初めて

 生まれて初めて外の世界に出た私は、そろそろと顔を上げる。


 ここがチカロウの外?


 カラフルな壁と天井から吊るされた光を見つめ、私はパチパチと瞬きを繰り返した。

全体的に細長く物が少ない空間に首を傾げていると、侍女達は顔を見合わせる。


「浴室は廊下を曲がった先よね」


「ええ、そうよ。早く行きましょう」


 奥の方を指さす茶髪の侍女に頷き、金髪の侍女は再び歩き出す。

心做しか、歩調は早くなっていた。


「さっさと湯船に突っ込んで洗っちゃいましょう。そろそろ、本当に限界だわ。汚らわしくて、しょうがない」


「そうね。変な病原菌でも移される前に離れましょう」


「ちょっ……病原菌って!不吉なこと言わないでよ!」


 怯えたような表情を浮かべる金髪の侍女は、半ば駆け込むようにして部屋へ入る。

『ここがヨクシツ?』と興味を示す私の横で、彼女は白い箱に近寄った。


「お湯はもう張ってあるわね」


 アツアツのスープみたいに湯気立つ箱を覗き込み、金髪の侍女はホッとする。

そして、茶髪の侍女と互いに顔を見合わせると、私の腕から手を離した。

かと思えば、服に開いた穴(?)をまさぐり始める。

何をしているのか分からず注目していると、彼女はハサミを取り出した。


 それ、第一皇女も持っていた。確か、服や皮膚を切るためのものなんだよね。

今日は何を切るのかな?


 第一皇女のしていた使用方法を思い浮かべる中、金髪の侍女は私の服を引っ張る。

刹那、首の後ろ側からハサミを入れられ、ジョキンと服を切られた。

そのまま反対側まで刃を進めていくと、半ば強引に服を剥ぎ取る。


「うわぁ……ボロ雑巾みたいな服ね。一応、形はワンピースっぽいけど」


 あからさまに顔を顰める金髪の侍女は、手に持った服をそこら辺に投げ捨てた。

『後で手を洗わなきゃ』と述べる彼女の横で、茶髪の侍女は私を持ち上げる。

と、次の瞬間─────白い箱の中へ投げ込まれた。

ザプンッという音と共に、私の体はお湯に沈む。

『箱の中身って、水だったんだ』と今更ながら理解する私は、息が出来ないことに驚いた。


 これ、どうすればいいんだろう?水から出れば、いいのかな?


 などと呑気に考えていると急に髪を引っ張られ、水面から顔を出す。

と同時に、息が出来るようになった。


「全く……手の掛かる生贄ね!」


 目や鼻に水が入ってケホケホと咳き込む私に、金髪の侍女は苛立ちを露わにする。

『アンタが死んだら困るのよ』と文句を言いながら、白い石(?)で私の体を擦った。

その途端、嗅いだこともないようないい香りが鼻孔を擽る。


「嗚呼、もう!やっぱり、石鹸の泡立ちが悪いわね!髪なんて、ギッシギシじゃない!」


「これ、昼まで掛かるんじゃない?多分、一回洗っただけじゃ綺麗にならないでしょう。お湯も何度か取り替えなきゃいけないだろうし……」


 どんどん灰色になっていくお湯を眺めながら、茶髪の侍女は『お昼抜きかも』と零す。

すると、金髪の侍女は思い切り目を吊り上げた。

と、次の瞬間────私の後頭部を鷲掴みにし、お湯に沈める。


「こいつのせいで散々だわ!さっさと死ねばいいのに!」


 水面越しにこちらを睨みつける金髪の侍女は、怒りに燃えていた。

────それからも何度かお湯に沈められ、私は乱雑に扱われた。

でも、特に不満はなく全て受け入れている。

だって、これが私にとっての普通だから。むしろ、軽い方だと思う。


 この程度で満足してくれるなんて、優しいよね。


 痛みや苦しみに慣れてしまった私は、終始されるがままだった。

体を洗い終わった後も同様で、フリフリのドレスを着せるため腰を締め付けられても、押さえつけられながら髪を切られても動じない。

私は全ての行いを許容し、受け入れた。


「────さて、神官の治療も終わったことですし、そろそろ花嫁修業を始めましょうか」


 私のお世話係だという侍女にそう言われ、別の部屋へ連れて行かれる。

そこでイスという乗り物に座らされ、コウシという男性と向かい合った。


「第二皇女殿下には、これからノワール帝国の歴史や文化について学んで頂きます。今の貴方では無知すぎて、人前に出せませんから。せめて、生贄の意味と大公閣下の略歴くらいは覚えて頂かないと」


 透明の丸が二つ付いた装身具を押し上げ、コウシの男性はこちらへ近づいてきた。

ツクエという置き物を挟んで私の前に立つ彼は、コホンッと一回咳払いする。


「では、手始めにノワール帝国の特徴について、説明しましょうか」


 淡々とした様子で話を進める男性は、持ってきた本をツクエの上に置いた。

かと思えば、本の外側を捲って中身を見せてくれる。


 本の中身って、こうなっているんだ。

第一皇女はいつも本を閉じたまま使っていたから、知らなかった。


 変な模様や絵が描かれた本を見下ろし、私は少し感心する。

『本=人を殴るためのもの』と考えていたため、かなり衝撃を受けた。


「ここに書かれている通り……と言っても、分からないでしょうが、ノワール帝国に朝は来ません。永遠に夜を繰り返す国として、有名です」


 本に書かれた模様を指でなぞる男性は、『おいおい読み書きの練習もさせないと』と呟く。

悩ましげに眉を顰める彼の前で、私はじっと本を見つめた。


「ヨル……」


「ずっと暗いままという意味です。普通は朝と夜が交互に来て、明るい時間帯と暗い時間帯がありますから」


 おもむろに身を起こした男性は壁際に近づくと、布を捲った。

すると、透明の壁みたいなものが目に入る。


 形は違うけど、第一皇女の持ってきたガラスの置き物によく似ている。

あれも向こう側の景色を映し出していたから。


 透明の壁を通して見える黒い景色に、私は目を奪われる。

『夜って、なんだか不思議な感じ』と考える中、男性は布から手を離した。


「まあ、厳密に言うと、ノワール帝国にも朝は来ているんですけどね。大公閣下の張った結界により、太陽の光を遮断されているだけで」


 『黒い壁に四方を囲まれているようなものです』と補足しつつ、男性は踵を返す。

足早にこちらへ戻ってくると本をパラパラと捲り、違う模様を見せてくれた。


「では、続いて大公閣下の略歴をご説明致します。第二皇女殿下の嫁ぎ先に関することですので、よくお聞きください」


 『少しでも長生きしたければ』と付け足す男性は、スッと目を細める。


「閣下はノワール帝国唯一の大公であり、建国当初より存在する人物です。長きに渡り、帝国を守護し─────この世に五人しか居ない吸血鬼ヴァンパイアの一人。名はカーティス・ノア・シュヴァルツ。正真正銘、闇の支配者です」


 真剣な面持ちで大公の詳細を語る男性は、どことなく緊張しているようだった。

先程よりゆっくりとした口調で慎重に言葉を選びながら、説明を続ける。


「大公閣下は大陸を真っ二つに出来るほどの実力者で、その……容赦がないと言い伝えられています。そんなお方がノワール帝国に味方する理由は、ただ一つ─────皇族に流れる血、です」


 『血筋とでも言いましょうか……』と零しつつ、男性はまたもや本を捲った。

かと思えば、人の絵が描かれたところを指さす。


「ノワール帝国の初代皇帝は、妖精族の末裔だそうです。黒髪碧眼という外見が、その証拠だと……また、瞳が青いければ青いほど妖精の血は濃いそうですよ────と、少し話が逸れましたね」


 『本題に戻ります』と言って、男性は本に視線を落とした。


「要するに皇族の血は特別ということです。我々に違いは分かりませんが、血を主食とする吸血鬼ヴァンパイアにとってはまさにご馳走らしいです。なので、大公閣下は初代皇帝に一つ提案をしました────この国を守護する代わりに妖精の血を捧げろ、と」


 男性の語る歴史に、私はひたすら耳を傾ける。

『生贄の始まりって、これかな?』と、思いながら。


「初代皇帝はこの提案を受け入れ、血の盟約を交わしたんです」


「チノメイヤク……?」


 聞いたこともない単語に興味を引かれ、私は思わず復唱した。

すると、男性は直ぐに説明を付け足す。


「互いの血が絶えるまで続く契約みたいなものですね。当然条件を破れば、ペナルティを与えられます」


「ジョウケンって、何……?」


 独り言のように呟くのではなくきちんとした質問を投げ掛ければ、男性は一瞬固まった。

────が、直ぐに正気を取り戻し、透明の丸がついた装身具を押し上げる。

『一応、会話は出来るのか』と呟きながら、おもむろに顔を上げた。


「条件とは、決まり事のようなものです────と言われても、分かりませんよね。では、具体例として血の盟約の条件を上げていきましょうか」

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