第62話 ありがとう

風呂を上がり、寝間着を着たところで明日香に謝っていないことを思い出す。

明日香はなんとも思ってないかもしれないが、俺が嫌だ。

今日のうちに謝っておきたい。

そう思って、部屋に向かった。


風呂場を出て、ギシギシと鳴る廊下を曲がると、俺達の部屋からばぁちゃんが出てくる。

布団でも出しに来たのだろうか。

さっき、明日香の話を聞いたせいだろう。

横を通るだけでも、少し緊張する。


すれ違う瞬間、相変わらず無愛想な表情のままだったが、口元を見ると何かを言いたそうに少し歪んでいたのが分かった。

……本当に俺と関わろうとしてくれてるんだな。

もしかしたら、今までもこうやって頑張ろうとしていたのだろうか。

それなのに俺は嫌われてるなんて勝手に思って……。

ばぁちゃんが歩み寄ろうとしていたのに近づこうともしなかった。

距離を取っていたのは、ばぁちゃんじゃなくて俺の方だ。

部屋の引き戸に手を掛けたところで自然と口が開いた。


「ばぁちゃん」


するとばぁちゃんは立ち止まり、なんだと言う。

まだ素っ気ない言い方だが、今までならば返事すらせず無言だっただろうに……。


「ありがとう」


俺はそう言って、部屋に入った。

明日香の話を聞き、そして、ばぁちゃんの思いを知った今、俺の中でばぁちゃんに対してありがとうっていう気持ちが溢れた。

だから、どうしても伝えたかった。

ありがとうと。

……感謝の言葉って意外と照れくさい。

そそくさと部屋に入ったため、ばぁちゃんがどんな表情をしていて、どんな反応をしたかは分からない。

でも、ちゃんと伝わってるといいな……。


部屋に入ると、布団の中から明日香がニヤニヤしてこっちを見ていた。


「どうしたの?」


「ううん、私の彼氏は格好いいなぁと思って」


……さては聞いてたな。

まぁ、遮るものが一枚の戸しか無いし、聞こえるよね。


「明日香もありがとう」


きょとんとする明日香を尻目に俺は話を続ける。


「明日香のおかげでばぁちゃんに向き合えたからさ、その……ありがとうって思って」


すると明日香はポンポンと布団の空いてるスペースを叩く。

ここに座れってことだろう。

促されるまま座ると、俺の頭に手を伸ばし、撫で始める。


「偉い偉い」


子供じゃないんだから……。

でも、気分はすごく良い。

子供でもいいや……じゃない。

謝らないと。


「ごめん明日香」


「今度はごめんなの!?」


……ありがとうの後にすぐごめんだもんね。

確かに情緒不安定な感じだった。


「俺さ、魚釣り行った後、ばぁちゃんと明日香が楽しそうにしてるの見て……多分、気に食わなかったんだと思う」


「俺相手だと無愛想なのに、明日香には笑ってさ……夕飯の時、態度悪かったよなって……だから、ごめん」


「うーん……い……や、はっ! 傷ついた! 傷ついたよ! 優にあんな態度取られてショックだったなぁ」 


一瞬いやって言わなかった?

なんか急に思い付いたみたいな感じだったけど……。


「でも、気に食わなくても仕方ないよ。それだけ優はおばあちゃんの事を大切に思ってるってことだよ。私も優の立場だったら複雑な心境になってたと思うし」


「そう言ってくれると助かるよ」


「でも傷ついたからなぁ……これは久々に罰ゲームかな」


うっ……共感してくれたから、今回は無いと思ったのに……。

今回は一体何をさせられるんだろう……。


「それじゃ……明日、優の時間を私に頂戴」


「……え? それってどういう」


「言葉通りの意味だよ」


デートとかそういうこと?

そもそも明日香の言う罰ゲームってなんなんだろうね。

実はごほうびっていう読み方なんじゃないの。

これまでの罰ゲームでも悪いことが全く起きない。

どっちかというとむしろ良いことばかりだし。


「そうと決まれば今日は明日に備えて早く寝よう! おやすみ!」


カチカチッと電灯から垂れている紐を引っ張り、部屋を暗くして、明日香は布団に横になる。

布団並べて寝ることにはスルーなんだね……。

まぁいいや、俺も今日は疲れたし、眠気が復活してきた。

寝させて貰おう。

布団に入り、既にすやすやとしている明日香に向かっておやすみと言って目を閉じた。


「起きてるに決まってるでしょ」


「だと思った」


背中にぴったりくっつき、耳元でささやく明日香。

なんか前もあったなこんなこと……。


「だんだん優も私のこと分かってきたね」


「彼氏だからね」


ふふんと機嫌を良くする明日香。

ちょろかわいい。


「私ね。今日、また優の事が好きになったよ」


「なんで?」


「おばあちゃんに対してもそうだけど、さっきみたいに自分が悪いと思ったらちゃんと謝れるところとかすっごく誠実だなって」


「そうかな」


「そうだよ。怒られるとか罰があるとか分かってるのにちゃんと謝れるのはすごいことだよ」


そんな褒め方をされると純粋に嬉しい。

当たり前のことしてるだけなんだけどな……。


「だから明日は罰ゲームだけどご褒美もあります……楽しみにしててね」


「私も疲れたから今日は眠いや……それじゃ今度こそおやすみ、優」


「おやすみ、明日香」


罰ゲームがデートならご褒美は一体何になるのだろうか。

考えようとしたところで強烈な睡魔に襲われた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る