第15話
朝起きて、いつものようにコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
洗面所に向かう途中、立っていられないほどの眩暈がして、廊下にしゃがみ込んだ。しばらくすると落ち着いて、歩けるようになった。でも、なんだか耳の中が変な感じ。こもったような聞こえ方が、気になった。
ただ、それはその時だけで終わるって変な確信があった。
それからもたまにめまいがして、春馬くんの横を歩いているときとか、家で家事をしている時とか、だんだん春馬くんの心配性を刺激する頻度が高くなった。
「奈央、病院行ったほうがいいよ。」
「うーん、今週休み土日だもん。」
「土曜日やってる、耳鼻科?あるでしょ?」
「でも、なんともないよ?」
「なんともないことないって、右耳聞こえにくいんじゃないの?」
「え?」
「無意識かもしれないけど、前は寝る前に左向きで携帯見てたのに、今右向きになってるよ?左を下にすると聞こえにくいんじゃないの?」
あんまり意識してなかった。
いつも右側に春馬くんが寝ていて、なんとなくお互い充電器のある外側を向いて携帯を見ていた。
最近確かに春馬くんの背中を見てるかも。
そう思って、左耳を塞ぐと春馬くんの声が遠くなった。
そして、時間が経つと、もっと遠くなっていった。
めまいと耳鳴りがあまりにひどくて、1人では病院にも行けず、お母さんに来てもらう。
職場にも連絡して、休みをもらった。
その休みはどんどんと長くなり、右の音はどんどん遠ざかっていった。
私の右側から音が消えてしまってしばらく経ったとき、お母さんと病院で話を聞く日だった。
「これ以上の聴力回復は難しいです。」
先生の声は聞こえているのに、聞こえる左の耳が聞くのを拒否しているのか、脳が言葉を処理するのを拒否しているのか、とにかく私は事実の受け入れを拒否していた。
お母さんと家に帰ってきた。
「疲れちゃったから、部屋ですこし寝るね。」
そう告げて、まだ手付かずに残してくれていた2階の部屋に篭った。
仕事、辞めよう。
患者さんの声が聞こえないかもしれないなんて致命的だった。
もうすでに休職扱いになっていたから、電話をかける。
「復帰の目処が立たないので、仕事を辞めさせてください。」
事務部にかけた電話は、直属の上司に代わり、まだ休めるからと説得してくれたが休んだとて、耳は回復しないと聞いた後では、何の説得も聞きたくなかった。
結局、上司に書類の提出と荷物を引き取りに行く日だけ、確認して電話を切った。
働いてきた時間が、一瞬で消えるような気がした。
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