』と納得する。


 それより、ここはどこだろう?倒れた時に居た部屋では、なさそうだけど……コウシの男性も居ないし。


 キョロキョロと辺りを見回す私は、いつもより目線が高いことに驚く。

『寝転がっているのになんでだろう?』と思う中、更なる違和感を覚えた。

背中にこう……フカフカした何かが当たっているのだ。


 もしかして、フカフカの台みたいなものに寝かせられているのかな?


 などと呑気に考えていると、第一皇女が手を勢いよく振り下ろす。

────が、壁際で待機していた第一皇子に止められた。


「何で止めるのよ!人の話を聞こうとしないゴミに、罰を与えているだけでしょう!」


 掴まれた右手をブンブン振り回し激昂する第一皇女に、第一皇子は冷静に切り返す。


「これ以上は、さすがに不味いよ。さっきのビンタで我慢して。お父様やお母様に怒られたいの?」


「そ、そういう訳じゃないけど……でも!毒を飲ませるのはアリで、殴るのはナシなんて納得出来ないじゃない!」


 毒の件を把握しているのか、第一皇女はそれを引き合いに出す。

『不公平よ!』と叫ぶ彼女に、第一皇子は一つ息を吐いた。


「毒は外傷が残らないから、特別に許可されているだけだよ。あくまで躾の一貫として、だけど」


 『痛めつけるのが目的じゃない』と説明する第一皇子に対し、第一皇女は一旦口を閉ざす。

不満げに頬を膨らませ、『ん〜!』と唸るものの、先程のように声を荒らげることはなかった。

掴まれた右手をプラプラと揺らしながら、こちらに目を向ける。


「……だとしても、なんか釈然としない!狡い!」


「いや、狡いって……」


「ノクス、アンタは次期皇帝でしょう?皇位継承権第一の特権で、あと十発くらい何とかならないの?」


 『どうにかして』と詰め寄る第一皇女に、第一皇子は困ったように眉尻を下げる。


「無茶振りにも程があるよ……大体、まだ次期皇帝って決まった訳じゃないし……」


「でも、妖精の血を一番濃く引いているのはアンタでしょう?血の盟約の利権者が皇帝になる習わしなんだから、きっとそうなるわよ」


「いや、だとしてもこれ以上の暴力は……さっきのビンタだって、本来であれば咎められるんだよ?まあ、このくらいの腫れなら直ぐに引きそうだから問題ないけど……」


 チラリとこちらに目を向ける第一皇子は、『誤魔化すのも限界がある』と諭す。

────が、第一皇女は聞く耳を持たなかった。


「じゃあ、軽くならいいの?」


「姉上の『軽く』は信用出来ないから、駄目」


「ちょっと、それどういう意味よ!私だって、その気になれば手加減くらい出来るわ!」


 『馬鹿にしているの!?』と激怒し、第一皇女は目を吊り上げた。

かと思えば、不意に立ち上がる。

彼女の視線の先には、食べ物を載せた板(?)があった。


「いいこと思いついちゃった♪」


 ニンマリと笑う第一皇女は、いきなりフカフカの台から飛び降りる。

そして、例の板に近づくと、幾つかパンを手に取った。

『お腹が空いているのかな?』と考える私を他所に、彼女はこちらへ戻ってくる。

と同時に、持ってきたパンを台の上に投げ捨て、私の頬を鷲掴みにした。


「ほ〜ら、餌よ。口を開けなさい。私の手で食べさせてあげるから」


 そう言って無理やり私の口を開けると、無造作にパンを突っ込んできた。

噛む暇も与えず、ひたすら奥へ詰め込む第一皇女の所業に、第一皇子は慌てて止めに入る。


「そんなことしたら、また怒られるよ」


「どうして?これなら、外傷が残らないじゃない」


「それは……そうだけど」


 第一皇女の言い分に納得しかける第一皇子は、困ったような表情を浮かべる。

対する第一皇女は非常に楽しそうで……パンを喉に詰まらせ、噎せる私を嘲笑っていた。


 飲み込んでも、飲み込んでも直ぐにまたパンを詰め込まれる……これじゃあ、息が出来ない。苦しい。

でも、餌をたくさん食べられるのは嬉しい。いつも、パン一欠片とスープだけだったから。


 『こんなに食べさせてもらえたのは初めて』と感激しながら、一生懸命パンを飲み込む。

またいつ食べさせてもらえるか分からないため、とにかく吐き出さないよう必死だった。


「あははっ!アンタ、本当に家畜みたいね!そのうち、豚みたいになりそうだわ!あっ、でも大公にとってはそっちの方がいいんだっけ?デザートの量は多ければ多いほど、いいものね!」


 頬をパンパンに膨らませる私を見下ろし、第一皇女は上機嫌に笑う。

────と、ここで何かを思いついたかのように目を輝かせた。


「そうだわ!私がアンタを立派な豚に育てあげてあげる!だから─────」


 そこで一度言葉を切ると、私の首に両手を添えた。


「────最後の一滴まで、大公に美味しく頂かれるのよ!もがき苦しむほどの激痛を味わいながらね!」


 思い切り口元を歪め、最後に私の首を締める。

と言っても、ほんの一瞬だけだったが……。

直ぐに手を離し、再び板の元へ向かう彼女は追加の食料を持ってきた。

そして、また私の口へ押し込む。

─────この流れを、私が吐くまで繰り返した。


 結局、食べ物を駄目にしちゃった……せっかく、餌をたくさんくれたのに。

でも、今日は本当にいい日だったな。

チカロウから出してもらえただけじゃなく、色んなことをやらせてもらえたんだから。

私って、恵まれているな。


 ────と、呑気に考えていたのが三ヶ月前。

先日ようやく全ての講義花嫁修業を終え、大公へ嫁ぐ準備が整った。

講師の方々が頑張ってくれたおかげで必要最低限の常識も身につき、自分の視野を広げられた。

それでも、まだ世間知らずの域を出ないみたいだが……。


 何はともあれ、今日で全部終わり。

私はこれから生贄として、大公の元へ嫁がなければならないから。

皆と顔を合わせるのも、最期になる。


 『あっという間だったな』と過去を振り返る私は、お世話係の侍女に連れられるまま謁見の間へ入る。

中には、既に皇族や貴族の姿があり、皆こちらを見つめていた。

私のお披露目と結婚の挨拶を兼ねた集まりに、これほど人が来るのかと少し驚く。

『いつも、こんな感じなのかな?』と思いながら玉座の前で足を止めると、跪いた。


「面を上げよ」


 威厳のある声に促され、私はゆっくりと顔を上げる。

玉座に腰掛ける御仁を見つめ、『この人が皇帝か』と納得した。

皇族にのみ受け継がれる黒髪と碧眼を併せ持つ御仁は、整った顔立ちをしている。

『白髪赤眼の私とは似ても似つかないな』と思う中、彼は口を開いた。


「皆の者、よく聞け。私、レイル・カーラー・ノワールは第二皇女────ティターニア・ルーチェ・ノワールと大公カーティス・ノア・シュヴァルツの結婚をここに宣言する」


 凛々しい面持ちで前を見据える皇帝は、声高らかに言ってのけた。

すると、ここに居る貴族達はここぞとばかりに拍手や歓声を上げる。

生贄として捧げられるための結婚と分かっていながら。

『実にめでたい日だ!』と盛り上がる彼らを他所に、私は目を見開いた。


 ────ティターニア・ルーチェ・ノワール……私の名前。

今日、初めて知った。


 『私にも名前あったんだ』と衝撃を受けながら、脳内で何度も反芻する。

絶対に忘れないように、と。

『後でメモ帳に書いておこう』と決意する中、皇帝は真顔でこちらを見下ろす。


「ティターニア、大公によく尽くす良い妻となりなさい。私からは以上だ」


 早々に話を切り上げた皇帝は、皇妃を連れて退席する。

それを追い掛けるように、第一皇子と第一皇女もこの場を後にした。


 思ったより、早く終わったな。


「第二皇女殿下、我々も行きましょう。門の前に馬車を待たせておりますので」


 お世話係の侍女に促され、私は謁見の間を出た。

『早く早く』と急き立てられるように服を着替え、用意された馬車へ乗り込む。

そして、丸一日ほど掛けて大公の所有する屋敷へ辿り着いた。

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