第14話

家に着くと、いつもみたいに手を洗って、うがいをした。

お母さんがリビングから、声を掛けてくれるけど、うまく聞き取れなかった。

「奈央ちゃん?」

「ごめん、何?」

「疲れたでしょ?少し休む?」

「ありがとう。そうする。」

2階の自分の部屋に向かって、階段を登った。

部屋に入ると、久しぶりでもないのに懐かしい感じがして、この数日の出来事が嘘みたいに思えた。


ベッドに横になると、ふわふわとした感覚があって、全部全部夢なんじゃないかと思えて、いや、夢であって欲しいと思ってて、わざと強く目をつぶった。


どれくらい経ったかな。うっすら目を開けると、春馬くんが私の顔を覗き込んでいた。

「奈央、起きて。」

「今日、めっちゃ天気いいよ。」

いや、寒いじゃん。まだ寝ていたい。

「散歩行かない?この前のパン屋また行きたいな、俺。」

まだ全種類制覇してないもんね。

サンドイッチ美味しかったよね。

「奈央、おはよう。おはようは?」

起きるから、ちょっと待ってて。


右耳が聞こえていた頃は、病院で言語聴覚士として、朝から晩まで仕事をしていた。毎日忙しくて、でもすごく充実してて、面白かった。

右耳が聞こえなくなる少し前、春馬くんがプロポーズしてくれた。

夜景の見えるレストランとか、私の好きなポムポムプリンがいるピューロランドとか、色々妄想してたのは1ミリも出てこないくらい、ぼんやりと春馬くんが引っ越しするからって、一緒に部屋の片付けをしている時だった。

「ねぇ、奈央、俺と結婚してくれる?」

「うん、いいんじゃない?」

新居に持っていくか、捨てるか、それを聞くついでみたいに言われて、あんまり聞いてなかったから、顔も見ずに適当に答えてしまった。

言葉の意味をもう一度理解して、顔を上げると、泣きそうな顔でこっちを見ている春馬くんが、

「奈央、大好き。」

そう言って、大きな腕に包まれた。

照れているのか、喜んでいるのか、春馬くんの心臓は、バカみたいに早かった。

普段から、好きとか言わない春馬くんの一世一代の大好きは、私にも刺さったし、結婚式は派手にしなくていいから、新婚旅行はうんと、贅沢したいねとか、新居はまさかの2LDKで2人で住むつもりだったとか、プロポーズが上手くいった瞬間からおしゃべりになる春馬くんが、普段はウザいと思う時もあるマシンガントークが、その時ばかりは、可愛かった。

私の両親と、春馬くんの両親にそれぞれ会いに行って、一緒に住む話もした。

ちゃんとした顔合わせは少し先でいい、新居で生活が落ち着いたら、日を見てしましょうねと、春馬くんのお母さんに言われた。


そんな矢先、職場でめまいがした。ほんの少しだけ、パソコンで記録を書いている時だったから座ってたし、ちょっと疲れたのかなって。耳の中に虫でも入った?って言う不思議な感覚もあったけど、引っ越しに、仕事に忙しくて、忘れていた。

ようやく引っ越しした部屋での生活も落ち着いて、春馬くんが案外だらしないとか、2人で同じ家にいると、休みの日に出かけなくなったとか、マイナスな面はあれど、新しい発見もあり、同じ家に帰る新鮮さを楽しんでいた。

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